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2019年12月 8日 (日)

神様とのつながりかた

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 田舎というのは、人間関係は濃厚ではありますが物理的な「密度」は低いもの。たくさんのひとが集まってくれば、「境界」の場所も充分取ることができないし、いろいろ面倒なことも出てくるのだろうな。そして、そういったコトの典型例のひとつが、都内を歩いているときの神社の形、なのです。

 この写真の祠は、柵で囲まれ施錠されています。ほとんど金属に簀巻きにされてる感じ。
 場所柄、ゴミを投げ込んだり悪戯をするひとがたくさんいるのだろうなとは思います。カラスに荒らされるからの「供物お断り」でもあるのだろうし。この風景、「わたしたちの神様を酷い目に遭わせないようにまもる」ものでもあり、逆に「人の都合で神様の場所をどんな形にしてもいい」という不敬なものにも見える。
 実際問題として、地べたがとても高いところで、潰さないでちゃんと残してあること自体が、「氏神様」「おらが地区の神様」への大いなる愛着であり敬意であることはわかります。ウチの近所にも、こんな賽銭箱の神社があるし。
 だけど、これって目の前の小さな問題をなんとかツブしていったら、結果として本末転倒になったという典型例なのではないのかな。そんなことを思うワタクシなのです。

 集中は効率がいい。でも高効率はうまくまわらないときのリスクも大きい。
 みんな田舎にもどっておいでよ。

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