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空き地に除雪車。
そろそろこの季節になったなあ。
12月にはいるとあちこちに配備されるようになりますが、ここはちょっとはやめだったのかもしれません。
除雪車は「道をあける」道具。どこかにまとめて置いておいたら、大雪が降ったときに除雪すべき場所までまずもってくることができない。だから、本当にあっちにもこっちにも、冬になると除雪車が置いてあるようになります。
僕らが雪に強いのではない。雪にみんなで備えているから対応できるのだ。
毎年のことながらしみじみ思います。
今年の冬は前半は雪が多めという予報も出ているようですが、冬将軍閣下には、おてやわらかにお願いしたいなあ。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
ただ朱色ではなく、夕暮れにはいろんな色があります。
ふつうの一日のちょっとした発見。書き残しておくと、何十年も後になって「あ、そういえば」ってことになるかもしれません。
今日は、下の子と一緒に「彼の後輩」のサッカーの試合を見に出かけたのだけど、出先のメシ屋で食べた「主菜+ゴハン+半ラーメン」のサービス定食を、はじめてコドモのほうが先に食べ終わりました。いままでは先にこっちが食べ終わって、ヤツが食べてるのを眺めていたのに、とうとう食べるはやさがひっくりかえる日が来たんだなあ。
しかも店を出るとき「もう1人前喰える」とヤツは言いました。スポーツやってる中学生と、座り仕事の50オヤジ。おなじ量たべてちゃおかしいのだけれど、いろんな境界線を越えていく日はたくさんあって、今日もそのうちの一日だったのだなあと、そんなことを思うワタクシなのです。
さみしいよりは、うれしいが先に立つ。なんだか、うれしいなあ。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
ことしも、夜にR8をとおりかかるたびに「きれいだなあ」とため息が出るいといがわミライト。
家族を駅に迎えに行く前の空き時間に、ちょこっとのぞいてきました。
そうか、この公園は「大町潮風市民公園」って、言うんだなあ。
https://goo.gl/maps/8dhpXWM78JMpWvD6A
雷は鳴っていたけれど、ちょっとした雨の止み間。
僕が歩いている間にも、いろんなひとがやってきて歓声をあげていました。
どんどん寒くなる日々なのだろうけれど、夜にちょこっと出かけたときは、ぜひ。
お昼を買いにちょっと外に出たら急に降りがひどくなってぬれてしまいました。
そうかと思えば14時すぎには雨が上がったり、じゃ、いいのかなと思えばまたひどい雨になったりとなかなか気まぐれな一日。
でもまあ「わずか15分前までとはおおちがい」を実感した翌朝なだけに、まあそれもいいか、と(笑)。
もう声変わりしている下の子が、よろこびのあまりとびついてきました。たぶんこんなことは人生最後だなと感じながら、しみじみと喜んだ夜から一晩明けて、あらためて「こいつがサッカーやるって言い出さなければサッカー見て楽しむようになんてならなかったんだなあ」なんてことを思うワタクシ。
子どもとかかわるのって、やれば面白いし、縁遠くしてれば逆に面倒くさかったりもする。
ならば、がっつり関わった方が絶対たのしい。そんなことを思いながら。
天津神社の石に映る紅葉を眺める雨の日。雨も、案外いいものだな。
寒い午後ですが、みなさんあったかくしてお過ごしください。
ここ数日、自転車ではなく歩いて通学するようになった子どもが、ご近所のお宅の前で絵を描いた石を「ご自由にお持ちください」と並べてあるよと教えてくれました。
で、今度まじまじと見に行こうと思っていたら、いつのまにか玄関にあじさいの絵のものがひとつ。誰かがいただいてきたのかな。
こういうの、見つけてくるスピード感でまわりを見ていると、きっと意外な「!」に遭遇するはず。自分は、カメラを持って散歩するようになる中年の頃までこういう視点は持ち得なかったので、これからいっぱいうろうろしろよ(除・不審者扱いされるようなこと(笑))としみじみ思うワタクシなのでありました。
さて、昨日にくらべるとすこしあたたかい感じのする昼です。
みなさん、おいしいお昼ゴハンを。
先週、近所の小学校で防災カードゲームを使ったワークショップのお手伝いをしてきました。
山の中からテーマ(ローリングストックって?、袋をつかったご飯の炊き方、消火器の使い方、正しい手の洗いかた...)のカードが出てきたら、そのテーマの手順のカードを出していき、4枚揃ったら順番にならべて正しければポイントがもらえるというカードゲーム。全員のカードを取り替えたり、順番をスキップしたり、はたまた逆回りになったりとほかのカードゲームの要素も取り入れて、わいわい言いながらいろんなことのやりかたに遭遇することができます。
さて。
今日は子どものサッカーの練習のカギ当番。ご近所中学校の体育館のカギをあけていたら、おとなり講堂で練習の剣道の子たちの中に「防災カードゲーム、たのしかったです!」と言いに来てくれた子がいて、とてもうれしかったのです。
楽しかったということは、きっとそのあとも話題になっているということ。そして、なにかほんのすこしの変化が子どもたちにあったんじゃないかということ。
そう思うと、ここんとこ夕方に続いている子ども消防隊の子たちの放送とも重なるところがあって、いろいろ頼もしいな、と。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
今日は、おとなり妙高市で、越後妙高コシヒカリマラソン。
ここんとこ台風とかCOVID-19絡みとかで3回ほど中止だっただけに本当にひさしぶりの開催なのです。
妙高のお米を炊いた「動いていない人にはややしょっぱいけど、走った人にはここちよいおにぎり」がfinishのところでもらえるのがうれしくて何度か家族で(除・ワタクシ)参加している大会なのだけれど、今回はまだ「可能であれば接触を減らす」ということで飲食はなし。その分、来賓の方の妙に長い挨拶もなくてシンプルな開催、本当に走るのが好きなひとたちだけが集う、気持ちのいい大会でした。
そうはいっても、妙高と姉妹都市だという西名古屋市から市長さんを含む2桁人数のランナーさんも訪れ、ちゃんと「地域交流」もアリ。遠くからの方、お年のランナーが表彰されるといういつもの風景もありました。
県境をまたいでやってきたひとを忌み嫌うという、日々「交流人口が...」と言っていたひとたちの口が腐るような日々はもう繰り返さないようにしないとね。あのときは仕方がなかったなどとネボけたことは言わず、大いに恥ずかしがり反省して、今後はこんなことがないように、ちゃんと人権に配慮した感染対策なるものを展開していきたいものだなと思います。
この秋は、いろんなことが動き始めていて本当にうれしい限り。そうはいってもいろいろ言うひとも多い中、ちゃんとできる準備はやりながらいろんなことを進めているみなさん、本当におつかれさまです!。
そんなこんなで、スタッフのみなさん、ありがとうございました。
病院の待ち時間に読んでいた「電柱鳥類学」という本。
日本中に電話や電気の線が引き巡らされてからまだ200年程度。そして、だんだんと電柱がなくなり地下埋設されはじめている現状では、まちなかの電柱にとまったり巣を作ったりする鳥というのも、ほんの一瞬の時代のあだ花なのかもしれません。
というわけで、写真は電柱の「腕金」の部分。このスペースはすずめの繁殖期に巣を作る場所になることがあるんだそうですが、雛や卵をたべにのぼってきた蛇などが感電=停電事故を起こしてしまうケースがあることから、電柱を上る生物がけっこういるエリアではこんな風に塞いであるんだとか。その塞ぎ方にも地域差がいろいろあるんだそうで「なんでも研究している方は、おられるのだなあ」としみじみ感じてしまいました。
それにしても、昨日の昼間は晴れている時間も多くて、今もきもちのよい青空。なにも、月食の時間帯だけ曇らなくてもねえ(笑)。
そんなこんなで、もうじきお昼。みなさん、おいしいお昼ゴハンを。
地球の影が月を隠すと「皆既月食だ」とみんなが騒ぎ、その月に天王星が隠されると「惑星食だ」ということにもなり、でも、雲が月を隠すと、ほのかな天文好きががっかりするだけなのです。
というわけで、本日の皆既月食は当地では雲の切れ間のほんのすこしだけ、運のいい人がみられた状態のよう。自分はとうとう見ることができませんでした。
なので、かわりにうすい網の向こうの赤いマルの写真を載せておきます。
皆既月食の次回は2025年。
惑星食は...というと、けっこう高頻度であるものの昼間のが多く、ちょっと先までないようです。
https://www.nao.ac.jp/astro/basic/occultation.html
いずれにしても、次は、晴れるといいなあ。
90年代にF1をいっしょうけんめい見た世代としては、フロントウイングがすこし高くなっているハイノーズの登場は衝撃的でした。
なので、こんな風に海の向こうの能登半島のはしっこがすこし海面より上にあがってみえると「ああ、ハイノーズだなあ」と思う。
もやもやしているけれど上に鉄塔が見えたりもして、これは雲ではなく、島でもなく、能登半島の山々なはず。
そして、こう変形して見えるということはまさに「空気はレンズなのだなあ」ということでもあるのです。
毎日、夕暮れはやってくるけれど、毎日、どこかちがういろ。今日は暮れゆく中で、海だけが青銀色に輝く不思議な夕方でした。
そういえば、今日は立冬でしたね。さむいさむい。
そんなこんなで、おやすみなさい。
最近のSDGsの盛り上がりには、個人的にすこしうさんくさい気持ちを持ってしまう部分があります。
もともと、省エネも循環型社会もいいと思うひとは多く、できることは心がけている。ただ、なかなかやりにくい分野に「SDGs」という看板と「ここにコミットすることが得」という自動的にまわる損得のエンジンをつけた知恵のあるひとがいて、結果的に心がけではまわりにくかったことがもう少し力強くまわるようになった。自動化を力強くした結果、いろいろと「え、それほんとに持続可能な社会のためのこと?」というようなことも増えはしたけれど(たとえばEVを推進することは将来必要な発電量を押し上げるがそのための発電所増設は語られず、一方で低公害対策を施した最新型の石炭プラントは石炭であるという理由でRejectされる、など)、それはSDGsがあってもなくてもあるパワーゲームという意味では大差はないわけで。
だから、SDGsの動きに異議申し立てするわけではなく、おおいにアグリーなのだけれど、一方で、こういう「循環」はあの概念の中にいる人たちからは時に抜け落ちがちになる。そんな気もするのです。
子を残すために必死に帰ってきて、力尽きた鮭。この季節ならではの「ごちそう」にありつく烏。
これもまた、循環のひとつの形。
鮭は自らのこどもを見ることのない生き物なわけで、この季節彼らを見ると、いろんなことを考えます。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
昨日は、住んでいる地域の地域作り団体「たざわの輪」のメンバーと西海谷のいくつかの試みについて教えていただく会にいってきました。
もともと、旧青海町のエリアは広域をフォローする公民館がなく、集落ごとに自治会的なもの、公民館的なもの、社会福祉協議会や地域防災組織的なものの支部などを全部兼ねた組織が「公民館」としてあちこちにあったので、合併で今の「広域をフォローする文教施設としての公民館」と「地域の居住者団体としての自治会」がうまく整理されていない感があり(もともとの形で問題なかったのになぜ変えたのかという話もないわけではないですが)、他の地域の方たちのお話を伺っていると、ひとがたくさんいるわけではないのでいろんな場面で感じる「屋上屋」をどう整理するかがかなり大切なのではないかと、そんなことを考えました。
さて。
写真は、昨年大きな土砂崩れがあった来海沢の、来海沢会館の2階の窓の外。
地域に根ざした集会施設ということは、地域が危険にさらされたときには集会施設も危ない場所にあるということなのだなあと、ブロックを積んで崩落防止している道の向こうに見える紅葉のきれいな山を眺めながら考えていました。
近くにないと対応できないこと、近くだからそこではダメになってしまうこと。いろんなことがあるな、と。
避難や防災の場面では、個人情報をきちんと保護しようとすると難しいコトも出てくるだけに「タテマエはそうだけど、実際にどうするの?」が問われるケースも多い。なんだか、いろいろと考えることの多い会でした。
昨日はいい天気だったけれど、一転して今日は雨模様。冷たい雨の午前中です。
おはようございます。
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