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2014年5月13日 (火)

名前というもの

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 昨日、村山常雄さんとお別れしてきました。

 昨日の村山先生の訃報ニュースには「自費出版大賞」「吉川英治文化賞」といった受賞歴や、何万人ものシベリア抑留で亡くなった方の名簿を集め、まとめたという功績を語るものが多かったのだけれど、僕の印象はそれよりなにより「亡くなったひとをその他大勢の統計データにしない」という、執念のようなもの。

 村山名簿サイトには、シベリア抑留中になくなった方の統計データがあります。
 http://yokuryu.huu.cc/ichiran2.html

 普段、シベリア抑留でなくなった方について語られる時には、こういったデータを主体にしたものがほとんど。そこでは、「どこで○人」という情報はあるけれど、そのひとりひとりがどんな風に生まれ、育ち、日々の生活を中断させて出征し、その地で亡くなることになったのか、そのひとりひとりの思いや生きた意味が入る余地がありません。
 でも、ひとりひとりはみんな人間なのだもの。必ず、そういうものはあったはず。無名の人が無名の中亡くなっていったのだとしても、それをただの統計データではなく、せめて名前をきちんと残して、何万人もの「このひとがここで亡くなった」というひとりひとりの記録にしたいというのが、強い願いだった。そう何度も聞かされた気がします。

 一人一人に自分史を聞き取りするような気持ちで行われる「せめて名前だけでも」という強い強い思い。先生の自己満足といってしまえば身もふたもないのだけれど、それでもなお、生き残った人の、託された思いの引き受け方として、先生は必死にやってこられたのだと思います。

 その結果としての、名簿なのです。
 http://yokuryu.huu.cc/meibo2.html

 自分が託されたと感じたものに対して、どこまでがっちりと引き受けるのか。
 ここまでできるひとは、そうそういるもんじゃありません。

 本当に、お疲れ様でした。

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