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2007年3月31日 (土)

波打ち際を歩く

Img_9355_1000_1 仕事先から戻る途中に、ほっそりとして大きく翼を広げた鳥が飛んでいくのを見て、どこにいくんだろ?などと思っていたら、田海川の河口あたりに降りていきました。

 鳥って、かわいいとか、愛らしいとか思うことが多かったのだけれど、写真を撮るようになって、凛々しいと感じることが多くなってきたように思います。すっくと立って海を見つめる姿なんて、人間におきかえると、こんな人はなかなか見かけないんじゃないでしょうか。

 さて。

 海岸は、雨翌日のお休みの日ということもあって、波打ち際の石をみながら散歩するひとがちらほら。翡翠の小石が拾えるなんて運のいいことはなかなかありませんが、いろんな種類のきれいな小石をこのあたりの海岸で拾うのは、とても楽しいんじゃないでしょうか。

 このあと、すぐに雨が降り出してしまったこともあって、短い散歩だったけれど、ときどきこういうことをするのは、楽しい。また、凛々しい鳥にも会いたいです。

 ところで、先日桜のつぼみだと思って写真を載せたら「あれは桜じゃない」とお叱りをうけてしまったのだけれど(例によって、花の名前を知らない人間ですいません)、この鳥は、なんて鳥なんでしょうか。ご存じの方、ぜひおしえてください。

2007年3月30日 (金)

15.2

Img_93401 以前、関東に住むすこし年上の友達が遊びに来て、近所の温泉に泊まったときのこと。

 深夜まで飲んだり話したりしたあと、寝る前にすこしテレビをつけたとき、彼らがコマーシャルで驚いていたのが、2つのこと。

 ひとつは、パチンコやのコマーシャルがめちゃくちゃ多いことなのだけど、もうひとつが、分譲地のCM。

 「安い!」

 彼らが驚いたCMでは、坪30万円くらいのとある駅に近い住宅地が紹介されてました。我々にしてみれば、十分に高いのだけど、彼らが日々払っている家賃を思えば、そう思うのも、当然なのかも。

 そして、坪30万円を高いと思う方の僕が通う会社の前でながらく空き地になっていたところで、最近こんな看板が立ちました。ここは、坪15.2万円。一区画が100坪前後というのも、彼らにしてみれば、驚きなのかも。

 こういうところに、都市と田舎町の感覚差、出るんでしょうね。

 そういえば、今日は県議選の告示日。糸魚川市区はまたも無投票でした。当選された候補の方はいい方だと思うのだけれど、無投票が続くまちというのは、田舎町・・・というよりは、前近代的だなぁと。こういうところは、かわっていくべきだとは思います。

2007年3月29日 (木)

横顔

Img_9315_1000 ちょっと天気の悪い日が続いているので、よく晴れた日のれんが車庫を1枚。

 いつもは三連のアーチの部分をご紹介する写真が多いので、今日は横から見たところです。

 この、長い壁面にいくつも並んで埋め込まれている窓の様子。この面が、実はなかなか建築学的に貴重なのだという話をお聞きしたこともあります。

 難しいことはよくわからないけれど、絵になる建物だなぁとは思う。

 撮影しているのは、糸魚川駅で長距離電車の切符を買うと出かけている間無料で止められる駐車場。

 ここは、事務所からJRの方が線路を渡って駅の方へやってくるあたりでもあり、駅員さん、古い大糸線の列車、そしてれんが車庫といった糸魚川駅らしいものをならべて撮影できる、なかなかいいポイントのひとつという気もします。

2007年3月28日 (水)

もうすこし、あとすこし

Img_9338 東京では、桜がそろそろ満開だそうです。例年4月第一週くらいにちらほらと咲き出す糸魚川の桜も、まだまだつぼみがふくらみはじめる程度。咲くのはもう少し先かも。

 ただ、陽がよく当たり、風があたらない場所では、少しずつほころびはじめている木もあります。

 そんな枝を探して、1枚撮ってみました。

 あちこちの枝は、まだコイツらよりはかなり後れを取っています。でも、来週末くらいには、のんびり桜の花を楽しめるのではないか。そんなふうに、楽しみにしています。

 あたたかい、雪が降らない冬でも、やはり春がくるのは、うれしい。

 そして、春の象徴が桜なのだから、やはり、桜はうれしいです。

2007年3月27日 (火)

5m・1km

Img_9330 小さいことでも、”1番”はなぜか自慢したくなる。だから、いろんなまちで、いろんなことを探して、「ウチはここが一番だよ」と自己主張しています。

 今日は、ウチのまちの「一番」らしいものをひとつ。

 ちっちゃなちっちゃな水芭蕉です。尾瀬や、ご近所では鬼無里などの、大きくて見事な水芭蕉ではありません。ただ、この水芭蕉は、高山植物のくせに、標高5m、海岸からわずか1kmのところに毎年咲くのです。

 はたけのすぐよこ、車を止めてすぐに見られる場所にある、お手軽な、高山植物。今年は今週、来週くらいがピーク。ぜひ、ご近所の方は、見にいってあげてください。

2007年3月26日 (月)

ちいさいはる

Tsukushi1 そういえば、福岡あたりではつくしが出ると、みそ汁や卵焼きや・・・といろんなものに入れて食べるなんて読んだことがあります。春が来るのもはやいであろう彼の地。きっといまごろはあちこちににょきにょき出ているんだろうな。

 というわけで、今日は近所のお店の駐車場のわきに生えていたつくし。コドモが見つけておおよろこびで摘んでいたら、お店の人がちいさい袋をくれて、自転車のカゴにいれてくれたそうです。で、帰ってきて、大いばりで親(というか、僕です)に見せる。なんだか、「田舎っていいなぁ~」な一日だったようで。娘にとっては、幼稚園の春休みの初日。これから、どんな冒険の日々を過ごすんでしょうか。

 (それにつきあわされるばあちゃんには、感謝!)。

 先日携帯を「第三勢力」ソフトバンクに変えてしまいました。もっとつながらないかと思ったら、仕事場の建物の奥地では元々使っていたドコモよりつながりがいいなんてこともあり、案外の健闘ぶりにびっくりしています。そんなわけで、2回続けて携帯で撮影した写真を使ってみました。でも、ほしい色や露出で撮れないのは、やはりストレスです(笑)。

2007年3月25日 (日)

無事な夕焼け

070325_175643 今日、2007年の3月25日は、大きな地震があった日として、北陸地方の人の記憶に残る日になると思います。

 朝、ぐらぐらっと来たあと、最初に「平気か?」と電話をくれたのは、中越地震で被災した友人。共感する力というのが、問題にリアリティを感じるためにもっとも強い力を発揮する。だから、彼らが一番心配してくれたのだろうとも思うのです。

 糸魚川は、とくに被害もなく、無事です。電車が一時止まった程度で、それも再開しています。多くの人にご心配いただき、ありがとうございました。

 さて。

 先日の北海道の地震でも思ったことですが、多くの人は「災害があるとNHKを見る」んですよね。自分もそうでしたが、その後、延々同じ絵と、あまり意味のないような役所との電話のやりとり(一見、忙しい相手を邪魔しているようにしか見えないです)だけが映されて、ほとんど新しい情報は出てこないけれど、でも、多くの人が見ている。

 それは、「ここを引き続き見ていれば、新しい『伝えられるべき情報』に気づくことができる」という、多くの人の信頼のあらわれなのだとも思います。

 今、市内で話が出たり消えたりしている行政による情報化基盤整備事業。高速インターネットを市内のどこでも利用できるようにしたいというのも一つの側面ですが、忘れてはいけないのは、タイムリーに災害情報や避難指示などの緊急行政情報を伝えるためのツールとしての活用可能性があるということ。逆に言うなら、その面を無視してインターネットの市内全域高速化だけを考えるなら、極論を言えばあえて「官」が関与する必要なんてないわけですから(民間が整備しないエリアへの支援は、ぜひお願いしたいとは思います)。

 CATVの強さは、端末が「テレビ」であると言うこと。誰にでも使える、どこにでもある。その一方で、たとえば、避難所などでも有効に使える上、狭い範囲に限定免許で対応することができる可能性があるワンセグなんかは、テレビがアンテナで受信できるエリアではないと(つまり、多チャンネルのためにではなく、難視聴対策でCATVを整備したようなエリアだと)、使えなくなって、逆に取り残されてしまう可能性もあります。

 いろんな、テクニカルな面や、運用可能性の面で、もっと検討をしてほしい。あえて、行政が関与して、放っておけば数年後には光に転換されるであろう電話線でも担うことができる「かも」しれない分野を整備する話なわけですから。

 「行政からの告知手段」としての、情報基盤整備。災害があるたびに、このことを考えてしまう僕なのです。

2007年3月24日 (土)

うけつがれていくもの

Img_8825 とはいっても、その分野の達人たちが受け継いでいく、職人芸の話ではなく、今日は子供たちの話。

 ある日、突然娘(4歳)が、道ばたの草をぷちんとむしり、その赤いところをくわえて「甘いんだよー」と言い出しました。

 花は、写真で後ろの方に土偶のように映っているコイツ。実は、僕もこどもの頃に吸いました。30年以上をへだてて教えもしないのに同じ花を吸っているこども。「古い遊びを教えよう」という先生たちのくわだてなのかなと思って聞いてみると「おねえさんにおしえてもらった」とのこと。同じ幼稚園の、もうすこし大きい子たちが、教えてくれたんだそうです。だとすれば、こどもたちがダンゴになって遊んで、そのなかで大きな子が小さい子に遊び方を教えていくような、僕らがちいさい頃の「コドモ社会」が、今でもしっかり残っているということ。なんとなく、うれしくなりました。

 もう一つびっくりしたのが、あのほのかな甘さを、今の子が「甘い」とちゃんと感じるということ。よく、「美味しんぼ」的なある種宗教的な潔癖さで現代のゆがみを批判する人たちは、今の人たちの基盤たるなにかが壊れていることを基盤として論を展開するけれど、そういう人たちは、たとえば砂糖菓子もスナック菓子も山のようにたべられる今、あえてこどもがこういうものを「甘い」ということを、どう位置づけるのか、なんて少し意地悪なことも考えてしまいました。こういうことに出会うたびに、想像で定義したイメージを元に話すのは、怖いことだなとも思ってしまいます。フィールドワークを軽視しちゃいかん・・・なんて大げさな話にするまでもなく、ネットなどの知識による仮想体験だけで知った気になって、実際に遭遇する実体験がないままというのは、怖いっていう、あたりまえといえば、あたりまえのことなんですが。

 この手の遊びだと、もう少しあたたかくなると、カラスノエンドウ(我々は、スーピーピーと呼んでいました)を使った草笛遊びなんかもあります。こういったものも、自然と子供たちの間で習って覚えていくのか、楽しみに見ていたいと思うのです。

2007年3月23日 (金)

えきのはな

Img_9294_1000 糸魚川の駅は、狭い駅です。改札前のホールも、こじんまり。それだけに、大きな花がいけてあると、存在感があります。

 市内の華道をされる方たちが、交代で見事に飾っている改札を出て右手のこのおはな。昨日、出張に出かけるちょうど24時頃の駅でも、すこし青いひかりを受けながら、凜とした美しさでそこに「いて」くれました。

 大げさな、地域創造や町おこしをやる、仕掛け人の人たちは、いる。でも、身近なところで、花を置いたり、植えたり、絵本を読んだり、人と話をしたり、そういう、ごくあたりまえの生活のなかにある、「ずっとつづけているひと」が、実は街をしっかりと支えているということを、忘れないでいたいなとも思う。

 ついつい、状況を「動かす」役回りの人ばかりが、立役者だと勘違いしてしまうだけに、ね。

2007年3月22日 (木)

三色

Img_9298_1000 今日は夜行で東京へ移動する出張。駅に来ると、大糸線の車両がホームで休んでいました。

 なんでも、現在の大糸線は、キハ52という形式の車両を使っていて、旧国鉄時代の色を3種類取りそろえているのだとか。

 この各色ごとに、写真・日付入りの乗車証明書を5000枚限定で用意したそうなので、鉄っちゃんな方々はぜひ、どうぞ。

(このあたりは、地域鉄道部のサイトで写真も紹介されてます。)

 というわけで、3色そろった夜のホームから、いってきます。

2007年3月21日 (水)

浅いところへ

070322_183929 ホタルイカというのは、ある意味「深海魚」のようなもので、普段は深いところで暮らしているのだそうです。それが、産卵のために、浅いところへとやってくる。それが、我々にとっての「旬」につながる。

 そんなわけで、そろそろホタルイカのシーズンがはじまりました。今日は、生を買ってきて、家でさっとゆがいたものをワサビ醤油で。芥子酢味噌で食べるパターンもありますが、僕はワサビをあわせるのが好きです。

 もう少しすると、近所の姫川港にもホタルイカは大挙してやってきます。夜中に網を持ってきてすくうひとたちも、地元だけではなく、信州のほうからも大挙してやってくる。

 港で夜釣りしていても、そんなに寒くない時期が、もうじきやってきます。そういう意味では、ホタルイカは「春告魚」なのかもしれない。そんなことを考えたりもするのです。

2007年3月20日 (火)

日々の暮らしでの「習う」

Img_9292 親バカまるだしで申し訳ないですが、昨日、娘が幼稚園から今年一年の「作品集」を持ち帰ってきました。一年間に書いたり作ったりしたいろいろなものを一冊に綴じていただいたものです。

 見てみてびっくり。

 まぁ、1年間かけてとても絵とはよべなかった絵の具やクレヨンの「ぬりたくり」がだんだんものの姿らしくなってきたのはもちろんなんですが(そして、親としてうれしいのは、そこなんですが(笑))、同じくびっくりしたのは、紙の裏なのです。

 一番前のページの作品の裏は「太鼓フェスティバル」のポスター。それ以外も、幼稚園通信の裏であったり、カレンダーの裏であったり、チラシの裏であったり。

 そういえば、ウチでも、かつてはお絵かき帳みたいなものに書き散らかしていたのに、最近はチラシの裏を求めて、新聞をひっくりかえしたりするようになったウチの子。

 チラシやポスターは、きれいです。人の目をひくようなアイキャッチな色とデザイン。そして、きれいで光った裏の白。コドモの気持ちをつかむ「素敵な紙」なんだなと。

 そして、それらの紙が「素敵」なのだと子供たちに教え込んでしまった先生方というのは、すごいなとも思うのです。

 一時期妙に流行り、最近はあまり見かけなくなったLOHASというライフスタイルも、要は「環境のために無理をしても続かない。『そのほうがいいな』と思って選ぶ、軽い気持ちの選択が環境向きになっているくらいがいい」みたいなことなのだと思う(少なくとも、不夜城のように24時間開いている市内唯一のマンガ喫茶が名乗るコンセプトではないように思う(笑))。だとすれば、これは、いわゆる LOHAS っぽいことなんだろうな、と。

 でも、それは元々昔から言われていた「もったいない」そのものだよなぁとも思うのです。

 かくして、今日もウチは新聞が来ると、裏が白いチラシははねてとっておき、コドモは嬉々としてそれに落書きをします。なんだか、そういうことになったということが、僕はうれしい。そんな気がするのです。

2007年3月19日 (月)

もったいない

Img_8528 糸魚川駅の改札口を抜けたところの丸い柱を見上げてみたことがありますか?。

 今なら「3月18日ダイヤ改正!。禁煙車が増えました」といった、喫煙者泣かせのポスターが貼られている駅一番のPRポスターの場所の一番上、天井のあたりだけ、さりげなく、レンガをあしらったデザインになっています。

 どこにでもある田舎駅。それが糸魚川。でも、なにかを見て「あぁ、糸魚川に来たなぁ」と感じさせてくれるものがあればあるだけ、僕らのまちへの愛着は、自信を持ったものになります。よく田舎の人がいう「こんななにもないまちに・・・」といったせりふは、まちへの自信や愛着のなさだとは思わないけれど、それをうまく他の土地の人に伝えられない、裏打ち感のなさではあるようにも思うのです。

 だから、この駅には、大きな勾玉のオブジェがある。市内の華道のみなさんががんばって生けてくれている花がある。そして、こんなところにも「ここにしかないもの」として、レンガのイメージがあしらわれている。確かに、赤煉瓦の三連線路を引き込んだ、現役検修庫もまた、いまとなってはここにしか残っていないものですから。

 僕は、このレンガ車庫は残ったらいいなぁと願って、微力ながら保存に向けてのお手伝いをしている一人です。でも、一方で、こう思うこともあるのです。

 たとえば(たとえば、ですよ)この建物を残すすべがないとか、残す必要がないと考えていたとしてもなお、「ここにしかないもの」は、使い道はあるのではないかと。「もう今しかみられない!」みたいな煽り方で、最後の人集めをする観光イベントは、全国にも山のようにあります。

 そんな刹那的なPRじゃなくても、去りゆくものを惜しんだり、懐かしんだりすることは、いくらでもできるはず。

 それなのに、なぜ、このまちは、この建物をまるで最初からなかったかのように取り扱ってしまうのか。

 残す、残さない以前に、なによりそれが、僕にとっては「もったいない」と感じてしまうのです。だって、コイツは鉄道が敷かれた最初の頃からここにあって、今なおここにあり、しかもしっかり働いているわけですから。

 そういう意味では、この柱の上のワンポイントに、この建物を今業務で使い、やがて業務として見送らなければならない駅の人たちの心意気を感じてしまうのです。

2007年3月18日 (日)

春の雪

Img_9259 しかし、突然よく雪がふるようになりました。一度は雪不足で今シーズンの営業を終えてしまったシーサイドバレースキー場も、営業を再開したそう。

 一方で、東京では歴史上もっとも遅い初雪と同じ日に、靖国神社の桜が3輪開いたなんてニュースが伝えられたりもして、なんだか不思議な年です。

 ただ、もともと、3月って、こういう天気がふつうなのかもしれません。雪がふったり、びっくりするくらい暖かかったり、強い風が吹いたりしながら、だんだんと春になっていく。

 今朝おきたときには、一面真っ白でした。だけど、朝ご飯を食べるころには、だいぶ雪は消えていて。午前中にこの写真のあたり(鬼伏近辺です)を通ったときには、かなり酷い雪。でも、夕方帰りに通った頃には、もう今日雪が降ったなんて少しも感じさせないあたりの様子でした。

 雪は、降る。けっこう寒い。でも、その雪を受け止める地べたは、もうかなり温かくて、「雪なんて受け止めてやらないぞ」っていう、春のモードに、しっかり入っているのかもしれない。だから、かなり降ってもすぐに消えてしまう「春の雪」。降るほどに、かえって暖かさ、春の訪れを感じさせてくれるのかもしれません。

2007年3月17日 (土)

小学校自慢合戦

Img_9225 つまらないことでお互い意地をはりあうのが、コドモのかわいいところ(もちろん、そういう大人もいっぱいいますが(笑))。

 保育所の同級生が全員同じ小学校にあがり、同じ小学校の仲間が全部同じ中学校に集まる。高校もせいぜいが3校に振り分けられるだけというわが街においては、「仲間が減る」ということは、高校を卒業して、まちを出ていく連中がたくさん出るまで、ほとんど感じられない感覚だったように思います。

 それだけに、同じ小学校出身や中学校出身の連中の同族意識はそれなりにあって、自分たちの学校自慢とか、けなしあいとかも、けっこうやって遊んだような覚えがあります。

 そして、我々青海の小学校出身の連中にとって、内心どうしても「糸小には敵わない」と思わざるを得なかったポイント。それが、SL。

 学校の敷地内に蒸気機関車が一両、しっかり飾ってあって、さわったり、上ったりもできる。これは、ホントうらやましくて、仕方がありませんでした。

 最近、このSLにも(断熱材などでしょうか)アスベストが使われていることがわかり、まわりは厳重に囲まれて、こんな看板が取り付けられてしまいました。多分、入り込んだり上ったりするコドモもいないんだろうな。

 そんなことを、ふと横を通りかかりながら、思ってしまったある夜なのでありました。

2007年3月15日 (木)

弁天さま

Img_9221 駅前「八」福神の写真は、いつも夜のものばかりで、そのうち昼間あたたかそうな光が降り注ぐヤツをとも思っているんですが、今日もまた、夜の弁財天です。

 この弁財天は、信用組合の前。

 お隣は、以前鮎にだきついているカエルの写真が新聞写真コンクールでいい賞になったオヤジさんがいる糸屋さん。

 最近、よく「小さい頃触れて『!』と思った街のにおい」のことを、同じ年代の近所の人と話すことが増えています。

 青海はいわゆる「企業城下町」ですが、その社宅のエラい人の子の家に遊びに行ったときに、おやつにケーキが出てきたとか(そもそも、遊びに行ったときにおやつが出ること自体、めずらしい時期ではありました)、ネスカフェじゃないコーヒー、ポットで入れた紅茶とか。

 おなじく「糸魚川へお買い物に行く」ということも、心躍り、前の日から興奮するようなイベントで、アキヤマの4Fのグリーンピースが乗ったカレーとか、ヤマシタのソフトクリームとか。そして、この弁財天がたっている場所にかつてあった小八木は、僕らにとっては、いわゆる、初めて遭遇する「ファッションビル」だったようにも思います。

 エスカレーターがあるお店で、あえて吹き抜けのあかるい階段を上ること。それがなんだか誇らしげに思えた、なんとも安上がりな中坊の頃の自分。でも、決して狭い世界以外を拒否していたっていうわけではなく、普段触れることができる世界が狭かったというだけのこと。それだけに、触れるものすべてで世界が広がっていくあの感じは、今となってはとても贅沢だったように思えるのです。

3/20追記
 上でちょこっと紹介している「糸やさん」に、その後のことを教えていただきました。
 朝日新聞へe-mailで送られ、本紙にも掲載された「アユ、君を離さない」という写真は、その年の年間優秀賞のEメール賞に輝き、朝日新聞報道写真集(2005)に採録されて、まるまる1ページ掲載。さらに裏表紙べろのところにまで乗るという、2004年の「代表選手のひとつ」にまでなってしまったとのこと。久しぶりに写真も見せていただいたけど、あらためて、すごいです。図書館などで見かける本だと思いますので、ぜひ写真も探してみてください。ついでに、鮎釣りする川としてはちょっと変わった川だと思うので、姫川にも、ぜひ(笑)。

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2007年3月14日 (水)

暮れる・走る

Img_9207 雲が広がる青空は、夕陽の頃の移り変わりがきれいで、時々目を奪われてしまいます。

 昨日のような曇り空は、明るい間はただの曇り空。でも、暮れていくにしたがって、雲の向こうの青が、まるで「抜けるような青空」のときの青だったことがわかってくる。だから、水平線より上だけ、なんだか別の場所。たとえば、大平原にぽつんとひとりでいるような、圧倒的な感じに思えたりしてね。

 そんな雰囲気がちょっとでも残らないかなと思って、こんな写真を撮ってみました。海沿いR8の夕方です。いかがでしょう。

2007年3月13日 (火)

海面

Img_9188 強い風もだいぶ収まってきましたが、まだまだ海は「冬の日本海」の顔。

 こういった風の強い日、朝出勤で海沿いの国道を走っていると、カモメたちは西にむかってどんどんと飛んでいきます。逆方向に飛んでいる連中はまずいないので、この時間はこちらに出かける頃で、あとで戻っていくのかもしれません。

 見ていて驚くのは、海面すれすれを飛んでいる連中。

 消波ブロックに当たって砕けた波は、10m近い高さになったりします。そのうねりに飲み込まれたかな?と思っても、波しぶきが消えると、ちゃんと飛んでいる。波が届かないくらいの高さで飛べば、波も怖くないと思うのだけれど。

 風の強さといえば、連中は普通は「海の一部」のところでしか飛んでいません。空に境界線があるわけでもないのに、砂浜か、そこに併走している道路といったあたりの上空まで。そこを越えて、もうすこし陸の方へ入り込んでくることは、滅多にない。うちの家があるのは海岸から200mくらいしか離れていないところだけれど、ここに連中が来ることも普段はありません。

 それが、先週末のとても風が強い数日間は、海浜公園を越えて、ウチの上空にまでカモメたちが流されてきていて、そんなところに風の異様な強さを感じたりしたのでした。

 そして、今日は午後からはかなりおだやかな天気。この天気なら、連中がウチの家の上に来ることは、きっとないだろうな。そんなことを考えながら、午後の仕事をはじめることにします。

2007年3月12日 (月)

しなる

Img_9145 台風並みの低気圧。天気予報ではそんなふうに表現していた昨日今日の強風。

 雲がどんどんと流されていくので、青空だなぁと思っているといきなり鉛色になり、雪が降ってきて、また陽が差して、忙しい天気が続きます。

 で、今日も日曜日の凍えながら散歩の一枚を。

 風で松がしなり、たわみ、揺れています。

 連中は防風林ですから、もともとこういう風に耐えるのがお仕事。でも、そのおかげで枝や葉の方向までが風下(つまり、海と反対側)へとむかい、すこしいびつな木になってしまっています。お仕事とはいえ、大変だよね。

2007年3月11日 (日)

飛沫

Img_9163 日曜日は、晴れたり曇ったり雪がちらついたりのなかなか忙しいお天気。ただ、一日通してものすごい風でした。

 コドモが昼寝している間に、ちょっとした気まぐれでカメラを抱えて海岸へ。でも、裸足にサンダル、Tシャツに半纏でいくのはかなり無謀でした。帰ってきた頃には指も動かずほおがばりばり。カメラもずいぶんと潮をかぶって、この写真を撮った頃には、フィルタが真っ白で、まるでソフトフォーカスでもかけたような絵になってしまいました。もしかしたら、ふるえていてぶれているだけかもしれませんが。

 それにしても、冬の日本海らしい、強烈な波飛沫です。これが、荒れた冬の風によってではなく、もしかしたら春一番の仲間によってもたらされているというのが、今年のすごいところかもしれないな。

 帰ってきて一風呂浴び、外をみたら、また雪がちらつきはじめました。いつもの年だと、3月になるとだいぶあたたかくなり「これでもう雪も最後かな」なんて話をしていると、ひなたぼっこ日よりの翌日にいきなり雪が降ったりする。なんだか、本番の冬はなかったけれど、3月だけは、妙にいつもの年っぽいな。そんな感じがするのです。

2007年3月10日 (土)

卒業式

Img_9133 毎月第二土曜日は、青海地区のホール「きらら青海」で「土ようこども会」が開かれています。同じ建物の中にある青海図書館のスタッフの理解あるサポートのもとで、市内のいろんな人たちが月に一度集まって、子供たちに絵本を読んだり、土地の昔話をしたり、紙や石を使った工作をしたりして遊ぶ、そんな会。

 僕が顔をだしはじめたのは、コドモがそういう年にさしかかったから。「ちょっと小さいかな?」と思うくらいから連れて行って、今や「中堅世代」になってしまったウチの子は、絵本が大好きなこどもになってくれました。

 一方で、そろそろこの会に連れてきてもらう。そんな年ではなくなる子供達もいる。スタッフの人たちにとってうれしい誤算だったのは、そういう子供たちが、やがて絵本の読み手として、顔を出してくれるようになったこと。

 数年前からは、年に一度、5月の連休の頃に、ホールで大きな読み聞かせ会もやるようになりました。そのステージにも、小学生になった彼ら、彼女たちがあがってくれるようになる。

 そして、僕ら大人は、彼ら、彼女たちが「これを読みたい」といって選んでくる本がとても興味深くて、毎月の第一土曜日を楽しみにするようになっていったのです。

 今日は、3月の土ようこども会の日。4月には中学生になる子たちが、土ようこども会を「卒業」するということで、記念にきれいな春のお菓子をくれました。僕は残念ながら体調がよくなくて、今日はお休みさせてもらったのだけれど、でも、とてもうれしかったっていうことを、ここにきちんと書き残しておきたいなと思います。

 なによりも、小学生にインスパイアされる経験というのは、なかなか得難いものだったわけで、僕を大いにインスパイアしてくれた君たちが、もっともっとおもしろい本を発見していくのを、僕はとっても楽しみにしているからね。

2007年3月 9日 (金)

まっすぐ

Img_8931 仕事場へは、いつもは海沿いの国道から行きます。踏切をわたって、200mほど。だけど、せっかく雪が降ったのだからと、山をまわって下りていく道経由で行ってみました。

 林道は、車通りも多いからか路面に雪はなく、安心していたら、曲がったとたんに、これ。

 車のわだちがまっすぐ続いているだけで、ここをはずしてまがったり、すれ違ったりすることもできない。こうなると、車もレールに乗った電車みたいなものです。

 毎年、こういう道や、アイスバーンになった道を走りながら冬を過ごすのだけれど、昨日に続いて、こういう道が新鮮に感じられてしまうのが、自分でも不思議で、思わず一枚撮ってしまったのでした。

 しかし、この対向車を許さないわだちをトレースして走っている間、ホントに対向車がこなくてよかった。山道・・・なんですねぇ。

 ちなみに、この道は、R8から大和川森林公園へと向かう道。天気がいいと、田園風景の向こうに街なみと、海と、青い空が見える、なかなか気持ちのいい場所なのです。

2007年3月 8日 (木)

わたぼうし

Img_8933 久しぶりの雪です。

 もうすっかり春だったあちこちに、申し訳なさそうに雪がのっかったものだから、あちらこちらの木にちいさくふんわりした固まりがのっかっています。

 一面の白、わたぼうしをのせた木々。

 こういう景色は、まるで「冬が来たんだなぁ」と思う、11月くらいの気持ち。

 おそらく、今年最後のまとまった雪。本当に今年は、雪の少ない年だったなぁ。そう実感させられた、春なのに、初冬のような気持ち、なのでした。

2007年3月 7日 (水)

雪・夜明け前

Img_8887 「十二支のお節料理 」というとてもきれいな絵本があります。

 「一夜明けたらお正月」と綴られたページをめくると、、そこには、言葉のない一面のましろ。しかも、温かい白が広がります。

 雪に暖かさを感じるか、冷たさを感じるかは、陽の当たり方から、自分の仕事のうまくいかなさ加減までいろんな条件がありますが(笑)、とりあえず、寝て起きたら世界が一変しているこの感じは、何度でも「あっ」と思わせてくれる、雪国ならではの楽しみ。

 今年は根雪らしい根雪がなかっただけに、地面が出ていたのが一晩で真っ白という条件はそろっていたものの、雪雲の方の根性も足りなくて、降ってはいるけど、地面は変わらずといったことが多かっただけに、3月に来て案外がんばる連中を見直した(?)今朝でした。

 今日は一日降ったり止んだりとのこと。スキー場が一息つけるくらいは、降ってくれるのかな。

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2007年3月 6日 (火)

廃線を歩く

Img_8823 久しぶりに、自転車で通勤してみました。

 上刈跨線橋を渡っていると、橋からものを落とさないようにつけてある柵が橋の半分のところからないのに今更乍らに気づき、その下を見てみると、電線も撤去されています。糸魚川駅からセメント工場への引き込み線路が使われなくなったのに伴ってのことなんですね。

 せっかくだから、線路の上歩いてみようと、下におりて少しうろうろしてみました。

 もうこの線路が使われなくなってだいぶたつので、草もぼうぼうと生えているんですが、よくある「廃線を歩く」とちがって、すぐ隣には北陸本線があって、時折電車が通り過ぎていくのが不思議な感じ。まるで、立ち入り禁止の線路にこっそり忍び込んでいるような感じもあって、楽しい散歩でした。

 新幹線工事の関係で、線路近くの家が引っ越していることもあって、駅に近くなってくると、れんが車庫も見えてきます。

 あたりまえのことだけれど、線路があるところは、少なくとも線路の上はずっとつながった空間があります。左右に家がたてこんできても、そこだけ空いている。だから、線路を歩くのって、不思議な開放感があって、いろんな発見があるんじゃないか。そう思います。ちょっと、運転士さんがうらやましくなったひとときなのでした。

 で、ふと我に返って、あわててペダルをこいで会社に急いだ朝でありました。

 旧明星セメント引き込み線は現在廃止されていて「線路に入らないで」の表示もこちらではなく、隣の北陸本線のところにいかないとないですが、立ち入りが許可されているかどうか、筆者は確認していません。この文章は、引き込み線敷地内に入ることができるのを保証しているわけではありませんので、ご注意ください。

2007年3月 5日 (月)

夜の寿老人

Img_8761 駅前の八福神シリーズも終盤。今日は、寿老人です。

 ”八福神”のとなりには、絵馬をかけられるようになっていて、ここにはやはり「こんな風に老いたい」といったものをいくつも見かけます。

 トヨタレンタリースのCMでのブルースハープを吹くジィさんじゃないけれど、かっこいいジジィになりたいという願いはある。あるのだけれど、それと同時に、こんな力みのない、おだやかな笑顔ですごせるようなトシの取り方もしたいなと思うのでありました。一方で、「近所の口うるさいジジィ」として、わからずやになりたいという気もあって、なかなか人間なんてのは勝手なものだな、と。

2007年3月 4日 (日)

山を見上げる

Img_87941 この季節、だんだんと山が黒に戻っていくのを見ると、あぁ、春なんだなぁと思います。

 もうすでに(というか、今年は最初から、か)一番手前の山は雪なし。奥の白馬連峰や日本アルプスの山々と、手前の山の間にあるような山々は、そろそろてっぺんあたりだけすこし白いといった風情になりつつあります。

 そして、青海のシンボル黒姫山も、いつもの年ならまだほとんど真っ白なのに、だいぶ山肌が見えてきました。

 この写真は、姫川の桜づつみのあたりから撮ったものですが、下の橋は、北陸新幹線のもの。とうとう、姫川を渡る橋も、ひととおりつながったようです。

 10年もすると、ここを「ぷわーん」という音とともに走り抜ける新幹線なんて写真を撮ることが、できるんでしょうね。

 花粉さえ飛んでいなければ、散歩がとても楽しそうな、そんな気持ちの良い青空の一日の、一枚でした。

2007年3月 3日 (土)

右?、左?

Img_8804 ウチは女の子が一人いるので、今の時期というと、雛人形を飾ることになります。

 はじめて飾るときにふと考えること。それは「どっちが右で、どっちが左だ?」。その時は、ちょうど手許にあった「しばわんこの和のこころ」(最近、NHKでアニメにもなってますね)を見て、女・男 の並びで飾りました。でも、なんだか少し、違和感がある。

 いろいろものの本を見ると、各地で飾り方、つまり、なにかあるときに並ぶ男女の左右はいろいろとお土地柄があるらしい。あまりそういうこと考えてみたことがないので、たとえば自分の結婚式のときはどうだったっけ?などと考えてみて、とりあえず、今年は男・女並びに飾ってみました。

 この並び、関東と関西で違うと書いてある書物が多いようですが、糸魚川はまさに、JRは西日本でNTTは東日本。電気は市内に50Hzと60Hzの境目がある上に東北電力エリアという西か東かよくわからない場所。

 実際のところ、どちらの並びで飾っているお宅が多いんでしょうか。なんだか、すごく興味があります。みなさんのところは、どうですか?

2007年3月 2日 (金)

ちょっとひとやすみ

Img_8769 続いております、夜の駅前散歩です。

 商店街の角に突然あらわれる、ちいさなちいさな公園。元々はここもお店だったのだけれど、今では界隈散歩の途中で一息つくときに、ちょうどいいベンチのありかとなっています。

 今年のアンコウまつりで、吊し切りをやったのもこの公園。全部取り分けて、最後に口だけがつるされていたのを以前ここで紹介したこともありました。

 クリスマスが過ぎると、まちのイルミネーションは突然減ります。それだけに、駅に向かう途中、ここのきらきらを見て、子供が「きれいだね」というのは、ちょっとうれしい。

 もう少しあたたかくなったら、ここでゆっくり缶コーヒーでも飲んで、本とか読んでみたいなどと、思ってみたりもするのですが、さて、実現やいかに。

 

2007年3月 1日 (木)

布袋さん

Img_8764 一日鮭のお話でお休みしましたが、今日もまた、夜の駅前を。

 今日は、懐かしい丸形ポストが立つ、呉服屋さんの前界隈を。

 向こうにちいさく映っているのは、布袋さん。福々とした、思わずこちらまでにこにこしてしまいそうな笑顔です。

 像の下にある紹介には、布袋『和尚』とあります。和尚とかかれているのは、ちょっと珍しいかもしれません。悩みがないからなのではなく、悩みながら、でもそれときちんと向きあうことができるからこその笑顔。そんな強さを勝手に感じてしまった僕なのです。

 今度は、このポストに投函しに来てみよう。

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