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久しぶりに、家の前を除雪車が通っていってくれました。
姫川の桜並木の向こうには、いつもなら姫七発電所が見えるはず。でも、雪で向こうが見通せません。
それでも、たいして積もることなく、一日は過ぎていきました。
歩数を数えるアプリ「グッピーヘルスケア」で開催されていた、新潟プロレスの選手との歩数競争キャンペーンも今日が最終日。
今回エントリーされた2選手はお二人ともすごく精力的に歩いておられたのですが、特に ビッグTHE良寛 選手は最終日に4万歩以上も上積みして見事ベスト3入り。
雪の中、徒歩のお使いで歩数を稼いだ僕もなんとか一桁順位には潜り込みましたが、市内の競争相手の数字を見ていると如実に「今日は外で歩ける天気だったか」で歩数が増減する、この季節ならではの争いだったなあとも思います。
これで一段落つくことのないように、明日からもちゃんと歩こう(笑)。
おやすみなさい。
ここのところ、雨の日に歩く場所で難儀しています。
以前はコドモのフットサル練習中に体育感のランニングコースを歩いたりもしていたのだけれど、ここしばらくは「他校との交流はNG」ということで複数の学校の子が集まるクラブチームはお休みだし、自宅近くの人工芝ドームは「柱腐食で立ち入り禁止」になって既に一年弱。「崩壊したらどうするんだよ、あぶねーだろ」なまま立ち入り禁止の簡単なテープと柵で囲まれているので屋根のある歩く場所が限定されてしまうのです。
というわけで、仕事の途中の考え事やまとめごとを、能生あたりの自転車道のトンネルを歩きながらやったりすることも。寒いけれど、これはこれで集中できていいなあ(笑)。
そして、ここを通っていると、案外とここで走っているひともいろいろ見かけて、いろんな使われ方をされているなあとあらためて思ったりもするワタクシなのです。
そんなこんなで、午後からもあったかくしてお過ごしください。
雪は、足跡を記録します。
近所の公園の大型遊具の近く。いつもなら、雪が降ると丘からはそりがすべりおり、このあたりももっと足跡が多いはず。
晴れの日曜日の昼間。人影は、少ない(もっとも、今の世の中だとこどもがたくさん遊んでいる大型遊具の写真なんて撮っていたら不審者ですが(笑))。
効果があるんだかどうか不明な宣言が出て、休校している学校もあるということで、こどもたちも外で遊ぶのを躊躇しているのかな。
いつのまにかエアロゾル感染が主体だからいろいろある対策の中では換気がもっとも有効と言われるようになったCOVID-19では、当地の冬の無風になんてならない外での遊びが、たぶんもっとも低リスクなのになあ。
感染が終息したら、いろんな対策についてきちんと後追い検証して「なにが有効でなにがほとんど効果がなかったか」は知る必要がありますよね。とにかく、僕らはいろんなものを止めすぎている。そして、ほとんど自身に選択肢がないこどもに「できないこと」を押しつけすぎています。
ほんとうに、ほんとうに、そう思います。
工場というのは熱源なので、寒い日にはもくもくとエネルギーを吐き出しているようでとても雄々しく感じます。
曇り空だとまるで、雲を製造しているようでもあって・・・というのは、関東の写真撮りの友だちのライフワークのテーマ。
時々マネしてみるのだけれど、なかなか彼のようにはならないなあ(笑)。
寒い一日だったけれど、ゆえあって早帰りの中学生の中には、雪みち徒歩帰りなのに半ズボンの男子などもいて、若いと熱が余ってるのだなあとまじまじと思ったりも。雪の日は雪の日なりの馴染み方、みんなしているのだなと思います。
そんなわけで、いわゆる「まんぼう」がはじまりました。
学校関係ではクラブチームなどの「ほかの学校の子と一緒にする活動は自粛してほしい」と依頼がありました。
部活は平日90分まで。対外試合は期間中中止。
でも、これは単に「感染者が出たらそのカタマリ(クラス、学校、クラブ)は数日休み」とか「学級閉鎖、休校になっている間だけ、そこの子はお休み」でいいんじゃないでしょうか。
感染は、どこからでも、注意していてもやっている。
その「最初の感染」と闘おうとすると、効果のあるものもないものも含め、いろんなことを諦めなければいけない。
そもそも学校は「いろんな家族から子がやってくる」場所。仕事や暮らし方がいろいろあるだけに、そもそも学校はいろんな集団のHUBになる性質があります。本当にそこを感染のHUBにしないのであれば、一昨年やったように休校にするしかない。それをやらないのであれば(そして僕は「やらないほうがいい」と思っています)、おなじく課外活動などで日頃いつも顔をあわせている他校の子と一緒に行う活動だって、リスク的にはほとんどおなじ。制限する理由がありません。
感染したひとが出たら、そのひとには「はやくよくなってね」。
そして、その周辺で「それ以上広がらないように」そのあとの対応として学級閉鎖なり休校なりをやる、インフルエンザやノロウイルスなどの対応に準じた形でいいのではないかと僕は思っています。
そういう意味で、アリバイのような対策が跋扈する状態というのは、大人がちゃんと考えていないということのあらわれでもあり、こどもたちに対して申し訳ないなと思ってしまうのです。
雪が降ってもあまり凍らないのが、糸魚川アタリの冬。消雪パイプがあるのも「水を出しても凍らない」からなのだろうなとしみじみと思います。
そうはいっても、夜明け前はそこそこ気温は下がるので、少しは凍ります。そして、消雪パイプからの水が流れたところと流れないところでこんなだんだら模様も。今朝は、寒かったのだろうなあ。
さて。
今日は仕事で半日上越。
昼間は青空が広がっていたものの、道の脇の雪の山は高く、おなじ海岸沿いでもここ数日の雪の量が上越と糸魚川で全然ちがうのだなとあらためて感じました。今年の糸魚川の海岸沿いは、本当に「降るけれどつもらない」のだなあ。風の強さが関わっているのかも。
あ、そうそう。
青海小学校の卒業生の若いライターさんが、デイリーポータルZというサイトに青小の土手に昔あった「あけぼのタワー」の記事
『危険な巨大遊具で遊んでいた話』
https://dailyportalz.jp/kiji/akebono-towe
を載せておられました。
遙か昔だけじゃなくて、ほんの10年くらい前にもちゃんとこういうバカなたのしいことやってる子、ちゃんといるんですねえ。なんだか、それがうれしい。
興味をお持ちの方、ぜひ見てみてくださいね。
桜並木にうっすら積もる雪、きれいだなあ。
ウチの近所はけっこう降ったのに、ほとんど積もりません。
大野くらいから山の方だと、ちゃんと残っていくのだろうなあ。
さて。
今日お客さんと市内のあれこれのことを話していて、あらためて「おまんもそうおもうだろね」と同意を求められることに対してことごとくアグリーではない自分にちょっと驚いてしまいました。年齢層では自分より20くらい上の方ばかりだったのだけれど、世代がちがうとこれだけ「ここちゃんとやれ」「ここがおかしい」と思うポイントがちがうのだなあ、と。
こんなのアタリマエなのになんでやらないのかといった話は、思ったほど多くの人の同意事項ではない。こういうことはいつも思っているつもりなのだけれど、もっともっときちんと意識するべきなのだと痛感しました。
だとすれば、僕はもっと「COVID-19でなにもかもがなくなってしまわないためにも、多少のリスクを織り込んでもいろんなことを中止しないように、次はやるように」という話について、丁寧に丁寧に声を出していかなければいけないのだと思います。
「きちんとコロナ禍がおわるまでは仕方ない」という話のもとに、ほとんど感染が落ち着いていた昨年10~12月前半の状況でもいろんなことの中止が決まりました。本当にこの件の心配がなくなるまでやらないということにしていると、おそらく「本当にこの件の心配がない」日々は永久に、もしくはものすごく先になるまで訪れない。そうすると、なんとかなったころには、田舎を田舎として魅力的にしていたいろんな「不要不急だけれどきっと必要な」ことやものが既になくなってしまったあとなのではないかという強い危機感があります。
できる範囲で、やれることをやっていく。
そして「感染したひとを迷惑扱いしない」(これを「迷惑扱いするひとをスポイルしていく」のではないやりかたで、幸せにできる方法を考えないといけない)。
そういうこと、考えていきたいなとつくづく思うワタクシなのです。
そのためには、まず「怒るのやめなきゃなあ」とも思うのです。アグリーなひとにしか伝わらない話じゃないようにしないと、話は広がらない。ならば、怒ったり嗤ったりするよりは、共感を作っていかないといかんですもんね。
そんなことを、ぼんやりと考えながら。
今日も、そろそろお疲れ様でした。
あ、ちがった。春遠からじ、か。
雪を乗っけている小枝には、桜のつぼみ。
これをみるたびに、志村ふくみさんの桜の染め物のエピソードを思い出します。
たしか、読んだのは中学校の頃の国語の教科書。調べてみれば、大岡信さんの「言葉の力」の中の一節だったようです。
全部が全部おぼえているわけではないけれど、教科書って断片的に妙に覚えているものだなあと思う。落書きした著者近影の写真とかも。
先週の雪は「降ったな」という雪だったけれど、ここ数日は大学共通テストにあわせて雪化粧程度のほんのりとしたものしか降りませんでした。会場によっては津波警報とか、嫌な事件とかもあったけれど、ご近所ではさしあたり心静かに試験が終わったんじゃないか、終わったらいいなあと、そんなことを思っています。だって、去年もCOVID-19と大雪で大変だったもの。
そんなこんなで週末もそろそろおしまい。週明けは降りそうですが、それもほどほどだと、いいなあ。
田海川は打ち寄せる波で河口が狭くなり、R8から旧国道の橋のあたりまでたっぷり水をため込んで滞流中。
とはいえ、流れる力の強い大雨のときはここをぐんと押し流す力も働くので河原には浸食された「河岸段丘」エリアも登場しています。
この断面、上は砂地なのに、横から見ると黒い鋭角に割れた石がたっぷり。これ、掘っていくと下の方までこうなのか、もう少し下で別の層にかわるのか、なんだか自由研究みたいで興味があります。
姫川の河口あたりにもこんな風に断面が見えるところがあるのだけれどそこではこんな感じにはなっていないし、一見似たようなハマでも、地面の下はいろいろあるのだなあ。そんなことを思いながらの散歩なのです。
そういえば、今日は竹のからかいの日。もう少し先まで歩いて行けば、左義長を焼いていたりしたのかな。
竹を引き合う行事はなくても、家々のお札やお飾りを焼く行事はある。こういうことをちゃんとやりながら季節を進めていく。そういうこと、ちゃんと廃れずに続けていくためにも「なんでもやめ」方向に行かないようにしないといけないと思うし、それは究極的には「COVID-19に感染したひとを迷惑扱いしない雰囲気を作るためにはどうすればよいのか」をもっとまじめに考えていくべきだとも思います。
まずは、16時前後の「今日の感染者」の防災無線放送は、止めちゃいませんか?。
ああいうところが「権利意識のはき違え」だと思えて仕方がないワタクシなのです。
オミクロン株が出てくるようになり、また沖縄などにまん延防止等重点措置が指定されたところで、いつものように市の公共施設にこんな紙が張り出されました。
COVID-19の対応の技術論にはいろんな立場があるのはわかります。僕自身は、現状では水際対策の意味がないくらいの数の感染者が既にいるし、昨年秋以降の検査陽性者数の増減がほとんど人流の増減と連動していない(9~11月の人流増加が陽性者増加にまったく関連しておらず、そこから急増したわけではないのに年末から上がってきた)ことからも、別の要因を考えて対策をアップデートしていくべきだと思っていますし、なにより「普通に暮らす」ことをできるだけ阻害しない対策を作り出していくべきだと考えているので、市内に一日数人の陽性者が出ることで急にいろんなことをやめようという対応に転じること自体に、強い疑問を持つ立場です・・・が、そこはほとんど「宗教論争」的な話でもあるので、「対策、しないよりしたほうがいい」という考え方自体は否定しません。
ただ、現実問題として「まん防」が指定されたところの方たちは移動をある程度自重するわけだし、あえて移動するひとたちはそれなりの配慮をしてくるひとたち。無料の定性抗原検査などの環境もできてきたし、そもそも市中感染だってある状況で「ウイルスを持ってくるひと」が市外の人だけとは限らないわけで。
この状況で、この掲示を行うことの最も大きな影響は、ようやくすこし納まってきた「地域のお年の方が市外・県外から来たひとに対して強い警戒感をあらためて持ち、たとえば帰省してきた大学生に強い調子で注意したりするような状況」を再発させることであり、せっかく糸魚川に遊びに来てくれた方たちが「二度とこねえよ、こんなとこ」と思うこと。
昨年、御殿場市が市内の飲食店に「市外の方は入店ご遠慮ください」ポスターを配布したことが大きな話題になり、いわゆる「炎上」をした上で人権感覚の問題にまでなったことがありました。
よいこととよくないことを考えれば、僕はよくないことのほうが圧倒的に大きい気がしますし、この掲示を見て、僕はものすごく残念な気持ちになりました。
みなさんはどう思われますか?。
今日は雪が降ったりやんだり。
昔の児童書じゃないけれど「本日は雪天なり」な糸魚川です。
さて。
よく「雪国の人に笑われる」という話が出るけれど、雪に慣れていても雪が大変なのはおなじ。結局どこがちがうのかといえば「まちをあげて準備しているかどうか」の差なのだとつくづく思うのです。
たとえ自分がスタッドレスタイヤを履いていても、まちなかを走る車の2割でも3割でも夏タイヤのままの状態であちこちの道が圧雪になったらもうそんな道怖くて運転できないし、降り始めた時どこにも除雪車が配備されていなければあちこちでどんどん立ち往生も発生する。
だから、都心の大雪は、僕らにとってはたとえば「10月末頃に突然10cm降る」ような出来事なのかもしれません。
準備してないことがおきたときは、むりせず休めるようになるといいよね。ほんとそう思います。
歩けば誰でも転びます。転ばないように歩くんじゃなくて、一人バックドロップにならずに座り込むように転ぶようになれればベスト。
くれぐれも、お気をつけて。
今年のお正月は、ここ数年でも一番お餅を食べたお正月だった気がします。
というわけで、備忘録としてお正月のお雑煮のスナップショット。
特に大きなルールはなく、おすまし、焼き餅、具は7つ(くらい)、上にせりとのこと。伸し餅を切るので、結果として角餅(はしっこは三角だったりもするけれど)。
今年は4日から「通常営業」だったので、もうゴハン的にもすっかり普通どおりなのだけれど、通り抜けて一番記憶に残る「正月に食べたもの」といえば、やっぱりコイツだなあと思うワタクシなのです。
さてさて、今日も雪の朝。昨日は市内のごく一部で、かなり長い停電もあって、朝からその対応をしてようやく一段落ついたところです。
そんなこんなで、今日もあったかくしてお過ごしください。
正月休みで戻ってきている上の子が、ひとりでスキーに出かけました。
朝の天気は大荒れ。家のあたりでは強風と雨。「やめる?」と聞いてみたけれど、別に躊躇することもなくふつうに出かけていきました。
根知は、朝方は道路はクリア。でも、夕方拾いにいくともうずいぶん道路には雪がたまっていて、駐車場には埋まっている車多数。
これだけ降るんだなあ。ウチのあたりは全然ないのだけれど。
そうはいっても戻ってくれば、スキーに行くヤツ。ちっちゃいときからの冬の楽しみって、ちゃんと続くのだなあ。
ONI割( https://niigata-oniwari.jp/)でリフト券は半額。みなさんもぜひ、スキー場へ。
期せずして、1/2は快晴。臨海公園では、斜面でそりであそぶちっちゃい子が。ほかの公園でも、かまくらがあったり、ゆきだるまがあったりと「こたつでゲーム」ばかりじゃないなあ、と。
去年は下の子が中学校にあがって、「こんなにも視界が変わるのか」と思うくらいちっちゃい子の動静に疎くなりました。
これは、気を抜くとすぐに「こどもはゲームばかりしてる」とか「外で遊んでるやつはいない」とか、はたまた「雪が降っても公園であそんでるやつはいない」とか言っちゃいそう(笑)。
案外と、かわらないところはかわらない。もちろん、かわっているところもたくさんあるので安心バイアスばかりでもいかんのだけれど、それでも、頭の中に簡単にイメージしやすい「今の子は、まったく」にとらわれないようにしたいな、と。そんなことも思うワタクシなのです。
日々ほとんどお酒を飲まない生活をしていたので、二日呑んだらもう呑み疲れで今日はさっそく休肝日。
そんなこんなで、今日もお疲れ様でした。
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