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2018年6月 7日 (木)

はやいところでは

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 先日、直江津の海の近くを通ったら、浜茶屋(全国的には「海の家」と言うことが多いそうだけれど)を建てる作業がはじまっていました。直江津海岸に立ち上がり、谷浜に建ちはじめたあとかな、糸魚川のあちこちは。もう、海水浴の季節は、もうじきなんですねえ。
 さて。
 先日、高校生のコドモと話していたら、通年設置されている学校の選挙管理委員会の3年生の先輩が「選挙にいきましょう」という放送をお昼にしていたという話しが出ました。
 そうか、4月は過ぎてるし、もう18歳になってる子は、いるんだなあ。僕らがコドモの頃には、選挙権を持ってる高校生なんていなかったので、なんだか不思議な気持ちになりました。
 選挙への思いは、「世の中をよくしたい」とか「悪くしないようにしたい」という思いとつながっています。でも「良い世の中」というのはひとによってちがう。そりゃ「税金はなく、誰も失業せず、残業もせず、オカネに困ってるひともいなくて、みんなが保育園にコドモを預けることもある程度のトシまで仕事を休んでこどもと一緒にいられることもでき、やりがいのある仕事にいつでもつくことができて、必要であればすぐに離れることも移ることもできて、行政サポートも手厚く、地域の設備も十分で・・・」なんて社会があればいいのかもしれないけれど、現実問題としてそんなのは、無理。だから「こうしたほうがいい」はひとによってちがうし、ある人の「こうしたほうがいい」は、ある人の「こういう社会だからいけない」になったりもするわけです。

 投票の呼びかけというのは、難しいはず。「もっとよくなるために」とか「これ以上悪くならないために」という呼びかけは、どうしても「なにがいいか、なにが悪いか」とつながり、「○○さんに投票しましょう(しないで)」という暗喩になりかねない。
 だから「選挙にいきましょう」な呼びかけって、けっこう難しいんだろうな。それをちゃんとやる子がいるって、なかなか考えてるなあ。

 で、たとえば。
 選挙は各投票所のいちばんのひとに、投票箱が空なのを確認してもらってから、はじまります。
 各高校で「投票箱カラ確認数コンペ」とかやったら、おもしろいんじゃないかなあ。思想や政策とはまったく関係なく、ただただ単に「朝一番に投票にいった場所の数のコンペ」。
 おそらく、今の若い子は、定年組など上の世代と比べても「ウチの世代を厚遇する政策選択の世代間競争」の圧倒的弱者じゃないかと思うのです。だから、ほかのことではともかく(笑)、政策選択ではもっと利己的になっていい。そのためにも、選挙には、いってほしいな、と。
 そんなことをふと思っているワタクシなのです。

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