責めれば、隠す
そりゃそうだよなあ。そう思ったのが昨日の新潟市でのCOVID19陽性の方をめぐるニュース。
「無職と申告してたけど、実際にはキャバクラ勤務だとあとから明かされた。顧客名簿がある店じゃないので店名をあげて注意喚起」というものでした。
確かにそりゃあこのニュースを見て「ちゃんと言えよ。ここからもっと広がったらどうするんだよ」と思わなかったかといえば嘘になります。でも、職を隠そうとした理由も、わかる。
「若いヤツは無責任だ!」「夜の町の連中のやることはひどい!」等々、大量の罵倒が出てくるのは間違いないこと。都市部のように感染者がたくさん出ているわけではない分、毎日の「一桁人」の陽性判明のひとへの注目度は高くなるわけで。
罵倒は、気持ちいいことかもしれない。「正義の担い手」として、自分自身を自分の中で君臨させることができるわけだから。
ただ、その小さな自慰的正義感は、感染に遭遇したひとを「隠せるものなら、隠してしまいたい」という方向へと駆り立てる。
「はやくよくなってね」とみんなが言っているほうが、ずっと感染者のひとはいろんな情報を地下に潜らせようとはしないし、そうなれば「見えないリスクの増加を抑える」という形で僕らみんなのメリットになります。
責めてあそぶのは、僕ら全体が直面するリスクを増加させます。
みんなで「はやくよくなってね」と言えるようになろうよ。
あらためてつくづく思う、そんなニュースでした。
「正義遂行の気持ちよさ」から、僕らがちゃんと自由でいられますように。そんな意思を持って暮らすことができればいいなと強く思います。
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