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ちょっと前には、あちこちでタコさんウィンナーになっていたザクロが、そろそろあちこちで実ってきました。
ひと月くらい前のいちじくにも増して、そのまま放置されていてもいでもらっているのはあまり見たことがないザクロ。でも、この季節、朝の光を浴びていると、本当にきれいなのだよなあと思う。
晴れ空につけたマル。なんだかそんな気分で毎朝眺めています。
さて。
せっかくの今年のスーパームーンの夜だった昨晩は、雲が切れるか切れないかと気を揉んでいたらそのうち雨になってしまいました。
無月とか、雨月とか、それでもなんとか風流に楽しんでしまおうといういにしえの風流人の執念って、すごいなあ。あ、執念と呼ぶとすこしニュアンスがちがうのか。きっと晴れても降ってもしんどくてもたのしくても、区切り区切りを迎えられたことの無事を喜ぶ。そんな気分だったのだろうなあ。
それにしても、どちらも「げつ」と読むわけでなく、このふたつで月のよみかたがちがうのはなぜだろう。日本語ってのは、難しいもんですねえ(笑)。
というのは、人を励ます歌なんかでわりあいちょくちょく見かけるフレーズなのだけれど、中秋の名月だった昨晩、フェイスブックのタイムラインに並ぶあちこちの満月の写真を眺めていると、あたりまえといえばあたりまえながら「おなじ月だなあ」ということをひしひしと感じてしまいました。
糸魚川で見ても、北海道で見ても、沖縄で見ても、月は、月。おなじように見えることで、なにか伝わることがあるということを信じたいと思う気持ち、なのだろうなあ。
かつて、簡単にメールだの電話だので繋がることができなかった時代の思いの馳せかたが、一瞬にして誰かと映像を共有できるこの時代に「タイムラインが月で埋まる」ことで実感できるというのも、なんだか不思議な感じがします。
というわけで、今朝の写真は「糸魚川の」中秋の名月。僕の家からだと、これを撮った時は明星セメントの工場の上にありました。そして、今日は「スーパームーン」だそうです。まだ地上のいろんなものが近いうちに、月を眺める余裕があるといいなあ。
さっき、髙野寫眞舘さんから赤煉瓦の写真が送られてきました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=829120863868147&set=pcb.829122580534642&type=3&theater
これは、糸魚川駅のアルプス口の大きな目印になっている赤煉瓦の三連アーチが、かつて「赤レンガ車庫」として駅の南側にあった頃の煉瓦の一部。活用のために保存された部材のうち、今の新駅に使われなかったものをこのまま朽ちさせてしまうよりは、大切にしてくれるひとのところにもらわれていってほしいということで、10/3-4の街なかコレクションのとき、旧髙野寫眞舘の「街なかレトロギャラリー」でシリアルナンバーを入れて100個販売するとのことでした。
僕は、赤レンガ車庫のことは「記憶遺産」だったと思っています。当時は駅の現役の施設だったのだから、駅で働くひとたち以外にとっては縁もゆかりもない建物。ただただ「そこにある」ことを視界の端っこで無意識に感じていただけ。
でも、たとえば故郷を離れたひとがときどき戻ってきた時、駅に降り立って「ああ、帰ってきたなあ」と感じる要素のひとつでは、きっとあった。通りかかるといつもあって、あってもなんのトクにもならないけれど、ないとなんだか妙な喪失感がある。そんな存在がまちの中にはいくつもいくつもあって、そういったものの積み重ねが「ぼくのまち」という実感を作り出しているのだと思う。
すべての古いものを残しておくわけにはいかない以上、そういった存在の中にはなくなってしまうもの、壊してしまうものも当然出てきます。そんな時、それでも自分の中の思い出と「それ」を、細い糸ででもつないでおくことができるなら。
たぶん、この煉瓦はコレクションとしての(金銭的)価値は出ないものだと思う。それだけに、あそこにあれがあったことを今でも思い出のひとつのかけらとして大切にしてくれているひとのところで、大切にしてもらえるといいなと思うのです。
そんなわけで、10/3-4の街なかコレクション。おでかけの際はぜひ、街なかレトロギャラリーものぞいてやってください。
http://adclique.com/machisg/archives/3020
(館内では「紅梅文庫展」もやってます)。
この5連休、一番休まなかったのは連日学校の部活があった上の子でした。定期演奏会が近いこともあってきらら青海の一日通しの練習も。こどもたちは好きでやっていることだけれど、これにつきあってほとんど休めない先生には、なんだか申し訳なくなってしまうシルバーウィークだったなあ。
迎えにいった僕はそんなことを思いながら、青海駅の向こうに沈んでいく夕陽を眺めていました。海に(正確に言えば海の向こうの能登半島に)沈んでいた夕陽はだんだんと西の方に移動していき、そのうち北アルプスが海に直接落ち込む親不知のあたりの絶壁のあたりに沈むようになります。夕陽が沈む場所を見ると「ああ、だんだんと冬に近づいてくるんだなあ」と思ったりも。
そんなこんなで今週あと二日。みなさんがんばりましょう。
あんまり天気がいいので、昨日は下の子を連れてひすい峡フィッシングパークまでニジマス釣りに行ってきました。
ここは、自然の渓流を模した段々の流れのようないけすで岩魚やニジマスを釣って食べさせるところ。、前回いったときには連休最終日で魚の残りが少なくしかもものすごく水も濁ってきていて、かなり大まじめに釣らないと連れなくてコドモにはキツかったのだけれど、今回は水も澄んでそこそこえさも追ってくれ、小1が楽しく釣りできるいいコンディションでした。
ゆっくり30分ほどかけて塩焼きにしてもらい、持参のおにぎりでお昼。なんだか、のんびりしていい時間だったなあ。
ここはおじさんおばさんたちもとても親切だし、家に持ち帰ってから料理したい人のために内蔵をさばくのが1匹30円とか、現地で100円で釣った魚を塩焼きにしてくれるとか、とてもリーズナブルな遊び場でもあります。
ひすい峡や高浪の池にも近いし、快晴の連休最終日、どですか?。
一様ではなくて、いろんな模様や、でこぼこが、あるなあと思う。
そういえば、シルバーウィークに入ってからまだ一回もシャッターを切っていないような気がします(笑)。
そんなこんなで、今日もしっかり働いております。みなさん、よいお休みを。
三月までのJRのときには、三両くらいつながってたんだっけ?。ちょっと前の事って、すぐ忘れちゃうものだなあと記憶力のなさに愕然としたりもするのだけれど、ずいぶん見慣れてきた旧北陸本線を走るトキ鉄の一両列車。
レンズの手ぶれ補正を切るのを忘れちゃったせいで流し切れていないのはご勘弁いただくとして(汗)、のぞきこんでみるとホントにたくさん乗ってるなあと思う。
そろそろ暮れていく時間。明るい社内。そしてきっとおおむね座ってるくらいの混み方になったからこその「いつもの顔なじみ」という空気。3月までより、毎日乗るみんなはどこか親近感を感じるようになっているんじゃないかなあと想像してみたりします。
職場が近いのは日頃は助かることのほうがずっと多いのだけれど、ときどき「30分くらいの距離で、列車で通勤してみたいな」と思うことも。ちょっといつもとちがう形の気分転換を、アタマが求めているのかも。
そんなこんなで日曜日の朝です。おはようございます。
あ、ちがった。Musical Popupだ。つい Magical Mystery Tourを思い出しちゃう "The Beatles Musical Popup"というタイトルの仕掛け絵本は、ペニーレーンでの演奏シーンにはじまり、見開きごとにメンバーが年を重ねていくちょっとびっくりする一冊。
操作するとちゃんとリンゴがドラムを叩いたりしてね。
そんな仕掛け絵本もある、今月の紅梅文庫のイベント。市のサイトでも「永遠の少年にちなんで」と、今回お披露目の「ピーターパン文庫」とからめてご紹介いただいています。
http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?itemid=17913
23日(水・祝)まで。16:00までやってます。この週末、市内はいろいろ盛りだくさん。
大紅屋さんでの清水心澄さんの「ほのぼの観音」原画展も、見に行きたいなあ。
http://ameblo.jp/tsumugi-biyori/entry-12057305257.html
そんなわけで、みなさん。たのしいお休みと、街歩きを。
海岸を歩くには、ほんとにいい感じの今朝。
ほんとに午後から降って来ちゃうのかなあ。ついつい自転車で通勤しちまいそうになる朝です。
昨日は出張先では「どうせ屋根伝いで動けるからだいじょうぶ」と傘をもっていかなかったのだけれど結局あちこちで大雨に遭ってけっこう酷いことに。途中で観念して傘かっちゃいました。
そう思うと「がんぎ」がちゃんとつながっているまちというのは、ありがたいなあと糸魚川のことを思って見たりも。
打ち合わせは秋葉原のオフィスビル。駅で降りてすぐ神田方面にというのはここんとこよくあったのだけれど、アキバ側にいくのは2~3年ぶりかも。あんなにも外国のようなまちになってるんだなあと、あらためて実感。
「ぼくのまち」の感じを喪わないまま、きてくれたひとたちに対して親切なまちってバランス感覚は難しいものだなあと、そんなことを思ったりも。
そんなこんなで、おはようございます。
今日は関東で午後から打ち合わせ。
いままでははくたか~新幹線乗り換えの出張は帰りに座れるようにきちんと指定席を前もって取っておいてでかけることが多かったのだけれど、北陸新幹線がきてからは結局自由席で乗ることが多くなりました(空いてるし)。
その感覚もだんだん緩んできて、1時間に1本くらいは来るし、すこし時間があっても駅でお茶のみながら仕事ができるし・・・ということで今日はとうとう電車時刻もしらべずに駅までやってきてしまいました。で、改札に来たら発車5分前。自販機で切符を買ってもうじき着くと、そんな感じです。時間的にはあまり大きな短縮じゃないのだけれど、こういうふらっと行ける感じは、かわったなあ。
というわけで、写真は車窓からの能生のあたりの田んぼ。
けっこうあちこちで防音壁が高く、景色が見えないところも多い北陸新幹線だけれど、川の上とかだけでなく、細かく防音壁が低い場所が設定されています。そういえば、能生のこの界隈も騒音がひどくて困っていたお宅があったなあと、そんなことを思い出しながらの、稲穂の写真。もしかしたら、今日戻ってくるときには、この田んぼも刈った後かもしれないなあなどと思いながら。
一日晴れだと言っていたので自転車ででかけようと思ったら、朝に突然雨が降ってきた昨日。やがて雨があがると、低いソラはまだまだ灰色なのにそこに朝の日差しがさしてきて・・・。この、明るい鉛色は、すっきりと晴れることのない日本海の冬のソラに日差しがさしてきたときの「ああ、今日はいい天気だなあ」と感じるときの色。なんだかそんなことをふと思い出してしまいました。
真冬になると青空をみかけることはほとんどなくなるだけに、冬に撮った青空の写真はそれだけで傑作みたいな気がしてしまう一方、鉛色のソラが日差しを照り返すのを見ると「いい天気だなあ」と思うようにもなる。
それは、夏になれば忘れてしまうことなのだけれど、夏休みもおわって「今年も折り返しだなあ」と思うと、急にそんな感じが戻って来るのです。
彼岸花も見つけた、そのうち紅葉もはじまる。きのこもいただくようになる。
あんまり急ぎ足で秋が終わってしまいませんように。
ネットでひとの写真をみせてもらうようになるまでは気にも留めなかった花のひとつが彼岸花。
田んぼの畦にという風景をよく見るけれど、当地ではあまり田んぼには咲かない花でもあるし「そういえば、どこに咲いてたかなあ」と以前は思いつきませんでした。
でも、日本は南北にも東西にも長いから、ちょうど真ん中あたりの糸魚川に住んでいると暖かくなる時も、寒くなっていく時も、他の土地の写真に兆しを感じてから見ていくことができる。
先週も東京郊外に出張中の方が「もう咲いてる」と彼岸花の写真を載せられていて、糸魚川もそろそろかな・・・と思っていたら、青海駅のJR貨物トラックターミナルのところの坂で、すこしずつ咲き始めていました。
そういえば、稲刈りもそろそろとはじまった頃。稲刈りがピークの頃、きっと満開になるのだろうなあ。案外季節ってうまくできてるもんだなあと、そんなことを思ったりもする朝です。
そんなこんなで、おはようございます。
今週末は、午後からぶっとおしでオデュッセイアIIの舞台稽古。
昼間はこどもたちが熱演してます。
休憩になると、やっぱりハラは減るんだよなあ。
みるみるうちになくなるあんパン。そして、また、稽古。
記録と広報のために時々写真を撮りにお伺いしているだけの僕なのだけれど、いつ見ても眩しいこどもたち。本番が楽しみなのです。
というわけで、オデュッセイア2。去年の舞台の映像の上映会なども予定されているようです。情報はそのたびにFacebookページに掲載されますので、ぜひそちらもご覧ください。
https://www.facebook.com/itoigawa.odyssea
不謹慎ながらそんなことを思ってしまう、そんな昨日の糸魚川の川の様子。
シーズン終わりの鮎釣りを楽しむひとがいる海川から、クルマで4時間ほど走ったところでは堤防が決壊したり流れが越堤したりして大変なことになっているわけで、ほんとうに被害に遭われた方たちにはお見舞い申し上げます。
あとすこしで越堤しそうになった7.11水害のこととか、公民館などに貼ってある「越堤したらここまで水没するよ」という水害ハザードマップでウチがどのあたりにあるかということ、昨日はこどもたちとも話しました。あらためて、自然ってのは時に僕らが思う以上のトンでもない形になることがあるということを、忘れないようにしたい。そんなことも。
まだまだ雨が続く場所もあるようです。くれぐれも、みなさんお気を付けて。
「はっきりしている」なあと、時々思う。
今日もまだ大雨の特別警報が出ている地域がある一方、糸魚川には特に被害のなかった台風18号。ヤツがすこし西のほうを過ぎて行ったあとは、妙な青空が広がる夕方になりました。
青空といえば、青空。すこし雲は浮かんでいるけれど。
ただ、それがなんとなく妙にはっきりしていたり、ソラが澄んでいたり、かとおもえば雲に妙な陰影があったり。
いつもとちがう。なんだかそんなことを妙に感じる青空でした。
今日は、これから雨の予報。でも、妙に朝は晴れているなあ。
県内でも阿賀野川には氾濫注意情報が出ているし、姫川も上流で降ったせいでけっこう増水しています。みなさん、くれぐれもお気をつけて。
こどもたちが書いてくれるアンケートは、大人のような社交辞令がないだけにそのものズバリのストレートさ。それだけに「また来たい」がこれだけ多いというのは、素直にとてもうれしい。
写真のグラフは、先月糸魚川駅周辺の商店街の空き店舗をお借りして企てた「お化けの館」の反省会資料でのもの。
「もっと怖くしてほしい」もあれば「怖すぎてダメ。もっと優しくして」もある、でも「また来たい」と多くの子たちが言ってくれるのは、各館の担当にとっては本当に励みになるのではないかと思います。
絵本での「ひとやすみ」的な部屋を担当した僕にとっては、今年は去年以上に準備不足で後悔の残る「お化けの館」となっただけに、他の館の担当のみなさんのおかげでのこの感想に、うれしい半分、申し訳なさ半分の反省会でした。
来年関わるなら、もっと突っ込んでいきたいなあ。突っ込んでいったほうが、シンドイけどもっときっと楽しいはずだもの。
そんなこんなで、みなさんお疲れ様でした。来年も、ぜひ。
今日は夏休み明けはじめての小学校の朝読書。なんだか二ヶ月以上も空くと学校へのアウェイ感がずいぶん強くなっちゃって、あたふたな朝でした。二日続けてなので、明日のもう一校ではもう少し落ち着いてできるかな(汗)。
教室に並んでいる夏休みの自由研究ファイルの表紙を眺めていると、みんなホントいろんなことやるんだなあと、いろいろ触発された朝でもありました。
さて、写真は七月の木村太亮さんの市内での個展のあとおゆずりいただいた光村教育図書版の1・2年生のせいかつの教科書に載っている夏の生き物の見開き絵の複製原画。
残念ながら今年の春から会社がかわってしまって、市内のこどもたちがこの絵の載った教科書を使うことはなくなってしまったのだけれど、でも体育館へと続くこの廊下で、こどもたちはにこにこしながらいつも眺めているとのことでした。
校長先生が「なつのなかまたち」と題した紹介プレートも作ってくれてましたよ。
というわけで、今日もはっきりしない天気ですが、おはようございます!。
だんだんと、枯れていく人のかっこよさに惹かれるようになってきた。もちろん、年かさの困った人もたくさんいるから、どの年代でもカッコイイやつとそうではないヤツがいるということ以上でも以下でもないのだけれど、それでもなお、つるつるしてたり、速かったり強かったりするわけではないかっこよさというものへの共感が強くなっていくというのは、そういうトシになりつつあって、しかも自分が「そうではない」という自覚があるからでもあるのだろうな、と。
そんなわけで、最近妙に好きな、しおれかけの鷺草を撮ってみました。
さて、今日はいよいよ日本海クラシックカーレビュー当日。
おなじく枯れていくかっこよさが現地には溢れていると思います。
なんとか雨も上がったし、ぜひみなさんお出かけを。
今日は、現地の様子が随時更新される、Facebookページをご紹介。
https://www.facebook.com/nihonkai.ccr
そんなこんなで楽しい週末を!。
明日はいよいよフォッサマグナミュージアムのところでの恒例「日本海クラシックカーレビュー」。きっと、いろんな人が今日あたりから糸魚川にたくさん集まってくれるのだろうなあ。
そんなわけで、写真は去年のCCR直前の金曜日、写真を撮る知人と待ち合わせした筒石の海中電柱。
糸魚川のフォトジェニックな場所をいくつか巡って、魚も楽しみ、そしてCCRも楽しんで言ってくれた客人は今年は仕事が忙しくてこられないそうなのだけれど、そのうちまたここも、撮りにいきましょう。
きっと、あちこちで「歓待」な週末なのだろうなあ。
というわけで、CCR2014のURL、紹介しておきます。みなさん、楽しい週末を。
http://ccr.ikaduchi.com/
あ、そうそう。会場周辺でのドローンでの空撮は禁止だそうですよ。くれぐれも、安全第一で。
雨はしとしと降るけれど、それほど天気が荒れているわけでもない。そんな夜に突然の停電。冬や真夏のどんどん落雷するようなときに数分落ちることはあるけれど、こんなふうにいつまでも電気が戻ってこない停電は久しぶり。まだまだ21時をすこしまわったばかりの時間だったこともあって、懐中電灯を取り出したり、いつまでも復旧しないので外に出てみたり...。
窓の外を見てみると、遠くのソラはいつもの曇り空の夜とおなじくまちの明かりを受けて明るくなっている。でも、ご近所一帯は街灯も、場所によっては信号も止まって真っ暗。そのうち、国道の信号のところにはパトカーがやってきて交通整理をはじめました。
結局、この停電は僕が住む界隈だけのものだったようで、場所によっては30分ほどで復旧し、たぶん一番遅かったウチのあたりでも23時過ぎには電気がもどってきました。
なにかのショックで安全装置が働いた・・・というのであれば、数分で戻って来る。それより長い時間止まったということは、なにかが壊れたり切れたりしたということなのだと思う。昼間働いているひとたちがそろそろ一杯やったり風呂にはいったりする頃のトラブルでも、誰かが直してくれたから復旧するわけで、いろんな人がインフラを支える仕事をしてくれているのだなあと、あらためて思う夜でもありました。
自宅が停電していて、ネットがつかえなくても、手持ちのスマートフォンとノートパソコンで客先の装置が停電の影響を受けていないかチェックができるというのもありがたいこと。寝る前に安心できたのも、よかったなあ・・・と思ってしまうワタクシも「インフラをささえるひと」のはしくれなのかもしれないなあと、そんなことも思いながら。
そんなこんなで、おはようございます。
信号の光って。
そんなことを思う、雨の日の夜。
向こう側、すこし高くなっているところは去年の暮れに開通した中央大通り線が大糸線をまたぐところ。R148と直結してなんだかいろんなルートがかわりました。新幹線もそうだけれど、使い始めるとその前がどうだったかってことを急速に忘れていきます。
ちょうど今「オンライン・バカ」というネット常時接続時代のことについての翻訳本を読んでいるのだけれど(それにしてもこの邦題を付けたヒトは挑発的だなあ)、たとえば一緒に居るヒトとのコミュニケーションを中断してスマートフォンをちょっと覗き込んで個人的な連絡を確認したり、帰って本を調べるのを待つ事なく調べ物をしたりということがどんどん当たり前になっている今、たとえば「人と会っているときに持参のゲームみたいな機械を覗き込んでやりとりを中断させる」ことが失礼だと考えない習慣が急速に広がっているというのは、ある種の大変化。
ネットの常時接続はスマートフォンを得て一部のPC使いだけでなく、いろんなひとの習慣となったけれど、その「前と後」を両方体験しているひとか最初から「後」だったかというのは、かなり大きな、いろんな思考様式の前提の差になるのかもしれない。
そうでなくても「前」のことは急速に忘れていくだけに、なんだか今はトンでもない時期を経験しているのだなあと、あらためて思うワタクシなのです。
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