毎年思うこと
鮭がのぼる川を見るたびに・・・というよりも、鮭が川で力尽きてあちこちで死んでいるのを見るたびに、毎年思う。
連中は、コドモがどう生まれて育つか、見届けることはできないんだなあ。
昨日も、梁にひっかかって宙づりのまま骨になっていく鮭を見ながら、ふと考えちゃいました。ここでつかまれば、卵はちゃんと、ほとんど全部孵化することができて、来年ちゃんと川を下ることができる。おそらく、自分できちんと生むよりも遙かに高い確率で子供を残すことができる。でも、一方で「ちゃんと自分で」残したくないのかなあなどと思ったりも。
・・・とはいえ、意味を考えて暮らすのはおそらくひとという生き物だけ。連中は本能に従って、すこしでも自分を受け継ぐものが残るように、滅びぬように生きているだけなのだけれど。
だとすれば、僕らも「残るように、滅びぬように」子供を育てていかなきゃ、いかんのだなあと。そんなことを思うのです。
コメント