宗教というほどよそ行きではないもの
僕は基本的に無宗教な人間だと思います。仏教などの哲学的な側面には、とても興味があるけれど、一方で、完全に仏とか、神とかに帰依するような考えは持てない。
たとえば、東本願寺などに行って、本山納骨の「価格表」が張り出されているのを見たりすると、強い違和感も感じます。
その一方で、山の中にあるちっちゃいお地蔵さんや仏像には、なんとなく神々しいものを感じてしまったりもする。これは、結局のところ、太陽が照っているのはうれしいなとか、草がのびるのはすごいなとか、そういうもっともっと原始的な宗教のようなものにつながった考え方なのかもしれません。そういう意味では、一人の神様がすべてを差配しているとしたら目が届かなそうなくらい、目に映るものすべてがどんどんと変わっていく気候を持った、日本のような場所では、「八百万の神」というのは、思いつきやすいことだったのかなとも思う。八百万の神を畏れ敬うというのは、結局のところ、自然を畏れ敬うということなのだろうから。
そんなこんなで、今日の1枚も、月不見の池周辺です。これは、駐車場から少し歩いていったところにある、十二支の守り本尊の像。酉年の僕は不動明王なのだとか。このすぐ横には、ボケ防止の大きな像もありました。
賽銭箱のない仏像の膝に、それでも置いてある十円玉。こういうところに、日本ってあるんだなぁ、きっと。
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