雲が南にあると、厚い雲なら暗い朝。でも、薄い雲だとなかなかドラマティックな色になります。
そんなわけで、ちょっと車を停めて一枚撮る朝。
さて、先日から「中学校部活動移行検討委員会が公開会でやるといっているのになにも情報が出てこない」とボヤいていましたが、先週途中からすこしずつ市のサイトに情報が載り始め、今朝の糸魚川タイムスには「明日第3回の検討会議があるよ」と告知も出ていました。
なんだ、やればできるじゃん(笑)。
僕が関わっている競技のように、受け入れ先となる組織はあるから「つなぎ」をどうするかきちんと決めてほしいという分野では、クラブ(競技)の紹介機会を作ってもらえればそれでなんとかなるのだけれど、受け入れ先を整備しなければいけない競技や文化系活動は大変だろうなと思います。学校の体育館は社会体育のみなさん用に単独で鍵を借りてそこだけあけられる仕組みが既にあるけれど、たとえば「学校の玄関は施錠し、ほかの場所には入れない状態で音楽室だけ利用できるようにする」ことは今の構造ではできないわけで、だったらどうするかという対応はなかなか難しい。
なにはともあれ、がんばって検討してほしいと思います。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
昨日はひさしぶりの夏日。ちょっと暑いかな…という感じで上に1枚着ていたものの、結局昼間はTシャツでいる時間帯もけっこうありました。
ほんのひと月前のあの暑さの中では「もしかしたらもっとも遅い真夏日の記録、更新かもね」なんて思っていたのに、ちゃんと季節は巡るんですね。
さて、今日から天気は下り坂。週末はけっこう冷たい雨が降る日になりそうです。
この週末は、市内各所の小学校の「創立○周年記念式典」の日なのになあ。僕も、ご近所の田沢小学校の式典に顔を出してきたいと思います。日頃朝読書やクラブで一緒になってる子たちの作品や発表も、見てこないとね。
天気が下る分、気分はあげていこう。
おはようございます。
二重の虹があるというのは、昔々杉山清貴の曲のタイトルで遭遇するまで知りませんでした。だから、たぶん高校くらいまでは、あちこちに出ていた二重の虹なんて気にもしなかったのだろうあな、と。そして、気づけばちょくちょく見かけるわけで、気づかないってのは「見えない」ってことなのだなあとしみじみ思います。
さて。
ここのところ、小学校の朝読書でイギリスの"Optical Physics for Babies"という本をよく読んでいます。
高速道路で売っているような厚紙のボードブック。for Babiesなんて書いてあることも含め「そういう」装丁なのだけれど、もちろん赤ちゃん向けではなく「ごくごく簡単な」という科学絵本なのです。
僕はこれくらいわかりやすく虹の仕組みと「なぜ二重になり、外側の副虹が暗くなるか」をわかりやすく説明した本は知りません。
この "for Babies" はけっこうあたりはずれ激しくイマイチなのも多いのですが、これとは相対性原理のとかすごくいいのもあるので、興味をお持ちの方はぜひ。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
3本100円くらいのあん団子串を食後に食べて「天気いまいちだけど、月出てる?」と思って外に出ていると、ソラにはこの月。
というわけで、昨日は中秋の名月。この日は満月かどうかはきまっていなくて、次の「中秋の名月な満月」は、僕が還暦を過ぎてなのだとか。
旧暦は月齢でと思っていたので、こういうところでのズレがあるのはこの年まで知りませんでした。そういう意味では「今回は特別な~」ってニュースは、いろんなことに気づくたのしいきっかけなのかも。
さて。
昨日の夜、外国に半月ほど勉強にいっていたコドモが帰国したようです。ウチに帰ってきたのではなく、ヤツのアパートに直帰なので顔をみられたわけではないのだけれど、そうはいってもほっと一息。海外に行けないとか、戻ってきたらしばらく隔離とか、空港から家までは閉鎖空間で移動せよとか、そういう時期が終わって本当によかった。そんなことを思いながら「戻ってきた夏」の写真を思い出したようにプリントし、額装しました。これから、市展に搬入にいってきます。
写真としていいかどうかは別として「記憶しておく」のは大事だものね。あのとんでもない日々から抜け出しつつある今だからこそ。
そんなこんなで、曇り空の朝。おはようございます。
今年一番大きく(近く)て、しかも一月に二度目の満月。なんでも昨日8/31の月は特別な月だったのだそうです。
いつも月を撮るときに思うのは、昨晩ほどに秋らしい雲がたくさん出ているとき、月のディテールも、ソラに広がる雲も、明るすぎてどこかうっすらと青のニュアンスのある空も、そういうものを一緒に写し止めることができないもどかしさ。あらためて、人の目ってのは、凄いんだなあ、と。
そういえば、8月は土星を眺めるにもいい時期だったとのこと。
すごく雲の少ない日々が続いていたのに、そういうことに気を配ることなく過ぎていってしまった8月。
ようやく、月末から夜の散歩も再開。歩数が1万歩に乗ってきました。
また、のんびりと散歩する時間を楽しまなきゃね。
そんなこんなで、9月になりました。
防災記念日。いろいろ考えながら。
おはようございます。
スマホの中から最近いなくなった小鳥のことをふと思い出す雲。
毎日暑いのはかわらず、夜は25度を切らない熱帯夜だし、昼間も猛暑日になるかならないかの気温が続いているのだけれど、不思議なもので空だけはちゃんと秋の風情が出てきました。
刷毛で掃いたようなうすくながく広がる雲や、うろこ雲。
だんだんと、秋は近づいているのだなあ・・・と思いたい8/31。ラジオをきいていると「夏休みは今日でおしまい」と何度も何度も言っていて、金曜日一日「わすれてきました」でしのげば、土日で残りの宿題をやる時間が取れるぞという入れ知恵とか、8/31ならではのいろんな話題が流れて来て、一方でウチの近所は学校再開一週間くらいは経っていたりもして、あらためて「日本は広い」な、と。
そうはいっても8月はおわりました。明日から9月。
「百年前新聞」というX(Twitter)のアカウントでは「明日は心が痛む投稿を大量にしますのであらかじめご注意ください」と注意喚起が出ていました。もう、関東大震災から100年なんですね。いろんなことをあらためて考えてしまいます。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
昨日の夜、子どもたちのサッカー練習が終わるのを待っているとき、待っているうちのひとりが満月のきれいな月をスマホでとりはじめました。
そして、「え、オレもやってみる」な感じでそこにいる何人かで簡易撮影会。
あらためて「スマホで撮る写真って、難しいなあ」とつくづく感じてしまいました。
ゴツいカメラで撮るときには、ピントも、シャッタースピードや絞りも、どれくらい明るく(暗く)撮るかも、ある程度カメラが勝手にやってはくれるものの、自分がさっと介入して自分の好みに変えていくことができる。そんなふうに、いろんな技術が自動化をしてくれているものの「自動への介入」をすばやく行うことができる仕組みがあります。一方で、スマホのカメラはなにも考えなくてもけっこうきれいに撮ることができるのだけれど、一方で自動のルートを外れてなにかやることがとても面倒くさい。
僕のスマホはあまり写真に特化したものではないので、山際で大きく輝く満月はこんなくらいにしか写らないのだけれど、あらためて「すばらしい自動と、それを微調整する人間」という関係性みたいなもののことを、つくづく考えてしまいました。
というわけで。
この日に車の中にあったカメラには、400mmのレンズがついていました。そっちで撮れば問答無用できれいになるはずの満月。
zenfone8で撮ったものはこんな感じなのですが、スマホで撮る月、そこそこ撮れてますでしょうか。
そんなこんなで、今日もお疲れさまでした。
今日は、子どもの高校見学(というか、部活の体験参加)で、県内だけれどいったことのないまちへ。
好きで時折買っていたお菓子のお店がそのまちにあることを知ったり、見学中にアテンドについてくれた高2の男の子のクレバーさにとても感心したり。子どももですが、自分もけっこう刺激的な一日になりました。
何人かのチームメイトと一緒の体験だったのだけれど、大人のいないところでヤツらはどんな話をするのかな。
そして、糸魚川は「新潟県」のはしっこということで、ほかの土地では東西南北にある選択肢が、分野によってはおなじ距離感であっても東以外は一部限定的になってしまうのだなあということをあらためて感じたりも。
行政の区割り的な境界線は、時にその向こうを見ることを省いてしまう習慣を作り出したりもするけれど、逆に「そっち側」を見に行くと面白いこともあるのかなと、そんなことを思ったりも。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
よく聞いていた平日午後のラジオ番組「たまむすび」がおわってしまい、後番組「こねくと」になかなかなじめずにいたのだけれど、結局繰り返し聞いていると習慣化してくるのだなと実感。帯番組は番組と一緒にリスナーも年を取るので、代替わりでぐっとターゲットが若くなったような印象があるのだけれど、こういうのにあわせていくことで自分もすこし若い方面に興味が広がるのかもしれないな、と。
というわけで、この番組のパーソナリティさんは「電線愛好家」とのことで、だとすると自然風景の写真に人工物を入れるのが好きなワタクシとしては、すこし親近感もわいているのです。そんなこんなで、今日の写真は電線越しの月。このあと台風2号の雨が来るそうだけれど、今日はまだ月を愛でられそうな空でした。
今日もおつかれさまでした。
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