プロ意識
いきなりの汚い手首の写真で申し訳ない。
昨日は、いつも使っているスマートウォッチのバンドをかえてもらいに、近所の時計屋さんに行ってきました。
昔からある時計・眼鏡のお店といえば「職人の店」。小さい頃はじめて眼鏡を作ってもらったときに行ったお店はもうなくなってしまったけれど、目にぽこっと傷見ルーペをつけていじってくれる姿はいつも楽しみにじっと眺めていて、ああいうことの積み重ねが今の自分の中のクラフトマンシップ(つまり「本を読んだだけではできなくて、もちろん自分にもできない、経験が必要な高い技術」)への尊敬につながっているのだろうなあと思います。
昨日のお店でバンド交換してくれたのは僕と同年配の店主さんなんだけれど、元のバンドのメーカー名が刻んである金具を使ってみようとか、こちらが求めてもいない(そもそもできるとも思っていなかったような)ことまで「どうしますか?」と尋ねながら作業してくれました。そちらで買った時計ではなかったこともあって、なんだか申し訳ない限り。
そして、待っている間にお茶を出してくれたお店のおばあちゃんとのお話で「!」と思うことがあったのです。
今回バンドをかえてもらったのはスマートウォッチだけれど、そうでなくても最近の時計はいろんな機能がついています。だからマニアックな使い方をするお客さんのほうが詳しいなんてこともある。聞かれるとわからなくて困るというのであればそれはありふれた話。それをおばあちゃんは「商品知識がなくなってきたのでお店に出るのが怖くなってきて」といった言い方で話してくれました。
職人の店では、きちんとした技術があってあたりまえ。それが十分ではないという自覚が出てきたので、時に接客が怖いことがある。これは「わからなくてあたりまえ」とは対極のスタンス。技術のお店をやってきたという自負があるから出てくる話だなあと、あらためて思ってしまったのです。
先代のおじいちゃんは「どんなに分厚い説明書でも隅から隅まで読まないと気が済まない」人なのだそうです。それもまた「リクツがわかるから対応できる。リクツがわからないと気持ち悪い」という、古き良き職人のスタンス。
なんだか、かっこいいなあ。
丸ごと交換とか、完全なサービスマニュアルとか、確かにそれは均質で速いサポートのためには有用だと思う。思うのだけれど、エンジニアというのはいつも、こういう自負があるひとのほうがいい。
時計のバンド交換ひとつで、なんだか背筋の伸びる体験をさせてもらっちゃいました。
地元の商店街、ありますよ、再発見。
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