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2022年1月17日 (月)

雪の華

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 桜並木にうっすら積もる雪、きれいだなあ。
 ウチの近所はけっこう降ったのに、ほとんど積もりません。
 大野くらいから山の方だと、ちゃんと残っていくのだろうなあ。

 さて。

 今日お客さんと市内のあれこれのことを話していて、あらためて「おまんもそうおもうだろね」と同意を求められることに対してことごとくアグリーではない自分にちょっと驚いてしまいました。年齢層では自分より20くらい上の方ばかりだったのだけれど、世代がちがうとこれだけ「ここちゃんとやれ」「ここがおかしい」と思うポイントがちがうのだなあ、と。

 こんなのアタリマエなのになんでやらないのかといった話は、思ったほど多くの人の同意事項ではない。こういうことはいつも思っているつもりなのだけれど、もっともっときちんと意識するべきなのだと痛感しました。

 だとすれば、僕はもっと「COVID-19でなにもかもがなくなってしまわないためにも、多少のリスクを織り込んでもいろんなことを中止しないように、次はやるように」という話について、丁寧に丁寧に声を出していかなければいけないのだと思います。

 「きちんとコロナ禍がおわるまでは仕方ない」という話のもとに、ほとんど感染が落ち着いていた昨年10~12月前半の状況でもいろんなことの中止が決まりました。本当にこの件の心配がなくなるまでやらないということにしていると、おそらく「本当にこの件の心配がない」日々は永久に、もしくはものすごく先になるまで訪れない。そうすると、なんとかなったころには、田舎を田舎として魅力的にしていたいろんな「不要不急だけれどきっと必要な」ことやものが既になくなってしまったあとなのではないかという強い危機感があります。

 できる範囲で、やれることをやっていく。
 そして「感染したひとを迷惑扱いしない」(これを「迷惑扱いするひとをスポイルしていく」のではないやりかたで、幸せにできる方法を考えないといけない)。

 そういうこと、考えていきたいなとつくづく思うワタクシなのです。
 そのためには、まず「怒るのやめなきゃなあ」とも思うのです。アグリーなひとにしか伝わらない話じゃないようにしないと、話は広がらない。ならば、怒ったり嗤ったりするよりは、共感を作っていかないといかんですもんね。

 そんなことを、ぼんやりと考えながら。
 今日も、そろそろお疲れ様でした。

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