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2007年7月18日 (水)

ラジオのあたたかさ

 昨日遅く、糸魚川~上越間の国道8号線が片側交互交通で復旧しました。
 http://www.hrr.mlit.go.jp/takada/070716-8.pdf

 ただ、北陸自動車道の能生~柿崎区間の無料通行は継続中です。
 http://www.e-nexco.co.jp/road_info/important_info/h19/0717/

 昨日お知らせしたとおり、JR近距離列車は上越までは通常運行で行っています。

 上越へ通勤してる人も多いけど、なんとかなるようになってきましたね。糸魚川の人が地震に受ける影響は、かなり小さくなってきましたが(もちろん、「取引先が柏崎にあって」とか「物流に時間がかかって」とか、いつもとは違う問題もたくさん出てきているところはあるとは思いますが)、今後は、どんなサポートができるのかというところだと思います。

 被災の中心は、隣の隣の市(柏崎)。隣の市(上越)も酷い場所がある。近いのは、サポートにいくにも小回りがきくわけですし、各自車などで行って現地で邪魔になるよりは、まとめてバスなどでボランティアに出かけたりできるといいのだけどななどと思います。

 さしあたり、上越市ではボランティア登録をやっているので
 http://www.city.joetsu.niigata.jp/20070716jisin/volunteer.html
 週明けの休みでちょっとだけ手伝いに行ってこようかななんて考えています。

 それにしても、車などで移動していて思うのは、ラジオというメディアのあたたかさ。
 「絵がいらない」ということが、こんなに武器になるんですね。

 テレビには、絵がある。だから、事実をストレートに伝えることになる。結果として、被災された方たちは、被写体ではあっても、サービスを受ける人たちという面はかなり弱くなる。ヘンな言い方ですが、テレビによって消耗することの方が、得られるものよりもずっと多くなってしまう。でも、ラジオなら、絵が伝えられないから、ずっと、被災者の人へのメッセージを伝え、曲をかけ、そして、随時「ここでお風呂が入れるよ」「そろそろ6時だから、体操しよう」「ここの道が通れるようになったよ」といった情報も挟むことで、被災者の人たちに背を向けず、ちゃんと顔を向けている感じがするのです。

 いわば、ラジオ局がハブとなって、「がんばって」と言いたい人たちと、「がんばるよ」とへこたれなくありたい人たちが少しだけでも、つながるような気がする。そんなあたたかさ。

 少なくとも、ラジオは現地の人たちから奪ったり、傷つけたりは、していないですよね。こんな時におもう、ラジオのあたたかさ。ラジオに携わる人たち、特別番組が続いてますが、がんばってください。応援してます。

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H19新潟県中越沖地震」カテゴリの記事

コメント

 前回の地震では、私の弟夫婦が被災者になってしまったのですが、「ラジオが役になった」と言っていました。

 TVはその特性上、どうしても大雑把な情報になったり、同じ情報の使い回しになってしまうのに対して、ラジオ、特にローカル局が小回りの利く分、被災地に密着した、本当に役立つ情報を届けてくれます。
 それから、聴き手と送り手のやりとりがあるのも、被災者にとっては「一人じゃない、孤立しているわけじゃない」と思える心のエールになり得るのではないか、と思います。

 前回の地震で感じたのは、災害時に役に立つ情報ツールは、

 インターネット‐ラジオ‐TV‐新聞

 の順番でした。ネットはラジオ以上にきめの細かい情報が上がりますが、発信しているのが普通の人達なので、不確かだったりする場合もあります。被災地では、やっぱりラジオが一番でしょう。

 ネットは確かに、誰もが書き込めるだけに、玉石混淆ながら、情報は集まりますよね。
 それに、素人が相手をもっと素人扱いして罵倒しまくるような傾向が年々酷くなって、情報比率がさがっている感のある2ちゃんねるとかも、こういう時の一部スレッドに集まる人は、「そういう顔をどこに隠していたんだ」って思うくらい、妙に真摯で、一日中あちこちから情報を拾ってきてまとめたりしながら、ヘンなツッコミ(時節柄、選挙っぽいヤツとかもありますが)を相手にしなかったりと、きちんと自治的な動きもあって、感心します。日頃は、ヘンなツッコミをいかに遊んだり罵倒したりするかのほうが、連中の「本筋」なのにね。

 「電車男」が流行った頃、ひきこもり男も本当は女の子とコンタクト取りたいと思ってるヤツがいる(全部ではない(笑))のがわかったけれど、実は、女の子とコンタクト取りたいということ以上に、困ってる人を助けたりして、人と関わりたいという思いが、きっと隠れていたんだろうなと、そんなことを思ってしまったりもします。

 さて。

 それにしても、ラジオはあたたかい。ただ、たとえば、ラジオのDJスタイルみたいに、ちょこっと情報あとはFAXやメールを読んで、曲をかけたりみたいなこと、テレビでも深夜とか、NHK-BSとかでやってること、ありますよね。ああいうスタイルでの震災報道をやる局って、出てこないのかなとも思います。
 テレビが提示している情報といっても、同じことの繰り返し。悲惨な絵を映して、深刻感をあおり、さらにその絵を撮るために、現地の人に無理を強要する。でも、酷い状況の絵を四六時中流すことは、必ずしも必要ではない。だったら、その分を必要な情報の発信に振り分けることもできるだろうし、はげましのメッセージにふりわけることもできる。それが、「どこでお風呂に入れる」といった、他の地区の人たちにはなんの意味もない情報だったとしても。
 そういうやり方は、スポンサーが払う莫大なお金には、見合わないのかもしれないし、ネット局はキー局と同じ番組を放映しないと、ネット料が入らないので独自編成できないとか、問題はあるんでしょうけどね。

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