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2007年1月31日 (水)

サヨナラ

Img_8262 もうだいぶ前のことになります。

 取り壊し中の旧青海中学校の横を通って仕事先へでかけ、一日終わって戻ってきたら、もう立っているものはなにもなくて、ただのがれきの山になっていたとき、僕は思わずそこに車を止めて、日が暮れてしまうまでずっとずっとその廃材たちを見つめていました。

 そして、ちょうど今、こんどは僕が通った小学校、田沢小の旧校舎を取り壊しています。

 あのころに比べればだいぶ感受性もすり減ってしまったし、娘の幼稚園の隣ということもあって、壊していく過程を日々見ているからということもあって、あのころのような動けないほどの切なさは感じないものの、やはりさみしさは否めない。

 ちょうどいい天気だったので、工事の人にお願いして、写真を撮らせてもらってきました。

 後ろには、もう子供達が入って生活しているあたらしい校舎が。そして、教務室などが入っていた残りの建物が、あとすこしだけ残っています。

 建物はもっと古い青海小は、耐震補強が可能だったらしいのだけど、田沢小は地盤が砂地だったからとか、建てられた年に新潟地震があって生乾きのコンクリートにヒビが入ってしまったとか、いろいろ理由は聞くけど、補強が難しくて、立て替えだとか。

 これで、小学校、中学校と、通った校舎がなくなってしまいました。村上春樹が「村上朝日堂はいほー」というエッセイの中で、自分の中で「青春」と呼ぶべき心理状態がどのように終わったか、その瞬間のことを書いていたけれど、自分にとっては、中学校に続いて小学校もなくなってしまうというのは、確実に「その」ステップだなと思ってしまう。まだ、「完全」に終わったとは、認めたくないのだけれど。

 なにはともあれ、長い間お疲れ様。サヨナラとともに、校舎にはそういって労をねぎらってあげたい。そう思うのです。

2007年1月30日 (火)

銀葉草

Img_8249 寒い季節の楽しみの一つが、海草のみそ汁。いつもは買ってきた青のりをうかべたりしているところを、この季節ならではの海草でつくります。

 このみそ汁は、銀葉草(ぎんばそう)という海草。茎はけっこう堅いので、芽の方をたべます。お椀に入れたときには、茶色なのに、熱いみそ汁を注ぐと、それはそれはきれいな緑色になり、海の香りがぱぁっと広がります。

 他にも、この季節は、アオサとか、生の岩のりなど、いろんな海草が出回って、そのみそ汁を何杯もおかわりしては、家人の笑われるのが日課になります。

 海草に熱湯というのは、ある種の定番なのかも。よくカップで売っているわかめのメカブなんかも、あんなに細く切らずにざくざくっと大きく切って、お湯をかけてたべたりすると、香りに酒が進むもの。

 みそ汁ダイエットのデータねつ造が話題になっていますが、そんな目的がなくても、なんだかいい気分になる一杯からスタートする一日は、自然と動きが多くなって、結果としてより多くの熱量の消費が・・・ないか(笑)。

2007年1月29日 (月)

海を見つめる目

Img_8237_1200_1 今の時期、海岸を歩いているとおもしろいもの。それは、流木です。

 川の上流から流されてきた木が、強い波で打ち寄せられて砂浜にあがってくる。海水浴シーズン前にはご近所総出で片付けて埋めたりするんですが、やっぱりこの時期はまた、どんどんとやってきてしまうので、あっちこっちにごろんごろんと転がっています。

 石が川で転がって丸くなるように、流木も皮がはがれたり、おれたり磨かれたりして、いろいろな形になります。らっこやあざらしっぽいもの、小さいながら大木を感じさせる、まるで盆栽みたいな雰囲気のもの。そして、この木は、タカや鷲みたいな猛禽類が海を見つめているみたいな雰囲気を感じたんですが、どうでしょうか。

 拾ってくるには重たいし、濡れているので、散歩の間だけしか愛でることができないブツなのだけれど、案外おもしろいですよ。海が荒れた翌日、翡翠探しもいいですが、流木観察も、ぜひ。

2007年1月28日 (日)

びゅううん

Img_8217_1200 ウチが建っているあたりは、昔広い砂原で、「あんな風の強いところの角地なんて、いやだ」といろんな人がいったせいで、めでたく我が家が建つことになったいわくつきの場所。今では、周りに家もたくさん建ちましたが、古くからの家はどこも、家の周りをぐるりと囲むコンクリートの塀があります。

 そして、浜の方に歩いていくと、松を並べた防風林があるのです。

 しばらく前に、県がまちといっしょに海岸近くを海浜公園として整備したので、そのときだいぶ防風林は雰囲気がかわりました。あらためて植えられたもののなかには、まだまだ小さいものもあります。というわけで、今日のは防風林のいちばんはしっこに植えてある細い松数本です。

 常に、海からの風にさらされている。そして、林の真ん中なら一人で全部その風を請け負わなくても、まわりで分け合えばいいけれど、ここはもうもろに風を引き受けなければいけない。倒れないように、ロープでしばったりしてはありますが、ものの見事にみんな一方向に曲がって育っていってしまいました。

 これだけの力がある海風というのもすごいけど、これだけの風にさらされてなお、枯れもせず倒れもしないで、まがったままぼーっと立っているコイツらも、なかなかすごいやつらだな。そんなことを思った、つかのまの晴れの散歩。

 そして、海が光ったと思ったら、あっという間に空がくらくなり、雪ではなく、雨が降ってきました。雨が降るというのは、あたたかい証でもある。なんだか、不思議な冬です。

2007年1月27日 (土)

あえて思う「新幹線のこと」

Img_8208_1200 橋脚だけがぼんぼんと並んでいるのは、建設中の北陸新幹線。この写真は、姫川をわたってすぐの須沢のあたりです。
 糸魚川駅のレンガ車庫を惜しんでくれる人の中には「新幹線なんて来たって、みんな出て行くだけなのに」と言う人たちもいます。確かにそのとおり。そう思う自分もいるのだけど、少し違和感もある。それはなぜかというと、「出て行くだけなのに」という人たちの大多数が、すでに出て行った人たちだからなのかもしれません。
 正直なところ、いわゆる「ストロー現象」の素地は、すでに充分整っています。高速道路を通って富山や新潟にはいきやすくなったし、はくたかを乗り継いで、3時間弱で東京へも行くことができる。実際に東京はもう日帰り出張圏です。新幹線がやってきて、「はじめて」おきるストロー現象というのは、糸魚川では正直あまり考えられません。
 田舎の人の都会への憧憬。それが、たとえば「糸魚川で遊ぶところって?」って聞かれて「ヴィラオレッタくらいしかない」なんて答えてしまう原因なのかもしれない。でも、夜まで明かりだけついてれば街っぽいのかという発想は、実は「街」へのコンプレックスでしかありません。
 「ウチのまちなんて、なにもいいところがない、ありふれたまちなんだよ」という思いが、ストロー現象を必要以上に怖がる原因なのだとも思うのです。

 いなかまちが変わるのは、いいにつけ悪いにつけ、街へのコンプレックスから。もっとあかぬけた街になりたい。その思いが、時にヘンテコなピカピカを作り出してしまう。その穴にはまることなく、肩肘はらずに「新幹線駅があるまち」へと、進んでいければいいなと思う僕なのです。
 というわけで、バラ色に見えないように、曇り空の下ならぶ橋脚の写真を1枚なのでした。

2007年1月26日 (金)

展望フロア

Img_8167_1  空が青いと、ついつい見上げたくなります。
 勤め先近くの高い電柱の高圧線に、しっかりスズメがとまっていました。太さを見ると、とまっているというよりは、乗っかっているという感じ。鳥の大きさと比べてみると、あらためて、電線がものすごく太いことに気づきました。
 太い線のまわりを巻いてある細い線が、つかむのにはちょうどいいのかもしれないですね。
 連中、ちっちゃいけれど、高いところから、なんだか精悍な顔して遠くを眺めてます。あんなところから青い青い空を眺めたら、気分いいだろうなぁ。

2007年1月25日 (木)

ランドマーク

Img_8202 合併で「青海町」という名前が消えるまで、僕ら町民にとっての町のランドマークは、黒姫山でした。

 糸魚川市となった今は、ヒスイであったり、紅ズワイガニであったり、いろいろな市の顔を持つことができたけれど、でも、未だに、黒姫山の顔を見るのは好きな僕です。

 この山は、薄皮一枚分だけ土で、その下はかつて海中に堆積したフズリナたちが変化した石灰岩の巨大な固まり。地面よりもはるか下まで、石灰岩なのだそうで、とてつもなく広く深い鍾乳洞なんかもある。ただ、それが横に広がるのではなく、どんどん地中へと潜っていくような形に広がっているので、みんなが気軽に見に行くことは、難しいそうなのだけれど。

 そして、この岩を掘って、セメントとか、カーバイドとか、いろんなものを作る元にもなっている、ウチの町のお財布みたいな山でもあります。オヤジが石灰岩を原料として取り扱う会社に勤めていたのだけど、前の工程で焼かれてからやってきた石灰石の中に時々見事な化石があるのに、焼かれているのでさわると崩れてしまうのがもったいないなんて話しを時々してくれたのを思い出します。

 今日のように、空がどんよりと曇っている中、空が一カ所だけ空いて、山だけがきれいな銀の雪色に照らし出される朝は、出勤途中に思わず見とれてしまいました。

 自分の町に、自分の好きな風景があること。それって、とてもうれしいことだなと思うのです。

2007年1月24日 (水)

眠る大糸線

Img_8037 「大糸線の列車にはトイレがありません」の表示。しかも、一両で走っているので、たんぼの中を走っていると、なんだか田舎のバスみたいなのどかな感じがします。

 最近は、この国鉄色の列車以外にも、もう少し古い時代の緑系の色の列車も走らせているようで、なんだか鉄っちゃん向けのサービス列車のようになりつつあります。

 列車、列車と書いていますが、この路線は電化もされていません。つまり「電車」ではないわけで、いまだに僕の周りの人たちは、他の電化されている路線も「汽車」と言うひとが少なからずいます。若い20代くらいの人たちの中にも。

 寒い日、ちょっと暑いくらいの暖房が効いた一両編成の列車にぽつんと座りながら、姫川温泉あたりまでふらりと行って、温泉でゴハンたべて帰ってくる。そんな、優雅な時間の使い方をしたいなぁなどと思いながら、夜行列車での日帰り出張に出かけたりする。そんな日々なのです。

2007年1月23日 (火)

まんまる

Img_7979 それにしても、降らない雪。毎日あたたかいので、花もだんだんと開いてきているようです。この間長野の町を歩いたら、雪がないのは同じものの、日陰にはちゃんと雪が残っていて、やっぱり、気温の差はあるのだなとも思う。元々新潟は、「あたたかいけれど、雪もたくさんふる」という場所なので、雪が降らないと、ただの暖かい冬ということになってしまう。そんな感じなのです。

 さて、今日はまんまるいつぼみを。

 しっかり堅いつぼみがさきっぽだけすこしゆるんできている。このさきっぽに、春のにおいを感じる。そんなここ数日なのです。

2007年1月22日 (月)

ぜんぶたべられる

Img_8170

 これ、なんだと思います?。実は、あんこうの口なのです。

 昨日の日曜日は、糸魚川駅前で、この時期好例の「糸魚川 荒波あんこう祭り」が開催されたのですが、目玉のひとつ、大きなアンコウの吊し切りがおわったあとの様子です。

 アンコウは、「七つ道具」なんて言われますが、身の他にも、皮も、骨回りも、みんな食べられる、そして、白身の肉よりも、かえってそういうところの方がうまい魚です。すこしずつ切り分けていって、最後に残ったのが、口のまわりだけ。ホントに捨てるところのない魚なのだなぁ。

 市外の人も大勢訪れたこのイベント。ちゃっかり市内組の自分も家族で出かけてきました。アンコウ汁はもう売り切れだったものの、地物のメギス(全国的にはニギスと呼ばれることが多いようです)やほたてなどを網焼きしたり、普段なら刺身にするようなおおぶりの甘エビを唐揚げにしたりと、いろいろな魚ものを楽しみながら道ばたで一杯。このイベントの日は雪がちらつくことが多かっただけに、こんなにあたたかい日にゆっくり楽しめたのははじめてでした。

 地元の産物が並ぶのはこの手のイベントの常で、おかあちゃんたち手作りの漬け物があったり、朝どりのまだ香りが強いしいたけが一山300円だったり、はたまた和菓子やさんがちゃんと作って持ち込んできたお餅入りのお汁粉がわずか100円だったりと、とても楽しめるイベントでした。みなさん、お疲れさま。

 市内では、「荒波あんこうフェア」なるものをやってまして、あちこちでリーズナブルにアンコウをおいしく喰わせるメニューが用意されてます。ぜひ、糸魚川へおでかけください。

2007年1月21日 (日)

明日の天気は

Img_8123 ウチの娘は「そらのずかん」という本が大好きで、しょっちゅう眺めてはにこにこしています。その中に、「こんな空のときは、こんな天気」という例がいくつか紹介されていて、その中のひとつが「飛行機雲が長くのびたら、明日は雨」。

 久しぶりに二日続いた青空に、長く長く続いていく飛行機雲。そうか、明日は天気よくないのか。そういえば、昨日は夕方に、とても短い飛行機雲をひっさげて向こうに飛んでいく飛行機が、まるで下に向かって飛んでいくように見えて、「テポドン?」なんて笑えない冗談を言っていたりもしたのでした。確かに、短い飛行機雲だった。そして、今日も、晴れ。

 仕組みとしては、水蒸気が少ない空を切り裂いて飛んでも、雲はそれほど強くできないということなのだと思います。水分をたくさん含んだ湿度の高い空気が空に蔓延していると、やがて雲が増えてきて、雨が降ったりする。飛行機は、そのリトマス試験紙みたいなものなのかな、などと、勝手に考えて納得したりしています。

 明日は、冬空がやってくるのかな。確かに、晴れるとうれしい。今日は布団も干してしまったから、気持ちよく眠れるとも思うけれど、冬がこれじゃ、やっぱりすこし、おかしいようにも思うしね。晴れるとうれしいこの雪国特有の気持ちは、やっぱり、雪に閉じこめられる日々あってこそのもの。だから、多少の雪がないと、この気持ちもなくなってしまうのかもしれないな。そんな風に思うのです。

2007年1月20日 (土)

作物の花

Img_8069 去年、雨に濡れる茄子の花を撮っているときにも感じたのだけれど、野菜や果物など、作物の花っていうのは、きれいです。派手ではないけれど。

 今日は、長野の別宅へお泊まり。といっても、単にカミさんの単身赴任先の宿舎なのですが。

 ここからほど近いところに、あんずの里あぐりパークという、いちごがりができる場所や熱帯植物園があるところがあり、娘が一歳になったころから、毎年この季節になると、通っています。

 12月から1月くらいがもっともいちごが大きな時期。それだけに、大喜びで走り回り、自分の握り拳ほどのいちごをどんどんほおばるコドモを見ると、コイツにとっては、長野市近辺も、「わたしのまち」なのだろうなぁと思うのです。なにせ、ヤツは「遊びに行く」とは言わない。一ヶ月に一回いくかいかないか。しかも、夜ついて一晩泊まり、翌朝には出てきてしまうだけの場所を「ながののおうち」と呼ぶのです。犬のマーキングではないけれど、自分の身の回りの人のにおいがする場所は、自分の場所でもある。そんな感じ方なのだろうなと想像しています。

 それにしても。

 今日のヒットは、このあぐりパークのスナックのコーナーで売っていた、クレープ。なんでも、「夢世紀」という千曲市特産の小麦を使った生地なんだそうですが、もちもちで、とてもいい香り。熱帯植物園でとったバナナとの組み合わせは、ちょっとないおいしさでした。この皮なら、ここに薄くジャム塗ったりしただけで、それだけ食べてもうまいんじゃないかな。ぜひ、ソーセージやツナ、野菜なんかを使ったゴハン的クレープも、つくってほしいと思います。

2007年1月19日 (金)

今日のおわりに

Img_8045_1200 そうは言っても田舎町の糸魚川。午前0時をまわるころには、町もかなり明かりが減り、夜らしい暗さを取り戻します。

 そんな中、今日最後の下り列車(新潟方面へ行く列車)が入ってきます。

 このあと、反対方向にもう一本やってきたら、今日はおしまい。駅の明かりもおとされ、糸魚川の町はもう一段くらくなり、朝を待つことになります。

 奥からやってくる列車は、先日もご紹介した、金沢と上野を結ぶ寝台特急北陸。この列車には、平日には朝イチ出張のサラリーマンが、そして、週末にはめいっぱい東京で遊んでやろうという若い人が一杯乗っています。糸魚川で乗り込むころには、浴衣姿で歯を磨いてるおじさんなんかもいたりしてね。

 一方、上りの最終、急行きたぐには、最終の新幹線で東京から長岡までやってきた人が乗り継いでくるなんてことも多く、乗っている人の多くがとても疲れた顔をして、4人掛けのボックスで丸くなって横になっていたりする。

 同じ時間の列車でも、ずいぶんと雰囲気のちがう、上下の最終列車なのです。

2007年1月18日 (木)

はたらくたてもの

Img_8021 糸魚川の赤レンガ車庫は貴重な建物です。でも、その一方で、知らないひとも多い。それはなぜかというと、現役の、しかも裏方さんの(つまりお客さんを招き入れるわけではない)鉄道施設だということが大きい。ごく近くに住むひと以外にとっては、目にとまること自体が少ない建物。そういう面が、この建物にはあります。

 夜中、出張の電車を待つ糸魚川駅で、時間つぶしにカメラ片手にうろうろしていた時のものが、この一枚。

 この建物、ライトアップするまでもなく、ちゃんと、灯りがともっています。時刻は、ちょうど24時頃。

 あらためて、「現役の建物なのだな」ということ、感じてしまいました。

 働く建物は、どこかかっこよくて、しかも美しい。もう死んでしまった、遺跡的な建物ではなく、古くはなったけれども、まだまだ現役で働いている建物の、飾りのためではなく、必要があるからついている灯り。

 こういうのを見ると、あぁ、いい建物だなぁという気持ちがわいてくる・・・のではないかと思うのですが、みなさん、いかがでしょう。

2007年1月17日 (水)

糸魚川に来るなら

Img_8047 ちょうど朝一番に関東にいる必要がある出張があったので、久しぶりに寝台列車に乗りました。

 僕が乗ったのは、「北陸」号。上野と金沢をつなぐ、一日一往復の寝台特急です。

 北海道へと日本の表裏から走るカシオペアやトワイライトエクスプレスに比べれば古いこの列車。ブルートレインにあこがれた小学生だった僕らが乗りたかった、富士やさくらと同じ世代の車両です。

 写真の部屋は、B個室。B寝台は2段ベッドなのだけれど、同じ料金ですこしだけ個室があるので、ここに乗ることができると、なかなか優雅な出張になります。部屋には鍵もかかるし、ベッドもやや広め。安心して部屋に荷物を置いて、シャワーにいったりできます(シャワーがついている車両も連結されているのです。有料だけど)。

 この列車、糸魚川を0:08に出て、翌朝6時頃に上野につきます。上野発糸魚川着もだいたい同じ。なので、駅に車を置いて、かるく一杯やってから乗って寝て、朝起きたら東京といったことができて、案外便利。首都圏往復フリー切符なら、高い寝台料金払わなくてもいいのでリーズナブルだし。

 首都圏のひとが糸魚川に来るとしても、この電車、なかなか便利なのではないかなとも思います。仕事を終えて軽く一杯。そして、金曜日の夜に乗って、土曜日の早朝糸魚川へ。海岸でヒスイの石拾いしたりして・・・というには、少し無理があるか。朝早くあいている店はほとんどないので。でも、終点金沢まで行けば、近江町市場が活気を帯びている頃に着くので、便利な列車だと思います。で、土日石川から少しずつ移動して、糸魚川で日曜日の夜ぎりぎりまであんこうやカニを楽しんでから、またコイツに乗って、月曜の朝上野に降り立つ。こんな旅、どうでしょ?(笑)。

2007年1月16日 (火)

雪が溶けると

Img_7981 相変わらず雪雲は根性なしで、ちょっと降ってもすぐに力尽き、なかなか積もりません。

 12月頃にはまだちらほらと咲いていた四季咲きの桜は散ってしまいましたが、普段なら春まで見ることのない残骸を、車庫の屋根の上に見つけました。

 花が散って落ちた時の花弁。雪の中にとじこめられて、雪にのっかってだんだんと屋根の斜面をずりおちてきて、屋根の下にたまり、かまくらの一部になったりして、春になって溶けたら、地面の芝生と同化してしまうというのが、いつもの年だと思うのだけど、今年は雪と一緒に斜面をすべりおちる間もなく、雪が溶けてしまって、屋根の上に取り残されてしまったのかも。

 まだよれよれになっていない、妙にしっかりした花弁のあとを見ながら、ホントに今年はあったかいんだなぁと、変なところで再認識してしまいました。

 

 

2007年1月15日 (月)

ウチの母校

Img_7990 最近、創立何周年だかで入り口にオブジェを作ったという話を聞いていたのですが、ほとんど毎日仕事で近くを通るのに行ってみたことがなく、ホントひさしぶりに寄ってみました。

 このサイズだと、よくわからないかもしれませんが(クリックすると大きくなります)、大きな石を組み合わせて、その上に山々が連なるイメージのプレートが載せてあります。これが、敷地の入り口に門のように鎮座。

 そういえば、確かに校門らしきもの、当時はなかったななんて今更ながらに気づいたり。

 僕が通った学校も、保育所からはじまって、小学校、中学校と立て替えや廃止でなくなってしまい、建物が残っているのはここだけになってしまいました・・・んですよねぇと遠い目になってしまった、午後なのでした。

2007年1月14日 (日)

ゆらゆら

Img_7912_1200 沖を大きな船が通り過ぎていきます。ちいさな漁船も、通り過ぎていく。工業港と漁港の両方の顔を持つ姫川港からやってきた二隻。よくみると、なんだかかすんでいます。海面もなんだかぼこぼこしている。

 雪がどんどん降るような寒い日には、日本海からは湯気がのぼります。寒気に比べればはるかにあたたかい海水からどんどんと水蒸気をもらって食べた雲が、山でがっしがっしと雪を降らす。

 今年はそれほど寒くないので、まだ何度も日本海の湯気を見ることはないのだけれど、それでも、海をよくみると、ゆらゆらとゆらめいている。船が通ると、とくにそれがよくわかる感じがします。

 今日はあたたかくなりそう。今日見る船は、かなりクリアに見えるといいななどと思いながら。

2007年1月13日 (土)

だんだんかわる

Img_7906_1200 暖冬だそうです。確かに、スキー場だよりを見てみると、例年なら2m以上の雪を持っているはずのゲレンデがのきなみ2桁。あって100cm程度だったりするので、よっぽど降らないんだろうな、と。そして、海岸近くを通る国道あたりでは、ご覧の通り。

 ただ、この日はけっこう寒い日で、よく見ると、高いところは雪なのです。

 一番奥の山が白くてかすんでいるのは、そのあたりに雪が降っているということ。真ん中あたりが視界はクリアだけれど、すこし白いのは、降っていないけれど前の晩に降った雪がすこし残っているということ。

 そして、手前はというと、乾いている路面。茶色いのは、セイタカアワダチソウやススキの枯れ木です。このあたりは、降る水は雨みたいなすぐに溶けてしまう雪だったのかも。

 例年なら、この季節は、手前の茶色いススキたちまでみんな雪の下になっているはず。だから、この「だんだん」なんてなくて、全部真っ白なはずだから、やっぱりあったかいんでしょうねぇ。

2007年1月12日 (金)

スキマスイッチ

Img_7898_1200 昨日は一日晴れというか、雪というか、はっきりしないお天気。全体的には、鉛色の空のいつもの冬空なのだけれど、こういう時こそ、雲の切れ間から太陽がのぞくと、突然あたりの景色が一変。こういう時の、スイッチが切り替わるような瞬間に遭遇すると、「外にいてよかったなぁ」と思います。

 写真は、上越方面から糸魚川へと戻る途中の国道8号線から見た日本海。一時的に波も低くなって、輝く太陽があちこちを金色に染めている。この状態は実は10分ほどしか続かず、また鉛色の空と灰色の町へと戻ってしまうのだけれど、それだけに、こういう瞬間が、輝くんですよね。

 ブログをはじめて、何度「晴れるだけでうれしい」「青空がうれしい」と書いただろうと思ってしまう。これは、文章で書いていてあらためて感じたこと。毎日、僕らは冬の日々を、そんな風に過ごしているんだなぁと。

 そんなわけで、今日もあまりいい天気ではないようだけれど、ちょっと青空がスキマからのぞいただけで、スイッチがきりかわったようにちょっといい気分になる。そんな日々が続くのです。あぁ、安上がり(笑)。

2007年1月11日 (木)

ざっぱーん

Img_7887_1200 カモメは河口が好きなんでしょうか。写真は、先日あふれそうになっているのを紹介した田海川の河口ですが、ご近所は、海川も、能生川も、桑取川も、河口きんぺんには鳥が群れて立っています。

 風が強いと、波が砕けてざっぱーんと押し寄せてきている。そんな中、そこは寒いだろとも思うのだけれど、彼らは気にもせずに、水の浅いところにちょこんと立ってたりする。

 それを撮っている人間(=ワタシ)の方はというと、素手でカメラ抱えているので、寒くて手ぶれしている始末。連中は、人間よりずっとエラいです。(寒いところでの撮影をよくやるひとは、指がすっと出せるような専用の手袋使ってたりするそうですが・・・)。

 冬の日本海の波は、なかなかどこも豪快ですが、いわゆる「波の花」は、できる場所とできない場所があります。海岸が岩場で、ものすごく大きな波が砕けていて、風が強くても、できない場所では、できない。海中のプランクトンの量が?とか、いくつか説明を聞いたこともあったんですが、今ひとつ釈然としません。

 福井の松島海岸近辺とかのような、豪快な波の花、ウチの近所でも、できないかなぁなんてことを、勝手に思っていたりします(笑)。

2007年1月10日 (水)

ぎりぎりセーフ

Img_7880 先週の寒波は、たいして雪は降らなかったものの、すごい風でした。マリンドリーム能生では、施設の一部に海水が押し寄せて、なんとか夜通しがんばって翌日営業にこぎつけたとか。

 そして、うちの近所の田海川もこんな感じ。

 写真は田海川河口近くに合流する細い水路ですが、上流より合流部の方がずっと水位がたかくなってしまって流れないので、ポンプを持ち込んでくみ上げて排水している様子です。そして、河口側の水位はというと、もうあふれるまであと30cmほどに迫っているのです。

 こうなったのは、あまりの風と波で河口の部分に砂が押し寄せて、浅く狭くなってしまったから。つまり、川が海に流れ出にくくなってしまったわけです。

 河口では、重機が河道を掘り起こす作業を進めていました。水がひくまで、数日かかるのだと思うけれど、日頃河原にちょろちょろ水がながれているだけの川が、堤防ぎりぎりのところまで増水するのを見ると、「川は水が少ないときと多いときで、1000倍以上流量が違う」っていうのも、ホントなんだなぁなんて思ってしまうのです。

 1000倍の流量のために備える。それって、平時には、ただの無駄に見える。でも、この「○倍」部分をどこまで見るか(基本高水とか言うらしいですが)の決め方が、安全と費用のかねあいを決めるわけで、なかなか難しいなぁなどと思った朝でした。

2007年1月 9日 (火)

トロ箱一杯の干し魚

Img_7876 数年前、東京と埼玉のちょうど境目くらいの乗換駅でふと立ち寄った飲み屋さんは、海からずいぶん遠いのに、鰯料理が自慢のお店でした。

 その日の客第一号だった僕は、大将に「お客さん、こんな魚みたことある?」とバットをみせられてびっくり。地元以外では、まずおめにかかれない白ゲンゲでした。

 なんでも、常連の富山出身のお客さんに「みつけたらぜひ仕入れて食べさせてよ」と長年言われていて、はじめて市場でみかけたので今日買ってきたとのこと。

 「実は、ウチの近所でもよく食べる魚なんですよ」とうれしくなって話が盛り上がり、次にいくときに、ゲンギョの干したモノを持ち込んだら、さらに次にいったときに「ワカサギよりコクがあります」なんて書き添えて、品書きに足してくれてあって、またうれしくて。

 そんなこんなで、新秋津の「たけくらべ」は、今では仕事絡みで通りかかることの滅多にない沿線にもかかわらず、時々わざわざ出かけていってしまう飲み屋さん。気持ちのいい大将の店です。

 さて。この「ゲンギョ」。正式には、「ゲンゲ」と呼ばれているようだけど、もともとは「下の下」なんてところから名前がついたという話も。見た目がグロテスクで、表面にとろっとした厚い粘りをまとっている魚。ウチのまちでは、鍋やみそ汁に。または、干してあぶって食べます(干すものと鍋やみそ汁にするものは、種類がちがうそうです)。昔は安い魚で、亡くなった祖母がトロ箱一杯買ってきて、庭で干して自家製の干し魚作ったりしたもんですが、最近はこんなパックで少しずつ買ってくる程度。でも、地元ではメギスと呼ばれるニギスとともに、いまだになじみの、「あぶって一杯飲む」いい肴なのです。

 最近は、表面のとろっとした部分が、葛を叩いたみたいなるということから、独特の食感の天ぷらにしたり、吸い物のように仕立てたりと、いろんな使い方が増えているみたい。虎ノ門の居酒屋で、干したモノを3匹1000円で出しているのを見て、「ここにもある」ということと「この値段か!」ということの両方にも、びっくりしたこともありました。こういう、獲った場所でしか食べなかったような魚も、だんだんどこででも食べられるようになっていくんですねぇ。

 そんなこんなで、ゲンギョ。最近は、「幻魚」なんて文字を振ることもあるみたいです。ご近所でみかけたら、ぜひ。

2007年1月 8日 (月)

翡翠の指輪

Img_7867_1200

 区麗情という今は活動をお休みしている女性ヴォーカリストがいます。彼女の10年くらい前、翡翠の指輪という曲をふと思い出しました。

 中国の人は「ヒスイは女の子を守る石」なんて言うそうです。ヒスイはずっと持ち続けていると、色がかわっていったりすることがあるからだとか。それが、その娘の人生を暗示する、道しるべのようになるというような話。

 そういえば、翡翠は中国やミャンマー産などでよく見る、濃い緑色のものだけでなく、白からミルキーグリーンまでがマーブル模様になっているものや、ラベンダー色のものもあったりして、いろんな色があります。

 僕が住んでいるあたり(旧青海町)には、ラベンダービーチなんて名前の海岸もある。別にラベンダーが植えられているわけではなくて、このあたりでしか出てこないラベンダー色のひすいが川にながされ、海で洗われて、このあたりの海岸にうちあげられたりすることもあるので「ラベンダー色の翡翠もひろえる『かも』しれないよ」ということで、ラベンダービーチという名前がついたようです。

 古くは大国主命と奴奈川(ぬながわ)姫をむすぶ物語から、最近では近所の健康ランドの岩盤浴での怪しげな「波動エネルギーが強く・・・」なんて話に至るまで、翡翠というのは、なにかの力を持っていると思う人が多い。ただの石ころだけれど、それに思いを込め、手に入れたいと願う人がたくさんいたということを思うと、なんだか不思議な感じがします。

 そんなこんなで、会社から帰る途中に通ると、それはそれは「糸魚川の翡翠」みたいな色に見えるライトアップされた奴奈川姫を1枚。昼間見てもなんとも思わないんだけれど、夜遅く仕事帰りに横を通ると、なんだとなくまじまじと見てしまったりするのです。

2007年1月 7日 (日)

しょっぱい雨

Img_7870_1200 休日出勤の夕方、ちょっとゴハンの買い出しに出かけた時のふとした気の迷いで、海岸沿いの公園に出てみました。

 太平洋を北上中の低気圧のせいで典型的西高東低の冬型気圧配置。でも、それほど冷え込んでいないこともあって、雪はふらず、ただただ風がつよい夜。

 ここは、JR糸魚川駅からそのまま海にむかって5分ほど歩いたところにある、いわば糸魚川駅から一番近い日本海接触地点。向こうに見えている波返しの向こうは、もうすぐに海なのです。で、海からの風が強いと、消波ブロックにぶつかった波は大きく砕けて、そのまま風に乗ってやってくるわけで、このあたりは、雨もしょっぱい。あとでカメラをぬぐってみたら、カメラもしょっぱくなってました。

 もうすこし寒くなると、雪をつくる水蒸気がどんどんとたちのぼる、まるで湯気がたっているような日本海も見られるのかも。遅れてきた冬も、だんだんとそれらしくなってきました。

2007年1月 6日 (土)

さっきまで満天の星

Img_7837 だったのに、いつのまにやら、土砂降りに。元々、太平洋側での低気圧の北上に伴って、大荒れの予報だったので、夕方からちょっとだけいい天気だったのは、もうけものだったのかもしれません。

 そんなわけで、今日は一昨日の夜撮った、大きな月の写真を。

 この写真は300mmのレンズですが、望遠鏡を使わなくても、けっこう表面の模様が写ることに、あらためてびっくりしています。

 日本古来のウサギの餅つきの図も、よく見てみると、左向きのウサギに臼、天上の満月まで配されていて、なかなかよくできた見立てかも。お尻のぽてっとしたところや、横顔のとがった感じなんか、リアルな感じがします。

 それにしても、いつもおなじ方ばかり見せていて、裏側は決して見ることができない月。公転周期と自転周期の一致というなかなか特別な天体。そして、数百年前の人も、今の人も、ちゃんと同じ場所にウサギを見ることができる。

 百年前の人がお正月をどんな気持ちで迎え、送ったのかはよくわからないけれど、でも、「今年がいい年であってほしい」という願いはかわらないものなのだろうな。そんなことを思いながら、家の繭玉飾りなんかをはずしています。明日はどんど焼き。海岸でみんなで松飾りや繭玉、去年のお札なんかを焼いて、するめをかじったり、甘酒を飲んだりします。いい天気・・・だといいのだけれど。

2007年1月 5日 (金)

水ようかん

Img_7815 食べ物の季節感というのは、土地によってずいぶん違うものだなと感じることは多いですが、この水ようかんもそう感じることが多いものの一つ。

 関東などでは、夏の水菓子として供されます。冷たく冷やして、つるんとしたのどごしが心地よいお菓子。よく、缶にに入ったものがお中元の進物として売られたりもしていますが、ウチの近所では、冬のお菓子なのが、水ようかん。

 棒状に切られたものが、箱にはいって売っていて、ウチは、10本入りを2箱とか3箱とか12月の終わりに買ってきて、お正月の間の甘いモノとして、客人にお出ししたり、テレビをみながら食べたりします。

 小豆あんは傷みやすいものなので、冬の寒い時期にとか、そういうことが最初だったのかな。それとも、甘いものは正月だけという、もっと貧しかった時期のなごりなのかもしれませんが、自分は、水ようかんというと、年取りの頃というイメージが強い。亡くなった祖母が、大きな鍋にいっぱい小豆を煮て、棒の寒天をふやかし、いくつものバットに注いで固めて、バットごと親戚にわけたりしていたのは、もう10年以上の前のことだけど、あれもまた、お正月の光景の一つだったのだろうなと、懐かしく思い出すのです。

 さて、ぼちぼちと平常運転。忙しい日々がだんだんとはじまっていきます。

2007年1月 4日 (木)

お正月の音

Img_7820_1200 家にギターやピアノがある家はいっぱいあると思うんですが、ウチには、じつは琴があります。

 なんでも、相方が大学のときにやっていたそうで、今は仕事部屋にずっとたてかけてあるんですが、お正月になると、登場。ちんとんしゃんと鳴らされることになります。

 ちゃんと弾こうと思うと、それなりに難しい楽器なのだけれど、さしあたり弦をはじくだけで音も出るし、押さえると音が変わったりもするので、子どもはうれしいらしく、ドレミに調律して、「さいた、さいた」とかやってたりする。そういうのも、なかなかいいかな、と。

 大きな町のこどもたちほどではないにしても、まわりには、3~4歳で公文とかやってる子もいる。英語やピアノを習っている子もいる。親とくらべて遜色ない腕でゲームする子もいる。でも、ウチは、図書館で一緒に絵本見てにこにこしたり、外で鼻水たらしてそりにのったりしながら、子どものときしかできないことをたっぷりやってもらいたいなと思う。その結果として、たとえば遊んではじいていた琴に興味をもったりするなら、それはそれということで。

 なんてことを二日酔いのアタマでふと考えたりする、オヤジ業4年目の正月。どう悩もうがこっちの思うようには大きくなっていかないのが子どもだと思うので、また、楽しんで振り回されていこうかな、なんて思っています。さしあたって、たこ揚げもしたし、琴で遊んだし、あとはカルタ取りだ(笑)。

2007年1月 3日 (水)

たこ

Img_7802 去年の正月は、近所の海浜公園にいったら凧揚げをやっている子がいて、なんだかひさしぶりにやりたくなっておもちゃ屋さんに走ったなんてことを思い出して、今年はさっそくいってきました。

 ここは、日頃はサッカーコートになっているところ。全面芝生だし、走って転んでも平気。さらに、電線もなくて、たこあげには最高な場所なのです。

 そういえば、自分がコドモの頃には、近所の町営住宅の前に、これくらいの広さの「なにもない芝生の空き地」がありました。芝といっても、こんなコートにあるようなものではなく、ゴツゴツして、ツルの長い、転ぶと痛いような伸び放題のヤツだったけど。放っておく場所というのがだんだん減っていって、その分、整備された公園になっているというのは、いいことなのか、悪いことなのか。ただ、公園はないよりあったほうがうれしいので、家のすぐ近くにこういった大規模な「ひろっぱ」があることには、素直に感謝したいと思います。

 タコは、糸をすべて送り出しても、全然落ちてくる様子がないくらい、元気にあがってました。ちょうどいい風に、コドモはご満悦。願わくば、ここに何十人もの子がやってきて、凧揚げしたり、コマやったりしてると、いいんだけど。

 そんなことを言いながらも、実はコドモよりもずっとずっと楽しんでしまった、親二人なのでありました。

<1/3追記>
・・・なんてことを、元日の夕方書いて登録しておいたのですが、3日の夕方公園に行ったら、連凧やら、ポケモンのタコやら、凧揚げをやっているひとがいっぱい。風がなかったこともあって、力いっぱい走り回るコドモや、コドモそっちのけで大騒ぎしているオヤジたち。なんだか、こういうお正月の光景は、とてもうれしい。そして、ほっとしました。

2007年1月 2日 (火)

新春の「はる」

Img_7800 元日のお昼、季節はずれのあたたかい陽気ににこにこしながら、近所の神社に初詣に行ってきました。

 神社に積み上げられた奉納の大きな日本酒の樽の並びに加賀の井の文字もみつけて「あぁ、5つちゃんとあるのって、いいなぁ」と思いながらもお参りしてきました。

 さて。

 家族がどんどん先に歩いていってしまう中、ちょっと気になって撮っていたのが、桜の小枝。ここは、4月にはちょっとした桜の花のトンネルのようになる場所なのですが、まだ1月の、寒い冬なのに、ちゃんと新芽が準備をしている。こいつらがそだち、伸び、つぼみを持って、やがて桜色になる。3ヶ月以上先のことなのに、連中はちゃんと準備しているわけで、そんなことに気づくことができる元日が、とてもうれしい。そんな感じなのです。

2007年1月 1日 (月)

あけましておめでとうございます

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 大晦日の夕方、おつかいでちょっと出かけたのですが、ちょうど夕陽が沈むところだったので、海の近くの公園に寄って、写真を撮ってきました。
 昨年、自分のなかで一番かわったことは、よく町を見るようになったこと。この時期、太陽が低くなっているから、陽は海にではなくて、日本アルプスの最後が海に落ち込んでいる親不知方面の山の上に沈んでいくなんてこと、しばらくすっかり忘れていました。この日も「海に沈む大晦日の夕陽」を撮りに公園に寄って知った「そうなのか」。こういう発見を重ねること。これは、カメラを持ち歩いているからこその「目」なんだろうなとも思います。Img_7780

 さて、明けて2007年1月1日の朝。
 見事に晴れた朝、しっかりと雪山からのぼってくる太陽。そういえば、この季節に、夕焼けて沈む最後の夕陽も、だんだんと青空をつくりだしながら上ってくる初日の出も、両方に出会うことができる年なんて、そうあるものじゃない。

 雪が降らないことで、困ることもいろいろあるけれど、でも、しっかり年が明ける前に降って、スキー場もオープンして、そして、みんながあたらしい希望を感じたいと願うこの日に、しっかり晴れる。そんなめぐりあわせが、とてもうれしい。

 今日は、こどもとたこ揚げでもやってきたいなと思います。

 そんなわけで、今年も、身の回りの、全然スペシャルではないいろいろな光景を1枚ずつつかまえながら、駄文を書き散らかしていきます。みなさん、お付き合いよろしくお願いします。

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