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通勤の途中、考え事をしていたらついいつも曲がるところを通り過ぎ、そのまままっすぐ山へと向かってしまいました。
道幅は狭く、後ろからすぐ車がやってくるということもあってなかなかすぐUターンできずに、なんとなく走っているうちに、ずいぶんと奥まで行ってしまいました。とはいえ、ただUターンできずにこれだけ走ってしまうと、ただのポツネンさんなわけで、実際にはプログラムの構造とかを考えていたわけですが(笑)。
いくらなんでも奥まで行きすぎなので、バスの回転場で折り返して、かえってきました。すると、除雪車が、豪快に雪をとばしながら道幅を広げているところ。どちらにしても、ノロノロ運転なので、車を停め、一枚撮らせてもらってしまいました。
それにしても、いつも曲がるコンビニの角から、わずか車で15分ほど。コンビニの角では、雪なんてほとんどないのに、ほんの少し走っただけで、除雪車以外はすべて白と黒。木にまで雪がびっしりついていたりするわけで、こんな感じはなかなか新鮮でした。
きっと、谷から出てくる人は、毎日この変化を、通勤で感じているんだろうなぁ。
とある駐車場に、まだ生々しい折れ跡。そして、ちょっと向こうには、おそらくこの上についていた幹が刺さっています。
雪の重みで、木が折れることもある。でも、これはきっと、駐車場の雪を片付けるとき、除雪車が勢い余って折ってしまったものなのかもしれません。
今の時期、あたたかい日が2~3日続いて、雪がだいぶ消えても、駐車場のはしっこには、雪が大量に積んであります。それだけに、先日買い手が決まったらしい、旧SATY跡の駐車場が、端っこに雪山もなく、全体がうっすらと雪に覆われているのは、なんとなくこの時期の駐車場の風景としては、少々違和感があります。新雪が除雪されずに駐車場に広がっているのは、降ったばかりだから当たり前なのだけれど、数日前に降った黒く汚れた雪が、まだそのまままんべんなく広がっているというのは、人がその駐車場を使おうとしていないことのあらわれ。春になるころには、あたらしい用途のための工事とかが、はじまるんでしょうか。
しかし、このくらいの太さの幹を問答無用で押し倒してしまうような重機の力。これだけの力がないと、駐車場の除雪って、できないんだなぁと、あらためてびっくりしたりもした、この折り跡なのでした。
二週連続での東京日帰り出張から戻って、いつものようにれんが車庫にカメラを向けると、単線用の両脇に雪をかきわけるタイプの除雪車がのぞいていました。
今日の出張は、いつも家人が単身赴任先へ戻る5時台の電車に乗って出かけ、その日の夜に戻る日帰り。当然だけど、電車が動いているということは、それより早い時間から働いている人も、これより遅くまで働く人もいるわけで。
朝でかけた急行きたぐには、家人によると、「まもなく、3番ホームに入る列車は~」というアナウンスの「ま」の声が聞こえた瞬間に、はかったようにゆるいカーブを曲がってくる電車のヘッドライトが見えるんだとか。毎週毎週、ほとんど狂いなく。そして、この日もちょうど、「ま」とともにヘッドライトが光り、直江津の3分間待ち合わせの乗り換えにも間に合って、栃木と埼玉の県境あたりの出張先にちゃんと9時頃に着くことができるわけで、ありがたい?かぎり。JRの人たち、ホントおつかれさまです。
さて、ここ数日雪が続いたものの、今晩は一段落。でも、また明日の夜から、雪なんだよね。車庫の中で休憩中の除雪車もまた、明日から忙しいのかも。がんばってね。
今年も、恒例「荒波あんこうフェア」の季節になりました。市内のあちこちのお店で、手頃な値段であんこう料理が楽しめます。
その口火を切るイベント「荒波あんこう祭り」が今日糸魚川駅前でありました。水を飲ませておなかがでっぷりしたあんこうを吊り、すこしずつさばいていく様子が実演されたり、あんこう汁やタラ汁、かに汁がすごくリーズナブルな値段で食べられたり。
来年の新潟国体のキャラクター「トッキッキ」や、秋の全国豊かな海づくり大会のイベントのキャラクター「まもりん」もやってきていて、この手のイベントの準備の想像がつく家人が「たいへんだなぁ」とため息もついていましたが(笑)。
今年はこの「あんこう祭り」、糸魚川駅前だけでなく、来週27日には能生のマリンドリームで、その次2/3には親不知のピアパークであるんだとか。ぜひ、お出かけくださいな。
先週末、突然思い立って、ひさしぶりに大糸線に乗ってきました。小滝駅まで車で行って、そこから南小谷までの30分ほどの小旅行。
ちょっとはやめについてしまった小滝駅でふと玄関の上を見ると、駅舎の建物財産票が。そして、そこにかかれている文字は、昭和10年11月。
記録を見ると、昭和9年に糸魚川から根知まで、そして、昭和10年のクリスマスイブ、12/24に小滝まで開通とのこと。それから、昭和32年の大糸線南側との間がつながるまで、戦争をはさんでずいぶん長い間、この駅は終着駅だったわけで、糸魚川駅のれんが車庫の前と、この駅に転車台があるのは、そういうわけなのだなぁと。
こんな風に、古い財産票などをみかけると、あらためて、長い時間を経てきた歴史みたいなものにリアリティが感じられる。そんな気がします。
先週の日曜日、ウチのあたりではしめ縄などを焼く「どんど焼き」がありましたが、今日13日にやる場所も多かったようで、仕事で出かけていた上越市では、田んぼで、河原でと、あちこちで煙。
夜、銭湯で肩をもんでもらっていると、となりのベッドで施術されている人が「今日、どんど焼きだったんですか?」と聞かれていました。「え、なんでわかった?」「そんなにおいがします」「役員で最後までいたから」「イカ焼いて食べました?」・・・。
あれだけあちこちでやってたんだから、あっちこっちで、おつかれさまの一杯をやってたりとか、こんな風にマッサージに来ている人とかも、いるんだろうなぁ。そんなことを思いながら、糸魚川への道を戻ってきた僕なのです。
小正月行事の「さいのかみ」といえば、ウチの近所では、火曜日の竹のからかい。絵になる乾いた雪は、降るんでしょうか。
平地では、ほとんど雪はなく、あっても駐車場の端っこの、除雪で積み上げられた山くらい。なので、近所の駐車場ではこんな感じで、平日のお客さんの少ないウチに、重機で山をつきくずして、駐車場全体にまき散らしているところも出てきました。
薄く広げておくと、はやく溶ける。だから、広げちゃおう。これは、雪が増えてくるとみんなやることで、普通の家でも、雪が消えてくると積んである雪を道路に出したりすることもあるのだけど、そうすると「歩くときじゃまだし危ないから」ということで「除雪の雪を道路に出さないように」なんてお達しがあったりもする。なかなか諸刃の刃的な対策なのです。
予報では、週末から雪。降ってしまえば、またこれくらいすぐに貯まってしまうのだけど、それでも週末までにすこしは減らしておこう。これもまた、ひとつの雪の季節への抵抗なのです。
以前何度かこのブログでも紹介した、姫川橋通行止めの件ですが、松が明ける頃から、また全面通行止めとなりました。当面また、糸魚川への移動は不便な日々となりそうです。
なのですが、この工事、この橋を通る人にそうとう不評だからなのでしょうが、だんだんと説明が充実してきました。
最近も、写真のような看板が登場。この看板によると、「橋の寿命を延ばす」ための工事なんだよということや、そのために「地震対策ですよ」「床の補強もやりますよ」「構造の補強もやりますよ」といったことが、きちんとわかります。
まわりで多く行われる工事。なんのためにやってるんだろ?ってよくわからないものもあります。お題目のように繰り返される「無駄な公共事業」の声。でも、その一方で、ニーズがまったくない中、ただ単に利権をむさぼるために行われる工事なんて脳天気なものを山のようにできるほど、世の中実は甘くないわけで、すべての事業はなんらかのニーズや問題解決のために行われるわけです(もちろん、実施がその優先順位でいいのかとか、その方法でいいのかとか、そういう問題はありますが)。そんな中、「無駄な、無駄な」という連呼は、ある意味、ちゃんと考えなくてもいいことにしてしまう怖いお題目なのかもしれない。でも、その一方で、「なんでこんなことやってるんだろ」と思うことも、実際にはけっこうあるわけで、それは突き詰めれば「知らない」からだと思うのです。
わかりやすく、「なんで?」をそのたびに開示していくこと。それが、場合によっては事業を進める人への風当たりを弱めるケースも、多々あるんじゃないか。僕は、そう思うのです。
そういう意味で、この橋の工事をめぐって、だんだんと表示が増えていくのは、小さいことだけれど、なんだかいいことだなぁと思ってしまうのです。
なんだか、コドモがすごく気に入ってるかるたの一枚。これがウケるというのは、「とうさん」がそういう体型だってことで、悲しい限りなんですが、このカルタ、実はとても気に入っています。
僕は、家人が単身赴任していることもあって、時々長野にいくのですが、そんなときはよくスーパー銭湯なるものに出かけます。そのひとつ、ぶらっとというところで、お風呂川柳を募集して作ったのが、このカルタ。
東京の下町で育った友達なんかは、日頃のマナーはとてつもなく悪かったりするのに、銭湯の掟など、いくつかのことについてはとても厳しくて、こちらに遊びに来たときでも、びちゃびちゃのまま脱衣場に戻っていく小学生なんか、親に遠慮無く頭をコヅいて叱りつけます。ただ、彼に限らず小さい頃から銭湯にいくことが生活だったひとはほとんど、「銭湯や温泉はおでかけ」の人たちの振る舞いには、強い違和感があるようです。コドモだけではなくて、いい年した大人まで、カラダをふかずに脱衣場に戻ってくる、タオルを平気で湯につける、サウナから出て汗まみれのまま水風呂に入る・・・。確かに、近所の「ひすいの湯」とかでも、毎日見かける風景。
それは、このカルタを作ったスーパー銭湯、ぶらっとでも大差ないんですが、でも、ここは店内の掲示などで、「大人がちゃんと子供に教えようね」という姿勢で銭湯のマナーを発信しようとしている。それも、説教くさい形ではなく、ある種のエンターティメントとして。その一環が、募集した川柳で作ったこのカルタだったりするわけです。
はじめは限定数だけ作って、学校や福祉施設からの応募に応えて抽選プレゼントだったということで、買えなかったのですが、最近版権を長野のNPOに寄付し、そこが販売することで、売り上げがそのNPOのサポートになるような形で販売されるようになり、無事ウチにも一セットやってきて、その結果としての「壺湯から~」なオヤジになってしまいました。
でも、こういう形を見ると、自分の仕事を通して世間に関わっていくって、いろんな形でできるんだなと、あらためて感じてしまうのです。
5日深夜から6日未明にかけて、タクシーで暴れたり、女性の軽自動車を奪ったりしたあげく、酒屋さんのガラスを割って店内に入り、酒瓶100本以上割って男が逮捕されるという事件が発生。日曜日に店の横を通りかかると、よくニュースなどで見る立ち入り禁止の黄色いテープで駐車場が囲まれてました。
この事件で、容疑者の男に対して行った威嚇発砲は、なんでも2002年以来という、ホントに久しぶりの新潟県警のおまわりさんの拳銃使用なんだとか。
ちょうどその頃タクシー乗り場にいたり、寝ぼけた顔で車に乗ろうとしていたりしたら、巻き込まれたかも知れない話なので、怖いといえば怖い話なんだけど・・・。
個人的に、一番びっくりしたのは、県内でのおまわりさんの発砲が、2002年から6年ちかくもなかったっていうこと。他県ではどうかは資料がないのでわからないけれど、忘れるくらい昔まで拳銃使用がないというのは、やっぱり、平和な県なんだなぁというのが実感なのです。
もちろん、拳銃使用なんて、ないほうがいいに決まってるけど、誰も長いことつかっていなければいないほど、使ったら大ごとになる、絶対使えないみたいな雰囲気が強くなっていって、いざ必要だというときに、使えなかったりもする。使わないなら、携行の必要さえないわけで、なのに携行しているというのは、もちろん「時には必要になるかもしれない」から。
ならば、使うべき時に使い、使う必要がないときには使わない。それがあらためてきちんと徹底される、ある意味いい機会なんじゃないかなと、ふと思ったりした僕なのです。
もちろん、バカボンに出てくる「ホンカン」みたいじゃ、困るんだけどね(笑)。
三九郎、左義長、どんど焼き・・・といろんな呼び方がある、正月の注連飾り、書き初め、繭玉などを焼く行事ですが、ウチのご近所でも昨日ありました。
うずたかく積み上げてという感じではないけれど、みんなで竹竿の先のスルメをあぶり、竹筒でお酒をいただき、こどもたちはお汁粉をもらいながら、強風吹きすさぶなか、みんなで火の周りにあつまります。
こういうとき、あらためておもうのは、「みんな来るよなぁ」ということ。こどもとおなじ幼稚園に通う友達や、仕事でお世話になっている人たち。なかには、「あ、この近所に住んでたのか」ってことを、こんなときにはじめて知ったりする人も。
ちなみに、ウチのあたりでは「ドンド焼き」と呼ぶそうです。
さぁ、今日から新年の仕事もいよいよ本稼働。がんばりましょう。
二日続けてだいぶあたたかい陽気になって、雪はおおむね、路肩にしかなくなった夕方、元旦に発見しておどろいた、2mはあろうかという巨大雪だるまを見に行ってきました。
除雪機とかでとばして集めてつくったのかな?と思うくらい大きかったのだけど、すこし溶けてくると、その仕組みがわかるもの。このまわりだけ、もう地面がでているということは、みんなで「基本通り」雪玉をころがして、すこしずつ大きくしていったから。そのあと、安定するように、まわりにスコップで雪を集めて小山のようにしたのだろうな、と。
雪だるまの顔や肌には、たくさんの芝生もついてました。雪がすくないときに、雪玉をごろごろころがすと、地面の草までついちゃうんだよね。すこしでもでっかいのを作ろうっていう、コドモのにこにこが、なんだか伝わってきます。
こういうのを見ると、また、降るといいねなんても思ってしまう。雪はけっこうキツいけれど、でも、コドモにとっては、かなり遊べるおもちゃ。そして、それで遊ぶ連中がしっかりいるということも、うれしくなってしまう僕なのです。
今年やりたいと思っていることの一つに、「工場の写真を撮る」ことがあります。
コンピュータ関係の仕事ということで、日々机に向かって働いている自分ですが、実は、僕には、とても強い、職人への憧れの気持ちがあります。
本を読めば、勉強すれば、できるようになること。それは、それで、大切だと思う。勉強しない人も多いし、スキルアップは、意識してやらなければできないことだから。でも、その一方で、学んでも、手が覚えなければできない、日々の積み重ねの結果で、少しずつ、ほんの少しずつ勝ち取る技術。そういうものに、強く憧れるのです。
時間はお金で買えない。それだけに、時間をかけて、ずっとそれを続けてきたからこそ、できること。そういう、クラフトマンシップは、もっといい仕事ができるようになりたいという気持ちと、俺はいい仕事をしているという自負。そして、いい仕事をしなければ恥ずかしいという矜持とに支えられている。
そういう仕事をやりたいと思うし、そういう仕事がなかなかできないことについて、足りなさも思う。僕の仕事の日々は、そんな日々なのです。
工場は、ものを生み出す場所。ISO9000や作業の標準化もあいまって、以前のように、「ほれぼれするような仕事の先輩」が存在する余地は、減ってきているように思います。創意工夫は、ある意味審査を受けた工程を改変するものでもある。だから、言われたとおり効率的に工程を動かす人が、求められる。でも、その一方で、そういう場にいる人たちが、自分たちの作っているものについて一番よく知っていて、おかしいものはおかしいときちんとわかるようなスキルを持っているからこそ、日本の産業は強かったのだとも思う。やはり、現場には頑固な職人が、必要なのです。
オヤジも、ジィさんも、そういう工場の「職人」だったからこそ、僕は、そういう人たちに対しては常に頭があがらない。それだけに、逆に工場のラインで働く人を蔑むような人に対しては、ハラがたったりもするのです。特に、ろくにまだ仕事のキャリアを持っていないような若い子たちが、「自分の可能性を信じる」という言葉とセットで語るような、それに対しては。
仕事にプライドを持つなら、職種にではなく、仕事の内容にプライドを持つべきだし、そのために、いい仕事ができるよう、スキルアップをめざすべきだと思う。逆に言えば、スキルのない人を優遇してくれるような、ボランティアのような雇い主なんて、どこにもいないわけですから。
そんなこんなで、今日のは自宅のまどから見える、とある工場の遠景ですが、今年は、働く工場の風景も、一つのテーマとして撮っていきたいと思います。もちろん、ほかのなんの意味もないまちのひとこまも、いろいろな糸魚川の顔を切り取ることができればいいなと思いますので、みなさん、期待せずに(笑)、時々お越しください。お待ちしています。
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