ただそこにあるということ
角松敏生が阪神大震災の前日のことを歌った「崩壊の前日」という曲があります。地震以降、この曲のことを幾度となく思い出してしまいます。
やがて、地震の朝が来ることが運命づけられた、その前日の、なんでもない、ごくごく普通の、でも、幸せな日。
もし、翌日に地震が来るとわかっているのであれば、なにかできるはず。でも、もちろんそれはわからないことだから、結果として、喪われてしまうものがある。
出張前、ホームで電車を待ちながら、ふとレンガ車庫を見て思ったこと。それは、この建物、JRの人ではない我々にとっては、ただ、そこにある「だけ」のものなんだなということ。ただの、日々の暮らしの中の、背景としての建物でしかない。だから、きっと、あると言うことが、僕らを満たすことは、おそらくはないんだろうなとも。
ただ、それと同時に、ある日突然、そこになくなったときには、「あれ?」という、小さいけれどもぬぐえない違和感が、ずっと続くだろうなということも。
きっと、今回の中越沖地震が変えてしまったまちのあちこちの景色も、ある時には、文化財でも、貴重なものでもなんでもない、ただの古い家や、遊具の錆びた公園や、車が通るには不便な狭い橋や・・・が少なからずあると思う。思うのだけれど、そういったものが喪われたとき、そこで暮らす人は「あれ?」という小さい違和感に、心の落ち着きを失ってしまう。去年聞いた、藤森先生の講演で出てきたことというのは、きっとこういうことなんだろうな。そんなことが、こんなきっかけでわかっても、あまりうれしくないのだけれど。
大阪について、ホテルの横のコンビニでお茶を買っていると、レジの横の募金箱に、玉のお金だけじゃなく、万札など紙のお金もたくさん入っていました。きっと、地震がなにを奪っていくのか、頭ではなく、体で関西の人は感じている。僕は、被害のなかった場所に住んではいるけれど、やはり新潟の人間なので、本当にうれしくて、ありがたくて、頭がさがりました。
交通関係の補足
高速道路の無料供用区間が広がっています。長岡IC~能生ICまでとのこと。この区間内のみの通行は無料ですが、ここをまたいで走ると全線有料になるのはかわりません。また、高速バスもまた走り始めたようです。
NEXCO東日本の案内
http://www.e-nexco.co.jp/road_info/important_info/h19/0717/
新潟交通の案内
http://www.niigata-kotsu.co.jp/~noriai/unkou.htm
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