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ずいぶん西側へと移動して一時期は八千川に合流していた姫川河口も、土曜日の暴風雨の影響かまっすぐ海に注ぐようになりました。
とはいえ、すこしずつの移動ではなく、急な増水で押し流された河口変化だったので、今までの流れには水がのこってこんな大きな水たまりも。
数日のうちに干上がって、「海岸近くは砂利なのに、その隣は砂。なんでだろう」な状態になるのだと思うのだけれど、これもまたひとつの変化だなあと思います。
極端にいったり、もどってきたり。
だいたい「中庸」が保たれるのだけれど、振れ幅も大きい。
姫川河口を眺めていると、なんだかいろんなことを考えます。
さて、3月もあとほんのちょっと。
いい月曜日にしたいなあ。
今日は、3月末恒例の「ひすいスプリングコンサート」。
ほそぼそと続いている「ひすい弦楽アンサンブル」という弦楽器のグループの年度末のミニコンサートなのでした。
昨年春で卒団し糸魚川を離れた娘も、春休みで戻ってきていることもあって参加させていただき、小学校の頃から見ていただいている先生と一緒に弾くことができて楽しそうでした。
そして、そのあとは泉家さんで、お蕎麦。
もう少しすると、薬味がアサツキのタマ(へれつぶ)になるのかな。家族でも、冷たいお蕎麦だったりあったかいのをたのんだりと人それぞれな季節の端境期。楽しい会になりました。
お越しいただいたみなさん、ありがとうございました。
そして、なにもかも中止という思考停止に陥ることなく、ちゃんとした必要十分な対策とともに、できることをきちんと動かしてくれている市民会館のスタッフのみなさん、本当にありがとうございます。
今の時期「できることをやる」のは、ある意味戦いの日々でもあるので。
いつも、ありがとうございます。
そして、あらためて思うのは、自分の時間も有限なので、なにもかも中止というところに加担するのはやめようということ。
中止されてるみなさんが思うことがあるのはわかります。でもまあそれはそちらでご勝手に。そう思っているワタクシなのです。
なんだか、すごい風の一日。市役所横のバス停看板がごろんとデカい音とともに倒れたりする中、小学生のサッカーチームの最後の表彰式のお手伝いをしてきました。
いつもなら、各学年の子それぞれを表彰し、一年間がんばったねと声を掛け、キャプテンの受け渡し式をやり、入団からの成長を映像で見る…と、相当力の入った催しなのだそうですが、ウチの子が所属していたチームとの合併以降は、毎回いろんな形でCOVID-19の影響を受けることになり、どこかあきらめた部分のある開催になってしまっています。
ただ、どんな病気なのかが最もわからなかった一年目、かなりのことがわかってきたけれどほとんど地元では感染が見られなかった二年目、そしてほとんど子どもたちは重症化しないこと他いろんなことがわかってきて対応も手慣れてきた今年と、実は少年スポーツへの締め付けはどんどん厳しくなり、結果としてこの催しもどんどん縮小しています。今日のものも、一部の子はリモート参加。
きっと「この状況だから仕方がない。やめてね」と言う側の心理的ハードルがどんどん下がっていって、対策のためになにかをやめさせることの葛藤が小さくなっているのだと思います。世間的にはこういった異常心理をすこしずつ戻していくフェーズにあるというのに、ウチのまちはあいかわらずこう。
もう少し、大人はちゃんと「決断」しなきゃいけないのではないのかな。こういうことに出くわすたびに、本当に、ほんとうにそう思います。
今日は、無事ご近所の小学校の卒業式が執り行われました。
一部学年の子は教室で中継を見るとか、出席者が限定されるとか、まあいろいろありますが、それでもなお「執り行われる」こと自体が大切。
卒業式の看板も、いつもの児童玄関側ではなく、夜や休日に体育館を借りるスポーツ団体のひとたちが出入りする方の入り口に立ててありました。学校全体に出入りしないで、会場にだけ入るということなのかな。いろんな配慮が必要な時期にきちんと行うための工夫をしているひとたちがいるということ、ありがたいと思います。
このあとは学校も春休み。
「なんとか学校を止めないように」の配慮もすこし弱めてもいい時期になるはず。願わくば、ほかのいろんな体験のための制限を緩めることも、きちんと考えていただきたいなあ。
そんなこんなで、卒業されたみなさん、おめでとうございます。
たぶん、黄色いシートを貼って、その上に黒い「糸魚川市」を貼ったのだろうなあ。
なんで黄色だけなくなって、黒がこんなふうに重なってるんだろう.黄色はシートじゃなくて、ペンキとかだったのかな。
いろんなことを想像してしまう、ご近所のバス停の標語です。
さて。
先週3/18に大量に発信された、 @itoigawa.lg.jp アドレスからの迷惑メールは、新潟県の自治体セキュリティクラウドのメールシステムの設定を業者が間違え、そこを踏み台にされて送信されたものだということで、新潟県のプレスリリース の他に、解説記事も出てきました。
ITMediaによる解説記事
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2203/22/news096.html
こういうことは、個人的には「今日のコロナの感染者数」なんかよりも、あんしんメールなどできちんと知らせて「迷惑メールにひっかかることのないように」と注意喚起したほうがいいんじゃないかと思うのだけれど、一方で自分が思っている以上にCOVID-19をめぐる認識はひとによってちがっていて、なんだか「いろんなひとがいるんだな」とため息をつく日々が続いています。多くの人にとっては、このことの注意喚起は別にそんなに重要ではないことなのかもしれないなあ。
そんなわけで、今日もおつかれさまでした。
新潟大学の ダブルホームかわせみという学生さんたちの小滝地区での活動があり子どもが所属しているのですが、せっかくなので雪解けの時期の小滝を見たいということで、一緒に行ってきました。
とはいえ、高波の池とかフィッシングパークの界隈はおそらくいつもGW近くまでいけないはず。道はどこも途中で行き止まりになるのはわかっているので、あえてこの時期に行くことはまずないだけに、行ってみれば興味深い小ドライブになりました。
緑がいっぱい。雪解け水であちこちきれいな流れや溜まりがたくさん。でも、雪はガッツリあって、まるで地層のように滑ったり、「断層」ができたりもしている。海岸からほんの30分走るだけでこれだけ雪の量がちがうことで「ああ、本当に糸魚川は海山近接地域なのだな」と再認識もしました。
今日の午前のように日差しが出ているときは、まさに冬と春のクロスオーバー状態。
もう、春は、来ているのだなあと、雪があるからなおのこと感じる。そんなあんばいなのです。
今日は、仕事で公民館をいくつもまわって作業していました。
作業中に出る話は「新年度の行事をどうするか」
祭りは、やりたい。いろんな大会も、やりたい。
でも、人を集めることには躊躇がある。文句を言うひともいる。
個人的には、もうCOVID-19は強い強い検疫対応をして徹底的に封じ込めるフェーズにはなく、極論を言えば「○千人集める催しをやったけど、そこ起点の感染者が10人で済みました」みたいな目標の感染対策管理でもいいと思っています。「出したら叱責」をやっていたら、もう永久になにもできないのだから、そこは関わる人のほうの気持ちを切り替えていくしかない。
でも、話しをしてみると、怖がっているひとも、他県ナンバーがいることを「おかしい」「気味悪い」と思う人も、まだまだたくさんいるのだな、と。そして、新潟県を含む多くの県が「まんぼう」が終わって久しいにもかかわらず、解除前の県名を挙げて「指定地域のひとは館に入るのをご遠慮ください」の表示がそのまま残っているところもいくつもありました。これに「人権感覚がおかしい。海老名などであれほど批判されたのに糸魚川が批判されたのは誰も気にしてない田舎町だから」とアタマから湯気出して怒っていた僕も、「そうか、いろんな感覚のひとがいるんだな」と、あらためて認識する一日になりました。
身近な人に感染したひとが出て、「注意していてもなるときはなる」「だからいろんな面でおたがいさま・はやくよくなってねのやりとり」が定着していくまでは、なかなかゴールが見えないのだろうな、と。
とはいえみなさんが「なんでもやめよう」ではなく、積極的に「なんとかやれる形の模索」としているひともいることを知ることができたのは収穫でした。そうやって、すこしずつ変えていかないとね。
そんなこんなで、今日の写真は夜のウォーキングで見かけた、とある倉庫前の人感センサーのあかりにうかびあがる「かかし」。
こういうのも、怖いかも。今年は、「お化けの館」やりたいなあ。
今日もお疲れ様でした。
海から糸魚川駅への道沿いに並んでいるいろんな石。
日頃は「あ、あるな」くらいであまり気にすることがないのだけれど、歩いてるときにまじまじと見てみると、年代順に並んでいるんですね。
一番海側の起点は、1000年前の安山岩。
石なのに「平安時代」と書いてあるのも不思議な感じ。
その元素がその時代に生まれたわけでなく、その組成になったタイミングなのだから、そりゃ平安時代も昭和時代もあるよね。
次からは「~万年前」になり「~億年前」になり、「?億年前」がいくつかならんで、最後は当地では特別扱いのヒスイ。
いろんなところに、見せ方の工夫があるのだなあ。
もっと知ってもらうと面白いと思う一方、自分でみつけて「へえ」と思うのもきっと楽しい。
だんだんあったかくなってきたし、もっと地元を散歩しないとなと思っているワタクシなのです。
今日もおつかれさまでした。
牛乳瓶全盛の頃、三角錐型のコーヒー牛乳を見ると妙に気分がアガったのをおぼえています。シールをはがして、そこにストローを刺して。
だから、給食の200mlの牛乳が瓶から紙パックになったときも最初はけっこう興奮したのかも。
考えてみれば、当時は牛乳は瓶のが宅配されてきて、1リットルの紙パックを地元でみかけることもなく、コーラやファンタは180mlで、出たばかりの500ml瓶のCMでは山岡久乃が「3杯ついでまだあまる」と言っていた時代だものなあ。
さて、写真は姫川河川敷の石の公園のはしにならべてあるテトラポッド。
「テトラ~」は商標だそうですが、実際に並べてあるのを見ても、三角だけじゃなくていろんな形があります。
強い冬の日本海の波に転がされないように、ちゃんと波を小さくするように。波打ち際や堤防の横に積み上げられるものから、海の下に沈められるものまで、いろんな用途で、いろんな形があるのだなあ。
波打ち際で角の立ったピカピカのやつと、ずいぶん丸くなった歴戦の勇士を並べてみると、妙にしみじみしたりすることも。
コイツらに守られて、僕ら浜のすぐ近くに住むひとたちも、地響きするような夜の波にも怖がらずに暮らすことができるのだなあとしみじみと思ったりするのです。
お客さまのところの設備が優先なので、後回し後回し...となっていた職場のサーバ環境の整備作業が大分進んでちょっとほっとしている土曜日の夕方。そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
童謡では、雪が降ると犬は喜ぶようだけれど、連中も自由にかけ回れる季節になったほうが、きっとうれしいんだろうなあ。
姫川の河原でも、あちこちで楽しく走り回るワンコたち。
そして、その向こうにはだいぶ白いところが減ってきた山々。
姫川河川敷の桜も、つぼみがふくらんできました。
そして、今日の強風は、いわゆる「春一番」認定されるのか。
さて。
今日3/11は、今年度最後の小学校の朝読書。
震災を題材にした本はいっぱいあるし、そういったものを読もうかなとも思ったのだけれど、なんとなく「そういうのは、記念日じゃないとき、普段の本として読もう」と思う部分もあって、結局地域によってだるまや、いなり寿司の形や、銭湯の浴槽の位置や、座布団の縫い目や…そんないろんなもののちがいを写真で紹介する本を読んできました。
震災で避難された方たちは、糸魚川にもこられました。
直後の、体育館で暮らす方たちがいた頃、何度かお店まで車に乗せていったことがあったのだけれど「あ、パチンコ屋だ」「回転寿司、いいねえ」とか、どちらかというとそういうやりとりのほうを思い出します。
普段の生活から引き離されたとき、ごくごくあたりまえのところがいつもとちがうというのは、気を緩められない部分がきっとあるのだろうな、と。そう思うと「土地ごとにこんなところがちがうんだよ」を素直に楽しめるというのは、実はいつものふつうがちゃんとあるということなのだろうなと、そんなことを思うワタクシなのです。
いつものふつうを喪うことは、悲しいこと。
そうならないために、そうなってしまった状況を回復するために、どうすればいいのか。その解決方法や働きかけの部分ではひとによっていろんな考え方のちがいはあると思うのだけれど、根っこの部分の「願い」である「いつものふつうが、いつもいつでもあるように」は、忘れないようにしたい。
3/11だから。そして、3/11でなくても。
出先から勤務先に戻ると、机の上にお客様からのいただきものが置いてありました。
博多かあ。
自分自身もあまり移動しなくなったけれど、他の方の移動をこういう形で感じることも、以前に比べると本当に減りました。
東京ばな奈とか、萩の月とか、阿闍梨餅とか(笑)。
新潟県はけっこう大きいので、北東方面を県境まで移動する距離南西方面に行けば、岐阜にも石川にも届いてしまうわけで県境なんていくつも越えられたりもします。それだけに以前は必要であればもっとフットワーク軽く移動していたのだけれど、すっかり自分自身腰が重くなってしまいました。
確かに、不要な会議にでかけていくのはナンなのだけれど、このあちこちにかけられた結界のような「境をまたぐときの呪縛」、行政のひとたちからの呼びかけや施策とは別に、自分たちの感覚として克服するにはどれくらいの時間が必要なのかなと、思わず考えてしまうワタクシなのです。
今日もおつかれさまでした。
近所のグラウンドで、定例の土曜日午前のソフトボールがはじまりました。
外スポーツを楽しむひとたちも、そろそろ外に出てきました。
3/6の「まんぼう」終了を前に、先週末にはその後のいろいろも出てきて、たとえばご近所妙高市では、いわゆる「スポーツ少年団」の野球やサッカーなどの活動も再開になるようです。
糸魚川はどうも「当面複数学校の児童生徒が集まる活動は休止継続」という依頼が出ているのだそうで、市町村ごとの対応差がはっきりと出てきている感じがします。
大人はふつうに趣味で集まりスポーツするのも再開。でも、子どもはだめ。これからのこの土地を担う連中にワリを食わせて平気な輩がたくさんいるのであれば、若い子は大きくなればこの土地をどんどん出ていくのも仕方がないなと思ったりも。
子どもたちにいろんな経験の機会を与えることの優先順位が、低すぎるんじゃないでしょうか。
もちろん「だから社会人のひとたちのスポーツをやめろ」なんて言っているのではありません。
「なんで小中学生はダメなの?」と言っています。
「対策になっていない対策」はもうたくさん。
本当に、ほんとうに、日々そう思っています。
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