2023年12月27日 (水)

ドキュメントの容積

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 そういえば、昔はついてくるマニュアルが分厚くて、読むのが大変だったなあ。
 会社の清掃で出てきたNetwareというサーバOSのマニュアルを捨てながら懐かしく思い出します。
 厚さ5cmくらいの本が何十冊も来て、まとめると本棚の一段分まるまるくらいになるドキュメント。今だとオンラインでの教育がけっこうあるのでマニュアルは必要なところを拾い読みするだけで済むことも多いのだけれど、このときは教育自体がめちゃくちゃ高かったので泣きながら読んだ覚えがあります。それでもこのバージョンは日本語だったからなんとかなったけれど、その分無茶な翻訳が多くて「原文みせろよ」とか思ったことも多かったなあ。

 ブラウン管のモニタ時代のフィルタのサンプルとか、いろんなものを今年は捨てました。
 まだ、物理的に捨てられるというのはラクなのかも。今やどんどんクラウドに貯まっていくデータのどれが必要なもので、どれがもう絶対に要らないものなのかの仕分けなんてやりようもなく、容量がいくら増えてもいいからため込んでいるけれど、一昔前のように「一杯になったら消す」時代だったら場所をあけるためにどれくらいの時間と手数を掛けなきゃいけないかと思うとぞっとします。
 今は「自分が見るべきモノだけ選択して見えるようにして、それ以外のものは必要に駆られたときに検索する」ようになっているから、自分のデータになっているけれど一度も見ていないものも数多くあるだけに「捨てられる量しかない」というこういう物理的な資料は、まだまだありがたいのかもしれません。

 そんなこんなで、仕事で市外にいくのもたぶん今年は今日でおしまい。
 明日掃除して、出社は一段落のはずです。
 そういえば、年末年始、客先が止まっているうちにやるリモートでのいろいろ作業も、以前に比べてすこし減りました。
 オンプレミスのメールサーバが、写真や動画満載の重い「あけおめメール」で飛ばないように監視するなんてことも、もう懐かしい話。

 すこしゆっくりする年末年始になると、いいなあ。
 そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。

2021年8月13日 (金)

生存競争

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 雨だし、お盆中だし、仕事はあるし・・・ということで、家から出ない一日。
 枕元では、家族の誰かのKindleが充電の生存競争に敗れ、力尽きていました。

 e-inkは液晶とちがって表示を書き換えるときには電気が必要だけれど、表示し続けることには電気がいらないデバイス。
 液晶なら消えて真っ暗になるはずだけれど、e-inkならではの電池がないよって表示をし続けられるこの感じ。もし何万年もあとに発掘されたら、化石みたいに感じるのかなあ(笑)。

 そろそろ、晴れないですかね。

2011年3月21日 (月)

あなたが「拡散希望」というメールやツイートを受け取ったら

 僕はコンピュータ関係の仕事をしていますが、このブログでは、その手の話を書くことは一応避けています。ただ、震災からすこし時間が経って、ネットの力の悪い面もたくさん見かけるようになってきたので、僕が思うことを書いてみたいと思います。

 【拡散希望】とついたメールやTwitterのツイート、ブログの記事を見たら。

 一人が10人に伝え、それをまたそれぞれの10人が10人に伝えたら、あっという間に元情報は想像以上にひろがり、しかも、それがデマではないのか、既に時機を逸した情報ではないのかといったことを、あとから送った人が訂正したり保証したりすることもできません。
 善意からの行動でも、ある意味、不幸の手紙と同じことが起きてしまいます。

 基本的に、【拡散希望】の情報は、止めるべきです。

 そして、自分が二次情報を伝える必要があると考える情報については、一次情報を提示するべきです。携帯端末とかでしか見られないなど、URLを書かれても一次情報にあたれないから中身だけ流して欲しいというニーズがあることもわかりますが、それでもなお、情報の中身を書いた上で(たとえば自分の言葉で解説するなどのことも)、一次情報へのリンクを添えるべきです(Twitterをお使いの方なら、短縮URLの方法もおわかりでしょうし)。

 これからの時期、デマが流されることは、かなり怖いことです。震災以降の日本の人全体の慎み深さや忍耐強さは本当にすごいことだけれど、それでもなお、フラストレーションがたまってくるに従って、略奪や暴動のようなことが、ほんのちょっとのきっかけで発生することも、あるかもしれません。

 僕は、ネットをはじめた頃、「書き込む」ということは「日本中に向かって『出版する』みたいなものなのだから注意してやれ」と、ネットの先輩にかなり繰り返し言われました。もう、20年以上前、日本にインターネットでのWebブラウジングが普及するずっと前の、文字だけの時代です。
 Twitterのようなネット上のメディアの登場で、ある意味、ネットはよりパーソナルなもの、誰も見ていないところでほっと息を抜くような私的な場所として、とらえられている部分があるように思います。
 でも、Googleで検索すれば、誰のつぶやきでもヒットしてきてしまう。つまり、「全世界に向けて、発表している」のですよね。それを、ネットのユーザーは自覚しなければいけないと思います。

 情報は、人を助けるためにあるもの。誰でも発信できるようになったこの時代だからこそ、「発信」する情報には、ある程度の責任を持たなければいけない。

 小言めいたトピックになってしまいました。でも、脊髄反射のようにネットに書かれたトピックやコメント、ツイートの山を見ると、どうしても言わずにはいられなくなってしまうのです。