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2015年5月12日 (火)

姫川漁港の・・・

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 ここ数年ずっと時々思い出しては眺めに行く姫川漁港の壁につたう「大木」。
 今年も葉が出てきてずいぶんと茂ってきました。正面に立って広角レンズを向けてみると去年よりもたくさん左右にはみ出るので、もっと左右に(とくに左に)広がったんじゃないかなあ。

 さて。

 週末のボートの転覆事故は、新潟日報の続報記事
 http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20150511179990.html
 によると、港からつながっていない一文字堤にのぼっている釣り客を迎えに行って戻る途中でのことだったとのこと。
 僕も立ち入り禁止の西防波堤にしのびこんだ小学生だったし、釣りするひとはどこにでも入り込むというのはわかる。だから「立ち入り禁止の場所に入ったからだ!」とエラそうなことは言えないんだよなあ。でも、一方で悪いこと(少なくとも禁じられていること)をするときには、それが「いいことではない」という後ろめたさとか遠慮とか、そういうものとともにやるのがかつてはアタリマエだったような気もするのです。それが、「ここはやめておこう」とか「今日はやめておこう」につながる。結果として、事故の頻度も下がる。そういうことが、だんだんと減ってきているんじゃないかと。
 先日の善光寺でのドローン落下事件だって、日と場所がちがえば「事故」。なぜ「そこ」で「その日」に飛ばしたのかは、結局のところそういう「厳しいルール(運用)にさえ引っかからなければいい」という、いろんな人の距離感で保たれている文字になってない緩いルールの無視が、元なんじゃないかと。

 結果として、ここしばらくだいぶ厳しくなった港への立ち入り規制はもっと厳しくなると思います。きちんとルールを決める。またはルールをきちんと守ってもらうべく運用を厳しくする。そういうことがあればあるほど、確かに安全にはなるかもしれないけれど、その分息苦しくなる。
 可能であれば「おたがいさま」での譲り合いとか遠慮し合いで成立している、きっちり決められていない場所のほうが、心地いい。場所にもよるけれど、少なくとも個人的に遊ぶ場所では、僕はそう感じることのほうが多いのです。

 だから。

 無茶は、ルールや仕組みでではなく、心の中の壁で、判断してほしいなあ。無茶すべてしないということでは決してなく、するときに自分で考える。そして、グレーゾーンが広いルールは後ろでそれを見守っているだけ。そういう形がダメだという分野は、あんまり広がらないで欲しい。息苦しくないまちのために。
 そんなことを思うニュースなのでした。

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