青々
実は、日本酒好きです。奈良の古い古い酒蔵のあんちゃんと友達になって、彼の結婚式に出かけたときには、普段だと身構えないと飲めないようないろんな日本酒がふんだんに出てきて、なんだか妙に興奮した覚えがあります。数年前、清水寺の焼き物市で、とても手になじむ杯をみつけて、それを袋に入れて飲みに出かけたりすることもあります。
なのに、そういえば、青々した杉玉って、あまり見たことがないのに気づいたのは、先日押上近辺を車で走っていて、この光景を見てから。「あたらしいお酒ができたよ!」というお知らせもこめて、杉玉がかけかえられる時期を見逃しているのは、やっぱり酒飲みとしてはどうなんだ?ということもあって、天気のいい昼下がりに、近くまでいって杉玉をまじまじと見てしまいました。
ここは、雪鶴を作っている田原酒造さんの軒先。他の酒蔵さんでも思うけれど、「これ、昔からのしきたりだから」なんて言いながらも、お酒を造る人は、まちがいなく杉玉とか、お酒の神様とかに対して、敬意を持っている。それは、人がすべてコントロールすることができない、どんなに人事を尽くしても、最終的には酵母という口もきけない生き物に委ねなければいけないという厳しさ、難しさにちゃんと対峙している人たちならではのことなんだろうなと、ただののんべの一人として、そんな酒造りの人たちに対して、あらためて敬意をもってしまうのです。
それにしても。
この文章を書きながら「雪鶴、ウェブサイトあるのかな?」とか思って検索してみると、あまりに多くの酒屋さんがこのお酒を扱っているのに、びっくりします。雪鶴に限らず、新潟最古の酒蔵、加賀の井も、月不見の池や奴奈姫も、謙信も、根知男山も、みんな、地元の酒屋さんだけじゃなくて、とんでもなく離れた場所の酒屋さんに惚れ込んでくれる人がいて、愛ある紹介文をたっぷり並べて、勧めてくれている。そういうサイトをいろいろ見ていると、実は、糸魚川を飛び出して、糸魚川のことをあちこちに伝えてくれている、一番の功労者って、四合や一升の液体入りのあの瓶と、それに惚れ込んでくれている人たちなのじゃないかなとさえ思ってしまう。
人が、その人の思い入れについて語る文章を見ると、とてもあたたかい気持ちになります。そして、そんな人がたくさん応援してくれている糸魚川の酒蔵。今年のいろんなお酒が出てくる冬のこれからの季節、楽しみにしていようと思うのです。
« とりあえずは、一歩前進 | トップページ | 「ざいご」じまん »
「まち」カテゴリの記事
- 今年最終サンタ稼業(2023.12.25)
- じぶんでつくるクリスマス(2023.12.17)
- 落差(2023.12.16)
- 向こうの雁木(2023.12.13)
- バスはなかなかこないから(2023.12.10)
コメント