先日の花火は、とてもきれいでした。
「花火大会」だと、写真を撮らなきゃと思って楽しみながらもどこかせわしない部分もあるのだけれど、先日のいといがわ元気花火の会さんのこどもの日花火は時間が短かったこともあって、音で「あ、今日あるんだっけ」と外に出て、のんびりと夜空を眺めながら楽しむ、たのしい時間になりました。関係者のみなさん、どうもありがとうございます。
で、写真は海岸の波のもの。
日差しがつよくなってくると、波で転がるに石に映る夕日が、どこか線香花火のようなニュアンスで朱色の線を作ります。
目で追ってもこうはならないけれど、写真には写る風景。なんだか、好きなのです。
そんなこんなで、今日も一段落。おつかれさまでした。
だんだんと、海にやってくるひとが増えてきました。
ここも「ジオサイト」なので、石拾いを楽しむヒトがたくさんいます。
手練れのヒトは海岸線でどんどん見て、ちがうものは拾わないのだけれど、いろんな石を楽しむひとはいろいろ拾って、ざっと見た後に要らない石を砂浜出口あたりに置いていきます。
ということは、このあたりに置いてある緑っぽい石を集めて種類を調べると「ひすいに間違えやすい石」のカタログができるんじゃないだろうか(笑)。
そろそろ初夏の頃。梅雨の先には夏休みも見えているわけで、自由研究ネタとして、こういう「ヒトの行動を絡めた石の研究」をするのも、楽しいんじゃないかなあ。
さて、そろそろお昼。
みなさん、たのしいお昼ゴハンを。
ひとりで海にいるなら、マスクも要らないのになあ。
ある意味、マスクは「わたしも感染対策に協力しています」という印のようなもの。
だから、みんながマスクをしていることは、感染防止そのもののほかに「みんなが協力していることが一目でわかる」という意思表示の意味もあるのだと思います。
一方で「意思表示はあるのだけれど、感染対策そのものにはなっていない」ようなケースも多々あるわけで。
コストパフォーマンスの悪い、とてもデメリットは大きいのだけれど、それに対してのメリットがあまり大きくないような対策は、たとえわずかな効果が見込めるとしてもやめて、効率的な対策に集約していくような知恵というのも求められているとも思うのです。
「念のため、これは今回もやめておこう」って、ある意味思考停止の敗北宣言。
そんなことばかり大人がやっていると、きっとこどもに軽蔑されますよ。
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