縁ができるということ
ずっと、早川はあまり縁のない土地でした。せいぜいが、月不見の池くらいまで。その上にはあまり上がることがなかったのだけれど、ひょんなことから、市内の怪しい文具屋さんや茨城の怪しいオヤジさんを通じて、早川谷の行き止まりあたりで働くダンディなオヤジさんと縁が繋がり、時々通りかかるようになりました。
そうなれば、いろんな意味で魅力的な場所。いろいろ教えてもらいながら、時には写真を撮ったりもして。雪の降る場所につけられた「寒い谷」という地名なんて、ゆっくり歩いてみなければきっと気づくこともなかったはず。
僕は、家では兄弟の一番上だったからか、妙に先輩願望というか、兄貴願望というか、そういうものがあります。わかりやすい優しさとか、妙な親切さは要らない。ぶっきらぼうで、愛想悪くてもいい。でもなんだか妙に信じられる。そういう空気を醸し出す大人に、もう40代も半ばになってなおコドモのように憧れる僕なのです。あんな大人になりたい。そんなこと言ってるようなトシでは、既にないのだけれどね。
今朝早く知らされた訃報には、本当にびっくりしました。切ない気持ちになりました。
誰を見送るのも切ないけれど、一人で勝手に「アニキだなあ」と思っていたヒトを見送るのは、ほんとうに切ない。
病気で亡くなる方は、みんな最後に戦う。だから、気持ちとしては、本当に、本当に、「お疲れ様」なのです。
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