迷惑への寛容
こんな風に道路の反対側くらいまで延びた桜は、細い道では見かけるものの、市道でも山添神社横のようにちょっと太い道に面したところではあまりみなくなりました。
背の高い車が通ったり、信号が見えなかったりしたら確かに困る。でも、これくらい別にいいのになあと思ったりも。
秋の銀杏の葉っぱやぎんなんを掃除してくれるひと、今の桜吹雪がちりちりになったあとに掃除してくれるひと、いろんなひとがいて愛でられる「きれい」。
一方で、ちょっとしたことでもすぐに「迷惑だ、どうにかしろ」という話もどんどん増えていて、それが「小さなリスクでもきちんとリスクヘッジしておこう」という流れになって、結果としてまわりの潤いを減らして行っている。そんな気がします。
そもそも、他人にまったく迷惑をかけずに生きられるというのは人間の傲慢だと思うし(たとえば、分析技術があがってきたから「あなたは有害物を汗を介して○○ppm出している」と言われる可能性だって、ある)、もちろん迷惑かけ放題にしてもいいというメンタリティではいけないけれど「これくらい、いいよね」という寛容な気分が、もっとあってもいいんじゃないかなあとも思う。
ネットなんかはもう、正義という仮面をかぶった不寛容の巣窟と化しているところがたくさんありますが(笑)、実世界でももう少し寛容に。これはなにはともあれ「先ず隗より始めよ」で、自分に戒めることでも、あるんですけどね。
そんなこんなで、こういう桜が道路に面した部分だけ、絶壁にならないまちだと、いいなあ。
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