そろそろこいつらの季節
そろそろ、あちこちでオオキンケイギクが咲き始めました。
秋のセイタカアワダチソウと並んで「できるだけ減らしましょう」な外来種植物。
セイタカアワダチソウよりはもう少し生えている場所が生活域に近いので、公園や植え込みなどの草刈りのときに一緒にビーバーなどで一斉に刈られていたりもします。
さて。
先日、図書館前のアトリウムで子ども向けのお話会(土よう子ども会)をやっていたときのこと、突然会の流れを無視して、近くにいたお年の男性に声をかけられました。彼の話は「セイタカアワダチソウの繁殖がひどい。役所もみんなもこの問題を軽視している。どうにかしろ」というもの。僕自身もセイタカアワダチソウは昔からずっと気になっているものの、彼の認識(市内での繁殖具合や勢力など)と僕の認識がずいぶんちがうこと、それに「それ、絵本読んでいる途中のひとにその怒り顔で言わなきゃいけない?」ということもあって、目的としてはアグリーなのにずいぶんと拒絶の匂いをだして対応してしまいました。
そして、反省。「これは絶対悪だ」「わからないやつは馬鹿(悪)だ」というアプローチは、はじめからアグリーなヒトには響く可能性が高いけれど、ほかのひとを説得して味方にするためには逆効果になる可能性が高い。僕も時々そういう激高をやりがちなので「ああ、こうやって騒いじゃ、いけないよなあ」と反省してしまいました。
正直なところ、ここしばらくのCOVID-19がらみのいろいろでは、いろんなことに怒ったり失望したりしています。でも、それを伝えるために怒り狂っちゃ、ひとには伝わらないのだよなあ。
セイタカアワダチソウは駆除。でも、それはかつてセイタカアワダチソウを持ち込み広げてしまったことへの贖罪の気持ちがどこかにないといけないと思うんで、その季節、セイタカアワダチソウを美しく撮って考えたい。そんなことを毎年思います。おなじように、オオキンケイギクも。
そんなことを思いながらの一枚。
今日もおつかれさまでした。
« 「こめどころ」だけじゃなく | トップページ | 飛び石 »
コメント