コアラさん、さよなら
夕方、ふと空を見上げると、上弦の虹。いわゆる環天頂アークというヤツで、本でみたことはあったけれど、実物ははじめてです。
さて。
今日は、青海の子育てサークル「こあら」の最後の日。このサークルには、ウチの上の子もずいぶんとお世話になりました。
青海は、企業城下町という土地柄もあって、田舎のわりに地元出身じゃない核家族も多いところ。知り合いがいない中、子育てで精一杯で、誰も話す人がいない。そんなおかあさんたちが子連れで顔をあわせて、子供を遊ばせながらガス抜きをする。そんな目的もあって生まれたこのサークルは「こあらさん」と呼ばれながら、ずいぶんと長い間、大事に育てられてきました。
子供が同世代でも、親はいろんな世代がいます。ひさしぶりの子供を授かったおかげで、介護保険料を払う年になってから、ゼロ歳児と遊んでいる僕みたいなヤツもいる。一方、まだまだ若くて、人との折衝が上手にできないおかあさんだっている。
そして、そういう若い人たちが、苦手な人との折衝もなんとかやり、それを周りの人たちがあたたかくサポートしてくれて、育ってきたのが、こあらだったのだと、思うのです。
会場になっている青海福祉センター「ふれあい」に、「待望の」といわれた子育て支援センターができたのが、今年の4月。確かに、彼らは「支援するシステム」の提供者なのだと思います。でも、その一方で、その土地で長い間続けられてきた、ボランタリーベースの活動に、自分たちのやり方で口を出し、手枷足枷をはめ、結果として「それじゃ、やめちゃったほうが楽だよね」と思わせてしまった。それは、支援ではなく、はっきりと、地域の自立活動への邪魔立てでしかありません。
行政は今後どんどんお金を使えなくなっていきます。それだけに、お金を使う事業以上に、いわゆるゼロ予算事業的な、地域の人たちが自発的にすることへのサポート。いわば、コンサルティング的な視点が重要になっていくのは、まちがいありません。
それだけに、何か支援する仕組みができるときに、その分野の先行者として活動しているボランタリーベースの仕組みへの敬意が感じられず、間を取り持ったり、サポートしようとしたりする姿勢も感じられない。そういう形で仕組みを用意するというのは、はっきり言えば、「行政のスキルが低い」のです。
青海の未就学児とそのおかあさんのために、「こあらさん」は、とても力強い味方でした。巣立っていった子供たちにとっても、その思い出は大切なものです。だから、こんなふうに簡単になくなってしまうことに、僕は、とてもとても悲しい思いをしています。
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