去りゆくということ
今日、大野小学校でセミナーの講師をしているとき、スマホにニュースが入っていました。そうはいってもいちいちブルッとくるたびに確認はしないので、あとで確認してみたら、そのニュースは KAN ちゃんの訃報でした。
ライブにそのたびに行くような熱心なリスナーではないけれど、彼のサービス精神が大好きで、関西のラジオ局 FM COCOLOで長いことやっているスターダストレビューの根元要さんとのかけあい番組「WABI SABIナイト」はずっと聞いていました。今年の春、病気療養でちょっとお休みするという話が出たあとも、病院から電話で出演したり、退院してからはコーナーひとつふたつだけ出たりしては、あいかわらずきれいなおねーちゃんの話や近所のそば屋のことや、きゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeのことなど相変わらず「困ったオトナ」的な感じ。闘病感が全然伝わってこなくて「抗がん剤が効いて、だんだんよくなってるのかな」と思うくらい。
先々週の番組で「KANちゃんはちょっと治療の関係で何週間かお休み」という話が出たときも、集中的な治療の時はけっこうキツいもんねなんて思っていたのだけれど、その頃にはもうきっと相当キツい状態だったのだろうな、と。
「僕はなんとか生還します。だからみんなも応援してください」とは絶対言わない。
いつものようにユルいトークで馬鹿話して、曲をかけて。いつものようにひとを喜ばせること目一杯のお茶目な彼は時々登場してはすこし休み、少しも「だんだんと去りゆく運命にある」ことを匂わせずに、最後突然立ち去ってしまった。
いかにもハードボイルドに見えるハードボイルドだけじゃない。こういう、軽やかにひとを楽しませることを、苦しみを僕らには見せずに軽やかにやりきったということ。
最後まで、エンターテイメントのひととしての美意識を貫いた姿は、本当にかっこいいと思います。
彼が長くラジオ番組を持った札幌STVラジオでは、訃報を伝えた後、パーソナリティの方は彼が「ライブアレンジ」でやる悪ノリ満載のコスプレのように、背中に大きな天使の羽根をつけたまま、にこにこしてきっとのぼっていってるんだろうななんて話をしていました。
身近にいるひとたちも、彼の美学にちゃんとつきあって、そういう送り方をしてくれる。なんだか、いい信頼関係だな、と。
彼は61歳。僕はいま54だけれど、そろそろ「去り方」を頭の片隅に置いておくべき年になりつつあります。
僕は、こんな去り方ができるだろうか。
彼が最後までラジオ番組を持っていたFM COCOLOで訃報の後にかかった曲は「言えずのI Love You」。STVラジオは「永遠」でした。
そして、僕は、訃報を聞いたとき、彼の「カレーライス」という曲がとても聴きたくなりました。
お疲れさまでした、KANちゃん。
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