うけつがれていくもの
とはいっても、その分野の達人たちが受け継いでいく、職人芸の話ではなく、今日は子供たちの話。
ある日、突然娘(4歳)が、道ばたの草をぷちんとむしり、その赤いところをくわえて「甘いんだよー」と言い出しました。
花は、写真で後ろの方に土偶のように映っているコイツ。実は、僕もこどもの頃に吸いました。30年以上をへだてて教えもしないのに同じ花を吸っているこども。「古い遊びを教えよう」という先生たちのくわだてなのかなと思って聞いてみると「おねえさんにおしえてもらった」とのこと。同じ幼稚園の、もうすこし大きい子たちが、教えてくれたんだそうです。だとすれば、こどもたちがダンゴになって遊んで、そのなかで大きな子が小さい子に遊び方を教えていくような、僕らがちいさい頃の「コドモ社会」が、今でもしっかり残っているということ。なんとなく、うれしくなりました。
もう一つびっくりしたのが、あのほのかな甘さを、今の子が「甘い」とちゃんと感じるということ。よく、「美味しんぼ」的なある種宗教的な潔癖さで現代のゆがみを批判する人たちは、今の人たちの基盤たるなにかが壊れていることを基盤として論を展開するけれど、そういう人たちは、たとえば砂糖菓子もスナック菓子も山のようにたべられる今、あえてこどもがこういうものを「甘い」ということを、どう位置づけるのか、なんて少し意地悪なことも考えてしまいました。こういうことに出会うたびに、想像で定義したイメージを元に話すのは、怖いことだなとも思ってしまいます。フィールドワークを軽視しちゃいかん・・・なんて大げさな話にするまでもなく、ネットなどの知識による仮想体験だけで知った気になって、実際に遭遇する実体験がないままというのは、怖いっていう、あたりまえといえば、あたりまえのことなんですが。
この手の遊びだと、もう少しあたたかくなると、カラスノエンドウ(我々は、スーピーピーと呼んでいました)を使った草笛遊びなんかもあります。こういったものも、自然と子供たちの間で習って覚えていくのか、楽しみに見ていたいと思うのです。
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