かえりみち
昨日は、なんだかいろんなことを考えてしまうできごとがたくさんあった一日でした。
そして、ちょっと酔っ払ってふらふら歩いて帰ることができるのは、幸せなことだなあともあらためて思ったりして。
昨日の赤煉瓦建物の保存にかかわるひとたちが年に一度集う「赤煉瓦ネットワーク」の大会は、舞鶴赤煉瓦パークにある赤煉瓦の建物のひとつでの開催。おとなりの赤煉瓦の中では、ジャズのコンサートが催されていて、なかなかシブいサキソフォンの音が漏れてくる中、まるで夏のビヤガーデンのようにたべものや飲み物を買ってはテーブルにもどり、にこにこして聴くひとたちを眺めながら僕は歩いて帰りました。
ひとが集う時、そこが安心できない場所だとなれば、こんなことはなにひとつできない。ひとの安心を奪うようなことっていうのは、思想とか宗教を超えて、ヒト全体への犯罪だと思う。
そして、そんな、アタマで考えれば大迷惑だと簡単にわかるようなことよりも「ずっと重い」と信じるものがあるくらい、長い長い年月をかけて育てた(というよりも貯めて腐らせた)対立というのは、本当に本当に切ない。
僕らは他の宗教の信者とか他の国の人たちをそこまで徹底的に恨んだり否定したりすることがあたりまえだという場所に生まれなかったから、正直なところ「わからない」のだけれど、でも、それでもなお、これがいいことではないということには確信があります。
やっぱり、ひとを恨まなくていいような生き方をしたいし、何よりも、自分のコドモにヒトを恨んで生きる生き方を伝えないようにしなきゃいかんと思う。ちっちゃいことでも、それが親の仕事だものなあ、と。
おはようございます。
「まち」カテゴリの記事
- 今年最終サンタ稼業(2023.12.25)
- じぶんでつくるクリスマス(2023.12.17)
- 落差(2023.12.16)
- 向こうの雁木(2023.12.13)
- バスはなかなかこないから(2023.12.10)
コメント