
そういえば、小学校だか中学校だかの頃には地域の川として、八千川とかぬな川、ぬり川とか、いくつも川があったような気がするのだけれど、この八久保あたりの放水路から西方面にむかって注いでいる川はぬな川なのか、ぬり川なのか。考えてみれば、Google Mapにはちいさい地域の川の名前って、出てないのだよなあ。
今のこどもたちが使う紙の地図には、こういう一部暗渠化されたちいさい川の名前は、出ているのだろうか。そんなことを思ったりもしながら。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
« 砂浜にもススキは咲く |
トップページ
| 行き止まり作業 »
« 砂浜にもススキは咲く |
トップページ
| 行き止まり作業 »
60年以上前、というと私の年齢がばれますが、今村新田の山間から降りて来て今村新田と旧国道(旧8号線)とをつなぐ道の上流をかすめ、コメ収穫の時期には「ハサバ」(いわゆる稲穂を乾燥するための 3~5 段程度の「はさば」)の脇を抜け、八久保の南側を通り、現在の日本活性白土の敷地に抜けてゆく川を、当時私たちは「ぬながわ」と呼んでいました。
どじょう取り、カエル取りによくタモをを持って行ってたことを思い出します。
当時は山を越えた西側には福が口があり黒姫伝説もあることから、「奴奈川」との理解でした。
土田先生も多くある奴奈川伝説の一つではあると言われていたこともあります。
今は当時のカエルやトンボのいる川(多分当時は川幅1m程度のどぶ川)の景色もなくなり、残念ではあります。
投稿: おおむかしの若人です | 2022年11月 1日 (火) 19時49分
どうもありがとうございます。
白土の裏手あたりの放水路なので、たぶん「ぬながわ」の方ですね。
僕は今は50代なかばなので、ひとまわりかふたまわりか下なのではないかと思うのですが、当時小学校では地域の小さい川をかなり意識する地図をつかって授業をしていたおぼえがあって、第1八千川とか第2八千川なんてのもおぼえがあります。田海あたりでは「ぬな川」と「ぬり川」というのがあったおぼえがあるのですが、どちらがどちらなのかすっかりわからなくなってしまいました。
当時、まずそこで「ぬながわ」と遭遇したので、大きくなってから奴奈川姫伝説に遭遇したら「へ、あの川?」とちょっと不思議に思った記憶も。
今は、西蓮寺横あたりではこの川も(コンクリート三面川なのに)蛍が飛んだりもしますし、以前よりはいろんな生き物の影があるような気もします。田海が池(当時は「高畑の池」と呼んでいましたが)のスジエビはずいぶん減ってしまって、川に足をつっこんでもびちびちあたったりはしなくなったりと、場所によって「自然感」はちがうもんですね。
投稿: にしざわ | 2022年11月 2日 (水) 13時12分