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2020年4月30日 (木)

案外と、近い

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 海の上の距離は、オカからみていると案外と近く見えます。
 投げ釣りで「ふんっ!」とものすごいイキオイでなげても、けっこうすぐ近くに「ぽちゃん」と落ちているし(それでも100mとかラクに飛んでいるのだけれど)。

 大きな船も案外近く見えるなあ。そんなことを思う夕方。

 須沢シーサイドパークは、例年にくらべて来られる方は少ないものの、GWということでそろそろと一騒ぎしてゴミを散乱させていく輩が出没しつつあるようです。バーベキューなどをしにくくということで、水場だけ閉めることになったとのことですが、ここは地域の人にとっても距離をとりつつスポーツや外遊びができる重要な場所。過剰な制限で、なにもかも使えなくするようなことなく、うまくCOVID-19との距離感を作っていく必要があるんじゃないかと思ったり。なにせ、あれだけ恐れた2009年の新型インフルエンザも結局押さえ込むことはできず、例年冬に流行する「A型」になって我々と共存しているわけで、撲滅を夢見るよりは、クスリやワクチンなどをまちながら「いかにはやく共存体制を作るか」が問われているように思います。そうじゃないと、みんな暮らせなくなっちゃうよ、きっと。

 出口戦略が見えない中「緊急事態宣言延長」のニュースを聞きながら、そんなことを思うワタクシなのです。

2020年4月29日 (水)

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 曲がってるなあ(笑)。
 海の近く、強い風でまっすぐ育てない防風林の松。

 風がそこそこあるから、カラダを動かしているひとたちの間の飛沫も、すぐに空気が入れ替わっているんだろうなあ。

 確かに接触削減は大事なんだけどさ。でも、「他県ナンバーの連中が来てる!」とか、みんなちょっと神経質すぎるよ。
 心がける。でも、貶めたり罵声をあびせたりしない。
 酷すぎる対応もしない(咲いている花を刈ったり、どこもかしこも駐車場ロックアウトしちゃったり)。

 そして、なにより頑張ってくれている人たちへのありがとうの気持ちを持つ。
 休業してくれているひとたちは生活に直接打撃のあるお休み。「休まないのはおかしい」じゃなくて「休んでくれてありがとう」「休んでるひと、申し訳ない」方面に行くのが、ひととしての情ってもんじゃないかと思うワタクシ。
 自粛警察のようにあちこちまわっては通報だの貼り紙だのしているのもまた、立派な「接触機会の拡大」じゃないのかね、まったく(毒)。

 そんなことを考えているうちに、少々ささくれた気持ちになっていたりするのだけれど、そこをまず自分でほぐさないとね。
 では、おやすみなさい。

2020年4月28日 (火)

かえりみち

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 誰もこないでね。いつもと逆のことをよそのひとに御願いしながらも、でもいつも通りにするところ、できるところはいつも通りに。
 それは気持ちの上での健康のためでもあり、いつが本当の「いつもどおり」に戻ることを願う思いでもあります。

 というわけで、今年の弁天岩のこいのぼり。
 上越での仕事の帰りのスナップ。

 ついでにほかをまわるとか、そういうことはしばらくやめて、本当に用があるときだけピンポイントで行き、一段落ついたら帰ってくるという仕事。その分、ある意味無駄な移動時間はできてしまうけれど、移動中に聞くラジオは楽しいのです。
 今日の行き帰りは古い落語。先日の神田伯山と太田光が寄席演芸を紹介する番組を聞き、おなじ話をほかの噺家さんでまた探して聞く。

 延々やってる煽りばかりのワイドショーより、よほど「ちゃんとCOVID19の対策をやろう」って気分に、なるものね。

 では、また籠もります。
 みなさん、すこしでも楽しくするおこもりせいかつを。

2020年4月27日 (月)

クラブ活動

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 ここのところ数年、ご近所の小学校でプログラミングクラブなるところに顔を出していました。放課後の「部活」ではなくて、ときどき授業の枠である僕らが通っていた頃のいわゆる「必修クラブ」みたいなもののようです。
 ただ、小学校くらいのウチはプログラミングなんかやるよりもっと面白いコトがあるだろうと思う「業界人」らしくない僕にとっては、同時にほかの教室でやっている、たとえば「科学実験クラブ」とか、そういうところのほうが面白そうで「あっちのぞきたいなあ」なんて思った締まったりします。
 今年は、別の小学校からも声がかかっていたのだけれど、そこでは「実は珍しいのもいっぱいある、砂浜の植物をいろいろ調べてみよう」なクラブが予定されていて、それ、オレもいきたい(指導できないけど、参加したい)とか思ったりしていました。

 例によって、COVID-19絡みで今年の市内ではいろんなものが中止になり、クラブも通年でなしになったとのこと。
 海岸の植物、詳しい地元のジィさんにおしえてもらう機会が、ちゃんと来年にはあるといいなあ。そんなことを思うワタクシなのです。

 というわけで、写真はご近所の砂浜の草。草っ原の花ではなく、砂浜の、水気がちゃんとしょっぱいあたりにコロニーのような緑があって、そこに咲いていたりします。今の時期からの砂浜の花は何種類もあるので、人に近づかないようにのんびり散歩で探すにはかっこうのタネかもしれません。

 のんびり、群れずに。そんなネタをすこしずつ拾いながら、変化のない日々を楽しくしないとね。
 では、みなさんおいしいお昼ゴハンを。

2020年4月26日 (日)

飛び込む

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 じゃぼーん。なんだか、そんな音が聞こえてきそうな流木。
 プールの飛び込みというよりは、淵に飛び込む遊んでる子みたいに見えました。

 昨日はそこそこあったかかったのに、今日は予報に反してずいぶんと寒い雨の一日。
 荒れた天気の翌日は、けっこう砂浜の雰囲気がかわっているのかな。

 まったく「GWがはじまった」っぽさのない週末がおわり、また明日から仕事。
 ふつうに、ふつうに。

 おやすみなさい。

2020年4月25日 (土)

汗ばむ土曜日

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 今日はほんとうにあたたかい日で、ご近所グラウンドで距離を取ってスポーツしているひとたちも、うっすら汗をかいているような感じ。さすがにもう、あちこちの田んぼに水がはられはじめる時期だし、それくらいあったかくなっても、いいよねえ。

 んで。

 テレビでは「要請があってもまだ営業しているパチンコ屋に大行列」だの「梅田が廃墟みたいになってる」だの、人の多い・消えたの話題が騒がしいです。だけど、考えて見れば「ここ、人が減ったなあ」と実感するような場所に出かけていないだけに、減ったとか増えたとか、そういうことを感じること自体が薄い感じ。変な言い方ですが「あずかり知らぬところでおきている出足の変化を、遠いところのできごととしてテレビで知る」という感じ。

 個人的には、ウチのあたりはもともと人が密集するようなことのない密度のところなので「いつもとおなじひととのやりとり」が、いつもくらいの密度で行われているのであれば、特に新しい変化はない。そういう意味では「田舎で良かったなあ」が続いています。
 正直なところ、遠いところのナンバーがうじゃうじゃいれば「どうなの?」と思わなくもないけれど、ぽつりぽつりと見かけるくらいであれば、犯罪者のように目くじらをたてて「大声を出す」のだっておなじくらい高リスクじゃんと思ったりも。

 自戒しよう。そして、自戒の恨みを他人への「オマエばっかりズルい」につなげないように、寛容になろう。
 そういう意識、きっと大事なはず。

 おおらかに、おおらかに。そう意識しての週末を過ごしたいとおもいます。

2020年4月24日 (金)

籠もる準備

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 昨日は夕方、実に3ヶ月ぶりくらいに樵カフェへ。
 県の要請を受けて、今日から5/8までお休みということだったので、すこし豆をわけてもらってきました。

 正直なところ僕の舌は腐っているので、せっかくマスターがいろいろ気を配ってくれる香りの差、味の違いはよくわかりません。利きコーヒーをやれば全部外れると思う。これは大好きな日本酒でもおなじで、よく五蔵の酒を楽しむ会の利き酒で外しては、加賀の井の先代に「西澤くん、ウチのと○○、似てる?」とか怒られたものでした。
 仕事として商うのであれば、きちんと見極められないといけない。でも、客だもの。うまいとまずいだけあって、うまいの出して貰って「うまいなあ」とにこにこしていればいいってのは、客の特権だなあ。そして、いろんなのはあって、確かにそのたびにいろいろちがうのだけど、ちゃんとみんなうまいってことを信頼できるお店ってのは、ありがたいなあとも思うのです。あとは、自分よりずっと見極められるひとにまかせて、出して貰ったものに「うーん、うまい」と言っていればそれでいいんだものね。

 そんなわけで、分けて貰ってきた豆の袋に書いてある日付は焙煎日。焙煎したてだから出る味もあれば、熟成期間が必要なものも、二回にわけて焙煎したほうが「おもしろい」ものもあるのだとのこと。そこをこだわるから、2週間の休みは相当の豆のロスが出るはず。もったいないけれど、熟成のためにその日数が必要という豆以外はマスターは全て店には出さないことにするはず。そんなお店での3/2焙煎なので、これはちゃんと意味のある1.5ヶ月なのだろうなと、そんなことも楽しみにしています。
 Ruby Mountainはベトナムの農園の豆とのこと。去年の暮れにホームステイに来てくれたベトナムの子のことを思い出したりしながら、連休中すこしずつ楽しみたいと思います。まあ、マスターが淹れるようにはいれられないけれど、それは再開後の楽しみにするということで。

 さて、籠もる連休直前。仕事、がんばって片付けましょう。

2020年4月23日 (木)

ニュースの遮断

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 会社の休憩室では、お昼休み時間帯ニュースショー的なものを見ていることが多いのだけれど、見ているとどんどんとハラが立ってきます。
 よくもまあ、いろんなことへのあら探しを並べているなあ、と。
 数日に一度、30分ほど見るだけだからいいのだけれど、終日家にいて、ずっとテレビをつけっぱなしにしているひとは、たぶん精神が病んでくるのではないかと思うくらい。
 こんなときは、東日本大震災のときにあえてケロロ軍曹を流していたテレビ東京のように、そろそろ新型コロナ絡みの全方位苦情モードから脱した発信をする局が、出てくるといいのになあ。まあ、テレビを消してラジオをつけるだけでもずっと精神衛生上いいんじゃないか。そんなふうに思います。

 んで。

 「新型コロナ」を扱う文章を読んでいると、COVID-19 と SARS-CoV-2 という表記がどちらも登場するのでよくよく見てみると、新型コロナウイルスそのものは SARS-CoV-2、新型コロナウイルスによる感染症(病気)は COVID-19 と言う正式名称が与えられたということなんですね。いわば HIV と AIDS の関係。
 最初「なんで息絶えたSARSウィルスの話がこの論文で触れられているんだろう」とか勘違いしていたのですが、このあたりきちんとわかって読んでないと、なに書いてあるかわかんないものなあ。

 というわけで、写真は10日ほど前の、青海・桜ヶ丘の大きな桜の木の下に寝そべってのいちまい。
 けっこう大変な時期。けっこう大変な状況。だから、気分くらいはのんびり方向にすこし引っ張ろう。そんなことを願って載せてみました。

 午後からも「多少はのほほん」な一日を。

2020年4月22日 (水)

魔物のちから

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 岩手県だけ COVID-19 の患者さんが出てこないのは、もしかしたらカッパが守ってくれているのかもしれないよ。
 そんなことを冗談で言っていたことがありました。
 写真は、親不知のピアパーク内にある 漁火 のトイレのカッパ。おそらく野崎遊河童さんの作品のはず。

 きっとここも、河童の結界に守られているんじゃないかなあ。
 そんなわけで、ご近所の仕事のついでに平日限定の500円ランチ。ここのゴハンはなんだか支払いのとき申し訳なくなっちゃうくらい、なんともおいしい海のゴハン。小鉢の魚の煮付けのホネ周りも、おいしかったなあ。

 ごちそうさまでした。
 さむい一日だったけれど、こういうのは、うれしい。そんなちっちゃいうれしさを積み重ねていきたいなあ。
 願わくば、ささやかな「地産地消」とともに。

2020年4月21日 (火)

一か月

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 2月の半ばにちょっと体調を崩してから、久しぶりに近所の総合病院で月イチの診察を受ける日々になりました。
 月イチということは「次に来るのは一ヶ月後」ということ。あたりまえのことだけれど、前に来たのは一ヶ月前なわけで、普段なら「桜が咲くな」くらいにしか感じない一ヶ月の違いが、この2ヶ月ほどはあまりにも大きいわけで。

 2月、最初にいったときはまだCOVID19は「たいへんだねえ、豪華客船」の世界。
 3月の診察のときは、市中でマスクは買えなくなっていたけれど、病院の自販機では買えるくらいの払底度。この頃にはもう面会は禁止だったかもしれません。
 そして、今月は院内のマスク自販機は停止。待合室ベンチはすべてこのように「ここすわらないで間空けてください」の×があちこちに。確かに多くの患者さんがいる時間帯なのだけれど、それでもいつもよりはひとの少ない病院ではありました。トイレなどの注意喚起の貼り紙もずっと数が増えているし。

 今の「ふつう」がこうなってしまうと、だいぶ前からこうだったような気がしてしまうのだけれど、こうやって一ヶ月に一度しか来ない場所にいくと、毎月どれくらい状況が変化したのかをあらためて感じます。

 今月は、もっと気をつけようと思う。その一方で、先月はもっとユルかったよなということをきちんと覚えていたい。ならば、今の基準の「もっと気をつけるのがアタリマエ」を先月にあてはめて、不幸にして感染したひとを極悪人のようにそしることもしないだろうし。

 確かに、積極的に感染拡大に動くのはやめるべき。でも、感染してしまったひとには優しく。
 そんな社会が、いいなあ。そう思うワタクシなのです。

2020年4月20日 (月)

呑み屋のゴハン

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 はるか昔、オヤジが呑んだあと寿司折りとともに帰ってきた頃から「呑み屋のおいしいもの」はこどもの憧れ。
 だけど、酒を頼む店のゴハンだし、テイクアウトをしていないところがほとんどだから、そんなの楽しむことができないわけで。

 娘の同級生の親御さんのお店は、泉家さんの卵焼きがだいすきな娘が「おいしいんだよ」というと、彼女が「卵焼きはうちのほうがぜったいおいしいと思う」と笑顔で自慢するお店。だから、そのうち食べたいねとずっといっていて、2月頃一回だけ連れて行ったことがあったのだけれど、こんどは下の子が「あの出汁茶漬けをもう一回食べたい」とボヤいています(笑)。

 そうはいってもなかなか外呑みしにくい状況で、あちこちのお店がテイクアウトもはじめています。週末はそんなわけで、四季咲和房いちさんの卵焼き、鶏から、モツ煮を持ち帰り。家族でたまごやきの端っこをとりあい、モツ煮をゴハンにのっけて「モツ煮丼」みたいにして食べ、なんだかとってもうれしい夕ご飯になりました。

 他人との接触8割減のまちでは、外でお酒を楽しみながら大声で話しをするのは、ちょっとお休みなのだとは思う。思うのだけれど、せっかくの期間限定テイクアウトを、日頃は「呑みに連れて行かない」お子さんと楽しむのも、きっと楽しいと思いますよ。

 いといがわバル街
 https://www.facebook.com/itoigawabargai
 さんのFacebookページでは、いろんなお店のテイクアウトや「お昼」の案内をしてくれています。ぜひ。


2020年4月19日 (日)

時々黒姫

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 雪がなくなったのはずいぶんはやかった(というよりほとんど降らなかった)のだけれど、4月になってからは寒い日が多いこともあって、季節の進みはちゃんと辻褄をあわせている気がします。
 とはいえ、桜と黒姫を見比べると、いつもはこの時期もっと黒姫は白いはず。やっぱり、山への「雪貯金」は、今年はずいぶん少ないのだろうなあ。そんなことを思います。

 さて。

 「示し合わせて集まる」ことは避けておこうという気持ちが働いているせいか、近所のグラウンドはあまりひとが集まらず、かといって誰もいないわけでもなく、「あ、こんちわー」くらいの遭遇で、いろんなひとが入れ替わり立ち替わり訪れます。
 数m以内に近づいてツバを飛ばし合うようなことはなく、ずいぶん離れたところでそれぞれがやっているアップや個人練習。
 全国知事会で秋田の知事が「郡部はもともと人が歩いていない」といったのが「自虐だ」と話題になっていましたが、自虐でもなんでもなく、それが日常、だからなあ(笑)。

 「しんどい日々だから、ちょっと公園にでも」と一部のひとが思うだけでわっと人が集まってしまう都市部。おなじことをおなじように思っても「みんなで30mはなれようね」みたいな状況になる田舎町。もちろん、野放図に外出しまくっているわけではありませんし、ちゃんと外出や会食を押さえていることがじわじわと地域のお金の巡りを絞め殺している状態はかわらないのですが、それでも今は、田舎暮らしのよさを感じている。そんな日々なのです。

 さあ、明日からの週で、小中学校の子どもたちはお休みになるのかな。上越・妙高より常に初動が1~2日遅い糸魚川のアクションを待つ週明けになりそうです。
 おやすみなさい。

2020年4月18日 (土)

もういっかい

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 くらい行こうと思っていたゴリラ公園の夜桜。いつのまにかちょうちんが片付けられていました。花もだいたい散っちゃったしなあ。
 今年もちゃんと吊ってくれて、また片付けてくれたみなさん、どうもありがとうございます。
 あれ、ちょうちんの中にもいっぱい花びらが入り込んで、片付け大変なのだよね。

 そんなわけで、ちょっと前の写真を懐かしむ気持ちで。
 桜を見送ると、次は田んぼに苗が並ぶ季節だなあ。

2020年4月17日 (金)

おだやか

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 ふと、谷山浩子「テングサのうた」で歌われた「人間のいない地球」を思い出すような風景…って、写真の中にはひとりはいっておられますが(笑)。

 空いているまちって、いいなあと思う COVID19 な日々。新潟も今日から緊急事態宣言エリアになってしまいました。

 個人的には、たとえば「抜けなくまんべんなく、すべてのひとに○円配る」ってどうやるのかなと思うと、けっこう言うのは簡単でも仕組みとして考えるとどこかにちょこっと届かないところがあったりして、案外難しいなと思ってしまいます。

 いろんなことを押さえ込まないといけないフェーズでは、出てくる施策には必ず不満がつのります。いままでやってよかったことをしないでねとかできないよとかいう話しなのだから。でも、ここでみんなが「さんせい!」というのを待っていたら、どんどん間に合わなくなる。
 まずはやってみて、あとで反省。それが必要な時期なのかもしれません。
 気持ちがささくれだつ時期だからこそなおのこと、寛容に。
 そんな風にできるのいいのにね。

2020年4月16日 (木)

ひとのいないよる

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 もう一枚、夜のゴリラ公園を。
 誰もいない。
 「傍若無人な冷蔵庫」というむちゃくちゃな比喩に「少なくとも傍らに人がいない様子だな」な感想をつぶやく連れ合いがでてくるエッセイみたいな古い小説を思い出すくらい、傍らに人のいない夜。「三密」じゃない夜桜見物ができるって、いいなあ。

2020年4月15日 (水)

ゴリラ公園の夜

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 昨日は、近くの小学校の学校運営協議会。今年度第一回のこのミーティングは、いわゆる「コミュニティスクール」の会議。
 いわゆる「アリバイ会議」にならないように、今年もすこしでも実のある話しと、そこからのアクションをしたいななどと、会議のあとすこしご近所「ゴリラ公園」で桜を眺めながらクールダウンをしてきました。

 ウチからいちばん近い公園は「ひこーき公園」。ここは「ゴリラ公園」。まだいるヤツももう撤去された遊具もあるけれど、こどもたちが呼ぶ公園名は、その公園を印象づける遊具できまります。かつてはたしかキリン?もいたけれど、ここはゴリラ。インパクトあったんだろうなあ。個人的には「彼」の目が、なんだか好きなのです。

 さて。

 今朝、新聞を開くと、ヘタクソな僕の写真をときどき褒めてくれた写真の先輩の訃報が掲載されていました。
 なんだか、せつない、あさだなあ。

2020年4月14日 (火)

桜も雪も

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 となりまちでのスナップは、まだ片付けられていない除雪車と桜のツーショット。
 先日、山口の友人が山間部を越えるときに大雪に遭って往生した話しをしていました。この時期、また根雪状態に戻るようなことはさすがにないものの、山を通るときにはまだ気をつけないといけない季節。だから、谷筋に入るとこんな風にまだ除雪車が置いてある場所もあります。桜が咲く季節なのだけれど。

 さて。

 昨日は上越での仕事のあと、コドモをピックアップしての戻り。
 部活の禁止でいきだけでなく帰り時間帯もこどもたちが集中してすし詰めのトキ鉄なので、まあ乗せて帰ることができる日にはそれもいいかな…なのですが、夕方突然学校からのメールで驚かされました。明日4/14の登校のあと、4/15から五月のGW明けまでまた休校になるとのこと。
 詳しくはどんな状況なのかと思い調べたのだけれど、その時点で県教委のサイトにはプレスリリースはなし。
 夕方6時くらいから速報ニュースが出だして、7時前後には会見の様子がテレビで流れ始めたけれど、実際に県教委のサイトにプレスリリースの掲載は今日の9時を過ぎてから。しかも、学校長向けの本文「臨時休業にします」のみのもの
 確かに昨晩県内ニュースでは拾われていたけれど、たとえば前回の休校時に市町村立の小中学校が足並みを揃えて休みになった記憶が生々しいのに、そちらがどうなるかの記述もなし。会見のほうではさらっと触れていましたが、もっとちゃんと行政自身が「告知」してほしいなと、あらためて思ってしまうニュースでもありました。

 それにしても、なんとか年度の終わりが見えてきて、セレモニーができないという「心情的問題」が大きかった3月の休校に比べて、今回のは「学習の機会の喪失」という意味ではもっと大きな問題がある気がします。異常事態・緊急事態であるとはいえ、これだけ休むなら、そろそろ「かわりにこんな学習のチャンスを提供する」という代替案をちゃんと学校の持ち主が打ち出さないと、どんどん情報強者と情報弱者、個人的にコストをかけられる家とかけられない家で差が広がってしまう。
 学校を「感染のハブ」として、また主に小学校の「託児機能」の点から考えるだけでなく、学びの機会の喪失について、もっと議論があってもいいのではないのかな。そんな風に思うワタクシなのです。

2020年4月13日 (月)

ハービー山口

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 なんだか、毎年このひらせい横の姫川沿いの桜が咲くと、写真家ハービー山口さんを思い出します。
 といっても、彼の作品にはまったく関係がなくて、彼が選者をされていた、もう20年くらい前の写真雑誌のモノクロ写真のコンテストでとても印象的なその月の特選の作品があって、それが木の幹に仮面をつけた印象的な写真だったのです(とはいえ「印象的だった」ことは覚えているけれど、構図とかどんな感じだったかはすでに忘却の彼方(笑))。

 今思えば、この幹につたがたっぷりと絡まっていて、ピンクだけでなく緑も強烈なこの木が、そのモノクロの写真での幹の存在感と重なるのだろうなあ、と。

 そういう、何十年もたって、どんな写真かは忘れてしまったけれど、衝撃を受けたこと自体は覚えているなんて写真は全然撮れないワタクシですが、なんとなく毎年この木には呼び寄せられてしまうのです。

 さあ、月曜日。あんまりひとにあわないように、がんばらなければ(笑)。

2020年4月12日 (日)

桜ヶ丘

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 今日は、桜ヶ丘入り口、カドの桜を毎年とは反対方向に一枚。さしあたり、2017年はこんな感じ(笑)。

 眺めていると、いつもならもうすこし高速道路を走る車は多いと思うのだけれど、トラックなどは減っている気がします。
 「ラストワンマイル」的な宅配は、緊急事態宣言以降、対象エリアでは激増しているそうだけれど、いろんなところのいろんな活動が滞っている分、都市間トランスポートは減っているのかもしれません。

 近所の公園では、けっこう歓声があがっています。風が通り抜ける中、地元の子が遊びに行っても「三密」にならない程度の混み具合。人が少ないせいで困ることも多いけれど、ちょっとしたことで大集中が起きない田舎町はいいなと、そんなことを思う週末なのです。

2020年4月11日 (土)

打ちっぱなし横の一本桜

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 今日は、毎年楽しみにしている今井と須沢の間くらいの姫川沿いの一本桜。
 昔ゴルフの打ちっぱなし練習場があったところの横です。
 今年は雪で折れたりしなくて、きれいだなあ。
 雨上がり、夕方すこし陽がさしたところでの一枚。青空の下もいいけれど、こういう感じもきれいだな。

 さて。

 先日県教委から出た県立高校の部活の5/6までの中止の通達を受けて、糸魚川市の市立小中学校でも今日から課外活動、学校施設の社会体育への開放、市内体育施設への小中学生の立ち入りが禁止。もともと、隣接市町村で罹患者が発生したらこうしようと決めていたことだったはずなのに、月曜日に出て決まるのが金曜昼ということで、けっこうこちらも右往左往することになってしまいました。
 右へならえではなく自分たちで効果を見極めて自分たちで決めるというのが本来の姿だから、もっとはやく決まっているべきだと思う一方、発生状況を考えればほとんど「知らない人・遠くに行き来している人」がまじらない小中学生の社会体育なんかは外でやるならやってもいい状況なんじゃないかと思わなくもありません。
 それだけ「はじめてから判断のもとになる情報がない」ということなのだし、わからないんだから判断基準は安全に振ってというのはわかるのだけれど、ならば知らないうちにいつのまにか漏れるようにお知らせが来るというのではなく、きちんと関連の窓口がはやいタイミングでプレスリリースを出してくれればいいのになというのが、個人的な感想なのです。その部分は、ウチのまちも、新潟県も、決してはやくはない方だから。 

 そろそろあちこちで散り始め。さみしい桜の季節も終わろうとしています。
 もう何日かは、今年の桜の写真を並べていこうと思います。

2020年4月10日 (金)

見送る夕日

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 そろそろ、青海生涯学習センター裏の桜はちりはじめ。ちらほらと花びらが落ちてきています。
 最近、栂海新道 を管理される団体 栂海岳友会 さんが栂海新道ウェブサイト ( https://tsugami.info )を立ち上げられたので、協賛というわけではないですが、子どもを迎えに駅にいくついでに長野屋さんで抹茶きんつば「栂海新道」を買ってきました。長年青海に暮らしていて、こういうお菓子があるのを知らなかったのです。で「栂海新道走破の記念に食べたりするんですよ」というひとの話を聞いて、買ってきたりする、こんな「他の土地の人に教えてもらうウチのまちのこと」ってのは、いろいろ楽しいな、と。

 そうはいってもCOVID19絡みで市外のひととのやりとりを目一杯押さえ込まないといけない状況。
 はやくこういうやりとりがたくさん楽しめるようになるといいなと、あらためて思うワタクシなのです。

2020年4月 9日 (木)

会議は窓をあけて

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 昨日は、毎年恒例8月開催「おばけの館」の第一回打ち合わせ。
 前日隣接する上越市と小谷村でCOVID19感染判明の方が出たということで、3Fの会議室の窓をあけ、ずいぶん席を離しての会議となりました。
 そうはいっても、お化け屋敷は暗くてそれほど広くないところで、怖がらせて絶叫してもらうようなところ。いつもの形での開催は無理だよねということにはなったものの、そのままただ流してしまうのは惜しいということで、時期をあらためてでも、形をかえてでも、なにかできないかなと「あきらめるけど、あきらめない」話をして早々に解散してきました。
 いつもなら21時を過ぎて「そろそろ終わらないと」になるはずのミーティングがはやくおわっちゃったので、ついでに夜桜を撮ってから撤収。

 それにしても、我々市民の側が「やりたい、なんとかしろ」とか言って、役所のひとが「でもそれは上から言われてるのに無理です」というやりとりのほうが多いだろうに、みんながあきらめる中、「なんとかやれる形はないか」と一番声を出しているのが役所のひとだというところに、文化仕事にほとんど全てをつぎ込んでいるMくんの覚悟と熱を感じました。
 そういう仲間がいるのって、ほんとありがたいな、と。

 この状況だと「緊急事態宣言」などの期間にピークカットはあるかもしれない。大爆発を抑えて、そこそこで推移するように押さえ込めるかもしれない。けれど、ワクチンとか、症状軽減の薬とか、「まあ罹っても治るから」にならないと、本質的には活動縮小モードは解除できない。ある程度長い期間こうなるなら「ちがう形」をどれくらい考え出すことができるか。そこに、我々オトナの智恵が求められているんだろうな、と。そんなことを思うワタクシなのです。

2020年4月 8日 (水)

桜並木

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 河原は、ちょっと寒い。でも、風は通り抜けるし、そんなにひともたくさん来るわけじゃないし、のんびり散歩しながら桜とか、夕陽とかを愛でることができます。考えようによっては、「観桜会」的に集まらなくても、こんなふうに近くの好きな桜を眺めて風の中を歩くほうが、ずっと桜は素敵かもしれないなあ。そして、日本ってのは「日本の花の咲く木は全部ソメイヨシノなんじゃないだろうか」と思うくらい、あちらこちらの桜の、しかもけっこう見事な木があるところだから。

 さて。

 昨日、お隣上越市と小谷村で、COVID19確定感染者が出たという報道がありました。遭遇した可能性のあるひとにきちんと知らせてリスクを軽減するか、パニックを防止するために情報をできるだけ囲い込むか。ご本人や濃厚接触者としての家族の勤務先まで発表された小谷のケースと、現在入院中の病院は発表されたもののその前に受診した2つの医療機関も所属も内緒の上越は対照的な対応。知らぬ感染があるのは、怖い。でも、田舎ならほとんど「個人特定に足る情報」を出すことが、そのあとのそのひとたちの生活をどれくらい脅かすかを思えばある意味「回復不能な二次被害」を生むかもしれない。

 安全と個人の保護って、相反するものなのだなあとあらためて思う一日でした。
 できるだけ他人との接触を少なくするように。無症状で自覚せずとも感染源になるという報告がある以上、みんながそういう感覚を持って動く必要があるのだろうなとも思いながら。

 みなさんも、おいしいお昼ゴハンを。

2020年4月 7日 (火)

故郷

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 いつのまにか、Pokemon Goのポケストップにまでなっている、天津神社参道入り口あたりの「故郷」の小さな石碑。
 ずいぶんと育っていたけれど傷んできてしまった木を切って植え替えたこの参道も、だいぶ桜がきれいに咲くようになってきました。
 後ろ向きにゆっくりゆっくり歩きながら、目の前にひろがる桜をたのしむひと。
 なんだか、こういうゆっくりした時間が過ごせるのは、いいなあ。

 いろいろ辛気くさい日々なだけに、こういう楽しみくらいは。しかも、ひとがうじゃうじゃいるわけではないこういう場所なのだしね。

2020年4月 6日 (月)

今日からすし詰め

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 今日から上の子の学校が再開。
 一両編成か二両編成で通学通勤時間帯はすし詰めのトキ鉄・日本海ひすいラインの日々もはじまりました。
 なので、ウチでも貴重な不織布マスクは列車通学の上の子に集中させて、あとはハンカチ流用で家族がつくった布マスク。おかげで「妙にかわいいのしてますね」と僕も日々からかわれています。

 さて、写真は北陸新幹線金沢延伸5周年で駅にたっているチコちゃん看板のところにあるスタンプを押したモノ。
 全駅共通のチコちゃんのイラストではなくて、ちゃんと「糸魚川」の文字も、弁天岩らしき意匠も、まがたまもあしらわれた超地元仕様のスタンプ。まだあまり押されてなくてきれいな印面になるので、ぜひ興味のある方は糸魚川駅へどうぞ。

 となりまちへの通学なんて、都市部ではあたりまえのことだけれど、逆に言えば田舎でCOVID19が爆発しないのは、生活圏が「そのあたり」で、遠くから来た人と日常的に一緒にすごすクロスオーバーエリアが比較的少ないからとも言えます。通学がはじまって、そんな「交換」が行われないといいなあと、願っています。

 願わくば、日本海ひすいラインにもう1両クルマを増やしてもらえると「密接」度がずいぶん下がると思うのだけれど・・・。

2020年4月 5日 (日)

行き止まりの桜

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 なんとなくまっすぐだと思っている道が、実は案外とまがっているということはよくあるもの。
 この季節は桜があるので「え、あれが正面に見えるの?」で、気づくことがよくあります。

 写真の桜は田海の山添神社のもの。この桜は、青海通り線起点のあたりから見ると、ほぼ真っ正面に見えます。R8を青海方面に向かって走っていると、きらら青海の波形屋根が夕日で朱色に染まっているのがほぼ正面に見えて「へ?」と思ったりも。

 いろんな発見のための目印として、満開の桜は案外と役に立つ。なんだか、そんな気がします。

 けっこう強い風だったけど、満開寸前の桜はちゃんと持ちこたえている感じ。もう少し、楽しませて欲しいなあ。

2020年4月 4日 (土)

丸くない

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 今日の夕日は水平線あたりがすこし霞んでいて、ちょうどよく減光されていい感じ。ちゃんと眺めていても、目がまぶしくない。だけど、ちゃんと消えずに最後まで見える。こういう日はちょっと得した気がします。
 もう少し糸魚川よりで見ていたら、下がほそくなってきのこみたいに見えたとか。
 ウチのあたりは、なんだろう、これ。幼稚園くらいの子がよろこんでぴょんぴょんはねる小山かな。

 日々ちがう海の色を眺めるのは、たのしい。
 今日はたくさん歩けたし、いい一日でした。

 おやすみなさい。

2020年4月 3日 (金)

本来の祭り

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 祭りは、氏神様とその土地の人が、その土地の人の無病息災を願うもの。「人事を尽くして天命を待つ」ように、ただの神頼みではなく、いい将来のためにやるべきことを自分ができることをちゃんとやるという宣言でもある。
 観光の目玉としての多くの人を招き入れる祭りは、COVID19の蔓延を避けるためにはやめたほうがいい。でも、もともと、放っておいてもすれ違っているエリアの人たちで催す春の祭りは、冬をのりきったひとたちにとっては不可欠のもの。
 じょばなしでこじんまりと、でもやる地域のちいさい祭り。これが、COVID19を吹き飛ばすなにかの「念」になれば、いいなあ。

2020年4月 2日 (木)

水は少なく

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 雪の少ない今年、須沢の水芭蕉の湿地は干上がっちゃうんじゃないかと心配していたのだけれど、「たっぷり水をたたえた」状態にはならないにしろ案外ちゃんとじめじめしているのだなとちょっと感心してしまいます。
 例年ならこの頃ようやく「けっこう咲いてきた」というトピックを書いているのだけれど、これだけ雪の季節がずれても、花は一週間くらいしかずれない。雪以外にも、日の長さとか、いろんなファクターがあって、かわらないもののほうが多いのかもしれないよね。

 今日もおつかれさまでした。

2020年4月 1日 (水)

直前のイメージ

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 いつもは「もうじきだな、あと数日だな」と胸ときめくこの時期の桜。
 でも今日はふと、「満開でものすごくきれいな風景より、曇り空の下の、少し咲いていてあとはつぼみのこの暗い感じが、今の季節には似合っているのかもしれないなあ」と思う。
 たとえば、青空で満開で桜吹雪で「素敵だよねえ」という風景を撮れば、やっぱりそこには行ってみたくなるものね。
 でも、今の状況は、結局の所「ひとに会うな、集まるな、近づくな、熱を入れて話すな」ということ。接触がなければ、他人にはうつらない。だからその接触をいかにして最小限にするかという努力と、長くてしんどい冬を終えて「さあ、春が来たぞ!」と桜を愛でる気分は、正直なところ相性はよくない。

 だから、この曇り空の下の咲ききらない感じ、まるでポップコーンをフライパンで煎っていて、まだ一つか二つはじけただけみたいなこの感じは、案外と今のこの閉塞感あふれる状況に、どこか似合っているのかもしれません。

 とはいえ。

 風が通り抜けるところで、わんさか集わなければかえって室内密集よりも、「三密」ではないはず。自分だけが知っている素敵な場所に、他人が入り込まない自家用車で出かけて、ひとりで眺めるなんてことは、たぶん田舎町に住むひとならではのことのはず。
 密集地に住まないからこそ、この状況でもほんの少しは、息つく日々を過ごすことができる・・・のかもしれないですよ。

 ひとに迷惑をかけない、桜のめでかたを工夫しなきゃ。

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