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ちょっと山道に入るとソメイヨシノではない桜がまだすこし花を残しているところも多く、足元に桜色が散らばっています。
昨日は夜に雨。そして、昼間はまた雨があがってそこそこ暑い時間もありました。
上越市では、土日の二日間陸上の上越選手権が開催され、日曜日は小中学生が競技。
保護者は体温と体調を記入した紙を提出して、夏の音楽フェスのように手首に赤いリボンを巻いてもらっての入場。なんだか、窓口担当してくれている中学生の子たちも慣れたものでした。
結果にDNS(欠場)が多いのも「無理しても出ろ」より「体調悪ければ休め」が徹底してきたということ。ある意味、ようやく体育会系の「昭和」は終わりが見えてきているのかもしれません。
そして、今のような状況で「念のため止めておこう」ではなく「できるひとが集まってできる内容でやろう」という判断をするのが「今」。
意思を持ってあえてやる「古い時代のヒト」は時に格好いいですが、なにも考えずにいつのまにかなる周回遅れは無様なものです。
意思を持って、ちゃんと「できることをやる」へと、進んでいきたいな。毎日のように書いていますが、本当にそう思います。
今日は、家族がスカパラのライブにいってきて、すごく「!」な顔で帰ってきました。市民会館のみなさん、孤軍奮闘本当にありがとう。
そして、今日もお疲れ様でした。
だんだんと、海にやってくるひとが増えてきました。
ここも「ジオサイト」なので、石拾いを楽しむヒトがたくさんいます。
手練れのヒトは海岸線でどんどん見て、ちがうものは拾わないのだけれど、いろんな石を楽しむひとはいろいろ拾って、ざっと見た後に要らない石を砂浜出口あたりに置いていきます。
ということは、このあたりに置いてある緑っぽい石を集めて種類を調べると「ひすいに間違えやすい石」のカタログができるんじゃないだろうか(笑)。
そろそろ初夏の頃。梅雨の先には夏休みも見えているわけで、自由研究ネタとして、こういう「ヒトの行動を絡めた石の研究」をするのも、楽しいんじゃないかなあ。
さて、そろそろお昼。
みなさん、たのしいお昼ゴハンを。
もうかれこれ1年くらい「倒壊の危険があるので」と立ち入り禁止になっている須沢のなぎさドーム。
そうはいってもすぐとなりの駐車場は普通に使われているし、囲みもそれほど広く取っているわけではないので、本当に倒壊したら相当危ないんだろうなあと思っているのだけれど、まじまじと見てみると梁を止めているボルト周りも割れてきたりしているんですね。
本当に危ないなら、直すなり、屋根を撤去するなり、してほしいなあ。囲ったまま、今年の夏もこの状況なんでしょうか。
お金がなければできないことってたくさんあると思うのだけれど、できないならできないとして、目処を示してほしいと思う、そんな場所のひとつなのです。
夏場はこのまわり、ヒトも多いからなおのこと。
そろそろ雪タイヤでなくなって一週間。
桜を踏むタイヤの跡もようやく夏タイヤになりました。
あちらこちらで、桜のはなびらをつけた車が走ったり、止まったりしています。
季節の切り替わりとともに、今日から「COVID-19の既存のクラスタに追加で感染者が出ました」という下世話なレポートがなくなり、ただ新規陽性者の数だけが市から発表されるようになりました。噂話に燃料を投入するためのポンプみたいな発表がすこしでも静かになるのは、とてもいいことだと思います。
ただ、一方で「不要不急の外出は~」といった放送があり、いつの時代の認識だと腰が抜けそうにもなりましたが、相変わらず疾病対策では「だんだん元に戻していこう」という意識が弱いまちなのは、ほんとに残念。
「他の町よりは糸魚川に住みたい」という地域間競争に耐えうるまちになりたいなあ。
なんとなく、印象に残る桜というのは、交差点とか駐車場とか、車がスローダウンしたり止まったりするところの近くにある気がします。
この桜は、ひらせいや業務スーパーすぐ横の三差路にあるヤツ。太い幹にみっしりと蔓が巻いていて、緑とピンクの組み合わせがなんとも新緑の頃な感じのする大きな木です。
昨日今日の雨でだいぶ散っているかもしれないなあ。
姫川沿いは、こちら側もあちら側も川沿いのあちこちに桜があって、この時期散歩するひとが急に増えます。
やっぱり車で通り過ぎるより、ゆっくり下や横を歩きたい。そう思うひとがたくさんなのだろうなあ、と。
そんなこんなで、今日はどこの名残の桜を楽しめるかな。
おはようございます。
名勝の立派な桜もいいのだけれど、ご近所の、なんでもない公園にある桜もいいもの。
入り口に乗り捨ててある自転車、桜に目もくれず力一杯遊ぶ小学生。そして、見守るように少しずつ花を開いていく桜。
今日の糸魚川は、朝からどんどんと花が開いていき、夕方には五分咲きから七分咲きといった木が多かった感じ。散歩しているとうっすら汗ばむような陽気でした。
そして、あちこちで地域の氏神様の春祭りの提灯やのぼり旗も。
春には、ちゃんと春をやる。あたりまえのことだったのだけれど、今は意思を持ってやらなければいけない時期でもある。
それだけに、ちゃんとやってくれるひとたちには、精一杯の「!」を。そう思うワタクシなのです。
昼間はだいぶ気温が上がり、あちこちで桜がさきはじめました。
夜は少し雨も降り、総合体育館の入り口はこんなだけれど、まだまだ咲くのはこれから。明日が楽しみだなあ。
そして、ようやく、ほんとうにようやく、市内の複数校の子たちが一緒にやるスポーツ練習が今日からOKになりました。
これからどんどん子どもが減っていく中、中学の部活も地域のスポーツ団体といっしょにやっていく形を模索しているというのに「部活はOK、小中学校に限り地域スポーツはだめ」という判断をなぜ延々していたのかに対しては千万の文句がありますが、まあそれはそれ。できるようになるのは、いいことです。
学校は大切な場です。学校で学ぶことが失われちゃいけない。そこに異論はありません。
でも、限られた子どもの時期の勉強以外の体験だって、本当に大切なのです。授業だけ行われていれば最低限OKだという了見では、子どもたちはどんどんこの地を見限って出て行きます。
子どもたちに、この土地で過ごした日々が「!」だったと実感してもらうために考えること。上の世代は「多少自分たちがワリを喰っても、そこを手厚く」と思っていなければ、老人だけが住みやがて誰もいなくなる町になっちゃうんじゃないか。本当に冗談抜きで、僕はそう思っています。
今日もお疲れ様でした。
ひとりで海にいるなら、マスクも要らないのになあ。
ある意味、マスクは「わたしも感染対策に協力しています」という印のようなもの。
だから、みんながマスクをしていることは、感染防止そのもののほかに「みんなが協力していることが一目でわかる」という意思表示の意味もあるのだと思います。
一方で「意思表示はあるのだけれど、感染対策そのものにはなっていない」ようなケースも多々あるわけで。
コストパフォーマンスの悪い、とてもデメリットは大きいのだけれど、それに対してのメリットがあまり大きくないような対策は、たとえわずかな効果が見込めるとしてもやめて、効率的な対策に集約していくような知恵というのも求められているとも思うのです。
「念のため、これは今回もやめておこう」って、ある意味思考停止の敗北宣言。
そんなことばかり大人がやっていると、きっとこどもに軽蔑されますよ。
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