真っ正面
赤煉瓦ネットワークという団体があります。
全国にある赤煉瓦で作った建物、近代史跡などをいとおしく思い、可能であればいい形で保存したいと願う各所の団体の連絡会。糸魚川の赤れんが車庫を保存したいと頑張っていた「糸魚川煉瓦車庫保存活用研究会」もメンバーになっていて、2009年11月には糸魚川で全国大会もやっていただきました。
そして、今年の全国大会は「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産になり、また富岡製糸場内の3つの赤煉瓦の建物が国宝に内定したばかりという富岡市。研究会の主要メンバーさんたちは毎年顔を出している全国大会ですが、当時広報おてつだいとしてちょこっと関わっていた僕も、今回は参加させてもらっちゃいました。
15年前の大会のときには、週末sなのに製糸場の見学もほとんど貸し切り状態だったのだそうです。そして、夜歩いてみるとふらっと呑みに入るお店を探すのも苦労するような、糸魚川よりももしかしたらずっと「シャッター通り」かもしれない繁華街。だけれども、昼間歩くと多くの訪れたひとをもてなして、いろんなひとの笑顔がある、裏通りをふらっと歩いていても製糸場にたどり着けるようにあっちこっちに手作りの地図や看板がある、製糸場以外にもある古くからの煉瓦造りの倉庫や、煉瓦造りではないけれどちょっとかわった形の古くからのお店の説明のプレートがある、外国の人も使える公衆WiFiがある・・・。
決して賑やかだったり活気にあふれていたりしたわけではないまちが、チャンスを得てできることをできる範囲で、精一杯やろうとしているのがひしひしと伝わってくる。それがなんだかとっても心強くて、勇気づけられたまちさんぽでした。
本題の大会では、たとえば富岡製糸場に当初設置された機械類が外国から船で横浜まで運ばれたあと、どうやって群馬の山奥まで運ばれたのかという輸送方法がまだ解明されていないことや、輸出商標に刷られた恩賜の扇子の図案や明治時代の商標を扱う法律の成立時期から「この商標は最初から使われたものではないことがわかった。ならばいつから?」というような疑問、製糸場がおおむねできあがった頃から群馬県など周辺で急に煉瓦工場がたくさんできていき、そこで作られた煉瓦がどう使われていくのかといった産業歴史のことなど、故郷の今につながるいろんなことを、もっと知りたい、きちんと調べたいというひとたちのパワーに圧倒されました。
地元に建っている建物の煉瓦が地元で焼かれたかどうかなんて、まったくもってどうでもいいことに妙にこだわる人たちもいたけれど、そうではなく、このまちがどういう日々を過ごしてきたかに思いをはせるということが、このまちにちからをくれるということを、もっともっと多くの人に実感してほしいなとあらためて思った富岡行きなのでした。
んで。
写真は、朝出かける前に糸魚川駅の工事現場で運転席から撮った一枚。
ほんとうに、メイン道路の真っ正面に、コイツは建つことになったんだなあ。
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