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2009年2月22日 (日)

手が覚えるということ

Img_3899 以前、市内のセレモニーホールで行われたお菓子フェアで、子供がどら焼きを焼く体験をさせていただいたことがありました。
 おたまですくって、ホットプレートにまあるく乗せて、ひっくり返して。最後にあんこをのせて・・・。
 絵本の「しろくまちゃんのほっとけーき」のような作業は、思えば家でやっているのと似たようなもの。でも、家で作るホットケーキよりもずっとおいしいどら焼きになるのは、体験コーナーを担当する和菓子屋さんが用意してくれた生地と餡がおいしいからにほかならないのだけど、子供はまるで自分が上手になったかのように大喜びするわけで。
 そんなこんなで、昨日ちょこっと出かけた先で、「和菓子作り体験」があると、早速やってみることになってしまったのでした。
 練り切りを使っての、春めいたとてもきれいな上生菓子。途中は不格好でも、最終的にはけっこうサマになりました。そうなれば、やっぱりおいしい餡と練り切りで作ったものだから、食べればおいしいわけで、にこにこしながら「和菓子屋さんになる」などとご満悦のウチの子なのです。

 さて。

 僕自身はコンピュータの仕事をしていますが、ずっとずっと昔から、職人仕事に対してのあこがれがあります。テレビに映ったり、文化勲章をもらったりするような分野ばかりじゃない。普通の工場や、お店でやっている、一般には「誰がやっても同じ」みたいな仕事の中にも、やはり、見る人が見ればわかる「この人の仕事は、みていて惚れ惚れするよねぇ」という仕事は、実はいっぱいあるわけで。そういう、手際の良さやあがりのきれいさや、出てくる仕事ゴミ(たとえば、かんなくずとか)の見事さとか、そういうものを見ていると、時間を忘れてしまう。
 なにより、頭がわかっても手が覚えないと見事にならない仕事というのは、手数をかけないと覚えられないわけで、かといって、手だけが覚えて、その理屈が頭にはいっていなくても、ちゃんとできない。機械に弱くてちゃんと計量せずに手秤でぴしっとあわせてしまうような、絵に描いたような職人さんにも、頭の中にはそのひとなりのちゃんとした理屈がある。
 僕のオヤジは化学工場で働く人だったけれど、僕の中ではあきらかに「職人」でした。そして、その仕事を続けていると自然と名声が得られるような分野以外にもあきらかに「職人」がたくさんいるということを認め、「へー」と思い、そしてわくわくしたり、尊敬したりする。それが、実は日本の素敵な精神的バックボーンのひとつだったのではないかと、僕は信じているのです。

 話がなんだか大げさになってしまいましたが、そんなわけで、職人仕事の手際の良さにあこがれ、ああなってみたいと憧れるような経験を、ちいさいうちにたくさんさせたい。たとえ、職人と呼ばれる職種になることはなくても、職人的な美意識は、ちゃんともってほしい。そんなことを思いながら、子供が作った和菓子の写真を撮る馬鹿親なのでありました(笑)。

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