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そんなイヤミをつい言いたくなってしまうのが、須沢の臨海公園のこの屋根付き多目的広場。
かれこれ1ヶ月ほど、こんな感じで細いトラロープに囲まれて立ち入り禁止のままです。
なんでも、柱や梁にトラブルがあって、危ないから入らないようにとのこと。
それって「崩壊するかもしれない」なのか「なにかがとれて落ちてくるかもしれない」なのか、程度はわからないけれど、少なくとも「危ないから近づかないで」という状態なのですよね。
なのに、周りを広めに囲うわけでもなく、単にロープが巻かれて「立ち入り禁止」と書かれているだけ。
すぐトナリには駐車場も水飲み場もあるけれど、そこは気をつけなくてもいいってことでしょうか。
そもそも、いつまでに調査して、いつ頃までに直すのかといったこともいまだにわかりません。
この程度の囲み方でもいいってことは、逆に「危なくない」ってことなんじゃないの?とか、思わず言いたくなります。
目処を示してほしい。この「立ち入り禁止」の表示を見るたびに、思います。
これからどんどん暑くなるし、屋根のあるスペースは貴重なので、なおのこと。
スポットライト、当たってるなあ、釣り人さん。
ひさしぶりにコドモの試合のない土曜日。
考えてみれば、去年は今頃は長々続いた一回目の緊急事態宣言があけたばかりで、いろんなことが中止になっていた中、おそるおそるいろんなことを再開させていた頃。
「いつまでもCOVID-19の位置づけがかわらないからいつまでも延々自粛」とよく自分も怒ってるけれど、それでも「去年の今頃の状況で去年の今頃の自粛」のセットを今やるとすれば、もう1年でも2年でも自粛しないといかん状況。そう考えるとすこしずつでも、普通の生活のための試行錯誤は続き、やってもいいことは広がってきたのだと思います。
これは断じて「緩み」ではなく、人間の知恵だと思うワタクシなのです。
少し疲れがたまっているので、すこし今週末はのんびりしよう。
勤務先のささやかな社会貢献活動として、(一社)マルチメディア振興センターが行っている eネットキャラバン というIT機器を使うときの子ども向けトラブル防止セミナーの講師をやっています。
昨年あたりからCOVID-19の関係でか大手企業が普段なら講師を出してくれるエリアで断られることが多くなったのか、だんだんと遠くの学校へもお座敷がかかるようになりました。市内ではあまり知られていない活動なのに、今年度に入っても、塩沢、堀之内、小千谷と続いています。
んで。
昨日、帰宅するとこんなピンバッヂと筒が届いていました。
そうか、たくさん講師に出ると、褒めてくれるのか(笑)。
考えてみれば、感謝状なんてものをいただいたのはずいぶん久しぶりかもしれません。
さて、次の「お座敷」は妙高市の予定。市内でやる前にこの本数市外でやるのは今年度がはじめてなのですが、出張が激減した今、ちょっとしたおでかけの機会は貴重。たとえそれが長距離でも日帰りだったり、泊まりでもホテルから一歩も出ずコンビニ飯だったりしても、なのです。
やっぱり人って、いろんなひととやりとりしたいものなのだなあと、あらためて思う今日この頃。
はやくあまり気兼ねなく、ひとに会いに行けるようになりたいですねえ。
市内小学校の運動会集中期間も、たぶん今日でおしまい。
土曜日の悪天候で延期になった学校で、今日開催のところがあるのだけれど、朝方は雨だったもののきれいに晴れ上がって、楽しめるんじゃないかなあ。グラウンドがすこしぬかるんでも、そのかわり転んでも痛くない(笑)。
そんなふうに、いろいろポジティブに考えられると、いいなあ。
さて。
うちのばあさまに「ごあんない」が来て、無事COVID-19対策のワクチン接種日が取れました。
Webサイトがつながらないなんてこともなく、枠が「蒸発」してずいぶん先までとれないなんてこともなく。
ほどよく空いている。田舎町に住むというのは、いいですよ。
そんなこんなで、おはようございます。
わざわざ海岸まで、夕陽をみにはいかないけれど。
それでも、台所の窓の向こうに見える、カドの廃工場の窓の光りで夕焼けがわかる。
そろそろ一日もおしまい。
土日と、下の子のサッカーの試合がありました。
半分以上一年生で臨む試合はなかなか毎回厳しいのだけれど、先輩のお父さんに「結果はともかく、毎試合ちゃんと進歩しているのが見えてすごいと思う」と言ってもらってずいぶんと気がラクになりました。
どんどん勝ち進んでいけるのは、一握り。なかなか勝てない数多の子たちにも、学びもブレイクスルーもあるわけで。
そういうの、楽しみに眺めたいと思います。なにせ、あっという間におわっちゃうのだから。
・・・と、一人暮らしをはじめてしまった上の子の不在を思ったりもしながら。
いちにち、おつかれさまでした。
雲の間の細いところに、まんまるく夕陽がはいっていると、なんだかモビルスーツだなあと思うし、半目だとケロロ軍曹とかを思い出したりします。そういえば、この2作品、よくかぶってるなあ(笑)。
さて。
そろそろ、地元の知り合いでも「予防接種一回目終了」のひとが出てきました。
今の接種者は「高齢者」の方たち。昔からつきあいのあるダンディなオヤジとかが接種終了とか言っていると「え、あなた高齢者扱い?」とびっくりしたり。
僕が子どもの頃には、確かに40は中年オヤジで60はジィサンだったと思うのだけれど、今そうでもないなあと思うのは、自分がそういう年齢層に足をつっこんできているからなのかもしれないなあ。いや、そういうみなさんはあきらかに「若い」し、アクティブな方たちなんですけどね。
そんなこんなで週末もおわり。
意識を失うように寝て、またあたらしい週です。おやすみなさい。
たとえば。
高松旅館のあたりから姫川港方面を眺めたとき。
みやまの里前の坂道、高速道路をまたぐちょっと上のあたりから海を眺めたとき。
ちょっと思ってたのとちがう風景に遭遇する場所があちこちにあります。
おもったよりデコボコがあって、おもったより道はまっすぐ東西南北じゃないので、おもってたのとちがう方向に「アレ」があったりする。
きらら青海の壁が夕陽に照らされているのを見ると、それも「案外高い」とか「案外近い」なんてしみじみ思います。
曇り空の雲の切れ目に、ちょっとのぞいた夕陽にてらされる建物。
夕陽が仕事帰りに間に合うようになってきました。だんだん、陽が長くなっていくなあ。
今週も、おつかれさまでした。
自転車での移動の途中、踏切の警告音が近くで鳴り始めました。
そうか、「汽車」が来るのか。じゃ、一枚撮っておくか。そんなことを思って、線路脇の草むらでの一枚。
ど真ん中に一両編成のクルマ。いわゆるヒノマルってやつで、なんの工夫もありません(笑)。
世の中では、「撮り鉄」が相当に世間のひんしゅくを買っているらしいけれど、写真撮りなんて基本みんな邪魔なもの。まつりに熱中してるひとたちの鼻先にフードつけたレンズで突進したり、紅葉の美しい湖で対岸から「どけーーー」と叫んだり。まあみなさん自分勝手です。
僕は、そういうガツガツしたところがないのが困りものでもあるのだけれど、写真は日々の暮らしの句読点でいいんだよなとも思う。
そういえば、メールなどのやりとりでだけ数年前多少関わらせて貰った写真部がある、小千谷西高校さん。
先日ひょんな用ではじめてお伺いしたのだけれど、廊下ですれちがった高校生にいきなり「こんにちは」と何人もから挨拶されて「を、イマドキの高校生、ゲストに言われなくても挨拶するんだ」ととても驚きました。今年も総文祭出場がきまっているそうで、たのしい写真を撮ってきてくれるといいなあ。
それにしても、ここしばらくロクに写真を撮っていません。いくら「句読点」とはいえ、たまには撮らないとね。
そんなこんなで、おやすみなさい。
本当に久しぶりに泊まりの出張に出ています。とはいえひとりでのクルマ移動という個室、しかも行き先は県内なのでこじんまりとしたものなのですが、やっぱり家の布団じゃないところで寝ると、疲れる。これも、トシということ。
さて。
今日と明日は勤務先の「社会貢献」みたいなことの一環として、ご近所での仕事のついでに高校に寄って授業をしてくるという一泊二日。
事務局からの講師依頼は、糸魚川市内かせいぜいが上越市・妙高市くらいまでのエリアだったのですが、最近はこのセミナーの講師をボランティアで学校によく派遣されていた大企業のみなさんの移動制限が厳しいらしく、妙に遠い学校へのお座敷もかかるようになりました。
今日は堀之内。明日は小千谷。そういえば、タケちゃんマンの歌をききながら「そうか、タケちゃんまんは鮎のヤナのある場所にも出没するんだなあ」と思ったりしたんだっけ。
高校での講師は今年の春から3校担当していますが、接遇してくださる校長先生とお話させてもらっていると、あらためて「校長先生、おもしろいひと多い」とつくづく思います。現役の高校生だった何十年か前には、校長先生はすごく年上だったし、威厳もあったし、ありていに言ってしまえば「けむたいヒト」だったのだけれど、今となってはほんのすこし年上の方。しかも、子どもの頃に思っていたよりはずっと柔軟で、いろんなものを取り込もうとする熱意も感じて、なんだかびっくりしてしまいました。
僕の見方や立場がかわっているだけじゃなく、学校そのものが、ずいぶんとかわっているのだろうな、と。そんなことを実感するのも、楽しい出張なのです。
さあ、明日もういちにちがんばります。
近畿・東海では梅雨入りしたとみられるとの発表。
糸魚川でも今日は雨。来週はずっと雨模様のようで、そのうち梅雨入りなのだろうな。
ウチの入り口、コンクリートの階段の割れ目から出てきた草も、しっかり花が咲きました。
こういうところだと、晴れの日よりも雨の日のほうが、元気。これもこの季節ならでは、だなあ。
さて。
新潟方面から上の子が市内までフィールドワークに来ていたようで、美山の陸上競技場でサッカーの試合をやっていた下の子のピンクのユニフォームの後ろ姿を見ながら移動していったそうです。
フォッサマグナミュージアムを見て、根知でフォッサマグナの路頭を見て、そのあと須沢の浜で石拾い。
小学生の遠足と、大学の理学部のフィールドワークがおなじコース。これは、うちのまちならではだなあとしみじみ。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
海の近くの花たち。ハマヒルガオも、ハマナスも、ぼちぼち少しずつ咲き始めました。
須沢のパターゴルフ場の練習用バンカーも、アゴのところにハマヒルガオのコロニーが出現。あっちこっちで、そのうちいっぱい咲くようになるのだろうな。
さて。
今日は、ご近所小学校の今年はじめての朝読書でした。
去年なら「市内でCOVID-19の検査陽性者が出た」となると全部中止になっていたんだろうな。今年はそれが粛々と実行。濃厚接触者をあたって数人陽性者が増えるのは折り込み済み。それは要は「きちんと追えている」ということだものね。
あのものものしい防災無線での放送は、正直騒ぎ立てるひとたちを扇動するデメリットの方が大きそうなので、やめてほしいとは思うのだけれど(苦笑)、なにも情報を出さないのよりはいいことなのかもしれません。呈示された情報で右往左往しないように対応スキルを身につけるから、ちゃんと情報を出して欲しい。それが、望むべき姿だものね。
予防接種のスケジュールも「接種券はこの年齢のひとはいつ、その下のこのトシのひとはいつ」と、65歳以上の方の分は昨日きちんと発表がありました。僕らも、情報処理のちからを、みにつけよう。ほんと、そう思います。
5月も半分おわりましたね。今週も、おつかれさまでした。
だいぶ、夕陽をあびた影もたくましくなってきた稲。
こうやって水鏡が見られるのもあと少し。連中はあっという間にでかくなるからなあ。
さて。
今日は新年度はじめての小学校の朝読書にいってきました。
出たばかりのウイルスの図鑑をみんなで見ていたら、電子顕微鏡でのウイルス写真が本当は色がないことへの「なぜ」を説明しろと要求してきた小学5年生登場。光の波長とか、確かに説明はできるものの小学生にはチト難しい。でも、こういう「?」を即言えるのって、いいなあと思う。
図鑑で見たSARS-CoV-2に翻弄される日々。糸魚川はほとんど検査陽性者がいないだけに、陽性者がまいにちたくさんでるまちのことはどこか別の国のように感じられることもあるけれど、「実際の対応」をするわけではなくニュースを眺めているばかりなので、逆に一年遅れくらいの感情的動揺が隠せないひとたちもいます。
きちんと知って、必要な対策を取る。逆に言えば「おまじない」みたいなことをしない、させない、みにいかない(笑)。
そういう意味では「なぜ?」を問い、「へー」と言うこどもたちがいるということを、とても心強く思うのです。
さあ、今日も「ふつう」を探して。おはようございます。
先週土曜日は、毎月第二土曜日の土よう子ども会。きらら青海のアトリウム(図書館前のロビースペース)で絵本や手遊び、エプロンシアターなどの小学生・幼稚園くらいの子向けの一時間くらいの会です。
で、写真は土よう子ども会とはまったく関係のない、きらら青海アトリウムのコインロッカーです。
現在、「故障中」の紙がはんぶんくらいのコマに貼ってあり、横一列のビンゴ達成状態。
故障中のところは当然鍵はついていませんが、つかえるそれ以外のところも鍵が抜けている(つまり使用中)の状態はほとんど見たことがありません。
これを見て、いつもいろんなことを考えてしまいます。
まあ、最初に思うのは「直せよ」ってこと。もうこの状態で何年もそのままになっているわけで、確かにいくつかの場所は使えるものの、これはみっともないよね。
で、はたと思うわけです。
「ほとんど使われていないようだし、じゃ撤去」となったとき「はんぶんでも使えていたのになくなるのは困る」という声が出てくるかもしれない。
ほかにも「いまどき扉が透明で預けた中身がみられるものはプライバシー配慮や防犯の面でよくない」という声もありそうだし「そもそも公共施設のコインロッカーは、あけたらお金戻って来るのが今は普通だよね」という話しも出てくるかもしれない。
撤去するかしないか。
かわりを用意するかどうか。
そもそも使っているひとがどれくらいいるのか。
(公共施設だから)利用者が少ないにしても、使うひとにとってはどれくらい切実な「要る」なのか。
たぶん、撤去しても、新しいものにかえても、そのまま運用でも、なにか言うひとは出る。
答えがひとつではない行政の検討の、すごくちいさなことだけれど、典型的なケースのひとつだなあと、そんなことを思ったワタクシなのです。
そんなこんなで、今日もおはようございます。
連休中戻ってきていた上の子を就学先まで送るついでに、市松模様に席が間引きされたスタジアムでサッカーのゲームを見てきました。
考えてみれば全員がおなじ方向を向いていて向き合うことはなく、席も離れていて、大声で応援したりもしない。
みんな、言われたとおりに拍手だけで見ているわけで、こういうのちゃんとみんなが聞いているのって、すごいことだなあ。
んで。
写真は、左が連休はじめに戻ってきたときに子どもが煮た苺ジャム。右が戻る前日に自分が煮たブルーベリージャム。
ちゃんと日々喰えよ、メシ(笑)。
というわけで、感染防止に気をつけて、でも「なにもかもしない」ことはなくちゃんとできることを探しながら。
「ふつう」の暮らしを模索します。
試合中にネットを越えて出て行ってしまったボールを拾って戻してくれるのは、たまたま近所をウオーキングしていたおじいちゃん。
ご近所妙高市のサッカー場のひとこまです。
スポーツ施設にスポーツするひとだけが集うのではなく、そこが公園で、のんびり普段着で散歩しているひとたちもいて「おうおう、こどもたちがんばってるな」とか眺めてくれている。こういうのって、なんだか幸せなことなのだろうなあと思う。
いつもだとまじわらないひとたちが、普通になにかやっていてなんとなく接するような仕組み。こういうものがたくさんあると、微妙に知り合いが増えて日々が豊かになるのではないかなあ。
そう考えると、こういう施設をどこに作るか(どこにあるか)というのは、かなり重要なことなのかもしれません。
糸魚川のように、海山近接地域でいろんなところにすぐ行けるけれど、逆に言うなら平地が少なく、なにかをまとめるのが難しいところであればなおのこと。
そんなこんなで、たのしい晴れ間でした。
ご一緒したみなさん、おつかれさまでした。
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