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どこの小学校にでもある、このブツ。肋木という名前だということも、それが「大日本なんたら」という時代がかかった組織の肝いりで全国に整備されたということも、今年のはじめに「いだてん」を見て知ったワタクシです(でも、いだてん自体は最初の1~2回しか見ていません。そもそも、最近夜かえってきてからじっくりドラマとかを見るという習慣がすっかりなくなってしまいました)。
今日、近所の小学校で校内をガッツリ掃除したり外回りの草を抜いたり側溝をさらったりという作業があり、そのあと「災害が起きたという前提で子どもを引き取って帰る」というシミュレーションがありました。あわせて松本 悠斗さんたちの太鼓のパフォーマンスを見る「芸術鑑賞」イベントあり、授業参観ありともりだくさんな日曜日。
で、まじまじと待ち時間に肋木を見てみると「ここからギャラリーにのぼってはいけません」の文字。
確かに、一番上までのぼれば、もちょっとのぼると手すり。小学男子の冒険心を刺激するトコロかも。「やるな」と書くことでちゃんと抑止効果があるのか、「そうか、その手があるのか」と気付かせてしまうのか。どちらかはわかりませんが、あらためて「元気じゃん、小学男子」(もしかしたら、小学女子かもしれないけど)なんてことを思ったワタクシなのです。
夕方からざあっと来た雨。このあと涼しくなるかな。
一日おつかれさまでした。
バスが、かえっていくなあ。
職場の駐車場にて。もう一仕事しなきゃと思いながらソラを眺めていると、バスが営業所へと帰っていきました。
真っ赤に焼けるソラも好きだけれど、こんな風に青もある、朱もある。そんなグラデーションのソラが好きなのです。
しかも、そのソラに電線がいっぱいあったりすると、なおのこと。
人が暮らしを営んでいる場所で「きれいだなあ」と思うとき、営みのあかしのひとつである電線を「みにくい」と言っちゃうのは、ある意味自己否定だと思う。いいことも、わるいことも含めて僕らは引き請けて生きている。見えなくしちゃっても、ソレはあるわけで、ならばちゃんと見ようよ。そんなことも思うのです。
さて、今日はなんでも「プレミアムフライデー」らしいですよ。3時にあがってのんびりできる方、ぜひのんびりと(笑)。
おはようございます。
公共交通機関での通学。都市部ではあたりまえですが、田舎では「ラストワンマイル」の足がないということも。なにせ、大人はみんな自家用車で移動。だから、クルマに乗れない子どもは、駅前で迎えを待っていることになったりも。
糸魚川駅のロータリーは、18時台はけっこう激戦区。それに比べて日頃僕が送迎しているとなりの青海駅は、到着待ちのクルマを停める場所がないくらいになることは、そうはありません。
押上にはトキ鉄の新駅が予定されているようです。話しが流れちゃったらしい今村新田の新駅があれば、ウチのは自分で行き来できるんだけどなあ。
とはいえ。
当初予定では「待合室は自由通路のみ」だったはずの新幹線以降の糸魚川駅は、赤煉瓦車庫を絡めた「ジオパル」などのおかげでずいぶん時間を過ごすことのできる駅になりました。停留所みたいな駅にならなくて、よかったなあ。
(というか「停留所のような駅で問題ない」と言ってた地元のエラいひとは、なにを考えていたんだろう(毒))。
そんなこんなで、今日もお疲れ様でした。
先週末に糸魚川で催された、日本児童文学者協会の「全国大会」的なセミナーでは、卓球をテーマにした小説を多く書かれている吉野万里子さん(「チームふたり」他)と横沢彰さん(「卓球部」シリーズ他)の対談がありました。
スポーツの物語は、ある意味達成感に共感する小説。だから、達成感のために物語が長くなればなるほど、達成できる目標が大きくなります。運動音痴な子がわずか3年で全国大会を戦うようになったりとか。
でも、実際のトコロ世の中の多くの子どもたちは、地区大会での一勝を目指していてそれが果たせなかったり、去年は県大会に行けたけど集大成の3年生の大会では地区大会で敗退したりしながら努力しているわけです。でも、彼らに達成感がないかといえばそんなことはまったくなくて「今日はゴールキックをちゃんと高く蹴ることができた」とか、はたまた「ちゃんとサーブが相手のコートに入った」とか、ステップバイステップの小さな目標を達成して「やった!」とやっている。一足跳びにどんどんと上に登っていけるような子は、ほんの一握りですから。
そういう「ほとんど負けてしまう」多くの子たちにとって、ごく普通の子がいろんな先輩や大人、ライバルと出会ってどんどん勝ち上がっていくインフレ物語は夢を重ねることができる反面、現実感に欠けるという面もあります。連戦連敗、なかなかうまくもならない。そんな子たちに寄り添う「連戦連敗、なかなかうまくならないけれども小さな達成感に満ちた物語」というのが、もっとあってもいいんじゃないかなあ。そんな話しを、児文協の一日目の行事が終わったあとの交歓会で、いろんな方につい力説してしまいました。確かに僕らも「仕事にいっても怒られたりうまくいかなかったりばかりでなかなかイイコトがない小説」を読んで楽しい気分になるかといえばなかなかシンドイところはあるので、こういう普段の現実に寄り添う物語がちゃんとポジティブになるというのは、なかなか難しいということは、想像がつくのですが。
んで。
糸魚川セミナーが終わったあと、やりとりさせていただいた作家さんの本をいろいろあらためて読んでいるワタクシですが、その中でなんとなく照れもあって手を出していなかった地元・横沢彰さんの「スウィング!」を遅ればせながら読みました。
姫川中をモデルにした中学校を舞台に雪が消えてようやくグラウンドが使えるようになる頃からの野球部のものがたり。主人公はそのチームの四番で、一番の飛距離を誇るチーム有数の強打者…なのだけれど、この物語はおおむね、彼がいかにして田んぼと(そしてそれはつまり、根知谷の暮らしそのものと)向き合うかという部分が語られ、野球はその年「やりたいけどなかなかできない」ものとして語られます。
当然、チームでガッツリ練習していないし、クライマックスで彼らがやらかすコトのせいもあってヘロヘロの状態で初戦に臨むことになります。競技の結果という意味でも、とても芳しくない。
ただ、そこには「どんどん勝っていけるわけではない子たちのとてつもない達成感」が、しっかりと描かれていました。
なんだ、あるじゃないか、すごく身近に。
今年の春頃、「Good old boys」という本多 孝好さんの「すごく弱い少年サッカーチームの親」をテーマにした連作短編集を読んだことを思い出しました。
結局「連戦連敗、なかなかうまくならないけれども小さな達成感に満ちた物語」というのは、僕ら競技をやっている子どもの親が、子どもたちになんとか遭遇してほしいと願う物語なのだな、と。
もちろん、勝った方が嬉しいのは間違いないし「負けたっていいよ」と思って臨むのはちがう。でも、結果として勝てないことに親が落胆するようなことなく、競技を通してなにか小さな「あ、そうか」をいくつも見つけてくれれば。そういうことなんだな、と。
横沢さんの「スウィング!」では、田植えまでの、その年の稲作シーズン序盤に主人公がどう関わるかがガッツリと描かれます。都市部の子に本を手渡すひとたちには「奇をてらった演出」「ありえないこと」と思われるかもしれない。でも、人数比では少なくても、日本の中の「面積比」では少なくない子どもたちにとっては、きっとこの状況は身近な、または想像できる状況なのではないかと、僕は思うのです。
そんなわけで、今日の写真は敬意を持って、ようやく少しずつ穂に実がはいってきたウチのバケツ稲。稲刈りが進むまわりをよそに、10月末頃の収穫をめざして、がんばって成育中なのです。
不思議な御縁で業界人でもないのにお手伝いすることになった 日本児童文学者協会 さんの糸魚川セミナー。昨日無事終了いたしました。どうもありがとうございました。
たくさんの作家さんたちが糸魚川を応援したい気持ちをもって糸魚川に集ってくださった二日間。せっかくだからいろんな糸魚川に遭遇してもらおうと、小さな仕掛けをいろいろ各スタッフが仕込んでいたようで、お弁当もそのひとつでした。
このお弁当は、東小の5年生が考えた秋のおべんとう。メギスの唐揚げとすり身揚げとか、くしがたかまぼことかが入っていて、炊き込みご飯もあって。炊き込みご飯の中の「緑」に、「これはヒスイを想像して?」とかいろいろ言って下さる方もいて、大好評でした。
この手のお弁当作りは授業でお米を育てた5年生が、文化祭の頃に考えて保護者のひとたちに食べてもらったりするもの。だとすれば、これは去年の5年生のものの「復刻版」だったのかもしれません。そんなわけで、ウチの子のサッカーの先輩の顔を思い浮かべながらいただきました。
それにしても、今日は台風~温帯低気圧の風が強い日。今日じゃなくてよかったなあとあらためて思ったり。
そんなこんなで、そろそろまた通常モードに戻していかなきゃいけないワタクシです。では、三連休の最終日、たのしい午後を。
僕は、文章を書いたり写真を撮ったりすることが好きだけれども、それを生業にすることはなかったし、できずにいまに至っています。だから、表現を生業としているひとのことは、まるでスーパーマンのように感じてしまうのです。
僕らの仕事も時にキツいし、多くの人のごく普通の仕事がなければ世の中はまわらない。だから、市井の人の仕事をきちんとやるということについて、僕はプライドを持ってやっているつもりだけれど、それでもなお、才能と努力と運を重ねられる人にしかできない仕事をしているひとは、スーパーマンなのです。そんなひとがたくさん集う「その業界の勉強会」としての日本児童文学者協会 糸魚川セミナー。本日は初日でした。
僕は、基調講演の黒井健さんのすぐ近くで画面まわりのお手伝いをさせていただいたのだけれど、あっちからもこっちからも「つくるぞ・つくってるぞ」という波動が満ち満ちている、本当に幸せな刺激に満ちた時間でした。
さて。今日は「その業界の勉強会」。明日は「センセイがたがその波動をいろんなひとに浴びせかける」日です。
こどもたちはぜひ、10:00からのビブリオバトルに参加してください。自分が大好きな本のことを、自分のことばでたっぷりひとに言うことができるの、きっと気持ちいいよ。ほかにも、カエルやいろんな紙のおもちゃを作ったり、新潟県内のいろんなところの民話を聞いたりといったこどもたちの楽しみの部屋もあれば、オトナがガチンコで自作の児童小説をどう「よりよくするか」について厳しく指導されるセッションまで、いろんな部屋があります。
ふらっと来ても、いろんな作家さんのサイン入りしおりがもらえるかもしれませんよ。
ぜひ、明日9/22は10:00にビーチホールまがたまへ。
https://www.facebook.com/jb.itoigawa.seminar/
今週末、絵本や児童書にかかわる作家さん、編集者さん、書店の方などがたくさん集まる 日本児童文学者協会 の糸魚川児童文学セミナー が開催されます。
初日は「プロの催し」、二日目は「地域の子どもたちへの催し」で、初日の冒頭を飾るのは、上越市在住の杉みき子さんと新潟市在住の黒井健さんの絵本「月夜のバス」の朗読からはじまります。
この本、各所に上越を思わせる風景があって、この食堂いるかの三叉路も登場。なんとなく、深夜の上越からの戻り道の途中に通りかかって、真夜中のここの写真を撮ってしまいました。
日曜日9/22は、ビーチホールまがたまでビブリオバトルとか、いろんな工作とかがあります。小学生くらいまでのお子さんは、いろいろ楽しめるはず。ぜひ、お越しください。
お待ちしています。
日本児童文学者協会 糸魚川セミナー ご案内Facebookページ
https://www.facebook.com/jb.itoigawa.seminar/
夕陽は、海岸で眺めていると「いかないでーー」と叫びたくなるような美しさ。でも、日々の生活の中ではカキワリのように、ただただ「あるだけ」のものです。
運転していても、じっくり見ていたらまっすぐ走れないですしね。
だから、路肩に止めて夕陽を眺めていると、どこかスイッチが切り替わったような「あ、オレいま夕陽見る余裕みつけた」みたいなことを思うことがあります。
あるものは、気付いたほうがたのしい。そのためには速度を変えてみるのもひとつの手。歩くとか、止まるとか。
そんなこんなで、今日も上越への移動があった一日。明日もそうなのでここのところ僕の業種にしては妙に移動時間が長いんですが、それはそれで楽しんでいます。
今日もお疲れ様でした。
新潟での出張で、夜に散歩をしていると、川の上、鉄橋を電車が通り過ぎていきました。
あたりまえなのだけど、長い!。
ここのところ、新幹線以外はほとんど一両か二両編成のクルマしか地元では見かけなくなったので、長い在来線を見ると、不思議な感じがします。
そして、二日間の新潟仕事もおわり、戻ってきて夕方はコドモの迎え。今回はクルマで新潟だったけれど、これが新幹線で東京行きでもできてしまうことがあるあたり、移動ははやくなったなあ。そして、時間が読めてかなり期待できるようになったなあとつくづく思います。
アテにできるようになればなるほど、予定はシビアに組むようになるもの。結果として予定通りにいかないとけっこう大きな破綻をすることになります。停電しても数分~数時間で戻って来るとか、そういう想定を外して考えてみることも、時には必要なのかもしれません。
ありがたいことに、当地は台風で酷い目に遭っていない状況なのだから、なおのこと。
今日もお疲れ様でした。
あちこちで刈り跡の田んぼがひろがってきました。場所によっては青々したひこばえが出てきているところも。
ウチの下の子たちの学年が担当していた学校田も、今日稲刈りだったようです。そのお米、ちょこっともらって来年家でバケツ稲やりたいなあ。そういえば、ウチのバケツ稲の山田錦はほぼ1.5ヶ月遅れで生育し、今週頭に出穂。昨日あたりから花が穂につきはじめました。なんでも、9月中に出穂すれば実るまで間に合うことが多いそうなので、このまま台風が来れば家に入れたりと過保護にあと一ヶ月進めたいと思います。
「大人の自由研究」。言うだけはいつものことなのだけれど、数ヶ月通してやったのははじめて。案外と楽しかったなあ。
提出が求められる「課題」じゃなくて、自分で勝手にやるのって、楽しいもんですねえ。もともと、そういう楽しさが見つけられるから新しいことを学んだりやってみたりするのが楽しいのかも。
そんなこんなで、今日もお疲れ様でした。
一時期ほとんどみなくなってしまったお米を稲架にかけての天日干し。
最近ちょっとまた戻ってきたかなと思えば、ご近所の集落では「やるひとがいなくなったので共同作業所も閉鎖。今はウチだけしかやってない」と知り合いが言っていたりもして、やっぱり少ないんだなあと再確認。昔はあっちこっちにこの期間限定の壁があって、その中に隠れて小学生男子はほほえましい悪事を働いたモノだけどなあ(笑)。
さて。
台風15号の被害は長引いて、ここ何十年もちょっと記憶にない、広域の、長時間の停電などが続いているとニュースが伝えています。
まだまだ暑い中、快適のためではなく「命のため」にもなる冷房も使えなければ、水も出ない。必要なものが変えないといったことがあって、被害に遭われた方は本当に大変で、はやく復旧することをどうにか祈っています。
一方で。
僕は水や電気といった本当の意味でのインフラ担当ではないけれど、仕事を動かす上での土台としてのインフラに関連しているから「止まる」ということに対しての苦しさは想像がつきます。
確かに口では「想定外」とは言います。「仕方ない」とか「まだムリだ」も言うかもしれない。でも、そんなときはなんとか一分一秒でもはやく復旧するためにどんな手があるか、それこそ時に休みを削ったり、睡眠を削ったり、利益を度外視したりしながら悪あがきをして対応しようとする。それは、インフラに関わる人たちの矜恃であり、本能です。
確かにすぐには復旧しないかもしれない。でも、別にサボってるわけではなく、準備が足りなすぎたわけでもなく、できる中で精一杯のことを、対応しているひとはしているはず。だから、そこには文句やクレームではなく、エールで応えてほしい。そう思うのです。
ヒトはモチベーションによってもっと働けたりもすれば、心が折れてしまうこともある。
だったら、モチベーションを落とすようなコトをやれば、もっと復旧は遅れるわけです。
ヘンな評論屋みたいなことをシロウトまでみんなでやったりしないで、あっちこっちの倒木とかと戦っているひとたちをサポートしようよ。
ここ数日のニュースを見ていての、僕の素直な気持ちは「そこ」なのです。
今日も一日おつかれさまでした。
今朝、市からの「安心メール」で、青海中学校の近くの神社のあたりで熊3頭という知らせがありました。
https://service.sugumail.com/itoigawa/member/portals/detail_mail/2584240
確かに、青中は渡り廊下の鉄扉の内側に「熊が出るので開放禁止」なんて書いてある場所だものなあ。
写真は、先週日曜日の美山陸上競技場のもの。
ここも、コースにはタータンが敷かれ、陸上競技も、サッカー競技も、そこそこの試合までできる認定競技場。
なのに、北海道の土産物のように「熊出没注意」。これ、マジなんですよねえ。
この競技場からは、海も見えます。今朝出没した青中は、河口から1km離れていません。でも、どちらも山も背負ってるところ。まさに、海山隣接地域、糸魚川ならではだよなあと思う、そんな熊ばなしなのです。
これから冬眠に向かって連中もがんばりはじめるし、みなさんくれぐれもご注意を。
昼間、そろそろ日が傾き出す頃の今井不動滝にて。
若い子が二人、三脚抱えていろんなアングルから不動滝を撮影していました。
いいなあ、なんだか楽しそう。いろんなことを考えて、いろんなことを試している彼らを眺めて、僕は滝の近くにいくのをやめて、彼らがいる滝の写真を数枚撮りました。
これからの季節、たとえば小谷の鎌池のような紅葉の名所では、対岸でカメラを構えるひとに対して「どけーー!」と叫ぶカメラマンが出没するようになります。確かに、自然は美しい。でもさ、自然の美しさは自分の手柄ではないわけで、そこを写し止めても、ほとんどの場合撮り手の手柄ではないわけです。もちろん、撮り手の工夫と訪れたマジックで、その人がそのときしか撮れないものが残ることだって当然あるのだけれど。
ならば、名所で人とか人工的構造物とか、そういうものをできるだけ排除した写真を撮るよりは、そういうものと共存して、あるがままの「!」を写し止めていくほうが、ずっと健全だなと、僕は思ってしまうのです。
そんなわけで、電線を入れるのが好き、見事な植物の写真に手すりを縁取りのように入れたりするのも好きなワタクシの写真は、あんまり褒めて貰うことはないものなのだけれど、それでもなお、そこを愛でているひとに対岸から「どけー」と叫ぶような、無残な輩にはならないようにしたいと思うワタクシなのです。
今日は、ひさしぶりに会ううれしいゲストが糸魚川に来訪。お昼を一緒にということでマリンドリーム能生にいって、カニを食べてきました。
で「もう一品」で魚やさんで買ってきたのが、子持ちの甘エビ。魚やさんで一皿全部だと多すぎるんで「ここでたべたいんだけど、半分でもいい?」とお願いして量を減らしてもらって、醤油やわさびもつけてもらって食べてきました。
醤油を出したあとの醤油鯛とサイズ比較してください。でっかいでしょう。
日頃買ってきて食卓にのぼる甘エビはこんなおおきいのまずないんですが、時々、ゲストにかこつけて食べるこういうえび。
こんな機会ができるのも、来てくれたひとのおかげ。Yさん、またきてくださいね。
そんなこんなで今日も日焼けの一日でした。明日は涼しいところにこもってそのぶん仕事します(笑)。
では、おやすみなさい。
田海川の河口に、巨大な砂山出現。
きっと「立ち入り禁止」なんだろうし、コドモが出入りするような昼間は、工事現場として重機が出入りしてるから近づけないんだろうけれど。
僕の中の「小学生の虫」が、「ああ、のぼりてえ」とウズいています(笑)。
とうとうとながれる大河とちがって、短く急なここいらの河川は、ちょっと大雨が出ると川筋がかわって、場合によっては埋まっちゃったりすることもある。この砂山も、きっと後退してしまった河原を作り直すためのものなのだろうなあ。
これが平らになる頃、どんな河口になるのか、ちょっと気にして見ていようと思います。
そんなこんなで、今日ももうじき夕ゴハン時間帯。
僕はこれから所用で隣町ですが、移動中に寝ぼけないようにしゃきっとして出かけることにします。
みなさん、おいしい夕ゴハンとか晩酌とかを。
先週末は、カミさんの甥っ子の結婚式にいってきました。
長時間新郎新婦がいなくなることもなければ、妙に舞台装置チックな演出もなく、ちゃんとひととひとが話すことができて、みんながにこにこしている、とても楽しい式でした。そういえば、結婚式って久しぶりだなあ。ここのところ、式服を着るのは黒いネクタイばかり。たまにはこういうの、いいよね。あらためてそんなことを思ったり。
んで。
新婦さんが大のジブリ好きということで、いろんなところにジブリな式でした。テーブルの真ん中には苔とかどんぐりとかをあしらってあって、都会のど真ん中の式場なのに、なんだか我々にとっては妙な地元感(笑)。そこに顔を出していたトトロの指人形を下の子がしっかりもらってきてました。小学生以下限定の争奪戦はこどもがすくなかったこともあって楽勝。ただ、大中小のトトロのウチうちで「赤身」と呼ばれているいちばんちっちゃいトトロだけはウチのテーブルになかったのでこの二つだけのようです。
にこにこの輪にはいるってのは、なんだかいいもんですね。イガイガの輪をつくらないようにしよう。そんなわけで、今週もはじまりました。もうじき夕ゴハンの時間ですが、たのしい夕ゴハンを!。
数年前、「白菊-shiragiku-: 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花」という本を読んだことがありました。長岡の花火であがる白い菊の花火に込められた思い。数年前まで、シベリア抑留されて現地でなくなった方の名簿を公開するお手伝いをしていたこともあり、なんだか切ない気持ちで読了したのを覚えています。
新潟県は広いし、花火の日はめちゃくちゃ混むので、県内の名物花火は実はほとんど見たことがありません。そもそも市内の花火でも、かつてあったおまんた祭りのと今のおうみ祭り二日目のものは見たことがあるけれど、早川のも能生のもいまだに見たことがなく、ましてや長岡の花火なんて今年もテレビ中継の大和田伸也さんの和服に「いいのか、あのステテコまるみえシースルー」とか言ってたくらいで、全然縁がないのです。
だけど、ナンバーを長岡花火のにしちゃいました(笑)。
昨年、悪戯で2度も前のバンパーを折り曲げられてしまって、がんばって伸ばしたけどベコベコなのがとても気になっていたのだけれど、ご当地ナンバーで陸運局がおなじなら、おなじ番号で発行できるということだったので、これでめでたく再生。
来年には上越ナンバーもできるらしいのだけれど、そちらだと番号が変わっちゃって手続きも面倒だしということで、おなじ県なのにいまだ見たことのない長岡花火のデザインのナンバーとともに今後うろうろすることになりました。
これもまた、ご縁。そのうち、本物も見に行くことがあるかな。
そんなこんなで、今日もおつかれさまでした。
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