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ここのところ、300名山を歩いて踏破する「グレートトラバース3」が、富山から岐阜長野とそのあたりを回ったときの様子を朝に放送しています。
自然とこの話題をあちこちですることが増えているのだけれど「そういえば、青海の黒姫はどうだったの?」と聞いたら、地元の山のひとたち曰く「去年の春に、黒姫登って、長野屋さんでお菓子かっていったよ」とのこと。あらためてサイトを見てみたら、放送はもうすこし先になりそうで、忘れないようにしなきゃ。
https://www4.nhk.or.jp/greattraverse/
というわけで、今日の写真は海谷渓谷の雨飾登山口。まだまだ雪のない秋の季節なのです。
今日もお疲れ様でした。
今日は、糸魚川の夏の風物詩のひとつ、能生・佐藤菓子補さんのかき氷の最終日。
いくつかのフレーバーはもう売り切れ。僕らが頼んでいる途中にも、あらためてひとつが売り切れになる最終日は、小雨交じりだったこともあり風が通り抜ける外のテーブルでではなく、テイクアウトを駐車場で食べることになりました。
まあ、仕方ない。コロナのとしのなつだもの。
自分は、ベリーベリーベリー。その他、キャラメルとか、いちごにおだんごとか、宇治ミルクとか、家族でたのしみました。
来年は、真夏のジリジリ暑いときに、外でガラスの器でがっしがっしといきたいなあ。
というわけで、今年は今日が「たべはじめ」で「たべおさめ」。
今年もごちそうさまでした。
雨さえ降らなければ、ここでこんな時間帯に、一本ぷしゅっとあけて、軽く食事なんていいだろうなあ。
そうはいっても、朝晩はだいぶん涼しくなりました。
長年大事に使ってきた E-P3 がこの一枚前の写真を撮ったあと起動しなくなり、そのあとの散歩ではスマートフォンで。
直るといいんだけどなあ。
というわけで、今日はけっこうにひどい夕立でした。
雨に遭った方、おきのどくさま。ちょっと時間がずれて遭わなかった方、よかったね。
行き先をかえて実施することになった、小学生のコドモの修学旅行説明会のあった夜。
いろいろ面倒な問題が多い時期に、あえて「いろんなひとの仕事をみせてもらいにいく」プランを組んでくれた先生方、受け入れてくれた職場のみなさまがたに、本当に感謝しています。
この写真、海はどこまでで、どこからがソラでしょうか。
実は、この写真の上半分の青っぽい部分にソラはありません。緑っぽいのも、その上の青いところも、両方海なのです。
川から注ぐ水は、今日は濃いコーヒー牛乳色。まざるのに時間がかかるので、しばらくは二層三層に海は色分けされます。
そして、遠くに台風があるからか、暑くてしかも強い日差し。色がなんだか濁った海じゃないみたいに見えてきます。
このあと、近づいてくる台風10号。こちらは通らないそうだけれど、先日の9号がものすごく遠いところなのにとんでもなく強い風を吹かせたように、ちゃんと一応は心構えをしておきたいと思います。
直撃コースの地域のみなさんはなおのことご注意を。
すこしでも被害が小さいことをお祈りしてます。
毎年「たくさんの親子にとってサッカー観戦が日常になるように」催されているバスで県内各地から行く観戦モニターツアー。
今年は初夏の頃の分はCOVID-19絡みで中止になっていたので、この日の長崎戦が今シーズンようやく二試合目の開催でした。
リスペクト・フェアプレイデイズのゲームということで、差別などを容認しないという宣言が両チームの選手から行われ、一生懸命頑張られているのにいろんな場面でもの言われることの多い医療関係者の方への差別へのNoも強く呼びかけられました。
この日は上限5000人の観客を入れたゲームで、入場者数は4975人。となりのひととの間は3つ空き席が設定されているようで、それでもがらんとした感じはなく、充分に熱いゲームを楽しむことができました。
チャントなどの声にかき消されずにプレイヤーの声が聞こえる分、かえってサッカーに集中するにはいい環境かもしれません。
手洗い、マスク、スタンドでの飲酒・大声での応援や指笛などの禁止など、例年に比べていろんな意味での制限がある観戦。
でもその一方で「だから不要不急のものは辞めてしまえ」という不要不急扱いされる分野のひとにとってはおおいに異議申し立てしたくなる状況をちゃんと脱して行きたいひとたちの、いろんな工夫と挑戦があるのを見て、なんだか勇気づけられました。
把握し、手に入れた新しい知見・知識をもとに、やっても問題がなさそうだとわかってきたことはどんどんやっていこう。
リスクの最小化を目指す一方で「ゼロリスク」なんて荒唐無稽なことを目指す態度や、「ゼロリスク」をほんの少しだけでも冒すことを異常なまでに非難することもやめよう(特に田舎町での外から訪れるひとたちに対してのこの態度は、今後何年も、何十年も、僕らに対してしっぺ返しをするはずですから)。
あたりまえのことをあたりまえのように。できる範囲で。
その「できる範囲」を模索することが知恵なのであって、そこを考えないというのは、大人の敗北なんじゃないか。そんなことを思うワタクシなのです。
海面に出てくる模様を「潮の道」と呼んだのは、以前糸魚川での音楽ステージをいくつか企画いただいた仙道作三さんでした。
道ってのは、どこかにつながっているもの。
どこかへ出かけるときに通っていくもの。
はやく、COVID-19の位置づけの見直しがないかなあと強く思います。
ゼロ感染を狙うための「○○禁止」。
中には、やってもやらなくてもほとんど有意差のないようなことを「感染防止のため」と禁止するようなことがやまのように行われています。爆発的拡大の抑制フェーズならともかく、既にある程度広がっていて、なおかつ以前考えられていたよりも重篤化比率が低いことがあきらかになった今の状態では、「いつ誰が感染してもおかしくない」を悲観的に捉えすぎずにあたりまえにするしかない。
インフルエンザに罹ったひとに「どこでなにをやっていたから感染したんだろう」と糾弾するひとはあまりいません。感染のモトになった「接触」をリストアップしろといっても、ありていにいってしまえば「なぜ感染したか(またはしなかったか)」はわからないというヒトのほうが圧倒的に多いでしょう。おなじ扱いになるべきです。たとえば、幼稚園に「ノロが○人出ています。注意してください」とおなじように「新型コロナで3人休んでいます。みなさん気をつけましょう」とか、場合によっては学級閉鎖があるとか、その程度の「ふつう」の反応。
未知の、怖くて怖くて仕方なかった時と今では、僕らが手にしている情報はちがいます。だから、おなじ対応には共感できません。
病気の位置づけは、変えるべきです。
ちゃんと気をつけた上で、もっと「ふつう」に動きましょう。
これは「ふつう」でいいかどうか。考えを止めずにきちんと再検討しましょう。
もう、そういう時期だと思うのです。
おとなり大潟では38度を超えたという今日、外に出るとなんだかしんどくて「猛暑日になったら祝日になる法律とか、できないかなあ」と思わずつぶやいてしまうような一日。
さて。
今読んでいる本の中で「植物の実は実ると勝手に地面に落ちるようになっている。だから翌年も発芽できる。米や麦などの穀物は、自動的に落果すると実がちいさくて食べるのがとても大変なので、落果しない突然変異を選択して育てたものだ」という説明がありました。
確かに考えてみれば、実が落ちないってのは理にかなってない特徴だなあ、と。
あたりまえだと思っていることを、ちがう視点で切り取ってみせる話しに遭遇するのは、おもしろいもんですね。
というわけで、写真はそろそろあちこちで稲刈りがはじまった田んぼにて、すっくと立つサギ。連中は、暑くないのかなあ。
一日おつかれさまでした。
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