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2014年9月17日 (水)

凸凹

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 アーケードと雁木の一番のちがい。それは、このデコボコの有無。
 みんなが、軒先をちょっと長くして繋いでいく。だから、みんなが雨露や雪をよけて歩いて行くことができる。みんなに自分ちの一部を使ってもらうかわりに、ほかんちの一部を使わせてもらう。

 こういう仕組みは今でも形をかえていろいろ残っていて、たとえばインターネットなんてのもこんな性格があります。
 新潟のインターネットは、新潟市の大学が東京との間に回線を用意したあたりがスタート。そして、新潟から長岡だったり、柏崎だったりまでは、それぞれそのまちの組織がそこまでの回線の費用を負担してはじめました。
 世界中のネット上のサービスにつなぐための回線費用を、利用者は全部払うわけじゃない。たとえば、長岡から新潟までの分だけ長岡の組織は払う。その先は、その先の回線を維持しているひとに相乗りさせてもらう。そのかわり、世界のひとたちが長岡のサービスにつなぎに来る場合には、最後の数十km分の回線は、長岡の人たちの回線を利用させてあげる・・・。
 すいぶんと大きくなった今のインターネットでも、ひとりひとりの利用者が負担しているのは「ラストワンマイル」の自宅までの分だけ。こういう互助会的なシステムが、世界的にものすごく大きくなってもちゃんと機能しているというのはすごいことだと思うし、そのスピリッツというのは、たとえば雁木のこのデコボコの屋根のつながりとも、ちゃんと重なると思うのです。

 みんなが勝手に自分ちをちょこっといじって通りの人のために差し出す。
 こういう「自分が決めればすぐできる」フットワーク軽くできるようなことを探すことって、いろいろしがらみの多い今みたいなときには大事なことという気もします。
 いろいろの調整につかれてイヤになってしまうより、できることさっさとやっちゃう。それに「!」するひとたちが自然に集まってくる。そういう形も、いいんだろうな、と。

 そんなこんなで、糸魚川には古い時代のものから、アーケードに形をかえながら続いているものまで、いろんな雁木があります。ぜひ「ああ、そういえば」と思いながらの街中散歩を。

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