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2012年9月 3日 (月)

知っていると知らないの間の距離

Ep325238

 コドモがもらってきた9月の給食献立表。今月の「食育の日献立」は韓国のごはん。ビビンバに春巻き。そして、トック()入りのスープ。春巻きはチャプチェをくるんだものなのかな。
 で、ふと考えたワタクシなのです。

 定期的に盛り上がる、隣国のちょっと常軌を逸した反日と、それにともなう「愛国無罪」な無茶。これだけを見ていると、正直言って訳のわからない幼稚で無礼な人たちとは、可能であれば縁を切りたいなんて思ってしまったりもする。でも、一方で「それがすべてではないんだよ」ということをいろいろ知っていれば、このあまり幸せではない状態をどうにかできればいいのになという思いを持ったりもできる。
 はるか昔は、外国の人は日本人とちがういろんな「怖いこと」をする人たちなので関わらないようにしようという時代もあったそうだけれど、それはなにより「知らないから」だったという側面もあります。未知なものは、なにか気味の悪いもの。そして、そういう土台には、流説はのっかりやすい。

 韓国では日本の文化をある程度政府がコントロール(一応、お題目的には芸能なんかは「禁止」ですが)しているだけに、こういう地方のちっちゃい小学校の給食で和食が出て「日本のことを知りましょう」といったことはほとんどされていないように思います。以前呉善花さん他何人もの来日された韓国の人が「もっと非道な人たちばかりだと思っていたのに、思ったよりずっと日本人は親切でびっくりした」ということを言っていたりしたこともありました。逆に、未だに彼の国には、言うだけ番長的にネットでは言ってみるけれども実際に銃をとる覚悟なんてこれっぽっちもない、引きこもった「ネット右翼」の言説ばかりを取り上げて「日本は軍国主義」「なにかあれば攻めてくる」と思い込んでいる人たちもいるわけで・・・。

 だから、こんな風に、イデオロギーや政治とは別に、小さなコトでもいろんなことを皮膚感覚で「ちゃんと知ってるよ」ということは、大切なことなのだろうな、と。
 日本だけではなく、あちらでもたとえば「のり巻きを食べ比べる」ような給食とか、あっちこっちでやるといいのになぁ。
 「共通の歴史認識の構築」よりも、そっちのほうが長期的にはずっと友好には役に立つんじゃないか。そんな気がします。

 ・・・友好したくないということなのであれば、それはもう仕方がないのだけれど。

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コメント

 聴いたときは、とても残念に思ったこと


 近親者で異国の者が居ます


町内の温泉へ入ったときの事~
彼が浴場へ入ったとたん、湯船に浸かっていた人
全員が大慌てで、上がっていったと言います

 

それを聴いたときは信じられず
昼時だったからでは?と聴くと


違う、皆があわてて上がった!と彼は腹立たしそうに。

 


 テレビもネットも完備された文化の香り高い?この町で
文明開化以前の大和国のような、認知度の低い
壮年たちの行動に、もっと、世界を知れ!と号令を
かけてやりたい、やりきれない、日本人として
恥ずかしく思いました。

 それもすごい光景ですね・・・。

 外国の人が来ると、たとえば「話しかけられたらどうしよう」とか、妙に落ち着かなくなる感覚があるというのは、わからなくもないのだけれど・・・。

 でも、そういうことって、その人が「ガイジン」じゃなくて、「○○さん」になると、なくなっていくんですよね、きっと。
 そんなこともあって、知識としてではなくて、皮膚感覚での「知っている」というのは、大切だなぁと、そんなことを思います。

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