願いと施策
黙祷を終えて、またPCの前に戻ってきました。
核のことを思うと、いろいろな複雑な気持ちになります。
おそらく、現時点では核兵器を一気になくすことはできないし、ヘンな計画を立てれば減らす過程で戦争が起きる。バランスが危うくも取れている状態のままで減らす策はなかなか難しいし、あまり簡単に「でもなんとかなる」とやるのは無謀だとも思っています。
一方で。
「ぜったいだめ」だという確信は、あるわけですよ。
イヤだ、ダメだ。作るのも、使うのも。なくしたいとも願ってる。
結局の所「願い」は、「施策」と混じるべきではないけれど、立脚点としてきちんと胸の中や、立っている地面として存在し、いつか施策として昇華されるための肥料になるものなのだと思います。
現実を考えない施策は、施策ではない。でも、願いを伴わない施策も、ロクなものではない。
この「願い」と「施策」の間のとても非効率な関係を信頼すること。それが、きっと大切なことなのだろうな、と。
今日も暑いです。
みなさん、まめにお水を飲んでお過ごしください。
おはようございます。
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