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2007年8月31日 (金)

今週末はCCR

Img_2912 出張から帰ってきて、駅前にこんな横断幕があることに気づきました。

 今週の日曜日は、毎年恒例の「日本海クラシックカーレビュー」。国内外のいろいろな古い車、しかも、ちゃんとオーナーの人に愛されて乗られている車がたくさん集まります。

 市内パレードで各車がスタートするときに、一輪の赤いバラが渡される。ちょっと「糸魚川らしくない?」背伸びもまた、クラシックカーの雰囲気に飲まれた感じで実は違和感なく、まちに似合っている感じ。美山公園での車の展示も、オーナーが隣にいて、愛車の自慢をしているだけに、とてもアットホームな雰囲気に包まれます。

 9月最初の日曜日だけど、夏休み最後の日曜日でもある9月2日。ぜひ糸魚川におでかけください。

 今年5月のクラシックカーミーティングの様子はこちら。日曜日の様子は、このブログで拡大版でお知らせします。

2007年8月30日 (木)

出かけるとき

Img_2853_2 ここしばらくあまり出張がなかったのですが、急にあちこち出かけるようになってしまいました。今日は日帰りでの東京。席に座って、出発を待つ間に、レンガ車庫を1枚撮ってみました。

 新幹線が来る10年ほどあと、「わが」糸魚川駅がどんな駅になっているか、ときどき不安になることがあります。

 たとえば隣の隣、長野県の飯山駅では、「まちづくり会所」なる場所を作って、駅や駅周辺がどうなるか、模型などを展示したりして、みんなが駅のことを知ったり考えたりできるようにしています。コンサルタントだけでなく、大学(東京工業大学 真野研究室)や市民との協業での検討委のようなものもあります。

 隣の上越駅は?というと、こちらも今はちいさい各駅停車駅にすぎない脇野田あたりに新設ということで、いろいろと議論があり、話が出てきているようです。

 でも、糸魚川は、ようやく駅南の道路などの整備方針などについてが広報に載ってきたくらい。市内でいろいろな役についている人は、いろんな場面で検討に関与しているのだと思うのだけれど、一般の市民にとっては、全然よくわからないままなのです。

 伝え聞く話によると、新駅は待合室がない?なんて話もあるんだとか。そんな駅だと、ちょっとイヤだなぁ(笑)。駅ビルにデパート!なんて都会の複合駅みたいなのを求めるような無理は言わない。でも、遊びに来てくれた人が降り立ったときに、「あぁ、旅に来たんだな」と感じるような風情と、僕らが仕事ででかけるときに、使い勝手があまり悪くない機能を持ってもらわないととも思うのです。新幹線駅って、全国そうどこにでもあるわけではないし、「このまちはこんなまち」という印象のための、重要なアイコンの一つだと思う。それだけに、もっとどうなるのか知りたいし、関与もしたい。そう思ってしまうのです。

 そこで、いつも出かけるときにふとまじまじと見てしまうレンガ車庫のイメージが、駅を印象づける魅力の一つとして働くようになれば、最高なんですけどね。さて。

2007年8月29日 (水)

つん!

Img_28801 暑いと、なにもかもがよれよれとしてしまうイメージがあります。もちろん、暑いからしゃんとするもの、元気になるものも、たくさんあるのだけれど、植物とか、すこししおれ気味になったりするものもたくさんあるし、なにより人間がよれよれしてしまう。

 そんな中、自宅の玄関で家族が育てている鷺草が、きれいに咲きました。まちの鷺草展から遅れること、約一ヶ月。でも、羽がピンととんがって、そして、空に向かって、まるで羽ばたくよう。よくもまぁ、こんな形の花ができたもんだと、毎年感心してしまうくらい。

 一雨降るごとに涼しくなるのを実感する毎日。だんだんと、この花のりりしさが似合うくらいの涼しさに、なっていくんだろうなぁ。

2007年8月28日 (火)

それは遠くから

Img_2905 最近近所のあちこちに立った「西廻り塩の道」の案内看板。あらためて見てみると、知らなかったことがいろいろ書いてあって、再発見が楽しいです。

 写真は、須沢にある諏訪神社。ちいさな、ムラの氏神様です。

 ここの狛犬と古いほうの鳥居、「奉納」「天保」の文字は見えるので、相当古いものなのはわかるけれど、これを作ったのが、尾道の石工さんだというのは、はじめて知りました。

 去年、車で広島まで行ったときは、あまりの遠さに「小さな日本なんて、ウソだ!」と実感した僕。なにせ、8時間くらい走り通しで広島市内に入る頃、「下関 200km」なんて標識が出てくるんだから、日本の広さもあなどれない。そして、車も、飛行機もない時代の「尾道の石工」ですから、今ならさしずめ、モンゴルの人に頼むくらいの距離感なんじゃないでしょうか。

 遠くの人との交流って、誰に頼まれたわけでもないのに(笑)、やってしまうんですね。そのエネルギーって、どこから来るんだろう。誰か、わけてほしいです。

2007年8月27日 (月)

夜明け前

Img_2903_2 いつもより少しはやく起きたので、まだ完全に日が昇ってこないうちに、自転車で。

 蒼かった空が、だんだんと紫になり、赤くなり、黄になり、そして、青くなっていく。

 せっかくだから、太陽が出てくる方に向かってしばらく走ってみたのですが、たまにはこういうのもいいですね。

 そんなこんなで、月曜日。今週もがんばらねば。

2007年8月26日 (日)

天駆ける龍

Img_2841 雲が移り変わる季節。そして、まだまだ強い日差しに照らされて、夕方の雲の染まり方がいろいろおもしろかったりもする季節です。

 今日の雲は、ちょっと天をかける竜のような雰囲気。東海方面の竜は、順位的にはともかく、なかなか攻守がきちんとかみ合わない内容の試合が続いていますが、そろそろゲーム内容も上向いて欲しいという願いを込めて。

2007年8月25日 (土)

釣れますか?

Img_2872 鮎釣りシーズンも、そろそろ終盤。全国のあちこちの川とおなじく、姫川にも友釣り師のひとたちがたくさん集まっています。

 姫川、海川、早川といったこのあたりの川は、長良川などで友釣りをする人にとっては「できるの?」と思うような、友釣り不適な川に映るようです。それは、流れがはやく、まるで中流域のようだから。生きたアユを流れに送り込んでそこにいるアユを挑発し、縄張り争いをさせて釣る友釣りでは、流れが急すぎるとおとりの鮎のコントロールが難しく、やりにくいということもあって、「泳がせ釣り」や「引き抜き」といったスタイルとは別の、昔ながらのやりかたで釣る人がおおいこの場所は、またちがった味のある、友釣りの川なのかもしれません。

 今日は、姫川の橋の上に一羽のカモメが陣取って、道行く車やのぞきこむ人もなんのその、橋の下の鮎釣りをながめています。かといって、獲物を横取りするといったわけでもなく、ただ眺めているだけ。彼らにとっても、これは、夏の終わりを見送る風物詩のような光景なんでしょうか。そんなわけないか(笑)。

2007年8月24日 (金)

かえる

Img_2859 たった一泊二日の出張ですが、やはり、戻ってくると疲れます。一年中出張ばかりの友人とかもいるけれど、どんなふうに疲れを取ってるんだろう。20代の頃は、出張の話があると手を挙げて「僕がいきます!」って出かけたんだけれど。

 とはいえ、今回ははじめての町へ出かけたこともあり、いろいろな発見がありました。田んぼの真ん中に立つお客さんの事務所から駅までの道。バスがやってくるまで1時間近く、延々と駅に向かって歩いてみたのですが、イネの穂は糸魚川よりだいぶ高く、実って「頭を垂れる」ようになってきていて、あぁ、西へいくと、あたたかいんだなと実感する風景。そこいらに飛んでいる鳥も、ちょっと違う連中がいる。ただ、それをみて、背中のバッグに入っているカメラを取り出す元気がないのが、トシ(笑)。

 帰りの列車は、残念ながら信越線の柿崎~柏崎間が再開していない影響で運休している特急があるせいで、富山から各駅停車になりました。最後の1時間をがたんごとんと各駅停車で過ごすのは、ちょっと疲れるのだけれど、富山付近では満員の通勤列車の雰囲気だった車両もどんどん人が減っていって、県境をまたぐ頃には誰も乗っていない、いかにもなローカル線の風情になる、その変わり方を見るのもまた、なかなかいいクールダウンなのです。

 写真は、青海駅を通過するあたりでの運転台。外が暗いからということもあるんでしょうが、薄暗い中でずっと運転している運転士の方、お疲れ様です。

2007年8月23日 (木)

田沢小学校

Img_2838 「あたらしい小学校ができたらしいから、見たい」という遠くに住む友達からのリクエストで、今日は田沢小学校の写真を。

 古い校舎を少しずつ壊して更地を造り、そこに建てて、また古いのを壊す~といったやりかたでの立て替えをやっている校舎。子ども達が入っている教室などはすでにずいぶんと使っていますが、今年の夏はプールを壊してそこに体育館を造っています。

 一度は工事のために壊してしまったビオトープづくりなども、またすこしずつはじめるそうで、建物はできた。これから、色を付けていくという段階なのかもしれません。

 ただ、児童玄関や教務室の位置など、前の校舎の雰囲気をそのまま踏襲しているところもたくさんあります。まったく新しい建物なのに、なんとなく「あぁ、母校だな」と感じる部分が残っているというのは、少しうれしいな。同じく建て替えた学校でも、場所がかわってしまったこともあって、青海中は今の校舎にいっても、母校っぽい懐かしさを感じて、なれなれしく振る舞いたくなるような感じがないのが、すこしさみしいので。

 体育館などができあがったら、全景を広角レンズで撮ったものを、また載せたいと思いますので、一部のOBの方、お楽しみに(笑)。

2007年8月22日 (水)

だんだん

Img_2836 浜田省吾に「防波堤の上」という古い歌があります。「悲しいほど自由~」と歌われる、防波堤の上。でも、確かに昔、防波堤の上に腰掛けて、海を見たり、いろんなこと考えたり、友達と話し込んだりということを、たくさんしたような気がします。高いところは、ある意味個室のような、一人になれる場所なのかもしれません。

 かつて、荒波日本海が暴れ狂う日には、高い波が押し寄せて大変でした。そのため、砂浜と町を隔てて、けっこう高い防波堤がありました。それが、一部の砂浜の防波堤が、こんな感じの低いだんだんに置き換えられていくことに。

 カベを作って力で「ここより先は通さないぞ!」とやるのが、防波堤。でも、それだと、相手も猛り狂っている時には、ぶつかってかえって乗り越えてきたりしてしまう。それが、こういうだんだんの上を波がすぎることで、力が削がれて弱い波になるというのが、この手の護岸のメリットなんだとか。

 沖の消波ブロックの設置もあって、だんだんと砂浜が広くなり、このあたりまで怒濤の波が押し寄せるということはめっきりなくなってしまい、今では、どこからでも砂浜におりることができる、広い広い階段のようになってしまっています。

 でも、押上海岸の護岸のように、波にあらわれてこのだんだんの下の砂が浸食され、ぼこっと陥没してしまっているようなところもあって、なかなか人に簡単に御されたりしないな、波などとも思ってしまう。あたりまえのことだけど、自然ってのは、なかなかすごいもんです。

2007年8月21日 (火)

あさ

Img_2829 手を水平方向に伸ばしてグーを作ると、その拳の幅が約10度。高校の頃、天体観測のために山奥で合宿したときは、水平線からコブシいくつ上かで、星の角度を測ったりしました。1時間で天体は天球上を15度動きますから、そのやり方によると、この太陽の高さは、日の出から1時間くらいでしょうか。

 そんなわけで、今日は姫川の河口あたりの一枚。いつのまにか、ススキが河原にたくさん揺れています。そのうち、セイタカアワダチソウとのはげしい勢力争いが、今年もはじまるんでしょうか。

 蛇足ながら、久しぶりにずいぶん絞り込んで撮影したら、しっかりあちこちにゴミが映ってました。センサーの掃除しなくちゃ。

2007年8月20日 (月)

夜の公園

Img_2816 ウチの近所にある海浜公園のパターゴルフ場は、この時期、ナイター営業もしています。もう少しすると、夕方はずいぶんと涼しくなるので、昼間よりずっと気分よくプレーできるようになるのだけれど、その照明設備のスイッチが一つになっているのか、隣の児童公園も、なぜか夜9時くらいまで、かなり明るい照明に照らされています。

 「コドモは5時のサイレンが鳴ったら帰ってくる」

 これが、小学生の頃の不文律。サイレンが鳴っても帰らなくなるのが6年生なのだけれど、それでもなお、ドキドキはしていた。5時に帰宅という意識を持たなくなるのは、中学校に入ってからでした。

 だから(?)、この公園の主人公の連中は、この時間帯はだれもいなくて、公園はぽつねんとただひとりぼっちで明るくなっています。

 でも、夕ご飯のあと、ここでキャッチボールやサッカーをやったりしたら、けっこう気分いいだろうなぁとも思うのです。もうちょっと涼しくなったら、だけど。

2007年8月19日 (日)

もむもむ

Img_2785 はらぺこあおむし というベストセラー絵本があります。

 ある日生まれたあおむしが一週間かけてそれはそれはたくさんのものを食べて、ちっぽけだったのに、ものすごく大きくなって、最後はきれいな蝶になるお話だけど、実際のところ、あおむしが葉っぱを食べているのをまじまじと見ることは、ここしばらく全然ありませんでした。

 庭からの歓声でのぞきにいくと、花壇のはしっこで生きながらえているどこからともなく生えてきたパセリに、おおきなあおむしが3匹。パセリ特有のあのもさもさした頭(笑)がだいぶ切り取られたあとの株で、空から鳥が見るには、とても見通しの良さそうな場所なのですが、ヤツらはそれをものともせず、一心不乱にパセリをもむもむと食べている。そして、コドモはそれを見て、大喜びしています。

 コイツら、さなぎになって、蝶になるまで、鳥に食われないで、生きながらえることができると、いいんですけどねぇ。

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2007年8月18日 (土)

穂のまわりに

Img_2782 山道を走っている途中でふと、「だいぶ出穂してから経つし、またイネの写真を撮っておこう」などと思い立って、道路脇の田んぼへ。マクロレンズをつけてアップでのぞいてみると、なんとなく、白いゴミみたいなものが、気になりました。

 もしかして、これって、花?。そう思って、撮って帰ってきました。

 長年お米の国新潟で暮らしていて、見たのは初めて。これも、カメラとともに歩く日々のおかげかもしれません。

 この時期に花が咲いているということや、穂の形などで、わかる人がみれば、「これはコシヒカリだね」「これはあきたこまち」「これは、こがねもち」なんて具合に、品種もわかるんだろうな。

 秋のリンゴ狩りでは、フジと秋映の違いはわかるけど(秋映はけっこう黒っぽい赤なのです)、同じ赤玉系でのいろいろな区別は、僕にはつかない。なのに、お店の人は、「これは、シナノスイート」とか、あたりまえのように見分けてしまうけど、それと同じように、お米も品種ごとの顔の違いって、けっこうあるもんなんでしょうか。

 新米がおいしい季節も、あと少し。それはそのまま、夏の残りがあと少しということ。少し名残惜しいけれど。

2007年8月17日 (金)

夏の終わり

Img_2513 まだ、連日暑いです。外にいると汗はだらだら出てくるし、夜もエアコンがないと寝苦しい。

 だけど、お盆の送り火をすぎた16日頃から、カチッとスイッチが切り替わったかのように、どことなく、季節の移り変わりを感じるようになりました。

 それは、浜茶屋(日本海側では海の家をこう呼ぶのです)のないいわゆる「穴場」の海岸で泳ぐ人がとつぜん減って、地元の幼児や小学生とその親だけになったとか、他県ナンバーの車を急に見かけなくなったとか、そういうこともあるけれども、それ以上に、雲の形とか、空の色とか、蝉の鳴き方とか、そういうものが切り替わった。そんな気がするのです。

 これも、「もうじき夏休みが終わり」という、10代の頃に埋め込まれた季節時計なんでしょうかね。社会人にとっては、休みはもう終わり。これから、怒濤の半期末へ向けて、働いていかなければいけないのだけれど。

 そんなわけで、写真は美山の一直線の坂の上から見た日本海。赤いろうそくのような灯台がきれい。でも、どこかもう海や空は、夏の色からかわってきているような気がしませんか。

2007年8月16日 (木)

納涼

Img_2735 大きなお祭りがたくさんある夏。でも、この季節の本当の主役は、その場所に住んでいる人たちだけが集まって、一緒ににこにこするだけの、本当に小さいお祭りなんじゃないか。そんなことを思ったりすることがあります。

 この日は、ウチの「ムラ」の盆踊り。公民館横の広場に一日だけでっちあげた太鼓の台。登って太鼓を叩くひとも、立ち上がって汗振り乱し・・・なんてことはなく、座りながら、交代しながら、叩いている。そして、踊りを見ていると、どこからとなく知った顔のおじさんがやってきて、紙コップを渡し、そこに一升瓶からぬるい日本酒を注いで「運転しないでね~」なんて言いながら、去っていく。でも、もとより、車に乗ってくるような人なんて、あんまりいないご近所ばかりのお祭りなのです。

 にこにこしながら浴衣を着込んで「おまつり!」といいながらこの場にやってきて、風船釣りに大喜びし、帰ってきて花火を楽しむ。こんな夏が楽しいコドモなら、きっといい夏休みだ。そんなふうに思って、自分のコドモながら、ちょっとうらやましくなってしまったりもするのです。そこにあるのは、確かに自分がコドモの頃に体験した「それ」に近いものなのだから。

2007年8月15日 (水)

海を眺める先人

Img_2618 お盆といえば、お墓参り。墓地にたくさんのお墓が集まっているところもあれば、ロッカー式のところもある。家の回りにあるところもあるし、地域の集落のはずれにまとめてある場所もある。お墓の場所というのは、地域性が出るところの一つかもしれません。

 元は漁師の家だった我が家では、海を望む小高い丘の上に、お墓があります。

 作った頃は、歩いてしか行くことができない場所で、ウチのオヤジが墓石を背負ってここまで登ったんだとか。そのオヤジも鬼籍の人になって久しいのだから、ずいぶんと昔の話です。今は、近くに高速道路が通ったこともあって、その工事用道路などの関係か、車で横付けできるようにはなりました。便利になったけど、海から急な坂を登っていく、あの興が削がれる感も。

 いくつかある親戚のお墓は、永年勤め上げた工場を見下ろす丘の上だったり、漁港近くのお寺の、やはり丘の上だったりと、「丘の上率」が結構高い。これは、あまり平地が広くない場所で、人が住む場所と田んぼの場所を取ると、平らな場所に墓地を作ることができなかったとか、そういう事情があるのかな?。でも、回りを見ると、けっこう平らな場所にも墓地、たくさんあるので、ウチの親戚だけの事情があるのかもしれないのだけれど。

 墓参りにどんな意味があるのか。まだわかりもしない小さいウチの子は、ちょうちんをぶらさげ、浴衣で行くことが楽しくて、にこにこしながら、お墓へとでかけます。そういう習慣が、ちょっといいような気がする。そんな、お盆の日々なのです。

2007年8月14日 (火)

ざまーみろ

Img_2616 なんだか、あんまり空が青くて、それも、澄んだ高い高い空の青ではなく、透明感はないけれど力一杯のその色の絵の具をばぁっとぶちまけたような青が広がっている、夏の暴力的な空。

 なんだか、まさに「ざまーみろ」とでもいうような青なんだな、これが。

 というわけで、暑いと、いつのまにかにょきにょき実ってしまって、食べきるのが大変なゴーヤと一緒に1枚。

 定番のゴーヤちゃんぷるーの油さえ、ちょっと胃にしんどいこの暑さ。酢の物にでもして食べたい。そんな暑さなのです。

2007年8月13日 (月)

世をはかなんで

Img_2608 なんだか、縁起でもないタイトルですが、能生のとある海水浴場の海の家の駐車場入り口のプーさん、首のところで吊られていて、ちょっとうつむき加減で、足がついていなくて。

 風でむこうがわを向いているときなんて、まさに、「あんな」感じなのです。ちょっと、気の毒だなぁと(笑)。

2007年8月12日 (日)

プール

Img_2553 美しいビーチといえば、遠浅の海に白い砂浜が広がるもの。テトラポットなど海岸の砂をまもるための埋めモノは、無粋なものとして嫌われます。

 でも、それが逆にメリットになっているところもあるのです。

 ここは、ウチの近所の青海臨海公園近くの海。砂浜保全のためのテトラポットが沖にではなく、海岸線のあたりにあります。それが、場所によっては写真のように、海岸とテトラポットで囲まれた、「海のプール」のようになっていて、小さい子どもたちの水遊びの格好の場所になっているのです。

 大人は、短パンにビーチサンダル。幼児くらいの子どもは、水着に浮き輪、場合によっては水中メガネなどの「完全装備」。沖にながされることもなく、足もきちんとついて、でも、波はテトラポットの間を通ってやってきて、海っぽさを感じられる。足下に埋まっているポットには、海草もついている。

 子ども連れには、なかなかの穴場なんじゃないでしょうか。「浜茶屋」(日本海側では海の家がこう呼ばれることが多いです)のない、ごく普通の海ですが、ぜひ。

2007年8月11日 (土)

素晴らしきラジオ体操

Img_2512 そういえば、以前 素晴らしきラジオ体操 という本を読んだ時のこと、都内などでは、毎朝、おじいさん、おばあさんたちが集まってラジオ体操をしていると知って、驚きました。夏も、冬も、毎日というのもびっくりしたけれど、前に出て「模範演技」をするということの名誉やヒエラルキーまで存在することにも。

 僕らのまちでは、ラジオ体操というのは、夏休みだけ、出席カードを首からぶらさげて、近所の公園に通うものでした。いわば、朝寝坊を防ぐための、長い休み専用の起床装置。

 小学校の6年生になったとき、毎朝ラジカセを現地に持っていく係になったことから、みんなの前で「演技」もやることになり、そういった子ばかりが集められて、先生にラジオ体操の特訓をさせられたのを思い出しました。あれって、だらっとやると、ただのお遊戯なのだけれど、きっちりやると、いいストレッチだったり、ちゃんと効くところは効くようになっている。なので、「あぁ、ここは肩をひらくのか」とか「ここできっちり伸ばすのね」とか、びっくりしたことを思い出します。その頃は、今にも増して動くのがおっくうな体型だったので、汗だらだらでの練習だったのだけれど。

 終わったあと、カードに○のスタンプを押してもらって、それが並ぶのが楽しみだった。そんなコドモだった僕は、案外素直だったのかも。今年の夏こそは、ウチの子(まだ幼児)も連れて毎朝行こうと思っていたのですが、コドモはおきられないようです。残念。来年こそは。

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2007年8月10日 (金)

通り抜けていく

Img_2506 最近、朝のサイクリングが日課になりつつあります。やはり、家の中でエアロバイク漕いでいるよりも、はるかに気持ちがいいし、なにより、車でばかり行き来している「ぼくのまち」の再発見ができるのが、ほのかに楽しいのです。

 あちこちを1時間弱走り回ったあと、家の近くに戻ってきて、坂道を惰性で走りおりるとき、ふと上を見上げると、なんだか家と家の間にひろがる青空が妙に気持ちよくて、さっそく広角レンズを取りにかえって、もう一度おなじ道を通り抜けてみてしまいました。

 きっと、目の高さ80cmくらいの、幼児の目からの路地と空って、こんな感じに映るんだろうな。

2007年8月 9日 (木)

出穂

Img_2501 朝、自転車で走っていたら、近所の田んぼの様子がちょっと違う。まじまじと見てみると、葉の間にちっちゃいツブツブのついた、穂が出てきていました。

 朝露でキラキラと光る稲のなかに顔を出した、ゴハンのもと。これから、どんどん大きくなり、頭を垂れ、黄色くなって、今年の新米になっていく。

 まだまだ暑い暑い日々が続くけれど、もう少しすれば、海にもクラゲが出てきて夏は折り返し地点。涼しくなるのはありがたいけれど、ちょっとさみしい気もします。

 大人には、1ヶ月以上の夏休みはないのだけれど、あの子供の頃の記憶が、きっと体に染みついているんだろうな。夏は、楽しい!、遊んでばかりの日々!って、あの感じが。だから、夏真っ最中なのに、次の季節の兆しを見つけると、ちょっとさみしくなってしまうのだろうな、と。

 とはいえ、秋はまだまだ先。今日もまた、熱中症や脱水症の怖い一日になりそう。水分をちゃんと取って、がんばりましょう。

2007年8月 8日 (水)

トンボ舞う池

Img_2487 この間出かけたときは、糸トンボのなかまがあちこちにうろうろしていた田海ヶ池も、今朝でかけたときは、もう少し図体のでかいとんぼがあちこちに。

 時期や、天気や、時間帯で、みかけるトンボがちがう。そして、いろんな種類のトンボが飛んでいる。この時期のこの池は、いろんな日に散歩に出かけたい場所だなぁと実感。行くのが朝ばかりなので縁がないのだけれど、デンカの養鰻場やウナギ直売所もすぐ近くにあるので、今度昼間に行って、蒲焼きでも買ってこようかななんて考えています。

 

2007年8月 7日 (火)

蜘蛛の糸

Img_2481 最近コドモがよく絵に描くものの一つに、蜘蛛の巣があります。確かに、家の回りの庭木にも、そこいらの藪にも、あちらこちらに蜘蛛の巣が。そのせいで、コドモが描く蜘蛛の巣にも、真ん中に蜘蛛がいるだけじゃなく、あちらこちらに点々が。これ、「食べかす」なんですよね。こういうのを見て「かわいそう」とか、人間尺度で言い出すのは、まだ先のことなんだろうな。かえって、これくらいのトシのほうが、自然の厳然たるつながりを、きちんと受け入れられるんでしょうか。

 さて。今日の一枚は、枯れた葉っぱ。これが、空中をひらひらしていたのでよく見ると、1本の蜘蛛の糸で、木からぶら下がっています。

 おなじ太さだと、一般的なナイロン糸よりもはるかに強いといわれる蜘蛛の糸。細いのが1本だけなのに、風に吹かれて、かなりおおきく揺れても、全然落ちずにそこでひらひらしている。元々は、巣をはるときの端っこの1点だったのが、落ちてしまったのかな。

 気づかなければ、なんでもない光景。でも、気づいてしまったので、まじまじと見てしまった僕なのでした。

 帰り道、スルメつきの竿でざりがにを取るおじさん発見。コドモにせがまれたのかな。なかなか、夏の朝はみんな活動開始がはやいです。

2007年8月 6日 (月)

にょき

Img_2440 たまに、職場へ行く道を変えてみよう。そんなことを思いながら、わざわざ林道を通り、田んぼのまんなかの道を抜けていると、のんびりとあぜ道で休憩中の鷺を驚かせてしまいました。

 飛んでいったヤツがどこへいくのかなと思えば、ほんのすこしだけしか動かずに、田んぼのなかへ。そのまま、首だけにょきっと出して、どこか遠くを見ています。

 動かずにじっとしている様子を、こちらもしばらく観察してたんですが、残念ながら通勤途中。この場を立ち去ることになりました。時間はヤツらのほうがたくさん持ってるからなぁ。

2007年8月 5日 (日)

Eat it!

Img_2468 そういえば、ずいぶん昔にコント赤信号の小宮孝泰が「MCコミヤ」になって、「プリーズコミヤドントハーテム」なるアルバムを出したことがあったっけ。今や牧師のハマーのアルバムをジャケットまできっちりマネして、Don't Touch Thisの代わりに「遣唐使です!」と叫んだりしていたのだけれど、マイケルジャクソンのBeat itにも、Eat itってこういう感じの替え歌があったなぁとふと思い出した、暑い暑い昼間。

 年に一度、カニを食べに来る友人と一緒に、能生のマリンドリームへと赴いた我々は、写真のカニを買い込み、昼間っからじりじり照りつける太陽の下で、酒盛りをしていました。ちなみに、この量は4人分。買ったのも4ハイだけなのですが、常連になればなるほどちっちゃいカニをおまけしてくれる小泊のカニやさんのありがたさで、なんだか妙にたくさんあります。

 この日来てくれた友人の一人は、カニにかぶりつきながら、月曜日に出張で札幌にいく話をしていました。もちろん、行った先でもカニ(そちらでは毛蟹だとか)を食べる話をしているんですが、あちらとこちらはまた、違った楽しみ方らしい。

 思うに、紅ズワイガニのうれしいところは、「カジュアルなカニ」ってことなんじゃないだろうか。ちゃんとした店で食べるんじゃなくて、こうやって店で買っておけにいれてもらって、海岸でかぶりついて、手を石けんでじゃぶじゃぶあらって・・・。そういう食べ方が似合うカニ。背伸びもいらない。大枚はたくこともない。食べる間柄で気取る必要もない。彼女と一緒に食べに行くのはどうかと思うけど(笑)、家族ととか、友達とかでやってきて、大量に真ん中に積み上げて、みんなで食べる。それが楽しいカニなんだろうな、と。

 弟のヨメさんの家は、この近所だったこともあって、カニというのは「夕方足のとれたヤツをもらってきて、車庫でしゃがんでおやつに食べるもの」だったという話でした。夕ご飯の主役ではなく。僕の中ではそこまで駄菓子的なものではなく、やはりちょっとしたごちそうではあるのだけれど、でもなお、普段着のごちそうだというのが、このカニのうれしいところなのです。

 夏、糸魚川に遊びに来たら、ぜひ。かに屋がならぶ横町で、ぜひ威勢のいいオバちゃんと話して、笑って、値切って、おまけしてもらってください。それもまた、楽しいよ、きっと。

2007年8月 4日 (土)

今日の花火は

Img_2419 今日、8/4は能生の海上花火大会

 弁天岩を効果的に使っての爆雷などが特徴的な花火です。

 昨晩夕方、能生近辺を通りかかったときに、能生川の河口付近から、花火があがるあたりを振り返って撮ってみました。灯台の小さなあかりがある、あの上あたりに、今晩は大輪の花火が咲くんだろうな。

 なお、近くのマリンドリーム能生では、地元のアマチュア写真家さん8人の写真展が開催されています(8/5まで)。僕は昨日ちょこっとのぞいてきましたが、気に入った写真を大延ばしして飾ったときの迫力と、会場におられるメンバーの方の誇らしげな笑顔が印象的でした。僕ももっともっとたくさん撮って、練習しないとね。

 

2007年8月 3日 (金)

はなしたいこと

Img_2430 日々のほほんとした文章ばかり書いておりますが、実はけっこう時間に追われる生活をしています。

 でも、その時は忙しかったと思っていた時期が、過ぎてみれば、実は無限に時間があったような気がしたりするのも、不思議だけれどもまた事実。ティーンエイジの頃がまさにそうで、今思えば、まさに「無限の時間」があった時期だったなぁと思ってしまうのです。

 夕陽が沈む浜辺に座って話す3人。別に、彼らは夕陽を見に来たわけではないと思う。ただ、話しているうちに、空が夕焼けていく。その空の色が、話す彼らの気持ちにほんの少しの味付けをして、それが結果として彼らのその後を左右することはあるかもしれないけれど。

 こういう時間は、あとから思えば、とても贅沢だと思う。十分に、こういう時間の中に身を置いて欲しいなと思いながら、おじさんになりつつある僕は、一枚だけ、撮らせてもらってしまったのでした。

2007年8月 2日 (木)

この竿、なんでしょう~ふたたび

Img_2425 今年の5月にここで紹介した、この竿、なんでしょう の竿ですが、昨日ふとみたところ、なんだか紙が。

 神社で玉串とか、注連縄とかにつけるような折り方の紙ですから、この竿も、なにか神事のためのものなんでしょうか。

 とりあえず、一歩前進。でも、まだわからない。

 場所は、R148沿い、きときと寿司とシャトレーゼの間の小道の脇です。見かけた方は、ぜひ一緒に悩んでください(笑)。

 8/4追記

 その後、このブログを見てくださった方から教えていただきました。このあたりの農区の方たちの神事のためのもので、「お祓いの力が遠くまで届くように」なんだそうです。この農区の人たちの中には、寺島の新しい消防署のあたりを耕作されている方たちもおられるそうで、住む場所だけでなく、遠くまで見渡せるようにという高い竿なんですね。

 こういう神事の「願う」こと。そこにつながる人間がどうにもできない部分への畏敬の念。そういう気持ちに、僕は共感してしまう。そして、この竿の先からお祓いの効果が届くかどうかよりも、そう願う気持ちを多くの人が持つことのほうが、きっと大切なことなのだろうなと、思ってしまうのです。

2007年8月 1日 (水)

あれ?まちがえたかな

Img_2422 と思った、今朝の朝刊チェック。

 うちは、全国紙、県内紙の他に、なぜか隣の長野県の地方紙、信濃毎日新聞も取っているのですが、今朝朝刊を読んでいると、新潟県の全面広告が。信毎読んでるつもりだったのに、県内紙の方だったかな?と思って、思わず一面を見直してしまったのですが、間違いなく、信毎。そして、全面広告の内容は、「この夏もぜひ、にいがたへ」という、PRでした。

 中越沖地震で一番の被害は、実は全県におよぶ風評被害なのかもしれません。外国でチェルノブイリを引き合いにだされての報道があったくらいなので、影響は被災地だけにとどまらず、全県の海水浴場、農産物や魚介類、そして旅館に至るまで、あちらこちらで「だいじょうぶ?」と言われてしまった。

 でも、夏は新潟の大事な観光シーズン。言うなれば、「ゴハンのタネ」なのですよね。中には、震災で大変だから、遊びに行くのは遠慮・・・って人もおられると思うけれど、ぜひ、来て、遊んでいってほしい。それが復興や、風評被害にたちむかう人たちへのサポートになります。

 この広告は、ただ大丈夫だと言うだけでなく、海水浴場、農作物や魚介類について、測定地点、測定品目、測定団体が明示された、ポイントをおさえたものになっていると思います。アクセスについても、新幹線や高速道路がOKであることをきちんと言い、これからの県内のお祭り・イベントなどを紹介しています。あえて言えば、今日出すのであれば、今週末の能生のお祭りと海上花火大会(8/4)も紹介して欲しかったなとは思いますけどね。

 今週末は、台風が予定通り通過してくれれば、ひさしぶりに夏らしい週末になると思います。ぜひ、糸魚川へお越しください。

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