赤煉瓦ネットワーク2009糸魚川大会・無事終了しました
今ひとつな雨風空の下、遠くは北海道から九州まで、全国あちらこちらからお越しいただき、ありがとうございました。
いろいろまだまだ、問題の多い糸魚川のレンガ車庫保存問題ですが、たくさんの元気をいただきました。わざわざ、我々にエールをおくりにきていただいたメンバーのみなさんには、本当に感謝です。
というわけで、今日の写真は、昨晩の講演で、長岡造形大の平山教授に教えていただいた、大和川にあった煉瓦工場の記録。明治時代に国が調べた、全国にあった工場の一覧に、しっかりと「宮田煉化製造工場」が「西頸城郡大和川村大字大和川」にあったと残っていると記述されています。
地元で掘った土を、地元のひとが、地元で煉瓦に焼き、そして、それをつかって地元の鉄道施設を作った。そして、その鉄道施設は、鉄道北陸線の最後の難所、親不知子不知を越えるための東側の基地として作られた。
原料も、作られた経過も、そして、建物を造らなければいけなくなった原因となる地形上の障害も、今となってはすべて、糸魚川が売り出そうとしている「ジオパーク」につながってくるようになっている。ならば、これを生かさない手はない・・・と思うのですが、みなさん、どう思われますか?。
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