おとなり大潟では38度を超えたという今日、外に出るとなんだかしんどくて「猛暑日になったら祝日になる法律とか、できないかなあ」と思わずつぶやいてしまうような一日。
さて。
今読んでいる本の中で「植物の実は実ると勝手に地面に落ちるようになっている。だから翌年も発芽できる。米や麦などの穀物は、自動的に落果すると実がちいさくて食べるのがとても大変なので、落果しない突然変異を選択して育てたものだ」という説明がありました。
確かに考えてみれば、実が落ちないってのは理にかなってない特徴だなあ、と。
あたりまえだと思っていることを、ちがう視点で切り取ってみせる話しに遭遇するのは、おもしろいもんですね。
というわけで、写真はそろそろあちこちで稲刈りがはじまった田んぼにて、すっくと立つサギ。連中は、暑くないのかなあ。
一日おつかれさまでした。
コドモの大学受験絡みの面談で、となりまちの学校までいってきました。
比較的時間に余裕があったこともあって「ついでに蓮の写真でも撮ろうかな」とか、仕事の移動でも「あ、田んぼの中に鷺が首だけいっぱい覗かせてる」とか、いろいろ面白そうな被写体をみかけたものの、結局カメラを持ち出しての撮影はなし。
心配は、心配。一方で自分がなにかできることは(少なくとも学力を上げるための勉強をするという意味では)ほとんどないし、なにより分野によっては自分がわからないことを既にやっている状況でもあるので、あとは見ているだけ。これはこれで、ほのかにストレスなのかもしれません。
んで。
どうも日本最大のフロア面積らしい直江津の無印良品のフードコートでお昼をたべてきました。
「たちばなさんに習った豚汁」でたっぷり塩分補給。すこし豆腐もくし切りのタマネギも豚バラもちいさめでお上品だけれど、味は確かにたちばな。そうなると、かんずりももらって丼飯で喰いたいなあと思って、かえって新井のお店への思いが募ってしまいました。
"MUJI"が「シンプルでセンスのいいものを集めているお店」というイメージがあった若い頃を思い出しました。都市部に「おのぼりさん」していって、そこで入るCOOLなお店のイメージ。考えてみればそれほど安いわけでもないし、シンプルさがクールな雑貨を売るところはいろいろでてきたのでここしばらくはずいぶんそういう感じを忘れていたけれど、「あ、そうだ。MUJIってこういうイメージだったなあ」という感じ。
広すぎるくらいの旧ヨーカドーの1フロアを優雅に使って、広々と広い通路や展示にしているのも、余裕のある感じにつながっているのかも(旧水沢の家具の広々さが、あの圧迫してくるような展示感を損なっていて広々な上越のドンキのことを思うと、無駄なくらいの広さを使うってのは、なかなか難しいことだなあ(笑))。
あれだけ広いと、密な感じにもなりにくいし、またこんどゆっくり歩いてみたいと思います。書店の並べ方もちょっと刺激的(少々スノップに過ぎる気もするけど)だし(笑)。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
能生の丘の上のサッカー場での練習。いやー、暑かった。
そのあと、能生の道の駅、マリンドリーム能生でかにゴハンとさざえゴハンを購入。戻ってきました。
地元民としては日常食にかにを買ってくるのはちょっと気張りすぎなので、あたらしくできたスタンド「こばんざめ」のかにごはんやかにみそごはん、さざえごはん、かにクリームコロッケといったブツはちょこっと買ってくるにはちょうどいい感じなのです。
駐車場は、R8側がいっぱい、海側がちらほら、くらいの込み方。
まあがっつり至近距離で顔つきあわせてしらないひと同士でものを食べるような混み方ではないな、と。
COVID-19対策は、いろいろ難しいこともあるし、どんなに気をつけていてもうつることはあるので「怖い」のであれば引きこもるしかないのかもしれません。でも、それは、ねえ・・・。
ならば。
基本は「ひとにうつさないようにする」こと。
感染して、発症するほど体の中でウィルスが増殖するひとでは、発症直前から発症後数日くらいまでがウィルスを多く吐き出すという話がいろいろなところから伝えられています。発症すれば、検査してもらって必要であれば「隔離」される。でも、発症までの間は知らず知らずにあちこちにウィルスを振りまいて歩いてしまうかもしれない。
だからこそ「ひとにうつさないように」マスクをして、手洗いをする。
こういうことを、多くの人がやっていれば、リスクはゼロにはならないけれど、だいぶ低くなるはずです。
よそからきたひとをにらむより先、ひとからうつされないように気を配るより先に、まわりのひとにうつさないようにする気配りを。
来た人のことをどうこう言うより先に、僕らがちゃんとしていること、を。
そんなことを思う、やや行楽モードが漂ってきた週末なのです。
たとえば昆虫の絵本を読んでいると、当たり前のことながら言われると「へー」と思うのが、親よりもデカい子。たとえば蝶とイモムシだとイモムシのほうがたいてい重いのだけれど、完全変態する生物はけっこうこういう連中が多い。
それに比べると、鳥とか哺乳類とかはたいていは親のほうがコドモより大きいわけで(まあ、人間は途中でよく追い越されちゃいますが)、この子育ての時期の鳥をみたりすると「あ、ちっちぇえなあ」とかにこにこしながら眺めてしまいます。
いつもだと、梅雨入り前に葦をかなり刈り込む近所の川も「三密防止」でそういったボランティア活動がセーブされているので今年はもさもさ。かもにとっては隠れる場所が多くて、いい年なのかもしれません。
それにしても、暑いですねえ。
ここのところ、カラスがくるみを割ってほしそうに道路に置いていくと、ちゃんとマメに進路変更して踏んであげるようにしています。狙っても踏めないことがあって、ちゃんと感触があると「やった」と思う。昔F1パイロットのひとが、サーキットで蛇を踏むとわかるって言ってたことがあるけれど、普通のクルマでくるみを踏んでもちゃんとわかるんだからあれだけ遊びのないクルマで踏んだらすごくはっきりわかるんだろうなあ。
そんなわけで、写真は青海駅近くの海岸のベンチ。
ひとはこんなところに集めない(集めたらたぶん掃除だから片付ける)と思うので、ここにあつめてきたのはきっとカラスの仕業のはず(もしかしたら途中からは小学生かもしれないけれど(笑))。
コレクションって、ひとだけじゃないんですねえ。
今日は、中学校の頃にスポーツでお世話になった先生のところに、ちょこっとPCの調子を見るためにお伺いしてきました。
すごく怖かったのに、なんとなく好きなひとでもあって、子どもがちびっこ体幹トレーニングの教室であらためてお世話になったときにはとてもうれしかった覚えがあります。
教えるひとの厳しさって、いまとなってはいろいろわかるところもある。楽しいからあがるモチベーションはどんどんプレイヤーを奮い立たせてくれるけれど、一方で逆境に立ち向かうとき、理不尽と戦うときの耐性は、ある程度の負荷がなければ得られないものもある。きちんと説明して理解したトレーニングだけしか受け入れられないと、自分のスキルがあがってようやくわかる「これが必要だったのか」というもの、つまり「その大切さは、低スキルでは理解できない」ことが受け入れられなくなる。だから、ときには「問答無用でやれ」が必要なケースもないわけではない。
もちろん、お年の先生が「全部昔のやりかたがいい」と思われているわけではなく、だからこそのいろんな葛藤があるという話しをお聞きしながら、ひとに教えるというのは、難しいことなのだなあとあらためて思うワタクシなのです。
そんなこんなで、ずいぶんと外は寒そう、いたそうな音の陽気になってきました。
おやすみなさい。
鳥をみていると、けっこう連中片足立ちしているのを見かけます。コイツも、右足をずっとハネの下あたりに半分くらいしまって、だしたりひっこめたり、尻を掻いたり(笑)。微動だにせず片足で立ちながらしばらく過ごしていたのだけど、なんだかマネできないなあと思って眺めてしまいました。
さて。
昨日、仕事ででかけたおとなり上越市。今年も上吉野池に渡ってきている白鳥はもう相当いるようで、あのあたりの田んぼでは日がな一日ひなたぼっこし、田んぼの根っこあたりに顔をつっこんでガツガツ喰ってる連中がうじゃうじゃといます。
水の上とか、空を飛んでるとけっこう優雅な感じの連中ですが、田んぼにいるときはなんだかすごくだらけていて、こちらのほうに親近感を感じる僕なのです。このあたりは田んぼの一枚いちまいが大きいので、こちらは道路から眺めていても連中がいる真ん中アタリまではそこそこの距離。僕らはそこそこ近くで見られ、連中もある程度以上近づかれないから安心して休めるという、Win-Winな場所なのかもしれません。
明けて今日は曇り空。だんだんと風がつよくなってきました。このあと台風が来るかもしれないそうですが、みなさんくれぐれもご注意を。
では、おいしいお昼ゴハンを。
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