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先週末、「紅梅文庫を活用する市民の会」にしんくみピーターパン基金から寄付頂いた児童書・絵本を実際に見せて頂きました。
これは、紅梅文庫が閉じられたあとの期間に出版されたものを補って、紅梅文庫が今まで継続されていたら・・・という蔵書構成に近づけるためということで市民図書館の司書さんに選書していただき、基金からご寄付いただいたもの。
当面、市内のいくつかの読み聞かせや朝読書などをやっている団体で持ち回りで使わせて頂けるということで、僕も一部をお預かりしてきました。
自宅で蔵書リストを整備し、蔵書票を貼り付ける作業をしていたら、ウチの下の方が整理の終わったものに早速手を出し始めました。コイツは上の子とちがい、いままではあんまり本を読んでくれと持ってきたりはしなかったし「これおもしろいよ」と言っても手をだしたりはしない方だったのだけれど、なんだかスイッチが入ったようにひとつひとつ丁寧に箱から取り出しては読み始め「これ、おもしろいよ!」と僕らにそのたび教えてくれるように。
コイツは、ひとに教えてもらうんじゃなくて、自分がひとに伝えたいってタイプなんだなあ。
だったら、あとは読ませたい本は、こっそり買ってきて本棚の中に押し込んで置こう。そのうち見つけるはず。来年とか再来年かもしれないけど(笑)。
そんなこんなで、早速ウチの中でおおいに活用されてしまったピーターパン文庫。これからぼちぼちとあちこちで活用していきますので、よろしくお願いします。
昨日は、紅梅文庫と絵本の読み聞かせを勉強する会に顔を出してきました。会場は国登録有形文化財の旧高野寫眞舘 ( http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/143498 )。
ここに入らせて頂くたびに、おもわず暗室ではいろんなことを考えてしまいます。
干してある大きなネガ。ルーペ。そして石の水回り。
いまよりもずっと写真はいろんな節目に強い記念として撮られていた。だから、この小部屋はいろんな強い思いが化学変化を通して目に見えるものへと変わっていく通り道だったんだよなあ、と。このあたりはメモリカードにぱしゃぱしゃと気楽にデータを放り込んでいる僕らの時代とは絶対に違うなにかがあったはず。もっと大事に撮らなきゃなと、あらためて思うワタクシなのです。
子どもの頃、港で釣りをすることはけっこうアタリマエのことだったので、あそこが立ち入り禁止だとは考えた事もありませんでした。でも、たとえば「飛び込んで海の中で遊んじゃだめ」とか「コドモだけで夜釣りに行くのはちょっとな」とか思ってたし、フェンスを越えて西堤の先までいくのはやってたけど「これ、怒られるよなあ」と心の中では思ってました。
なにかトラブルが起きると、今は「次は気をつけろ」じゃなくて、必ず再発防止策が求められる。その再発防止策というのは、結局は「やろうとおもってもできないようにする」か「やったらオマエのせいだと明確に表示するか」のどちらか。
前者はどんどん息苦しくなるし、後者は実はなんの対策にもならない。
僕は案外と、コッテリとしぼられて「次は気をつけろよ」というのは、案外いいコトだったんじゃないかと最近思うことが多くなりました。
それは確かに「みんながひとつの価値観を共有している世の中」だからできたことなのかもしれない。言い換えるなら「ひとつの価値観で生きる事を強要するコミュニティ」であったということなのかも。それはそれでいろんな良くないこと、困った事が出てくるのも実感している。いるのだけれど。
リスクヘッジすればするほど、本来の問題からは遠ざかっているようなケースがたくさんあるような気がして仕方がない、そんな気がするワタクシなのです。
いつもここを通ると、このベルトコンベアで切り取られたところは、まるでフレームだなあと思う。
この向こうにブラック番長でも立っていてくれると、なんだか絵になるんじゃないかなあ。
さて、去年福井のギャラリーカフェ 群青 ( http://gunjo-cafe.com/ )で遭遇したA4のきれいな紙を好きな形にちぎると、アヤしいオヤジが「目は大きい?小さい?」「クチは大きい?、小さい?」とふたつだけ質問しながら、自分がちぎった形はそのままにその中にカッターで魔法のように手を入れていくと、いつのまにかなんだかわかんないけどイキモノになってしまうという「!」なワークショップ、「楽描」を、糸魚川でもやっていただけることになりました。7/27~8/1に旧倉又茶舗で開催される「きむらだいすけ恐竜イラストレーション展」の中で、木村さんの在廊日(いまのところ7/27-28の予定)に、このフレームワークショップをしていただける予定です。
ちなみに、僕が群青で木村さんに仕上げてもらったイキモノはコイツなのだけれど、美術の時間はだまってなんとかガマンして終わるのを待っていたような僕にして「楽しかった!」と思う、ウマイもヘタも関係ない時間。ぜひ、遊びに来て体験してほしいなあと思います。
詳しくは、こちらから。
http://www.itoigawa-machiyakai.com/
月曜日の出張では、以前と比べて新幹線の本数があること、3/14の北陸新幹線延伸以来指定券を取ってなくても座れるのでそれほど電車の時間を気にせず仕事するようになっちゃったこと、そしてその結果一時間くらい待つのがイヤになっちゃったこともあって、とりあえず長野行きのあさま(E2)に乗り、軽井沢で降りて後続のはくたか(E7)に乗り換えて帰ってくるなんてコトをやってみました。
蒸し暑い日だったのだけど、軽井沢のホームの風は寒いくらいで、避暑地とはよく言ったもんだなあ、と実感。
そして、ホームを見ていたらおもしろいものを見つけました。
「ここにならんでください」の電車待ち囲みに足跡が描いてある駅はよく見かけます。糸魚川駅にもかわいいコドモのような足跡がありますよね。
それが、軽井沢ではいろんな動物の足跡でした。まず動物の写真があって、その先に足跡。大きさもちがうし、配置もその動物の歩き方を少し模した感じなのか、まっすぐだったりちょっとまがっていたり。
これ、おもしろいなあと思ってあちこち見てみると、ホームの端っこの囲みのところには、ない。
あさまは8両編成の短い新幹線でした。そして、今回金沢延伸とともに走り始めたはくたか・かがやきなどの車両は、12両編成。すこしだけ長くなった。
この長くなったところの囲みは、ただ線がひいてあるだけなのです。
せっかくおもしろい試みだったのに、"長野新幹線"がスタートしたときの遊び心を、今回引き請けるひとはいなかったのだなあ。
軽井沢のような、観光のセンセイのような場所でもこうなのだもの、僕らがいろんなことをやるとき、最初にする工夫を続けていくというのは、きちんと意識しないと大変なのだなと、そんなこともあらためて思った、軽井沢ホームの上の小一時間のワタクシなのです。
今日は東京での打ち合わせ仕事。その前にちょこっと足を伸ばして、分倍河原のギャラリーイノウエハウス ( http://www.inouehouse.com/ )で開催中の田村智久さんの写真展「日々ノキオク II」をのぞいてきました。
田村さんとは、以前よく顔を出していた写真SNS ganref でやりとりさせていただいていたのですが、よくよくお聞きすると奥さんのご実家が糸魚川とのことで、ウチのあたりにも時々撮影に来られているとのこと。そんなわけで、以前一度、能生の柵口のあたりとか、小泊の家々の路地だとか、そのあたりの撮影散歩をご一緒させていただいたことがありました。
今回の写真展も、東京のあちらこちらの写真の中に2点、糸魚川の写真がありました。出かけた先の写真展で、故郷の写真に遭遇するというのは、なんだかうれしいもの。午後からの打ち合わせもなんだかいい気分で進めることができました。
そんなわけで、府中界隈にお住まいの方、明日6/23までです。よろしければ、お出かけください。
つい先日、某所でトマトの花の写真を載せたのだけれど、花の付け根のとげとげの形に、すっかりキュウリを撮ったとばかり思い込んでいました。今日、まじまじと雨に濡れる畑を眺めていて「あれはトマトだったなあ」と改めて思うワタクシ。ホント、植物だの動物だのの名前がわからないヤツですいません。
というわけで、今日はまだ花がついているちいさいキュウリを、ちょっと葉っぱをかきわけて撮ってみました。
最後のヒスイの里山岳マラソンの日。午前中はおおむね雨も落ちてこなくて、暑すぎず長距離を走るひとにはいいコンディションだったのかも。一方でスタッフのみなさんは天気予報とにらめっこで、途中山の方に回るコース特有の心配もたくさんあったのではないかと。
今頃は片付けてウマい打ち上げのびいるの頃でしょうか。ホントお疲れ様でした。
そういえば、新潟県上越地方は、19日頃梅雨入りしたとみられるとのこと。
いよいよ雨の日々、ですねえ。
小学校や幼稚園の朝読書に顔を出したりしているくせに、ちゃんとひとに読み聞かせを習ったことは実は一度もないし、今ではヒマさえあれば本を読んでいるくせに、いわゆる「これは古典の名作」というものもほとんど読んでいない、そんなニワカ本読みのワタクシですが、時にはちゃんと人に習ってみようということで、今週・来週と開催されている紅梅文庫講座に顔を出しています。
紅梅文庫は20世紀の終わりごろに横町の個人の方のお宅にあった、私的な図書室。7つの部屋にひとつひとつのテーマがあって、そこでどっぷり没頭して本を楽しむ。そんな、穏やかでごくごく個人的な非日常をちょこっとだけ作り出す空間として運営されていたのだそうです。
残念ながら僕がその存在を知ったのはここ数年の話なので、現在は市に寄贈されてパークイン美山にしまわれているその本たちに遭遇したのは、昨日の講座がはじめて。
写真は少し傷んでいることから「準稀覯本」になっている本なのだけれど服の一部がちゃんと布で表現されている、こういったスタイルの絵本が出てきた初期の頃のものなのだそうです。
The Best of 3D Books ~ 立上る本・動く本
という本を書かれた東大名誉教授の横山正さんは、建築デザイン的なアプローチから紅梅文庫の「居心地」という面でいろいろサポートをされた方でもあるそうで、しかけ絵本の本としては国内では草分け的なこの本でも、かなり紅梅文庫の蔵書から紹介をされているんだとか。
そんなわけで、来週は蔵書の中から選んだ本を、メンバーの前で読み聞かせ実習もあるらしいのだけど、オヤジはワタクシひとり。どんな感じになるのかな?(笑)。
梅雨前線が北上をいやがっているのか、なんだかまだ梅雨入りしていない模様の新潟県。
相方が住んでいる長野市と糸魚川の気象警報が携帯に届くようにしているのだけれど、警報音が鳴って「あ、警報?」と思って見るとたいていが長野市の大雨警報や「15分後にすごい雨が降るよ」のお知らせだったりして、その翌日濁々と流れる姫川を見ると、上流だけはちゃんと梅雨入りしているんだなあとあらためて思ったり。
そんなわけで、昨日もすっきりと晴れたわけではなかったのだけれど、きれいな夕陽が雲の間を沈んでいきました。
なかなか雲の多い日だったこともあって、赤いところも、青空も、立体感ある雲のところもある。あらためて、いろんなところのある夕空だなあと思う。
そして、この中で一番僕が好きな要素はどこかというと、実は強い夕陽のあたっていない、穏やかな海面の部分のグラデーションだったりするのですが、みなさんはどのあたりに「!」を感じますか?。
(この写真自体の、ではなく、この風景の、ですよ(笑))。
治山のために山肌に打ってあるパターンがみるみるうちに育つ緑に覆われていくこの時期。
たとえば先日ブログに載せた筒石あたりの碁盤のような斜面も、今はだいぶ緑色。
なので、覆われていない場所は、目立ったりもするわけです。
能生のここのパターンと、その下の排水溝は・・・なんだかナスカの地上絵みたいだなあ(笑)。
このすぐ近くにある農家キッチンひだまりさんは、ときどき横を通るもののまだ食べる機会のないお店。ぜひそのうち・・・と思っているのですが、通りかかるといつも営業後なんですよね。そのうち、行かなきゃ。
昨日のお昼頃駅をとおりかかったら、れんが車庫の形にびっしりと貼られていた「10年後のあなたへ」のパネルのはがきがはがされていました。
そのまま貼ってあるとだんだん退色もしてしまうし(ウチの下の子はなにを思ったのか蛍光ペンで書いてたから、10年後にはもう読めないだろうなあ(笑))、はがしてしまっておくことにしたのだろうな、と。
そして、「そうか、駅はこんな風になったのか」と感慨深そうに海のほうを見たりしていたおじいちゃんは、どうもディサービスとかの途中のよう。
こうやって車いすで連れ出してくれて、のんびりとまちを眺める時間を作ることに、ちゃんと意味を見いだしてくれている介護業者のひとたちが市内にいるんだなあ。
その後、駅構内のコンビニでコーヒーを買おうと思ったら、だいぶお年のご旅行中のご夫婦がセルフコーヒー淹れ中。奥さんの分もオトウサンが淹れて、ふたつ抱えて集合場所へと歩いて行きました。この年代のオヤジって、全部家の事やってもらってふんぞりかえってるヒトも多いけど、こういうおじいちゃんも増えてきたんだなあと、なんだかそこもほほえましかったりして、駅はいろんなヒトを眺められるなあと、いろいろと嬉しくなったワタクシなのです。
仕事の日には汗だく密着な電車に乗って通っている方達には申し訳ないのだけれど、月曜の朝、7:01発の始発の新幹線を待つホームにのぼってみると「案外乗る人、多いんだなあ」とつくづく思うワタクシ。
たぶん、出張者のひとのピークタイムはこの次の8時台や9時台なだけに、この時間でもざっと数えて20人以上いるんだから、新幹線で糸魚川を出入りするひとは増えたのだと思う。
思えばこの週末は、土曜日の夜、最終の下りに子どもと一緒に家族を迎えに来たけれど、その時間にも降りるひとだけじゃなくて、ここから乗って金沢方面に向かうひともいたものなあ。
そして、ホームから見下ろすと「あ、駅前に立てているホテルは『ホテル・ジオパーク』っていうのか。なんだか直球だなあ」とか思ったり(笑)。
そんなこんなで、今週も新幹線ホームからはじまる一週間。ワタクシが出張するわけではなく、しっかり市内に出勤しております。
おはようございます。
きらら青海で毎月第二土曜日の9:30からやっている、土よう子ども会という無料・申し込み不要の小学校~幼稚園・保育園くらいまでの子のための会があります。
絵本を読んだり、手遊びをしたり、工作をしたりして、最後に一本短い映画を見る会。僕はここで毎月一冊絵本を読んでいるのだけれど、ここのところ工作担当のスタッフさんがすごくがんばってくれていて、とっても楽しくて可愛い工作の準備をしてきてくれるので、それがとても楽しみ。6月は昨日が子ども会の日だったのだけれど、この日は不織布や紙粘土を使って作る、笹舟に乗ったおひな様でした。
・・・ただ、来てくれるこどもさんが、少ないのです。
図書館とおなじ建物で、だけど二階にあがってちょっと暗い廊下を通っての講座室での開催だから、ちょっと(だいぶ)敷居が高いとは思う。こどもだけで遊びに来るには、ちょっと「コワい」のかもしれない。もしかしたら、お父さん・お母さんたちにちょっと息苦しいグループなのかな?と思われているのかもしれない。そんな心配もしています。
でも、コワくないです、きっと(たいてい、怪しい団体は自分たちのことを怪しくないというんですが(笑))。この工作だけでも、きっと楽しいと思うのだけどなあ。
ぜひぜひ、遊びに来てください。生涯学習センターへつながる廊下の途中の講座室で、来月も第二土曜日の9:30に待ってます。
お知り合いに小学生や幼児の子がいるご家族がおられましたら、ぜひ。
https://www.facebook.com/d.kodomokai
さて、週が明ければ今週は久しぶりに朝読書でふたつの小学校にお伺いします。
楽しみだなあ。
そういえば、田海あたりの防波堤には10mおきくらいにいろんな形のはしごがかけてあったりするけれど、八千川の放水路のところにも先日からちっちゃいはしごがたてかけてあります。ちょっとまわればすぐに登ったりおりたりできる場所なんだけど、それでもつい、はしごを見つけると立てかけちゃうのかなあ。
そして、昨晩もここの海岸では三脚を立て、長いレンズを夕陽にむけているひとがいました。
水平線のあたりのもやっとした中に沈んでいく、すこし雲で遮られたギラギラしていない赤い夕陽の風情は、なんだか暮れてしまうのを惜しむような叙情もあり、またすこし強い光は情け容赦なく白飛びしてしまうデジタルカメラにとっての「今日はちゃんとまわりの風景と一緒に赤い夕陽写してもいいよ」というソラからのサービスでもあります。
せっかくのそういうチャンスに長いレンズを持ち合わせていないタイミングの悪い僕は、かわりに短いレンズでソラを映してみたりするのだけれど、このグラデーションもまた、きれいなんだよなあ。
しばらく、夕方に海岸に立ち寄るたびにカメラを構えたひととちょっとだけ雑談する。そんな季節がやってきました。
そんなこんなでみなさん、いい週末を!。
9:30からきらら青海では「土よう子ども会」もあります。小学生や幼稚園くらいのお子さんは、ぜひ。
春がやってくると、まずはこごめ(こごみ)をざっと茹でたものがゴハンにならぶようになります。ごそっとでかい皿に積まれたものを各自取り分けて、醤油を掛け回したりわさびマヨで食べたりとしているうちに、まわりのあちこちにござがひろげられてゼンマイを干したり揉んだりする姿を見かけるようになり、その直後にワラビを食べるように。
この「こごめ->ゼンマイ->ワラビ」が、このあたりの三大山菜スターとして、季節感の主役を担う一方、ウドブキとか、モミジガサとか、いろんな種類の山菜も楽しめるようになります。
そのうちのひとつが、このヨシナ。
生えているところがどれくらい水気のおおい場所かによって、こわっぽかったりねばねばトロトロだったりとかなり差がつくコイツ。漬け物にするのその差がはっきり出ます。
野菜たっぷりのカレーを食べながら、ヨシナときゅうりの漬け物。
これもまた、季節感なのです。
朝方だけの雨があがれば、曇っても一日雨は落ちてこない予報だったはずなのに結局一日降ったり止んだりを繰り返していた昨日。
だけど、天気雨の夕陽がそのまま沈んでいく、なかなかきれいな夕方になりました。
家の近くの海岸でちょこっと夕陽を撮っていたら、かっちりしたスーツを着た男性が「きれいですよね」と声をかけてくれました。そして、携帯をゴシゴシ拭いて、撮影。
ほんと、夕陽を見ると、撮りたくなっちゃうんだよなあと、とても共感しちゃいました。
六月のこの時期は日が長くて、この時間帯は仕事が一段落ついていないことも(のほうが?)多い。だから、車で移動していても「あ、夕陽がきれいだなあ」と気付かないこともある。建物の中にいたらなおのこと。
だから、夕陽がきれいなことに気付くというのは、その日の夕方にちょこっと気分的な余裕があるということのあらわれでもあります。
忙しいときも「あ、夕陽がきれいだな」ということに気付く程度の右往左往でいたい。そんなことをあらためて思ったワタクシなのでありました。
さて、今日久しぶりに晴れていい天気。梅雨入り前の貴重な晴れ間、楽しんでいきましょう。
先日、7.11水害から20年の写真展がきらら青海で開催されてました。
考えてみれば、あの水害までは姫川河口近くは中州にも木がもうもうと茂っていて、「あそこでキャンプとかしたら楽しそうだなあ」なんて話してたのを思い出します。
「増水したら怖いぞ」と大人に怒られ「でも、増水しても流されたりしないよ。だって、あんなに大きな木が生えてるくらいなんだから、水没なんてしたことないんだ」なんて言ってた。でも、あの日ははしからはしまで濁々と流れるなかLPガスボンベだの冷蔵庫だのいろんなものが流れていって、水が引いたらすっかり中州なんてまるごとなくなっちゃっていたのでした。
左岸側の河原はいっぱいグミの木があって、けっこう渋い味だったけれど取ってきて祖父がグミ酒をつくったりもしていたなあ。そして、そういった木々もみんな流れてしまった。川は怖いと実感したのは、あの時だった気がします。
んで。
写真は姫川橋の真下のもの。
川の形はしょっちゅうかわるので、大きな木が生えた中州の島はまだ姫川にはないけれど、だいぶ灌木は育ってきました。河原まで下りてみると、場所によっては「ジャングル」感も出てきたかな、と。
川は、楽しい。で、川は、怖い。
梅雨の時期は増水もあるし、みなさん、お気をつけて。
宮藤官九郎がやっている深夜放送でリスナーが送ってくる歌詞を1行ずつつないでいって曲を作るというコーナーがあるのだけれど、その4曲目は「まずタイトルを決めて、80年代のアイドルだったひとに歌ってもらおう」なんて企画が進んでいます。
そのタイトルに応募されてきたもののひとつが、これ。「もしもピアノ~」は四半世紀前の歌だし、その時間を見せるには・・・ってことなのかな。シンセという言葉自体、なんだかちょっと手垢がついたものになりつつありますが、こういう言葉の移り変わりってのは、どんどんはやくなってるような気がするなあ。
んで。
週末、姫川の河原に車を停めて、トロンボーンを吹いている男性を見かけました。
地元の方ではなく、遠くから来られた方だそうで、なんだか気持ちよさそうに河原に下りていったり、堤防の上に腰掛けたりして、だんだんとソラが夕焼けていく時間帯に吹いているのを見て、思ったのは「ああ、外で楽器って、気持ちよさそうだなあ」ということ。
僕は楽器はなんにもできないのだけれど、こうやって旅先で音を出してみるのって、きっと楽しいんだろうなあ・・・と、20年くらい前に「ハブラシ持って立ってます」という集合目印の陽気なあんちゃんのところに集まって、多摩川だか江戸川だかの河原でみんなで楽器をもちよってやった宴会を思い出したりしてました。
「彼」にとって、糸魚川が心地よい場所だったとしたら、うれしいなあ。
そんなこんなで、おはようございます。
海岸によく流れ着いてくるブイ。
でも、けっこうあっちこっち離れた場所にあるし、こんな風に拾い集めて積むのはけっこう手間だったはず。きっと「誰か」は楽しい海岸散歩をしたんだろうなあ。
その後ちょっと気になって夕方もう一度行ってみたら「顔」の部分を誰かが持って行って椅子に。そして、今朝見たら三段になっていました。
案外滑って落ちたりしないで、そのままになってるものだなあと、そんなところに感心したり...。
今日は、青海地区でいままで行われてきた運動会のかわりに、地域のいろんな場所を歩いて巡るイベントが行われているようです。去年は自治会の役員だったからいつなにがあるかをきちんと把握していたのだけれど、離れてしまうと告知のチラシにも気付かないようになってしまって「これ、出てみたいなあ」と思っていたこのイベントも当日「あ、今日なのか」と気付く始末。去年は「少しでも読んでもらいたい」と思いながら広報を作っていたんだから、もちょっとちゃんと広報に目を通さなきゃと、あらためてそんなことも思ったワタクシなのです。
それにしても抜けるような青空の日曜日。みなさん、いい休日を。
昨日はちょうど小学校の子たちの帰宅時間帯に市役所のあたりで信号待ち。
運転席からガラス越しに一枚ぱちりとやったのをあとで眺めていたら、なんだかアビーロードみたいだなあなんてイタズラ心が沸いてきて、ビートルズのメンバーとおなじく、左から右にあるくように写真も左右反転してみちゃいました。
(直前にお客さんのところでなぜか広報誌の写真なんぞ撮っておりまして、カメラがマニュアル露出のSS/絞り固定の状態になっていたのはご愛敬。よく真っ黒にも真っ白にもならずに写ってくれたなあと、これは暗めの曇天に感謝です(笑))。
さて。
4時頃市内の小学校のまわりを走ると、わらわらと校門から出てくるこどもたちと、彼らが事故に遭わないように朝とおなじく見守ってくれている「みどりのおじ(い)さん・おば(あ)さん」とのとのやりとりがほんとほほえましくて。
ちゃんと挨拶しろよとか、いつもとちょっと様子が違うから心配だとか、そういう昔はどこにでもあった地域の大人と子どもとのやりとりがしっかりそこにあることに、本当に嬉しくなってしまうのです。
今日はしっとりと降る雨。
なんだか、ついこの間まで「全然降らない」と嘆いていたのがウソみたいですが、まあこれも四季の巡り。雨は雨の楽しみを見つけないとね。
そんなこんなで、おはようございます。
amazonがなぜか「『松田聖子と中森明菜』という新書を君は読むんじゃないのかね?」と提案してきた昨日の朝。これに影響されたのか、妙に青く立体感のあるソラと雲に、「夏の扉」が妙に頭の中で鳴り出しました。
あのもくもくとはるか上まで盛り上がる入道雲の季節にははやいし、これから梅雨がやってくる風の強い天気の不安定な日の晴れ間だったのだけれど、この地域特有のなんとなくクリア感の足りない空気がすごく澄んだ感じだった昨日。雨もまた、空気の掃除屋なのだなあとこういうときには実感します。
さて、今日は打って変わって曇り空。夕方には雨も予報されているようです。九州には梅雨前線がやってきたそうだし、こちらもそろそろかな。
だとすればこの季節時折このブログで書いている「下から眺めていていつまで黒姫に雪があるか」写真もそろそろはじめないと、気がついたら雪がなくなっちゃってるって季節なのだなあと、そんなこともふと思い出した朝なのです。
おはようございます。
子どもの頃、R148を白馬方面に走って行くと突然あらわれる大仏の鮮やかな朱の唇に「大仏さんってのは、口だけ赤いものなんだなあ」と思い込んでいた僕。
今のようにまっすぐなトンネルを通っていくわけではなく、葛葉峠をくねくねまがりながら越えていっただけにこの頃にはもう半ば酔っていて、ありがたいというよりはなんだか怖いと思いながら眺めていたような気がします。
昨日はひょんなことから仕事で近くまでいくことになって、ついでなのですぐ近くまで言ってみました。旧R148は補修工事で大仏のとなりあたりで車両通行止。そして、大仏さんの唇はなんだか淡いピンクになっていました。
色って、褪せるのだなあ・・・とも、口が赤いのは思い違えじゃなかったんだとも。
帰りについでに瘡の湯をはじめてのぞいてきました。
親切なオバちゃんと世間話。最後の客だったこともあってか温泉で茹でたゆでたまごやお茶をいただいたりしたのだけど、すごく居心地がいい感じ。カップラーメンもあるし、今度仕事の途中、お昼食べに寄ろうかなあなどと思ってしまいました。
なんだか妙な感慨のあるお出かけになりました。
そんなこんなで、今日もおはようございます。
夕焼け時間帯でも見やすいLED信号は、冬は張り付いて覆うように凍った雪が溶けずにとても見えにくくなることがあります。電球が「発熱する分」のエネルギーが要らない分、より高効率で低消費電力なLED。
だから、ここ数年は普通の信号の発光部をLEDにかえただけでなく、こんな風に表面を雪がつきにくく、すべりやすいように加工した上で、すこしナナメに傾けて形でも着雪しにくいようにした信号が設置されるようになってきました。
横から見るとなんだかすごく薄くて頼りない感じなんだけれど、いろんなトコロに工夫とか改良って、あるんだなあ。
わかめちゃんというゆるキャラが市内にはいるくらいで、糸魚川は海藻をたくさんたべようとPRしていて、給食にもよく海藻メニューが出ているようです。海のすぐそばに住んでいるくせにちょっと海藻類が苦手な上の子は、冷蔵庫に貼ってある献立表を朝チェックする弟にいつもからかわれていますが、そのうち克服できるのかな(笑)。
そして、あっちこっちの海岸では、海面に海藻がたくさん顔を覗かせるようになってきています。冬寒いときにつくものだけじゃなくて、山がどんどん緑になるこの季節にわっさわっさと増えていく海藻もいるんだなあ。それが風物詩のように感じるほど馴染んでいるわけではない僕は、毎年はじめて気付いたような気分になって「あ、去年も思ったんだっけ」と思い出しては苦笑いする。そんなこの季節なのです。
そんなわけで海面の写真を、一枚。海は、穏やかな時は、穏やかだなあ。あたりまえのことだけれど。
さあ、今日から6月です。気張っていきます。
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