しっぽをたてて戻ってきた
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ちょうどそんな季節なのか、あちこちでくるみの殻を見ます。カラスが割って食べたあとなんでしょうか。
それにしても、くるみって、外の果実ではなく、種の中身を食べるわけですよね。梅干しでいうところの「天神様」の部分。
考えてみれば、種子のなかの胚の部分は、栄養価が高い部位だから、食べればおいしいというのは、リクツではわかるのだけれど、それにしても、食べる気のしないような果実を取り、硬い硬いカラを割らないと、食べられる場所は出てこないわけで。おそらく、最初に食べた人は、すでに川などでながされている間に果肉が腐り落ちてしまって、種だけになった状態のものを割ってみたのだと思うのだけれど、だとすれば、それは山のひとなのか、それとも海の方に近いひとなのか、ちょっと興味があります。
他にも、コーヒー他、果実そのものは食べずに種を食べるもの、フグみたいにうまいけど、食べる場所間違うと死んじゃうものと、いろいろあるけれど、ホントに人ってのは、いろんなもの、食べるんだなぁと思う。そんな、朝の散歩で見つけた、路面の継ぎ目にはまり込んだくるみのカラなのでありました。
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予想コースから市内直撃の恐れもあった台風18号は、R148の一部が冠水して通行止めになったり、電車が止まったりはしましたが、けがされた方も、倒壊したお宅もなく、まずは一息。
とはいえ、仕事から戻ってくる途中に姫川橋を渡ったら、まるで自分がこの濁流に流されていくような錯覚を覚えました。いつもは車を走らせたり、散歩したりするようなところまで水が流れていて、そして、川の中心が盛り上がりながら流れている。こういうのを見ると、あらためて日頃ネボけている自然連中の「本気」の怖さを思い出します。
というわけで、台風の時の海。みてはみたいものの、高浪にさらわれて人様に迷惑をかけてもいけないので、須沢の海浜公園のところから、望遠レンズでちょこっとのぞいてきました。
日頃よりはるかに手前にある波打ち際。そして、打ち上げられている大きな流木。撮っているうちにどんどんとレンズが濡れて曇ってきて、クリアな絵ではなくなってしまいました。この大きな流木は、どことなく、大きな猫が、吠えながらうずくまり、耐えているような、そんな風に見えます。
今日海岸を歩くと、きっと「ここまで波が来ていたよ」っていう切り取り線のように、波打ち際より何十メートルも手前に、漂着物でラインができているんじゃないのかな。
たとえば、波がおさまってから海岸を歩いてみるように、自然の振幅をちゃんと見ておくというのは、きっと大切なことなんじゃないかと、そう思います。
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といっても、今日は七尾湾に浮かぶ、水族館の有名な島のお話ではありません。
以前、他の土地出身で今糸魚川に住んでいる方に、「能登って、糸魚川から見ると、島みたいに見えるんだよね」なんて言われたのだけれど、今までそんなこと、思ったこともありませんでした。
もう少し、富山方面まで行くと、ぐるっと湾があって、向こうへつながっている感じがする。でも、糸魚川では、まさに海の向こうという感じ。その、つながってなさそうな感じは、確かに島のように見えなくもないわけで。
昨日の夕方、まじまじと見てみると、確かに島のように見えます。そんなわけで、うっすらと見える能登と、雲にかくれた沈みゆく夕陽。須沢の浜の夕景です。
・・・ちなみに、全然関係のない話ですが、のとじま水族館のすぐ近く、海沿いの道路を走っているとある「はいから食堂」は、とってもいいお店でした。お近くにいかれたときは、ぜひ。
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さくらももこさんが、そんな変名で怪しい連載を持っていたのは、ずいぶん昔のことになっちゃいました・・・なんてことは今回とは全然関係なく、写真は須沢の浜で、テトラポットの間に泳ぐきれいな魚です。
このブログでも何度か紹介している我が家での通称「海プール」。テトラポットで囲まれた、波が直撃しない場所にも、こんな連中がやってきて、ちゃんと海っぽいところまで泳いでいけないちっちゃい連中も喜ばせてくれます。
こんな風に海辺で遊べるのもあとすこし、クラゲが漂い始めるのも、そろそろ。これもまた、夏の終わりのさみしさのひとつなのです。
それにしても、色が派手なちっちゃいデジカメ。時々さわってみると、びっくりします。
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昨日に続いて、子供の自由研究のおはなしです。親バカながら、お付き合いをば。
「どうして海の水はしょっぱいのか」というテーマは、結局自ら塩を取り出すことになります。日頃、汗をかくとTシャツに白いものが出てきたりしてはいるけれど、あらためて海水を煮たりすることはまずないわけで、なんだかおもしろい体験でした。
そんなわけで、写真はご近所の海岸でくんだ海水を煮詰めて作った塩ひとつぶ。
敷いてあるものは、布ではなく、黒の折り紙です。紙の表面がこれだけケバだって見えるくらいの拡大だと、粉のような塩もまた、岩塩のような形が見えてくるわけで、息を止め、歩いて三脚が揺れないように動きも止めて、だいぶ離れてレリーズボタンを押す親子というのは、なんだか自分で言うのもなんですが、ほほえましい感じがします(笑)。
こうやって(?)海の水を煮た塩を、かついで山に運んでいたんですねぇ。
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子供の自由研究につきあって、ひさしぶりに姫川の河原を歩いてきました。
河口にむかって歩きながら、だんだんと生えている草や花がかわっていくのを見ていたら、河口のすぐちかくにやや大きめの水たまりが。最近は、たくさん雨が降ることも多いから、そんなときには川の一部になり、干上がるまでにはかなりの日数がかかる。そんな場所のひとつなのだと思います。
そして、ここに、つがいの赤や水色のトンボがたくさん。
ここで卵を産んでも、育たないと思うぞ。しかも、潮風厳しい、ほとんど海な場所でもあるわけだし。
でも、そういう季節なんですねぇ。明日あたり、高畑の池にも行って見なきゃ。
というわけで、今日は久しぶりに一眼ではなく、家族のコンパクトカメラ。でも、こういうカメラはかえって、難しいですねぇ。
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先日ハマヒルガオを撮った押上あたりは、国道8号線より山側にも砂地が広がっています。いわば、広い砂浜が道路でふたつに分けられて、海側は侵食されたけど、山側は残ってる。そんな感じ。
だから、ウチの近所の須沢の浜と同じような植物たちが、砂地にたくさん咲いています。
バックの黄色はオオキンケイギク。こちらは、いわゆる外来種で、8号線のバイパスがここにできた頃に日本に入ってきたそうだから、道路がなかった頃の浜には、きっと生えていなかったのだろうけれど。
そして、この赤紫の花もあちこちにたくさん咲いていたのだけれど、この花はなんていう花なんだろう。また、家人に聞いてみることにします。
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といっても、本当に爆弾が炸裂する様子というのは、テレビの中でしか見たことはありません。
でも、目の前で波がテトラポットにぶつかり、噴き上がる様子は、爆発と呼ぶしかない。
去年は、まだ新しいポットが折れて磨かれ丸くなった様子を撮って、破壊王日本海なんてブログを書いた日がありましたが(・・・というフレーズも、以前一回かいてますが(笑))、この波が壊すんだもの、折れたり、遙か遠くまで転がったり、しますよねぇ。
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というわけではありませんが、浜茶屋(いわゆる海の家ですね)のないウチの近所の浜も、今日は海水浴の人がだいぶやってきました。
そんなわけで、ウチもコドモを連れて今シーズン初の海水浴。
今年の冬の高浪災害で、テトラポットの向こう側は急に深く、手前側は砂が増えて今までプールみたいになっていた場所が埋まってしまって、少々海水浴のためには不便な浜になってしまった感がありますが、それは、それ。
かえって、遠浅ライフセーバー常置の場所の方が、安心して無茶する分、危なかったりもするので、ちょっと怖いくらいの場所の方が、ちゃんとコドモは「海は怖いときはとても怖い」ってことをわかってくれるような気もします。
家から徒歩5分。1時間ほど遊んで、帰ってきてすぐに風呂。こういうことができる場所に住んでいるのは、あらためてホントありがたいなぁ。
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雨が落ちてくるかもしれないような曇り空。さすがに泳いでいる人はいないものの、水遊びしているひとはちらほら見かけるようになった、須沢の浜。僕も、天気のよさそうな日曜日のために、コドモを水遊びさせるのによさそうな場所を下見がてら散歩してきました。
去年は数カ所にあった、テトラポットの陸側の水たまり。いわば「海のプール」みたいなものは、ほとんど埋まってしまってます。でも、閉じてはいないけど、まわりをテトラポットにかこまれた波が直接やってこない場所はあるので、今年もチビが水遊びするには、いい場所なのかも。
で、写真は、波打ち際に落ちていた、かなり大きな石。
海岸にある石といえば、ちっちゃい玉砂利みたいなものばかり。こういう大きな石は、川を転げ落ちる時に割れて洗われ、あんまり海岸には落ちていないものなんだけど、それが、しかもテトラポットの間をすりぬけて、こんなところに打ち上げられている。
激しい波の力っていうのは、すごいものなんだなぁと、再認識してしまいながらの一枚でした。
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年に一度、海開き前の海岸一斉清掃が、今年も今日の早朝、行われました。
今年は、冬の終わりの高浪災害のあとの復旧工事のせいなのか、あんまり流木などもなく、例年よりもゴミは少ない感じ。あっちこっちに掘られたおおきな穴に燃えるもの、くさるものをまとめ、それ以外のペットボトルやカンなどを袋にまとめての、朝の30分ほどの作業。
とはいえ、地域のほとんどの家庭から人が来ていることもあって、見渡す限り、海岸のあちらの果てまで、山のような人がゴミを拾っている姿は、なんだか壮観でした。
というわけで、ゴミ拾い中にカメラをぶら下げてるのもなんなので、作業がおわったあと、あらためて出かけて、一枚スナップしてきました。あとは、この海で楽しんでくれる人が、野放図な汚し方をしないことを祈るばかりなのです。頼むよ、信州の人たち。
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朝、梅雨空でちょっと暗い海岸を散歩していたら、こんなものを見つけました。
冬の大波被害であっちこっちに転がっている、折れて丸くなったテトラポット。その間を、まっすぐつないで線をかくように、石がならべてあります。それも、あっちこっちで。
イマドキの小学生も、こういうことするんですねぇ。で、ここを渡りながらじゃんけんしたりとか、するのかな。
確かに、ウチに遊びに来る子も、「ここは、ゲームないの?」とか言ったりすることもあるけど、でも、子供が集まって遊ぶような場所にいくと、昔僕らがやっていたような遊びの跡にいつも出会うことができる。配管のむこうとこっちに口をつけて、「聞こえるきこえる」とやったりとか、そういった遊び。
ニュースの世界では、あまりにもシンボライズされたことばかりが語られていて、世の中がものすごく変わったような気がしてしまうけれど、案外と平気じゃん、コドモ。そんなことをふと思ってしまったりもする、ならべた石を見つけた朝、なのです。
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今日は、「油が高すぎて操業できない!」ことへの抗議も込めて、全国で沿岸イカ釣り漁船が操業停止。
それにしても、最近時折思うのですよ。我々が食べているものって、実は安すぎるんじゃないかと。
たとえば、秋に倉庫から収穫直後のお米が盗まれるニュース。そのとき、盗まれた○トン と、被害金額の○万円が、頭の中でうまくつながらないことがあります。「そんなに作って、それだけ?」。だとすれば、どれくらいの量を作らないといけないんだろう。
1粒300円のイチゴなんてものがある一方で、安いものはほんとうに安くなった。僕が働き始めた頃は、マクドナルドでハンバーガーとポテトと飲み物で1000円近くだったし、吉野家の牛丼は500円くらいはしてました。外食産業はこういった洗礼に極端にさらされているところの一つなのだけれど、武器としての安さを手に入れるために、「それを送り出している人が食べられるかどうか」が、必ずしも負担コストの決定ポリシーではなくなってしまった。そこではない別のところでもっと安いものがあれば、そこから買う。買われないと困るから、下げる。そして、ショックアブソーバー的な部分が失われて、今回の原油高のようなコストアップ要因は、そのまま「業態そのものの存在」が問われる事態につながってしまう。
お財布の中身には決して余裕はありません。だから、ものは安い方が助かりますし、高いと買えません。なのに、こういうことを言うのは、かなり無理があると、自分でもわかっているのだけれど、それでもなお、僕らが買っている食べ物は、安くなりすぎてしまったのではないだろうか。そんなことを思わずにはいられない、イカ釣り船操業停止のお話なのです。
註:写真は、ただの姫川漁港夕景のスナップです。映っている漁船もイカ釣り船ではありません。
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姫川港を自転車で通りかかると、海上自衛隊の船が二隻、寄港していました。そういえば、船内公開のイベントが、土日の二日間開催されるんだっけ。
この船に限らず、長い期間乗りっぱなしの船を見ると(巨大な豪華客船みたいなのは別として)、仕事として船に乗務するということは、きっと大変なことなんだろうなぁと思ってしまいます。二日間の寄港ということは、今日の夜は上陸してホテルとかではなく、やっぱりこの船の中で休むんだろうなと思うと、「思ったより小さい船だなぁ」と。
求めて他国と戦争なんて、絶対にしたくないけれど、今の世の中では、家に鍵をかけるように、「この国に対してなにかしたら面倒そうだな」と思わせるものは、要らないとは到底言えない状況にあると思います。
その一方で、どうしても、彼ら実際に働いているひとたちは、日本の自衛政策に賛同しないひとたちにとっての、抗議の標的になってしまったりもする。まるで、長野五輪における聖火ランナーさんたちのように。
そういう意味では、こういう機会には、誇り高き僕らの国の守り手さんに、お疲れ様、ありがとうと伝えたいな。そう思ってしまうのです。
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もう雪も降らないかな・・・ということで、天気がいいと、片道40分の道を自転車で通勤しています。
旧姫川橋の工事もようやく一段落で、かつて高校に通っていたときの、須沢から港を抜け、公園の中をつっきってそのあとは線路沿いに~という、地図上ほとんど一直線の通学路をまた、通ることができるようになりました。
というわけで、夜に港を通ると、オレンジの灯りに照らされて、大きな船が停泊していたので、ちょっと手持ち撮影にはしんどい暗さながら、一枚。
写真では左の方にある石灰石などが積んである場所の灯りは青く、船はオレンジ。夜の灯りも、いろんな色があるんだなというのは、写真を見て気づくこと。その場では、それほど感じないあたり、人の目の色補正能力というのは、すごいんだなと、あらためて感じたりもします。
それにしても、いろんなことを考えたり、写真を撮ったりしながらの自転車通勤は、楽しい。これで、花粉が飛んでいなければ、もっとうれしいのだけれど。
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今年は、去年に比べて、日本海に流れ着くハングルの書いてあるポリタンクが多いとのこと。しかも、去年はおおむね韓国の沿岸の海苔を養殖するひとたちが使う薬剤の空タンクをそのまま海に捨てているらしいものばかりだったのが、今年は油もあったりと、種類が増えているようで。
北の人か、南の人か知りませんが、どちらにしろ、こういうのはきちんと処理してほしいもんです。
さて、そうはいっても、海はいろんなところとつながっているので、流れてくるのはハングルのついたものばかりじゃありません。
写真は、クリル文字がかかれたスプレー。これも、先日の波で流れ着いたようですが、これはハバロフスクとか、そっちの方からながれてきたのかな。なにはともあれ、「海の向こうには、外つ国があるのだよ」ということが、海岸散歩で実感できるというのは、(時々怖さを感じることもあるけれど)なんともおもしろいことでもあります。
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先週の中宿の国道が止まるほどの大波。たいへんだよねぇなどと話をしていたら、ウチのすぐ近所も、大変なことになっていたことがわかりました。
ウチの前の海は、海浜公園が整備されていて、サッカーコートや公園、ローラースケートコースなどがあるのですが、このローラースケートコース周辺が大変なことに。
写真をクリックして拡大していただくとわかりますが、完全にコースは砂に埋まってしまっています。これは、元通りにするのはかなり難しそう(お金もかかりそうだし)。
それに、隣の駐車場も地面が割れ、波にあらわれてすこし陥没しているところもあり、表面のアスファルトが完全に浮き上がってしまったりもしたので、片付ける途中なのかこんな感じになってしまっていました。
もちろん、あちこちでフェンスがねじ曲がったり、大きな石がごろごろ打ち上げられていたり。
あらためて、波の力を痛感させられる光景です。
というわけで、現在須沢海浜公園は一部に立ち入り禁止区域があります。遠くから海を見にこられる方、ちょっとご注意を。
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雪は今日で一段落。そんな天気予報だったけれど、上越まで出かけたら、やはり酷い雪。こういう天気だと、青い空が見たくなるのは雪国人の常なので(笑)、土曜日の晴れ間の写真を一枚。
海岸は、一面に雪がつもっています。でも、波打ち際から数メートルのところまでは、砂浜。
いつもの波は、ボーダーラインのところまではやってこないけれど、風が強い日だったし、時にはこれくらいまでやってきていたのかもしれません。
そういえば、川は水がないときとある時で1000倍くらいは流量が違うっていう話を聞いたことがありますが、海にしても、日頃はあそこまでしかこない波が、突然大きくなったりもするわけで、月並みですが、「自然って、けっこう怖いな」なのです。
波がちゃっぷちゃっぷと打ち寄せているのを座ってみていた子供。そこにちょっと大きめの波が座っていたところにまでやってきて、あわてて逃げたりもして、そういうところから、自然はなめちゃいかんなんてことを・・・学ばないか(笑)。
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予報では、一日中酷い雪ということだったのに、案外と降ってこない雪。なので、海岸を子供と散歩してきました。
そういえば、去年も流木の写真を喜んで撮っていましたが、そのときは、周りにほとんど雪が写っていなかったのを思い出しました。やっぱり、この季節は雪があってあたりまえ。
それに、去年海を見つめる目というタイトルの記事を載せたのが、1/29。今日は、2/17ですが、今年はここまで、どんど焼きとたこ揚げで1回ずつ海岸に出ただけ。散歩したり、ましてや去年のように自転車で走り回りながら流木探ししたりなんて、しませんでした。雪の量もさることながら、寒さ自体がちがう。そんなことを、2年目に入ったブログから感じた日曜日なのでした。
ちなみに、この流木、子供が言うには、「竜みたい」なんだそうですが、いかがでしょうか。
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なんだか、まちの中にあまりにアルファベットがあふれているからか、英文で名前が書いてある船や車がそのあたりにいても、実はあまり外国を感じません。
電車のホームの看板の小さな文字では、最近は中文やハングルを見かけることも増えてきましたが、これもまた、「あぁ、外国の人にも配慮してるのね」と思うくらい。
でも、港に泊まっている船に、大きく、しかもさびが所々に乗った、航海してきたっていう雰囲気十分で、ハングルの船名が書いてあると、船尾の国旗よりも強烈に、あぁ、この船は外国から来たんだなぁと思わされます。
向こうの埠頭には、同じような色遣いの日本の船。あらためて、姫川港も、国際港なんですねぇ。
そして、その船の横でなにごともなかったかのように、サヨリやアジを釣るひとたち。それは、なんだか外国とつながってなんかいないかのように、のんびりした風景でもあるのです。
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だんだんと、陽が落ちるのがはやくなってきている気がします。ちょっとした残業なら、まだ明るい時間のうちに帰宅なんて季節も、そろそろ終わり。
でも、昼間暑くても、夕方の時間はなかなか過ごしやすくなってきて、のんびり海岸沿いを歩いたりするには、これからがいい季節なのかもしれませんね。
さて、一昨日の健康センターの話でメールをいただいた方々が多くて、少々びっくりしてしまいました。みなさん、思うことはいろいろあるのですね。僕もいろいろと意見はありますが、すべてのプランにはメリットもデメリットもあるので、最終的には善悪ではなく賛成か反対かでしかないとも思う。全員に賛成が得られる計画なんて、ありえませんし。ただ、なによりも、意志決定に至るまでの経過を、もっともっと積極的に出す意気込みを、行政サイドのひとたちにはもってほしい。僕の言いたいことは、結局はそこに尽きるのです。
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浜田省吾に「防波堤の上」という古い歌があります。「悲しいほど自由~」と歌われる、防波堤の上。でも、確かに昔、防波堤の上に腰掛けて、海を見たり、いろんなこと考えたり、友達と話し込んだりということを、たくさんしたような気がします。高いところは、ある意味個室のような、一人になれる場所なのかもしれません。
かつて、荒波日本海が暴れ狂う日には、高い波が押し寄せて大変でした。そのため、砂浜と町を隔てて、けっこう高い防波堤がありました。それが、一部の砂浜の防波堤が、こんな感じの低いだんだんに置き換えられていくことに。
カベを作って力で「ここより先は通さないぞ!」とやるのが、防波堤。でも、それだと、相手も猛り狂っている時には、ぶつかってかえって乗り越えてきたりしてしまう。それが、こういうだんだんの上を波がすぎることで、力が削がれて弱い波になるというのが、この手の護岸のメリットなんだとか。
沖の消波ブロックの設置もあって、だんだんと砂浜が広くなり、このあたりまで怒濤の波が押し寄せるということはめっきりなくなってしまい、今では、どこからでも砂浜におりることができる、広い広い階段のようになってしまっています。
でも、押上海岸の護岸のように、波にあらわれてこのだんだんの下の砂が浸食され、ぼこっと陥没してしまっているようなところもあって、なかなか人に簡単に御されたりしないな、波などとも思ってしまう。あたりまえのことだけど、自然ってのは、なかなかすごいもんです。
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美しいビーチといえば、遠浅の海に白い砂浜が広がるもの。テトラポットなど海岸の砂をまもるための埋めモノは、無粋なものとして嫌われます。
でも、それが逆にメリットになっているところもあるのです。
ここは、ウチの近所の青海臨海公園近くの海。砂浜保全のためのテトラポットが沖にではなく、海岸線のあたりにあります。それが、場所によっては写真のように、海岸とテトラポットで囲まれた、「海のプール」のようになっていて、小さい子どもたちの水遊びの格好の場所になっているのです。
大人は、短パンにビーチサンダル。幼児くらいの子どもは、水着に浮き輪、場合によっては水中メガネなどの「完全装備」。沖にながされることもなく、足もきちんとついて、でも、波はテトラポットの間を通ってやってきて、海っぽさを感じられる。足下に埋まっているポットには、海草もついている。
子ども連れには、なかなかの穴場なんじゃないでしょうか。「浜茶屋」(日本海側では海の家がこう呼ばれることが多いです)のない、ごく普通の海ですが、ぜひ。
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日々のほほんとした文章ばかり書いておりますが、実はけっこう時間に追われる生活をしています。
でも、その時は忙しかったと思っていた時期が、過ぎてみれば、実は無限に時間があったような気がしたりするのも、不思議だけれどもまた事実。ティーンエイジの頃がまさにそうで、今思えば、まさに「無限の時間」があった時期だったなぁと思ってしまうのです。
夕陽が沈む浜辺に座って話す3人。別に、彼らは夕陽を見に来たわけではないと思う。ただ、話しているうちに、空が夕焼けていく。その空の色が、話す彼らの気持ちにほんの少しの味付けをして、それが結果として彼らのその後を左右することはあるかもしれないけれど。
こういう時間は、あとから思えば、とても贅沢だと思う。十分に、こういう時間の中に身を置いて欲しいなと思いながら、おじさんになりつつある僕は、一枚だけ、撮らせてもらってしまったのでした。
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出張から戻ってきて、腑抜けております。移動が長いと、やっぱり疲れますね。一昔前は、東京や大阪へ出張となると、仕事以外に誰と会って飲むかとか、どこへ行くかとか、そういう予定を一杯入れて、それでも帰ってくると満たされた感じでにこにこしていたもんですが、ここしばらくは、戻ってくるとぐったりしてしまいます。
というわけで、今日は、出かける日に電車の窓から撮った、親不知の夕陽を。
上は、北陸自動車道。前にあるのは国道8号線。この場所は、海岸がかつての街道「親不知子不知」の場所ということもあって、4世代の道がそろっているけっこうめずらしい場所なんだとか。
日頃は車でしか見ることのない風景。時には違う場所から見るのも、いいもんですね。
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7/1の日曜日は、地域総出で早朝から、海岸清掃。大きな穴を掘った準備風景は前にも紹介しましたが、ペットボトル、缶の類まで、ものすごい量ののゴミを拾い、流木を埋めました。
そして、先週末。
子供を連れて海に遊びに行ったら、やっぱりあるんですね。大量のビール缶、使い残しを瓶ごと捨ててあるコショウや焼き肉のタレ。
中には、ちょっと海が荒れた時に流れ着いたような、ずいぶん傷んだものもあったので、これは仕方がないんだけど、どう見ても、「昨晩の宴会」の跡というのがいくつもあって、なんだか悲しい気持ちになってしまいました。
最近「モンスターペアレンツ」が、学校で話題になっているとか。学校に信じられないようなことでクレームをいれてくる困った親のことをそう呼ぶのだそうだけど、そういった人たちが増えてきた原因の一つに、「子育ては学校と家庭、地域でちからをあわせてやる」という意識が薄れて、自らが「受益者」だという意識が強くなってきているということがあるんだとか。
「夏の海」も、そうなのかな。観光客としてやってきて「くださる」方たちは、この海を「受益」するためのリソースとしてしか見なしていない。でも、それって、悲しくないか?。
糸魚川に遊びにきてくれる、たくさんの人たちを、僕らは歓迎して迎えたいのです。だから、僕らがあなたたちを軽蔑してしまうようなことは、しないでほしい。
僕らも、あなたたちも、「きれいで気持ちがいい海」を一緒に楽しむための仲間だと考えてほしい。僕らがサービス提供者で、あなたたちが受益者というような、ツマらない関係ではなく、ね。
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海岸を歩くと、あちこちに砂山ができています。そして、その砂山の隣には、大きな穴が。
これは、明日の海岸清掃の準備。
冬の間、海岸にはたくさんの流木が打ち上げられます。でかい流木は、それはそれでいろんな顔をしていておもしろいのですが(たとえば、こんな感じ)、海岸に細かい木がいっぱい落ちていると、やっぱり海水浴にはイマイチ。それに、缶やペットボトルなんかも、けっこう落ちている。そんなわけで、毎年この時期に、地区の人が総出で海岸のゴミをひろったり、流木を集めたりするのです。そして、集めた流木は、この穴に埋められることになります。
そんなわけで、来週末には、姫川河口近くの青海臨海公園近辺の砂浜は、かなりきれいになっているはず。ぜひ、遊びに来てください。
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夏至の日に雨。それからも、天気のいい日には海岸近くにいなかったこともあって、なかなか陽が落ちない夕方というのを撮れずにいましたが、昨日ようやく仕事中に1枚。
時間は、18:24。でも、まだまだ太陽は写真に収まらない上の方にあります。
残念ながら雲が多く、水平線に沈む太陽は見られなかったけれど、もくもくと雲が多い晴れというのは、夏を感じさせるものでもあり、今年の短い梅雨も、そのうち終わりなのかななどと思ってしまいました。
そういえば、近辺の海水浴場のトップを切って、上越市の谷浜海水浴場が先週末に海開き。地元紙だけでなく、長野のローカル紙、信濃毎日新聞でまで記事で紹介していたのには、驚いたけど、これから海岸も、だんだんと人が多くなる。そんな季節なのです。
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黄砂ばかりか光化学オキシダントが大陸方面からながれてくるようになった最近では、天気がいいということがかならずしもうれしいことじゃないという面も出てきているのかもしれません。先週末の運動会が中止になったまちがあるなんてニュースもありました。
でも、空気が澄んでいて、遠くまで見渡せるような晴れの日は、きっと黄砂も、それから光化学オキシダントも海の向こうから運ばれてきてないんだろうななどと、うれしくなってしまいます。
今日は、海の向こうにくっきりと能登が見え、すこし東に目を向けると、佐渡の影も見えました。どっちも見えるくらい空気が澄んでいる日というのは、実は滅多にありません。
思わずカメラを出してきて、日が沈むまでずっと海を見ていました。こうやって、海の向こうの「山」に沈んでいく太陽を見ると、糸魚川も富山湾の中?にあるんだなぁと思う。そんな夕方なのでした。
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観光で来られた方には不評なのが、海岸にあるテトラポット。ただ、冬の強い風と波で砂浜が洗われてなくなってしまわないようにするためには、大事なものだったりもします。
余談ながら、山の人に「海岸のテトラポットや護岸が・・・」と言われると、「じゃ、砂防ダムやめてから言ってくださいね。砂が下流まで流れてこないんですよ」って言い返すことにしています。美しい環境と、実際の自分たちの安全や快適さ。そういったことは、すべてバランスを取って考えて、その上で、どういった解決方法を選ぶかというのが大切なのであって、アジテーション満載の、お題目だけの環境屋さんのよりも、きちんとリアルさを持った考え方で問題には当たりたいなと思ってしまうのです。
さて、話を元に戻して。
確か、冬の初めには、このテトラポット、ちゃんと角はあったし、表面もつるつるしていたのだけれど・・・。ぱっくりと折れていたり、表面が洗われて浸食された岩みたいになっていたりと、これはまさに、冬の日本海の波がテトラポットに対してどれだけキツくあたったかということのあらわれ。
そして、こんな無惨なテトラポットの変貌を見ると、あらためて、春が来て、よかったなぁと思ってしまうのです。
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親不知遊覧船で、以前紹介した投げ岩と鬼蹴り岩のことが紹介されていました。岩のいわれについては、以前もブログで紹介しましたが、その他にお話がもうひとつ。
「2つの岩、コンクリートでつながってるでしょ?」
よく見ると、確かにそうなんです。沖から見たこの写真では、むかって左側が投げ岩、右側が鬼の足跡も残っているといわれる鬼蹴り岩なんですが、その間が、古いコンクリートで橋のようにつながっています。下の方が浸食されたのか、水が通るようになっていて、まさに、橋のよう。
なんでも、大正の頃にこの集落がここに漁港を作ろうとしたということ。ただ、完成直後に大嵐があって壊れてしまい、今は2つの岩の間のコンクリートだけが、名残として残っているとのことでした。
今の時代的な考え方だと、大国主命とか、鬼とか、そういう伝説がある「貴重な」岩にセメントぶち込んで、漁港にしてしまうというのは、乱暴というか、もったいないというか、そんな気もします。
でも、その一方で。
いまでもなお、魚をとりに船で海に出るというのは、一つ間違えば命にかかわる大変な仕事。それだけに、神がかった、地域の守り岩の内側から出航し、ここに帰ってこよう。そうすれば、なにかが自分たちを守ってくれる。そういう気持ちも、きっとあったのではないかと思ってしまうのです。
前者は、ある意味「観光リソースがもったいない」という考え方でもあるし、後者は自然への畏敬の念を感じる面もある。見方によっては、感じられる人間の勝手さ加減が逆転してしまうなぁ・・・などと、面倒くさいことを考えながら、コンクリートの橋を沖からながめた僕なのでした。
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長年このまちに住んでいて、実は海から親不知を眺めたことがありませんでした。東尋坊は遊覧船で下から見上げたことがあるのに・・・というわけで、今年GW中だけ試行されている、親不知遊覧船に乗ってきました。
コースは、親不知漁港をスタートして、天下の険親不知の大ふところ、小ふところ、大穴、小穴などを見たあと、台場、街道の松を横目に市振漁港まで行ってUターン、今度は、投げ岩、鬼蹴り岩から親不知沖の大きな定置網の周りをまわって、親不知漁港へと戻ってくる1時間ほどのクルーズ。
10人乗りのモーターボートによる、急ごしらえな感じだけど、はじめて海から見た親不知は、いろいろな発見がありました。
写真は、定置網をまわっている頃。だいぶ沖に出たので、海岸近くでは見えなかった奥の雪がまだのった山のてっぺんが見えてきました。
正直なところ、一人3000円はちょっとな・・・と思わなくもないけれど、いい経験したなと思える一時間でした。5/6までだそうですが、興味のある方はぜひ。
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今日は、とてもきれいな夕焼けだったので、夕方少し仕事を抜け出して、職場の近くの丘にあがってみました。田んぼや、町や、向こうの灯台が見える夕陽。久しぶりの夕焼け撮影だなぁと思ってよく見てみると・・・水平線の向こうに、なんだか稜線のようなものが。
寺泊あたりから海を見ると、向こうに佐渡がくっきり見えて、「あぁ、良寛さんと貞心尼との密会は手こぎの舟で大変だったろうなぁ」とか想像できるのだけど、糸魚川からの能登というのは、それよりももっと遙か彼方なのです。
それだけに、久しぶりの空気の澄んだ夕焼けの中に能登をみつけて、ちょっとうれしい僕なのです。写真も、クリックして拡大していただくと、おそらく見えるのではないかと思うのだけれど。
最近、新潟や長野の国道のあちらこちらの電光掲示板で、「能登方面通行OK」といった表示がされています。思えば、中越震災のときにも、「ヘンに遠慮したり自粛したりしないで、どんどん来て下さい。それがサポートになります」というお願いを、越後湯沢など周辺観光地の人たちがいっしょうけんめいしていました。
ちょうど、GWで観光のひとたちはかき入れ時。国道の「ちゃんと行けます」表示が石川だけじゃなく、新潟や、長野まで(ということは、福井や、岐阜や、富山や、群馬や・・・でも表示されているんだろうな)ある。みんなですこしでもサポートしたいという気持ちのあらわれが、なんだかうれしい。能登のひとたち、がんばってください。僕もまた、のとじま水族館のあたらしいイルカプールに、コドモをつれていきますから。
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今日は第二土曜日。前にも紹介したことがありましたが、「土よう子ども会」の日。うちの家族も、きらら青海にいってきました。
絵本を読んだり、工作して遊んだり、手遊びをしたりといった、幼児から小学生くらいまでの子のための会ですが、そのなかの僕の楽しみの一つは、とある先生が身振りてぶり入りで話してくれる、地元の昔話。
今日は、親不知に伝わる「投げ岩と鬼蹴り岩」のお話でした。
お話については、あちこちで紹介されているので(青海出身で今は離れておられるだいぶお年の方ががんばって作っておられる親不知紹介サイトをひとつご紹介します)そちらを見ていただくとして、話の中に出てくる「鬼と大国主命が投げ比べをした石」ってどれだ?ということで、会がおわってからそのまま車を走らせて、親不知まで行ってみました。
最近は、秒速20mの風が吹くと、事故防止のために電車を止めてしまうのだそうで、今日も特急がとまらないはずの親不知駅に北越号が停車中。そんな中なので、岩も波がざっぱーん。まるで、冬のような光景になっていました。
それにしても、あらためて見てみると、(あたりまえといえばあたりまえなのだけれど)人が投げられる大きさではない。昔の人が、自分たちがどうにもできない強い力を「鬼」になぞらえたとき、それに対抗するための神と人の中間ような人たちにも、強い強い力を持ってほしいと願っていたのが伝わってきます。大国主命は全国あちこちに伝説を残す人ですが、たとえば弘法大師さんはこの地ですべての芋を食べられない芋に変えてしまったという伝説は持つものの、さすがに山のような岩をまるごと投げたなんて伝説は持っていません。時代の差なのでしょうが、口伝えの伝説ができあがっていく上での、この時代差。なんだかこの差は面白いです。
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お隣上越市は、「赤いろうそくと人魚」の小川未明のゆかりの地・・・なんてこととはあまり関係なく、姫川港西埠頭のさきっぽにある灯台は、いつもなんだか赤いろうそくのように見えてしまいます。
今日の1枚は、美山公園からの坂をほんの少し下って、北陸自動車道の上をわたる橋のあたりから海を見たもの。黄砂ですこしかすんだ向こう、ここにも、例の「赤いろうそく」が写っています。
海が見える。それは、海のすぐ近くに住む僕にとっては、とてもあたりまえのこと。だから、海が見えたからといって、とくになにも思わないのだけれど、山のなかで、突然海がのぞくと、なんだかあっと思う。そして、美山公園から帰る途中、視界がぱっとひらけたとたんに、まっすぐの道、眼下に糸魚川のまちがあり、海や、灯台や、今姫川港から出て行った船も見えたりすると、なんとなくいつも「!」と思う。
今度、もうすこし空気の澄んだ時期の青空の日に、同じ場所でもう一回撮って、ここに載せたいと思います。
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家に戻る道すがら空を見ると、夕焼けがオレンジではなく、紫がかった色。
水平線近くに厚い雲があったこともあり、4時過ぎに一度雲の上にはいっていくときには見事なオレンジだった太陽も、もう一度水平線近くに顔を出した時には、色をかえていました。
こういった色は、日が沈んだあと、だんだんと漆黒に落ちている途中でなったりはするけど、日が沈む前から紫・ピンクといった青の入った色になる日もあるんだなぁなどと思いながら、1枚撮ってきました。
知識として知っていることというのは頭の中に「文字」として認識されているという感じがします。それだけに、些細なことながら、「紫の夕焼け」のように、そういったものとちょっとずれる絵を見るのは、体験の妙味のようなものを思い出させてくれますね。ほんと、些細なことではあるのだけれど。
さて、今日は桜を見に行ってみようかな。
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日曜日は、晴れたり曇ったり雪がちらついたりのなかなか忙しいお天気。ただ、一日通してものすごい風でした。
コドモが昼寝している間に、ちょっとした気まぐれでカメラを抱えて海岸へ。でも、裸足にサンダル、Tシャツに半纏でいくのはかなり無謀でした。帰ってきた頃には指も動かずほおがばりばり。カメラもずいぶんと潮をかぶって、この写真を撮った頃には、フィルタが真っ白で、まるでソフトフォーカスでもかけたような絵になってしまいました。もしかしたら、ふるえていてぶれているだけかもしれませんが。
それにしても、冬の日本海らしい、強烈な波飛沫です。これが、荒れた冬の風によってではなく、もしかしたら春一番の仲間によってもたらされているというのが、今年のすごいところかもしれないな。
帰ってきて一風呂浴び、外をみたら、また雪がちらつきはじめました。いつもの年だと、3月になるとだいぶあたたかくなり「これでもう雪も最後かな」なんて話をしていると、ひなたぼっこ日よりの翌日にいきなり雪が降ったりする。なんだか、本番の冬はなかったけれど、3月だけは、妙にいつもの年っぽいな。そんな感じがするのです。
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今の時期、海岸を歩いているとおもしろいもの。それは、流木です。
川の上流から流されてきた木が、強い波で打ち寄せられて砂浜にあがってくる。海水浴シーズン前にはご近所総出で片付けて埋めたりするんですが、やっぱりこの時期はまた、どんどんとやってきてしまうので、あっちこっちにごろんごろんと転がっています。
石が川で転がって丸くなるように、流木も皮がはがれたり、おれたり磨かれたりして、いろいろな形になります。らっこやあざらしっぽいもの、小さいながら大木を感じさせる、まるで盆栽みたいな雰囲気のもの。そして、この木は、タカや鷲みたいな猛禽類が海を見つめているみたいな雰囲気を感じたんですが、どうでしょうか。
拾ってくるには重たいし、濡れているので、散歩の間だけしか愛でることができないブツなのだけれど、案外おもしろいですよ。海が荒れた翌日、翡翠探しもいいですが、流木観察も、ぜひ。
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ウチが建っているあたりは、昔広い砂原で、「あんな風の強いところの角地なんて、いやだ」といろんな人がいったせいで、めでたく我が家が建つことになったいわくつきの場所。今では、周りに家もたくさん建ちましたが、古くからの家はどこも、家の周りをぐるりと囲むコンクリートの塀があります。
そして、浜の方に歩いていくと、松を並べた防風林があるのです。
しばらく前に、県がまちといっしょに海岸近くを海浜公園として整備したので、そのときだいぶ防風林は雰囲気がかわりました。あらためて植えられたもののなかには、まだまだ小さいものもあります。というわけで、今日のは防風林のいちばんはしっこに植えてある細い松数本です。
常に、海からの風にさらされている。そして、林の真ん中なら一人で全部その風を請け負わなくても、まわりで分け合えばいいけれど、ここはもうもろに風を引き受けなければいけない。倒れないように、ロープでしばったりしてはありますが、ものの見事にみんな一方向に曲がって育っていってしまいました。
これだけの力がある海風というのもすごいけど、これだけの風にさらされてなお、枯れもせず倒れもしないで、まがったままぼーっと立っているコイツらも、なかなかすごいやつらだな。そんなことを思った、つかのまの晴れの散歩。
そして、海が光ったと思ったら、あっという間に空がくらくなり、雪ではなく、雨が降ってきました。雨が降るというのは、あたたかい証でもある。なんだか、不思議な冬です。
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実はあまり知られていないことだと思いますが、糸魚川の一部地域は、新潟県なのに、長野県の地方紙、信濃毎日新聞の宅配が可能なエリアです。新潟における新潟日報みたいな新聞ですね。うちは家人が一人、長野に単身赴任している関係で、購読しています。おそらく、姫川温泉隣接エリア以外の市内で、宅配してもらっている一般家庭はウチだけなんじゃないでしょうか(笑)。
長野の人は海や魚に対しての執念がものすごく、7月の海開きの時には、信毎にも「『信州の海』きょうから」なんて見出しが、広告特集ではなくて、本紙記事に打たれたりするくらい。それを見て、おもわず苦笑いしてしまうのですが、確かに土日の姫川港は、もう松本ナンバーと長野ナンバーばかり。みなさん、来てくれてありがとう。
港は、2004年の改正SOLAS条約の発効に伴って、フェンスができたり今まで有名無実だった立ち入り禁止規制が強化されたりして、入れない場所も増えたのだけれど、それでもまだ姫川港は直江津港や新潟西港・東港にくらべればずっと規制がゆるく、釣りを楽しむ人も多い感じがします。
写真は、姫川港でも条約による規制を受けていない漁港側。カモメがのんびりうろうろしていく横で、たくさんのひとが竿を出している。そして、その後ろをでっかい船が荷物満載で出て行く。こういう光景は、田舎の拠点港ならではものなんでしょうね。
さて、「信州の海」のおはなし。
上にも書いたように、家人が長野に単身赴任している関係で、よく長野県にもいくのだけれど、スーパーをのぞくと、不思議に思います。糸魚川に来る長野県の人というと、長野市周辺と松本市周辺の人が大多数だと思うのだけれど、長野のスーパーは、どこもおしなべて魚の品揃えが悪く、あんまり魚食べようって気分にさせてくれない。でも、R148沿いの白馬~松本にかけてのスーパーは、けっこう魚に力いれているところが多い。今の物流システムを考えれば、長野も松本も海に隣接しているに等しい距離だとも思うのだけれど(あえていうなら、松本の方が遠い!)こういうところに、お土地柄というのが出るのだなぁなどと、勝手におもしろがっていたりもするのです。
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工藤ノリコさんのピヨピヨスーパーマーケット という絵本があります。ひよこがスーパーにいって、いろんな買い物をするほほえましいおはなしなんだけれど、彼女が描く絵にかぎらず、シンボライズされたちっちゃい鳥のくちばしって、どこかかわいい。
そんなわけで、今日は能生の道の駅、マリンドリーム能生のとなりにある奇岩、「とっとこ岩」を1枚。海に向かってたたずんでいるニワトリに似ていることから名付けられたというこの岩。新潟県の西の方では、ニワトリのことをとっとこと言うので、とっとこ岩。そういえば、隣の上越市には、烏骨鶏のエキス満載という「とっとこぱん」があって、春の観桜会の出店では「なんだなんだ?」ってのぞき込む他県の人がいっぱいいたりもします。
それにしても、あらためてアップで見たこの口。なんだかめいっぱいぴよぴよと広げている感じがかわいい。
遠くにいる船にせいいっぱい呼びかけているようです。
<この記事の「ピヨピヨスーパーマーケット」は、アフィリエイトを含む楽天ブックスへのリンクになっています。>
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