毎年この季節に
なると思うのは、息をのむくらいきれいに、セイタカアワダチソウを撮りたいということ。
コイツ、嫌われ者です。毒々しいまでの黄色い花、伸びすぎて骨のような足元。そしてなにより、周りとの調和なしに、徹底的に自分ばかり増えてしまう、いかにもな「特定外来種」ぶり。コイツがいると、昔からの日本の植物たちが、ひどい目にあってしまう・・・。
だから、セイタカアワダチソウを刈ることに、僕は反対しません。どんどんと抜けばいいとさえ思う。思うのだけれど、ヤツらには悪意はないわけで、結局のところ、観賞用として持ち込んだ、考えのない人や、その後あまりにも広がる勢いに手をこまねくしかなかった人間の無力さとか、そういうことに、ちゃんと胸を痛めながら、抜きたいし、刈りたいと思う。
そして、だからこそ。コイツを「駆除」しても、本来は観賞用植物であったコイツを、きれいに撮ってやることが、せめてもの罪滅ぼしになるんじゃないか。そんなことを思ったりするのです。
正義の旗の下に問答無用でやることのうさんくささにちゃんと気づけるように。間違いを認めて方針を変えるときには、ちゃんと申し訳なかったことに対して心を痛めながらもやるように。
そういうことは、人として、きっと大切なことじゃないかと思うので。
・・・ということを語るためには、今年の一枚も、圧倒的に力不足なんですけれどね。
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