先週末、青海中の運動会を見に行ったときには田海川は完全に干上がっていて、水は流れていませんでした。
それが、今日の雨で川幅一杯に水が流れています。これ、水道でまかなったらどれくらい要るんだろう。
毎朝、あれだけたっぷり水をやっていてもパターゴルフ場のグリーンはどんどん黄色くなっていっていたけれど、空から降ってくる水というのは、量が桁違いなのだなと痛感した一日でした。
ウチの池も、鯉がいなくなってしまったので今年の夏は干していたのだけれど、あっさり水がたまってしまってその量にもびっくり。
仕事で上越から夕方戻ってきたときには、名立ICいりぐちあたりのR8沿いの滝は復活していなかったので、あらためて糸魚川で局所的に降ったのだなと痛感しました。
歌外波エリアでは避難指示が出て、避難所も開設されたとのこと。酷いことになりませんように。
今日もおつかれさまでした。
R8沿いにはいくつか道路からも見える滝があるのだけれど、名立谷浜IC近くのここは好きな滝のひとつです。
昨日は、しぶきがまわりの草について凍っていてこんな感じ。
筒石では先日の鰯大量漂着の後始末が概ね一段落なのだそうですが、まだほのかに魚のにおいがします。冬の日本海の風があってなおあれだけ臭うんだから、夏だったりしたら大変なんだろうなあ。
さて。
先日の「敷物のように折り重なる鰯」ほどの量ではないものの、今日は富山県の高岡で鰯が大量に打ち上げられたというニュースが伝わってきました。あらためて思うのは「けっこう驚くニュースでも、他の土地のニュースだと気づかないときは気づかない。それくらいの注目度なのだな」ということ。近所で似たようなことがあって気にしているから気づくのだけれど、そうでなければこれは気づかないかもしれません。
今日は、ひさしぶりにざあっと雪が降り出して、30分ほどであたりの風景がかわるほどの量が降るという、冬らしい雪の降り方でした。
ちらちらとなごり雪のように降るのではなく、この勢いで降る雪。今年はあと何回あるのかな。
そんなこんなで、今日もお疲れさまでした。
最近のSDGsの盛り上がりには、個人的にすこしうさんくさい気持ちを持ってしまう部分があります。
もともと、省エネも循環型社会もいいと思うひとは多く、できることは心がけている。ただ、なかなかやりにくい分野に「SDGs」という看板と「ここにコミットすることが得」という自動的にまわる損得のエンジンをつけた知恵のあるひとがいて、結果的に心がけではまわりにくかったことがもう少し力強くまわるようになった。自動化を力強くした結果、いろいろと「え、それほんとに持続可能な社会のためのこと?」というようなことも増えはしたけれど(たとえばEVを推進することは将来必要な発電量を押し上げるがそのための発電所増設は語られず、一方で低公害対策を施した最新型の石炭プラントは石炭であるという理由でRejectされる、など)、それはSDGsがあってもなくてもあるパワーゲームという意味では大差はないわけで。
だから、SDGsの動きに異議申し立てするわけではなく、おおいにアグリーなのだけれど、一方で、こういう「循環」はあの概念の中にいる人たちからは時に抜け落ちがちになる。そんな気もするのです。
子を残すために必死に帰ってきて、力尽きた鮭。この季節ならではの「ごちそう」にありつく烏。
これもまた、循環のひとつの形。
鮭は自らのこどもを見ることのない生き物なわけで、この季節彼らを見ると、いろんなことを考えます。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
よく、お店の入り口に貼ってある「○○アリ〼 」の文字。
あれを見て「あの形の写真を撮ろう」とずいぶん昔に思い立って、この構図の写真を時々撮っています。
今日の一枚は、姫川のもの。先日上流で大雨が降って、川幅一杯に水が流れたことがありました。
水位がだんだん下がってくると一度は水面下に沈んだところが出てくるのだけれど、強くてはやい流れでそのはしが浸食されて、こんなふうにエッジの効いた崩落部分が出てきました。
これが長い時間をかけて大規模におきると河岸段丘とかができるのかな。
増水するたびに形がかわる川は、興味深いです。
日曜日は酷い雨だったのに、今日はそこそこな天気。毎日いろいろだなあ。
お休みの方はたのしいお休みを。働いているご同輩、今日もお疲れ様でした。
田海川は打ち寄せる波で河口が狭くなり、R8から旧国道の橋のあたりまでたっぷり水をため込んで滞流中。
とはいえ、流れる力の強い大雨のときはここをぐんと押し流す力も働くので河原には浸食された「河岸段丘」エリアも登場しています。
この断面、上は砂地なのに、横から見ると黒い鋭角に割れた石がたっぷり。これ、掘っていくと下の方までこうなのか、もう少し下で別の層にかわるのか、なんだか自由研究みたいで興味があります。
姫川の河口あたりにもこんな風に断面が見えるところがあるのだけれどそこではこんな感じにはなっていないし、一見似たようなハマでも、地面の下はいろいろあるのだなあ。そんなことを思いながらの散歩なのです。
そういえば、今日は竹のからかいの日。もう少し先まで歩いて行けば、左義長を焼いていたりしたのかな。
竹を引き合う行事はなくても、家々のお札やお飾りを焼く行事はある。こういうことをちゃんとやりながら季節を進めていく。そういうこと、ちゃんと廃れずに続けていくためにも「なんでもやめ」方向に行かないようにしないといけないと思うし、それは究極的には「COVID-19に感染したひとを迷惑扱いしない雰囲気を作るためにはどうすればよいのか」をもっとまじめに考えていくべきだとも思います。
まずは、16時前後の「今日の感染者」の防災無線放送は、止めちゃいませんか?。
ああいうところが「権利意識のはき違え」だと思えて仕方がないワタクシなのです。
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