それがふつうになるということ
北陸自動車道のウチのあたりが対面通行でなくなったときは、うれしかったなあ。額面通り「高速道路」の所要時間で読むことができるようになったし、なにより後ろからトラックに煽られたり、対向車のライトがまぶしくて閉口したり、そういうことがなくなって安心して走ることができるようになったから。
逆に、長野に行くときの上信越道をあまり通らないのは、対面通行のエリアで所要時間が読めなかったりするからでもあります(連休中の渋滞は、すごいこともありますしね)。
さて。
写真の石碑は、市内京ヶ峰PAのラーメン屋さんのとなりにある四車線開通記念の石碑。
今の時期は元気な草に半分埋もれて立っています。
ここのラーメン屋さんは、高速道路外からでも行くことができるので時々ゴハンを食べにいくのだけれど、先日まじまじと「草に埋もれてるなあ」と思いながら一枚撮ってしまいました。
ありがとうと思うことも忘れるくらいにあたりまえのこと。そういうことが身の回りにはいっぱいあって、それで僕らの暮らしは支えられているんだなと、ついこの間読んだ日本製紙石巻工場の被災と復興をめぐる本「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」の読後感がまだ強いせいか、この石碑を見てもそんなことを思ったりした僕なのでした。
なにはともあれ、「アタリマエ」じゃなくて「ありがとう」って思考の仕組みが表に出てきているときって、けっこういい時だと思う。なにか、いいことあるんじゃないかなあ(笑)。
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