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2011年3月31日 (木)

今日が最後です

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 須沢地区にある、糸魚川市総合福祉センターは、今日で営業終了。3/30~31の二日間は、無料営業になるそうです。
 http://www.city.itoigawa.lg.jp/dd.aspx?itemid=9624

 この建物ができたのは、僕が小学校の頃。当時の一市二町のゴミ焼却所をここにつくることへの埋め合わせ的な経緯でできたらしいこのお風呂は、僕らコドモにとっては、「プールみたいな風呂と、風呂上がりの冷たい飲み物」で、まさに「あこがれのレジャー施設」でした。
 当時は、社宅住まいが多かった僕らの親世代が「家を建てて内風呂をつくりたい」という思いで小さいお風呂のついた家を建て始めてしばらくした頃。オヤジたちにとっても、「やっぱりみんな話しながら顔をあわせてでかい風呂につかる」という、社宅住まいの時代を思い出す感じは、心地よかったんじゃないでしょうか。

 正直なところ、今は市内に日帰り温浴施設もあれば、フィットネスクラブもあるだけに、わざわざ税金で建てた上で管理委託という、ある意味あからさまな民業圧迫的なことをやる必要があるのか疑問には思うのですが・・・。

 大広間でシーツでつくったオバQをかぶって、敬老会の演し物をやったり、はじめてウェイトトレーニングのマシンや、当時流行った「スタイリー」に触れて大興奮したり、スリッパ履いて卓球やったり、生まれて初めてのサウナや水風呂をのぞき込んだりと、思い返せば、いろいろと思い出のある建物。時間をつくって、ちょっと今日は顔を出せたら・・・なんて思っています。

2011年3月30日 (水)

今日から玄米販売します

Img_9532_2   JAの直売所、食彩館の店内に「本日より玄米販売を再開します」のおしらせ。

 玄米も、震災の関係で販売中止していたのかなぁ。考えすぎか。

 そして、こういう直売所の品揃えにも、だんだんと春が感じられるようになってきました。

 春と言えば、菜の花の似合う路線、房総のいすみ鉄道へ請われて移籍し、お色直し中だった大糸線のキハ52-125ですが、この間の日曜日、3/27にきれいになってのお披露目があったそうです(リンク先は、いすみ鉄道社長ブログの3/27のトピックです)。菜の花の中を走るキハ52、見に行ってみたいなぁ。

2011年3月29日 (火)

春が来るということ

Img_9505  それは、夕方にちゃんと夕焼けを見て「きれいだなぁ」と思える日々になること・・・なのかもしれないなと、そんなことを思う昨日の夕暮れでした。

 大きな、丸い夕陽を見送ったあとの、近所の梅の木と、工場の煙突。そして、青から朱、そして紫へとかわっていく空を見ながら。

2011年3月28日 (月)

愛着

P3271095 卒業式や離任式といった行事も先週末で終わり、今週から小学校は本格的に春休み。学校からいろんなものを持ち帰ってきました。

 写真は、「作品袋」。授業でつくった、絵や工作を持ち帰るための袋ですが、この袋にも絵を描くことになっていたようです。

 ウチの子の袋には、日本海、竹のからかい、ブラック焼きそば、水芭蕉、ヒスイと、ご近所の古いものから新しいものまで、いろんな「大切なもの」が書かれていました。

 ふるさとのいいところ、すきなところを、いっぱい見つけてほしい。そして、笑顔で自慢してほしい。僕は、この袋を見て、うれしくなりました。そして、ふるさとから避難しなければいけなかったひとたちのことを思うと、胸が痛くなってしまうのです。

2011年3月27日 (日)

今年も銀葉草

P3271093 そういえば、毎年一回くらいは、冬の終わりに銀葉草のことを書いている気がします。

 今年は、2月があたたかかったせいか、3月が寒かったせいか、なんだか季節感がおかしくなってしまって、すっかり忘れていたのですが、昨日スーパーで見かけて、「あ、そうだ、銀葉草たべなきゃ」と思い出しました。

 この食感と香り。寒い時期に食べる海藻の味噌汁の中では、僕は一番コイツが好きです。

 そして、スーパーで季節感が感じられることっていうのも、実はとても、幸せなことなのかもしれないな。そんなことを思う、この2週間なのです。

2011年3月26日 (土)

降ったり、止んだり

P3261069_3  朝、晴れていたから洗濯物を外に干していたら、突然の雪。あわてて取り込んで、「真っ白だねぇ」なんて話をしながら外を見ていたら、そのうち晴れてきて・・・。

 今日は、なんだか雪と晴れの繰り返し。でも、真っ白になっても、つもるわけではなく、ちょっと陽が差すと、すぐになくなってしまうあたり、3月26日の雪だなぁと思う。

 もう、雪はいいよ。そう思うのだけど、なかなか空のヒトたちも、がんばりますねぇ(苦笑)。

2011年3月25日 (金)

やつら

P3241052 昨日の出勤途中、山の方を見て目を疑いました。
 緑の木々の間から、もうもうと空に向かって噴出している、黄色いケムリ。

 確かに、ここのところ、ずっと目がかゆかったり、鼻水が止まらなかったりはするのだけれど、それにしても、こんなに霧がかかったかのように花粉が飛んでいるのをみるのは、ちょっとした衝撃でした。

 そんなわけで、森林公園の入り口あたりから見る山のけむり具合を一枚。ご同病の方・・・すいません(笑)。

2011年3月24日 (木)

世界旅行

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 先日、須沢の海岸でこんな瓶をみかけました。
 よく、ハングルやクリル文字のは見かけるのだけれど、これ、どこの文字だろう・・・と、ついていたバーコードの国コードで調べてみたら、どうもタイから流れてきたもののようでした。

 海って、つながっているんだなぁと、こういうときあらためて感じます。
 ずいぶんと南の国からでも、こんなボトルが流れてくるくらいなんだから、日本から送られていったブツを「放射能汚染されていると怖いから受け取らない」という国が出てくるのも、ある意味仕方がないのかも。

 でも、海外の人たちが思っている以上に日本は広いし、国全部が壊れてしまったわけでも、日本産のものすべてが危ないわけでもない。
 普通に暮らしていて、安全なものをつくっていて、そして僕等が健康であることを、きちんとちっちゃな声でも発信していかないといかんですね。

2011年3月23日 (水)

「旧」岩瀬銀行

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 富山市の岩瀬浜地区は、古くから廻船問屋さんを中心に栄えた港町。今でも、造り酒屋さんや料亭、和菓子屋さんが並ぶ、町歩きには楽しい通りです。
 一年に1回か2回しか行かないくせに常連面して顔をださせてもらっているそば屋さんがこの界隈にありまして(悪い客だなぁ(笑))、そのときに、天気がいいと、ふとまわりを歩いてみたりもします。

 写真は、北陸銀行岩瀬支店の店構え。町並みの雰囲気にあわせた、「いかにも今つくった」感じの町屋風で、この通りにはこういう建物がいくつも並んでいます。
 でも、僕はこの「旧岩瀬銀行」に、妙に惹かれてしまうのです。

 むかしはこうだった。そればかり追い求めると、どんどん後ろ向きに、消極的になってしまう。でも、確かに、「むかしはこうだった」には、人を集めて、勇気づける力があります。
 そこから出かけて冒険ができるのは、帰ればいつもかわらない風景があるから。そういう思いは、田舎を出たことがある人には、少なからずあると思います。だからこそ、原風景としての「ふるさとのまちなみ」がかわってしまうと、妙にがっかりしたりするのかもしれません。

 ふるさとの町並みがかわるのは、開発の代償ということが多いけれど、今回の震災のように、自然災害でということもあります。青海の震災避難所に、南相馬のひとたちの地域のシンボルのように、てぬぐいが壁に貼ってあったのをみたとき、ちょっと胸が熱くなりました。そして、あの一枚が、きっと強いよりどころになるのだろうなと、僕は勝手に想像してしまうのです。

2011年3月22日 (火)

あたりまえをやるということ

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 ウチは、月・水・金に宅配の牛乳をお願いしているのですが、先週の金曜日は、牛乳のかわりに「入荷がないのでしばらくお届けできません」というお詫びの紙がありました。

 宅配しているのは、地元の酪農会社系ではなく、全国メーカー系の牛乳を扱う販売店さんでしたから、「この物流状況じゃ、仕方ないよね」と話していたら、月曜の昨日、しっかり玄関に2本置いてあって、驚いてしまいました。
 世間的には、21日は祝日です。休んでいる人も多い中、きっちり「今日は牛乳入荷したから配るよ」って連絡を回して、それに応えて休むはずだった配る人たちもちゃんと出てきたってことなのだと思います。

 自分たちの仕事を、あたりまえにちゃんとやる。それがむずかしい状況が、震災以降続いています。物流の問題だったり、生産拠点の問題だったり。それでもなお、いつも通りにきちんとやろうという人たちがまわりにたくさんいて、それがとても、勇気づけられる。
 できなくても仕方ないよ・・・と放ってしまうのではなく、できることをいつも以上にちゃんとやる。それもまた、サポートのひとつの形だと思う。牛乳やさん、お疲れさまです。

 さて。
 義援金については、税制上の特例にするというリリースが国税庁から出ています。特に、日本赤十字社等、最終的に地方の自治体にお金が行くことになっている募金先については、特に確認も不要で、控除や損金扱いの対象となるそうです。
 3月は決算の時期。そうはいっても、黒字という会社さんはそうは多くはないでしょうが、こういったことで、すこしでも負担を減らして義援金を出すことができるということで、ぜひ。

 国税庁「募金団体を通じた義援金等に係る税務上の確認手続きについて」
 http://www.nta.go.jp/sonota/sonota/osirase/data/h23/gien/index.htm

2011年3月21日 (月)

あなたが「拡散希望」というメールやツイートを受け取ったら

 僕はコンピュータ関係の仕事をしていますが、このブログでは、その手の話を書くことは一応避けています。ただ、震災からすこし時間が経って、ネットの力の悪い面もたくさん見かけるようになってきたので、僕が思うことを書いてみたいと思います。

 【拡散希望】とついたメールやTwitterのツイート、ブログの記事を見たら。

 一人が10人に伝え、それをまたそれぞれの10人が10人に伝えたら、あっという間に元情報は想像以上にひろがり、しかも、それがデマではないのか、既に時機を逸した情報ではないのかといったことを、あとから送った人が訂正したり保証したりすることもできません。
 善意からの行動でも、ある意味、不幸の手紙と同じことが起きてしまいます。

 基本的に、【拡散希望】の情報は、止めるべきです。

 そして、自分が二次情報を伝える必要があると考える情報については、一次情報を提示するべきです。携帯端末とかでしか見られないなど、URLを書かれても一次情報にあたれないから中身だけ流して欲しいというニーズがあることもわかりますが、それでもなお、情報の中身を書いた上で(たとえば自分の言葉で解説するなどのことも)、一次情報へのリンクを添えるべきです(Twitterをお使いの方なら、短縮URLの方法もおわかりでしょうし)。

 これからの時期、デマが流されることは、かなり怖いことです。震災以降の日本の人全体の慎み深さや忍耐強さは本当にすごいことだけれど、それでもなお、フラストレーションがたまってくるに従って、略奪や暴動のようなことが、ほんのちょっとのきっかけで発生することも、あるかもしれません。

 僕は、ネットをはじめた頃、「書き込む」ということは「日本中に向かって『出版する』みたいなものなのだから注意してやれ」と、ネットの先輩にかなり繰り返し言われました。もう、20年以上前、日本にインターネットでのWebブラウジングが普及するずっと前の、文字だけの時代です。
 Twitterのようなネット上のメディアの登場で、ある意味、ネットはよりパーソナルなもの、誰も見ていないところでほっと息を抜くような私的な場所として、とらえられている部分があるように思います。
 でも、Googleで検索すれば、誰のつぶやきでもヒットしてきてしまう。つまり、「全世界に向けて、発表している」のですよね。それを、ネットのユーザーは自覚しなければいけないと思います。

 情報は、人を助けるためにあるもの。誰でも発信できるようになったこの時代だからこそ、「発信」する情報には、ある程度の責任を持たなければいけない。

 小言めいたトピックになってしまいました。でも、脊髄反射のようにネットに書かれたトピックやコメント、ツイートの山を見ると、どうしても言わずにはいられなくなってしまうのです。

2011年3月20日 (日)

エドワード

P3201029 以前、モーニングで連載していた、「蕗のお便り」の中に出てくる、「エドワード」という神様をふと思い出す顔。

 海岸の、割れたテトラポットです。
 ひさしぶりの、子供との海岸散歩にて。

 確かに、日本全体が大変な時期なのだけれど、酷い被災の被害にあったわけではない僕たちまで、一緒になってしょんぼりしながら疲弊していっては、元も子もないですもんね。僕らは、元気を出して、笑顔でいかないとね。
 もちろん、無駄に電気使ったり、妙にトイレットペーパーを買い急いだりはしませんが。

2011年3月19日 (土)

福島から戻ってきたレンズで

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 実は、震災の数日前、福島にある工場へ手持ちのレンズの1本を修理に出していました。
 震災は、3/11。そして、3/15日に、このレンズが帰ってきました。3/11に修理完了、3/14に発送。よくもまぁ、戻ってきたものだと思うし、なにより「戻そうと努力してくれた」ことに、驚きます。

 今週は、仕事上でも、本当に「損得抜きでなんとかいつも通りに。取引先に迷惑をかけないように」と頑張ってくれる人たちにたくさん支えられました。
 「仕方ないじゃないか、できなくても」という人より「なんとか、別の方法でもできないか、たとえ損をしても」という人たちの方が、はるかに多かったことに驚き、そして、うれしい気持ちになりました。

 さっき、仕事に向かう途中で、須沢の水芭蕉群生地をすこしだけのぞいてきました。まだ花には、はやい。今月に入ってから寒かったり風が強かったりしていて、ずいぶんと葉が痛んだりもしている。でも、もうじき春を知らせるために、連中も咲き始めると思います。
 福島から戻ってきたレンズをつけて撮りながら、なんだかいろんなことを考えた、そんなひとときでした。

2011年3月18日 (金)

安否確認入力へのサポートを

 Googleの安否確認データベース Person Filder ( http://www.maigo.com/ )では、消息情報を通常のPCからの入力だけでなく、Picasaに避難所名簿を登録する「避難所名簿共有サービス(http://picasaweb.google.com/tohoku.anpi)」に登録された写真から目視で起こして登録するボランティアを募集しています。

 入力は、こちらから。
 http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_volunteer.html
 ここのグラフにある「Open」が、まだ未着手のデータだそうです。

 手順はこちらにあります。
 http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_volunteer2.html

 今日、糸魚川の避難所にも、さらに150名の方が避難してこられるそうです。
 PCを使える環境にある方で、ご協力いただける方は、ぜひ。

2011年3月17日 (木)

避難所開設

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 糸魚川は、新潟県の西端のまちです。県都新潟市まで200km以上。感覚的には、北部で接している山形県や福島県には「お隣の県」という感覚があまりない一方、隣の隣の県の金沢あたりは、あまり遠いと感じたりはしなかったりもする、そんなまち。
 でも、新潟市周辺の避難所はもうかなり一杯になってきて、昨日からは糸魚川に開設した避難所にも、福島からの方が入り始めたとのこと。まさに、どれだけ多くの方が避難されてきているのかということを、あらためて感じました。
 場所は、先日改装されたばかりの旧町民会館(今は生涯学習センターという名前だそうです)。海が見えるけれど、高台だし、津波のトラウマをお持ちの方にも、少しは安心してもらえるかも。長期にわたる場合の保育所や幼稚園、小学校も近いし。

 できる範囲でのサポート。僕等が地元にいてもなおできることだって、だんだんと増えてきているのだと思います。

2011年3月16日 (水)

計画停電

 仕事柄、24時間動かしっぱなしの装置に関係しているので、一度全部止めて、またあらためて動かすということに対しては、かなり「大変だなぁ」という感覚があります。先日あった1/31の大停電も、大騒ぎで対応してから、あとでまわりの話を聞くと、「朝起きたら電気がついた」みたいな感じで、あらためて「そうか、案外平気なもんなんだな」と思ったりもして。

 そんなこんなで、明日9:00~12:00は、糸魚川市の計画停電。
 東北電力の情報は全部を網羅していてなかなか大変なので、糸魚川市内の対象エリアについて、新潟日報がまとめたものを紹介しておきます。

糸魚川市の3/17 9:00-12:00の計画停電対象エリア
http://www.niigata-nippo.co.jp/feature/teiden/20926.html
※東北電力の発表によるものです。問い合わせは東北電力コールセンター、0120(175)566にお願いします※

《第5グループ》
越、外波、下小見、西平、旭新町、一の宮1~5、稲葉、羽生、猿倉、押上1~2、横町1~5、下出、下倉、角間、梶屋敷、梶山、蒲池、釜沢、岩木、鬼舞、 鬼伏、宮平、京ケ峰1~2、空熊新田、栗山、桂、見滝、五十原、御前山、厚田、溝尾、高倉、高畑、今村新田、根小屋、砂場、柵口、桜木、山口、山寺、山 本、四ツ屋、指塩、指塩柱道、寺山、寺地、寺町1~5、寺島1~3、上横、上覚、上刈1~7、上出、上小見、上沢、上野、上野山、新町、新鉄1~2、真光 寺、真木、須川、須沢、吹原、水保、杉之当、菅沼、成沢、清崎、清埼、清水山、西山、西川原、西谷内、西中、西塚、西飛山、青海愛宕町、青海栄町、青海観 音町、青海宮花町、青海港町、青海寺町、青海上野町、青海諏訪町、青海石曽根、青海泉町、青海大沢、青海北斗町1~5、青海本町1~3、仙納、川詰、川 島、大王、大久保、、大神堂、大沢、大谷内、大町、大町1~2、大洞、大道寺、大平、大平寺、大野、大和川、滝川原、谷根、竹ケ花、中央1~2、中宿、中 川原新田、中谷内、中尾、中浜、中野、中野口、中林、柱道、坪野、田屋、田海、田中、田麦平、田伏、土塩、土倉、島道、東海、東寺町1~3、東川原、東谷 内、東中、東塚、筒石、藤後、藤崎、頭山、道平、道明、徳合、徳合浜徳合、南押上1~3、南寺町1~3、南寺島1~2、日光寺、能生桜木、能生笹良町、能 生仲町、能生東小町、能生旭町、能生旭本町、能生栄町、能生駅南、能生学校町、能生小泊、能生新町、能生西小町、能生西浜町、能生中央、能生緑ケ丘、能生 鱗崎、百川、浜木浦、物出、平、平牛、別所、崩、北山、堀切、本町、木浦、木浦新戸、木浦中尾、木浦尾花、木浦浜木浦、野々、来海沢、蓮台寺1~2、和 泉、鷲尾、籐崎、鶉石、槇、槇溝尾

 そうは言っても、ひかり電話、インターネット、携帯電話等の通信インフラ系がつながらないと仕事などに影響があるという方も多いと思います。先日の1/31の時には携帯やインターネット専用線の類いは生きていたので、そのあたりは明日検証してみたいと思います。
 できれば、あまり寒くならないといいのだけれど。

 さて。

 昨日、福島から荷物が届きました。中身は、修理依頼していた装置。先週中頃に修理依頼して送ったものだったので、「最悪の場合は紛失かもしれないな」と思っていましたし、現に東京の営業担当からは「もしかしたら返却に相当時間がかかるかもしれない」と返答ももらっていました。
 それが、3/11に修理完了との報告書をつけて、週明けに福島を発送、そして、3/15に糸魚川に到着。工場も停電等でほとんど作業ができないと聞いていただけに、正直なところ、ものすごく驚きました。
 既に被災エリアへの荷物は集荷されなくなっているのだけれど、関東など周辺エリアへの発送は、いつも通りに荷物追跡サービスなどであとを追うことができて、ちゃんと「○時○○分配達完了」といった登録が行われています。

 すごい。すごいよ、日本人。
 混乱したときだから仕方がない・・・ではなくて、混乱したときだからこそ、自分のやることをきちんとやる。そういうひとたちがたくさんいるということ。これは、本当にすごい。これは尊敬に値すると思うのです。
 だからこそ、現地で窃盗やらかしたりして、そういう、「ごく普通のことをしっかりやるすごさ」を汚さないようにしてほしい。そう、強く思ってしまうのです。

2011年3月15日 (火)

がんばれ、じゅーきーず

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 新潟がある東北電力エリアでは計画停電は見送られたものの、取引先関連の東京電力エリアの計画停電に絡んでの検討や作業で、昨日はいろいろあたふたしました。
 東北電力エリアの計画停電も、今日はないそうで、ひとまずは安心していますが、止めたり動かしたりに手続きが必要な装置に関係する仕事なので、ちょっとしばらくは大変そうです。電気が来るかこないかわからないということで、対策に追われた人たち、多いんじゃないでしょうか。みなさん、お疲れさまです。

 とはいえ、東京電力や政府のひとたちを責める気には、なれない。
 原発をメルトダウンさせたいとか、電車止めて会社を機能不全にさせたいとか、そう思って仕事してる人はいないはず。現場にいるひとが一番、きちんと対策をしたい。まさに、胃が痛む思いで睡眠時間を削ってやっているわけで。ただ、人間のスキルに対して、対処すべき問題が大きすぎる。いわば能力不足の問題だから。
 こんなにシステマチックで便利な国に、こんなに大きな災害が発生して、いろんなインフラが消失し、リソースも圧倒的に不足している。そんな前提条件で、なんの混乱もなく問題を対処できる経験と力を持った人なんて、世界中どこにもいません。もしそれが可能なのであれば、消失したインフラも、減ったリソースもはじめから要らなかったってことになってしまう。
 それだけに、僕等ができることというのは、サポートはするけど、邪魔はしないということだなと思うのです。

 写真は、海岸近くに置いてあった重機。津波注意報が解除されて、ようやく海を見ることも増えてきました。現地では、彼らがこれから本当にがんばらなければいけないのだろうな。重機を使うひと、家の倒壊可能性を判断するひと、医療やカウンセリング、福祉関係のひと、復興を計画する人、さらなる問題を発生を防ごうとするひと、生活必需品の提供をするひと・・・。
 僕は、ただただ、サポートしたいと思う。
 少なくとも、邪魔はしないようにしたいな、と。

2011年3月14日 (月)

こういうコラボレーションもあるのか

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 と思ったのが、今朝折り込みの、ラーメン居酒屋徳ジローさんのチラシ。ハピー奴奈川店やセブンイレブンがあるあたりに引っ越して、今日オープンなんだそうです。
 で、写真は、そのチラシの裏。この建物を建てた、カネタ建設さんの「こんな狙いでデザインして建てました」という広告になっています。
 表がお店のオーナーの、そして裏がお店を建てた会社のメッセージ。こういうかたちのコラボレーションって、市内では今まであまり見なかったものだけど、いいなぁと思います。

 さて。

 先週の地震以来、いろんなことを考えます。あの混乱状況であれば、まだ素人が現地に行って手伝おうとしても、足手まといで役には立たない。だから、遠くにいてできることしかできない。もどかしいのだけれども、仕方がない。
 こういう時、インターネット上のサービスは、すごく力を持ちます。誰でも発信できる。とても速報性もある。でも、それが時には、すごく良くない働き方をすることもある。
 デマや、悪意を持った情報発信もだけれど、どうでもいいつぶやきが、有限な経路を圧迫して、必要な情報を埋没させたり、伝えにくくしたりするようなこともあります。ただしい情報だけれど、チェーンメール化して収拾がつかなくなることも。

 こういう時こそ、「ネットに書く」ということは、「世界中に対して発信されるのだ」ということを自覚して、信頼性のある、きちんとした情報を出すよう、心がける必要があると思うのです。
 ネットに接する人の真価が問われる時期。みんなで、きちんと考えませんか。

2011年3月13日 (日)

"映像がいる"ということ

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 どんどんと、被害の大きさがあきらかになるにしたがって、ただただ驚いています。
 僕は、ありがたいことに震源から遠い場所にたまたま住んでいる。でも、あの場所にいても、自分や家族を守るための選択肢は、場合によってはなかったかもしれません。

 そして、中越や中越沖のときに、現地の友人からさんざん聞かされた愚痴も、思い出してきました。それは、マスコミの人、とくに、テレビなど映像系のマスコミの人たちが酷すぎるということ。

 彼らには「絵」が必要だから、もっともっとエゲつない絵を撮るために、ヘリを飛ばし、避難所に入り込んで伏せった人に強いライトを浴びせ、救助が必要な場所に入り込んで道路を取材車で塞ぎます。
 彼らは、現場にとって、「奪う人」でしかなく、ほとんどなにも与えてくれない。
 ラジオがずっと寄り添って、「ここでお風呂に入れますよ」「この歌を聴いてください」「みんなが応援してますよ」「ここであたたかいゴハンがたべられますよ」と伝えてくれているのとは、ホントに対照的でした。

 今は、空撮が主体ですが、これからだんだんと、彼らは避難所を「襲って」いくと思います。そういうことに対して、きちんとNOを言いたい。それもまた、現地支援のひとつだと、僕は思うのです。

2011年3月12日 (土)

昨日からの地震のこと

 昨日の地震は、最初は体調不良かと思いました。バリバリとも、ガサガサともいわず、ただゆらりゆらりと揺れる、船酔いのような感じ。それがずいぶんと長く続いて、「普通の地震じゃないな」と。

 そして、今朝は新潟と長野の境界あたりを震源とする地震で目が覚めました。
 この地震での糸魚川市内での被害は、ありがたいことに特にないようです。

 でも、津波の被害があきらかになればなるほど、あちこちのまちが、まったく姿を変えていることに、愕然とします。

 被害に遭われた方たちには、本当になんと言っていいのか・・・。拙いブログを読んでいただいているみなさんがご無事であることを、お祈りしています。

2011年3月11日 (金)

対岸

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 まるで「対岸」みたいだなぁ。

 仕事での移動途中、有間川の漁港から直江津港のあたりを眺めながら思う。

 船も戻ってきて、漁港にはカモメしかいない。そんな昼下がり。
 晴れたなぁ・・・と思っていたのだけれど、夕方には雪も降り出しました。今週は、寒い日が続きます。

2011年3月10日 (木)

起きてみると

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 あまり雪は降っていなくて、「昨晩はたいしたことなかったんだな」と思う。でも、そのあと少し仕事してから外を見たら真っ白。今朝はそんな朝でした。

 昨日は県立高校の入試の日。夕方は雷雨雷雪の大荒れの天気だったけれど、みんなに桜が咲くといいね。

 というわけで、ちょっとちがう花だけれど、今朝の雪に耐えて咲く花を、一枚。

2011年3月 9日 (水)

陽の当たる場所

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 降る量はおなじだろうに、陽の当たる斜面は溶けて乾き、あたらないほうはまだ白い。そして、そちら側だけ、溶けた水が路面を濡らしています。

 とはいえ、午後にはここも白い場所はなし。三月の雪だなぁ。そう思う景色なのでありました。

2011年3月 8日 (火)

こんなに近くに

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 定置網があって、かかった魚をひきあげる作業だって、浜からみられたりするんだよ。

 そして、寒いけれど、冷たい海で働く漁師さんのおかげで、僕等はウマい魚を食べられるのでありました。

 須沢の浜にて。

2011年3月 7日 (月)

家の中では

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 先日、桃の節句にあわせて生けた桃の枝。つぼみがようやくふくらみはじめました。

 さて、安曇野市(穂高)のギャラリー留歩で、『山本剛史展 糸魚川レンガ車庫 さよならコンサートから1年という銅版画の展示会が開催中だそうです。

 去年の今頃は、もう線路は敷いてなかったけれど、まだ建物はあったんだなぁ。そんなことをふと思いながら。

 「今週のあづみの」というサイトの展覧会ページ
 http://www.azumino.to/tenran2.htm
 に紹介があります。もし、そちらに行かれる方がおられたら、ぜひ様子をおしえてください。
 僕も、機会があれば、期間中に一度くらいは・・・と思っています。

2011年3月 6日 (日)

はるのちから

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 二日間降り続いて、一応は真っ白になったそこいらも、わずか一日の太陽で、すっかり元通り。

 たった一日の雪遊びで、でっちあげたかまくらも、もうじきなくなりそう。でも、濡れた雪遊び服だって、もうすっかり乾いていたりもする。

 これが、春の力なのだなぁ。

2011年3月 5日 (土)

戻ってきた雪

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 今朝起きてみたら、なんだかウソみたいな青空。一面真っ白ですが、でも今日のうちには全部消えてしまいそう。海岸部では、その程度の雪でした。

 でも、昨日は一日、「この季節なのに」と思うくらいの寒さと雪だったのに。
 写真は、R8沿い、旧北陸線の柵の向こうに落ちる名立の小さな滝。
 しぶきが凍って、こんな感じになっていました。山の中に分け入らなくても、海に面した道路沿いの滝もこんな感じになる寒さ。こんなのをときどき挟みながらも、どんどんと春はやってきている。そう思う、今朝のあたたかさなのです。

2011年3月 4日 (金)

ワークセンターにしうみのパン

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 ひすい食彩館でみつけた、ワークセンターにしうみで焼いているパン。
 小麦の香りが強くて、ウマいです。

 携帯で撮ったみたいな怪しい写真ですが、一眼レフで撮ってます。手ぶれ・ピンぼけご容赦を(笑)。

2011年3月 3日 (木)

降っても降っても

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 どんどん溶ける。それが、春の雪。
 一時は一面真っ白にするくらいのイキオイで降っていた雪も、太陽が出ている間は結局のところ、地面を白くすることはありませんでした。

 ようやく、日が陰る頃から、ほんのりと白くなる場所が出てきて、夜中には真っ白になった昨日の雪。2~3日は、ちょっと冬型のようだけれど、これが最後の雪かな。

 ふと、槇原敬之の「三月の雪」なんぞ思い出しながら、昨日のかえりみち、ちょっと車を停めて、この写真を撮っていました。でも、この曲も、もう20年も前の曲なんだよね。
 たとえば、オフコースの曲が「もう30年も前の曲なんだよね」とか言うのは、そんなに違和感がないのだけれど、槇原敬之とか、たとえばDreams Come Trueの曲が「20年も前」なんて思うとき、なんだか自分でびっくりしてしまうことがあります。僕も介護保険料を払うトシになってるのに、こういうことで驚くのは、なんだか厚かましいのかもしれないけれど。

2011年3月 2日 (水)

寒の戻り

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 今週は、ずっと寒い。でも、考えてみれば、気温は4度とか5度とかあるわけで、雪が降っていた時期よりはずっとあたたかい。
 やっぱり、雨って冷たく感じるんだなぁなんてことを思う今日この頃なのです。

 今日は午後から雪の予報ですが、降りますかねぇ。

2011年3月 1日 (火)

のび太の恐竜

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 最近、ときどきこどもたちと海岸を歩きます。
 まだまだ波はけっこう荒くて、波打ち際へ行くと怖いらしいのだけれど、先週みたいに天気が続くときには、空も青くて、案外といい気持ち。
 ハングルやキリル文字のペットボトルを探したり、おもしろい形の流木を見つけては、「○○みたいだ~」とかやるのは、漂着物がまだ片付いていない今の時期ならではの楽しみなんじゃないかと思います。
 そんなわけで、今日はちょっと前の写真ですが、須沢の海岸にあらわれた、「ぴ~助」みたいなヤツを。
 今週末でしたっけ?、新作のドラえもん映画が封切りになるのは。

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