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2008年3月 6日 (木)

とうとうはじまりました

Img_7378 2002年夏の閉店以来、かれこれ5年以上もそのまま放置されてきた旧サティ糸魚川店の取り壊しがはじまりました。

 地元資本との折半で「IBIS」としてスタートした頃には、僕等にとってはスーパーというより、「夢のデパート」のような場所。思えば、テナントがいくつもはいった大きなお店というのは、糸魚川でははじめてで、千葉に住んでいるおばに「糸魚川にも『ららぽーと』みたいなのができたよ!」と自慢したことを思い出します。このお店が当時連れて行ってもらってびっくりした船橋のららぽーととおなじに映ったくらい、当時のアイビスの登場は、僕にとっては衝撃だったのだと思います。
 ちなみに、当時の「ららぽーと船橋」は、今の巨大モールほどではない、そごうとダイエーにはさまれたちょっと大規模なスーパーでした。

 思えば、旧青海中を解体するとき、仕事で午前中に横を通ったときにはまだ建っていたのに、午後、帰りに通ったらもうがれきだけになっていたのを見て、相当にショックだったことがあります。ここがこわされてがれきになるのを見ると、また切ないんだろうな。その頃、またカメラに納めてきたいと思います。

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コメント

初めて投稿いたします。
ブログ拝見させていただいています。
アイビスの開店の賑わいは、本当凄かったですね。それ以前に30年以上も前に私が青中時代に今の青海のハピーがヤマシタ青海店として開店したときも感動した覚えがあります。2階が衣料のフロア-でしたかね。また階段の踊場のコインゲームに夢中になりました。駅前にもナルスもありました。            またよろしくお願いします。

 ゆうちゃんさん、ようこそお越しくださいました。

 それに、ヤマシタ青海店のことも、よく覚えています。当時、僕は田沢小に通っていたのですが、ヤマシタの近所に母の実家があって、いくたびにあそこにいって、2Fの遊具(もぐってあそぶ滑り台?)で遊ぶのを楽しみにしてました。
 思い返せば、あの当時は徒歩圏にはホント、街のにおいを感じさせるものがなにもなかった。買い物にいっても、パックに入っているものなんてあんまりなかったし、自動販売機だってこんなにはあふれてなかった。買い物する場所は、ものを買う場所でしかなくて、そこに別の付加価値なんてこと、考えもしなかったし、オバちゃんに「おつかい、エラいねぇ」なんて言ってもらうのが楽しみだったりもした。だからこそ、時々糸魚川に出かけたとき、たとえばアキヤマ4Fのソフトクリームだけで、ゾクゾクするくらいうれしかったのかもしれないななんても思います。
 行動範囲が広がっていくにつれて得られる驚き。
 それが、最近はすこし薄まってる感があります。その方が、都会に対してのコンプレックスは感じにくいのだろうかとも思うのだけど、でも、なんだか田舎に生まれた人間としては、そういうショックが弱くなるのは、ちょっと寂しいことなのかもしれないななどと思ってしまうのです。

 ・・・というわけで、これからもよろしくお願いします。

いつもお世話になってます。
IBIS、元オーナーの身内です|ω・)
つい、IBISを語ってくれてる方を探してみたら、ここにたどり着きました。
街灯からのショット・・・感激です!
IBISのころは、わたしは中学生・・・
うちだけでなく糸魚川には、いろんなお店がありましたね!
いや、やれていました・・・

早川の上から糸魚川、青海から糸魚川、それが、糸魚川から上越へ、上越でも東京、大阪へと大きな街々に簡単に車や電車で移動でき、大きな街へ街へとお買いものに出かけられるようになった昨今

それよか、小売りすらネットにバトンタッチ・・・
お出かけ店舗は、国内にイオンとヨーカドーだけでいいのかもしれませんね~(u_u。)

〇○心と秋の空 (ノ_-。)

いやっ!、人は利便性を求める生き物。足踏みしてたら我々が置いていかれますね(;´▽`A``

朽ちるのでなく、変化し、次世代へ新たなサービスと想い出づくりをしていきたいものです。

このように、この写真を見た方が、故郷(糸魚川)や若き頃を懐かしみ、また語っていただきたいですね!


IBISは東京で「写真スタジオ」として名前だけ復活致しました!

 takuさん、どうもありがとうございます。

 こんなに昔のトピックを見つけてくださって、どうもありがとうございます。
 北千住のIBIS、ぜひのぞきにいきたいです。

 行動範囲のこと、時々考えるんですよ。
 今は、最初からかなり広い。でも、僕が小さい頃は、日々は家から2~3kmの範囲でしか生活してなかったんですよね。バスにのって「ヤマシタ」や「アキヤマ」に行くことがすごく楽しみで、屋上でときどきあるちっちゃい「動物園」にドキドキしたりしてました。
 それが、上越に行き、新潟に行き、新幹線ができて東京も覗くようになりと、何年も何年もかけて世界が広がっていった、それがなかなか楽しかったな、と。

 そして、ちゃんと中央に対してのコンプレックスとおなじくらい、優越感だって持つことができたわけで。

 やっぱり、田舎に住む以上、コンプレックスだけじゃつまんないですもんね。

 そんなわけで、ちょうど、今日から東京出張なのですが、むかーしになぎら健壱の「葛飾にバッタを見た」ってアルバムの中で聞いた「北千住どまりの常磐線がぁ、オイラの仕事場で~」なんて歌を思い出しながら、あのあたりを散策してみられるといいなぁ(笑)。

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