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2006年12月31日 (日)

今年最後の晩酌

Img_7762 今年、酒飲みとして一番悲しかったことは、新潟県内でいちばん古い酒蔵としても知られていた、市内の酒蔵、加賀の井の経営がたちゆかなくなってしまったこと。

 時々、町中の居酒屋さんで社長とお酒をご一緒させていただく機会があったりすると、レンガ車庫の話なんかをしながらも、お酒の話でとても盛り上がって、楽しい。

 それだけに、今年の造りを中止することなく、量は少ないけれど、続けることができたことが、とてもうれしいです。

 酒屋さんで瓶を見つけて、製造年月に今年の冬の日付も見つけて。思わず買ってしまった。今晩は、コイツで年越しです。

 大つごもりの日、僕らはみんな思う。来年は、もっといい年にしたい。

 それは、「来年は、もっといろんな種類の加賀の井を飲みたい」ということでもあるんだな。蔵のひとたち、ホントおつかれさま。で、がんばってください。応援してます。

 さて。

 年取り魚がブリか鮭かという話をここで書いたこともありましたが、東京出身の相方と話していてびっくりしたのが、「ごちそうは大晦日か、元旦か」というちがい。糸魚川では、ごちそうは大晦日の夜がスタート。テーブルの上にぜんまいやわらび、よしな(みず)・・・といったものを並べ、刺身や焼き物の魚もならべ、数の子みたいな縁起物もならべ、風呂に入り、神棚に拝礼してから、御神酒をいただいて、夕食。そのあと、深夜、鐘が鳴る頃におそばを軽く・・・ということが多かったので、大晦日の昼間に近所の蕎麦やさんで年越し蕎麦をたぐるという場所があったのにもびっくり。

 きっと、こういう習慣って、各地でいろいろちがうんでしょうね。そういうちがいを知ることは、逆に「ぼくのまちのこと」を知るということでもある。

 来年も、いろんな「ぼくのまちのこと」を知りたい。そして、それを通して「あなたのまちのこと」も知りたいと思います。

 来年も、よろしくおねがいいたします。

2006年12月30日 (土)

年越しの準備

Img_7740_1200 仕事をひとだんらくさせて家の人になると、最初の仕事が年越しの餅の準備。

 今年も、朝からうちでは、大量の餅米が、ガスコンロの上でしゅうしゅうと湯気をあげながら蒸されています。

 写真は、黒豆をたっぷりいれた豆餅のための餅米が蒸し上がったところ。このせいろ1つがひと臼で、約2升のお米です。

 最盛期は、ウチの分に遠くの親戚におくる分、近所のいとこの家の分・・・といった具合で、臼10回分くらい。ちゃんと臼と杵でやっていたものだけれど、もうここ数年は、餅つき機で、白いおもちを二臼、豆のおもちを二臼の四臼だけになってしまいました。

 とはいえ、4回つくので、朝から大騒ぎ。興奮したうちの娘(4歳)は、餅がつきあがる前に、おしるこのあんこだけ舐めたりしてるわけです。ついたもちは、のしもちにしたり、鏡餅のかたちにまるめたり。ついでにちいさく切り取って、きなこや大根おろしであえたもの、おしるこなんかもつくって、それはそのままお昼ごはんに。

 30日には、餅をつく。31日に松を飾ったり、神棚を掃除したり。そんな毎年のことが、昨日まで仕事であたまがいっぱいだった自分に、正月を感じさせてくれるのです。さぁ、今年もあと一日。

2006年12月29日 (金)

突然、来た

Img_7732 市内のシーサイドバレースキー場のサイトによると「一夜にして100センチの積雪がありました。明日8:30より営業を開始いたします。」とのこと。いやはや、突然の寒波です。

 とはいえ、昨夜寝る頃には、雪がちらつく程度。なので、車をそのままにして寝たら、朝はこのとおり、ワイパーの上にすこしだけ雪が貯まっている程度でした。

 この写真を見て「まだまだ雪準備ができていないな」と思ったひとは、雪国のひと。雪の季節、われわれは、車を屋外に置くときには、ワイパーをたてておきます。そうすることで、ガラスとワイパーブレードが凍ってくっつくことを防いだりします。車種によっては、ワイパーが収納されたまま、出てこなくなったりもするので、これを忘れて外においておくと、なかなか怖い。でも、シーズンのはじめは、こういうこと思い出さないんですよね。他にも、凍った路面でつるっとすべったり、赤信号の交差点にずりずりっと滑りながら進入したりを繰り返しながら、だんだんと雪の毎日に慣れていく。そんな感じの日々がはじまります。

2006年12月28日 (木)

「ざいご」じまん

Img_7718_1200 糸魚川なんて、どこも田舎町だと思うのだけど、たとえば平らな場所に住む人は、谷に住む人を「ざいのしょ」なんて言ったりします。「しょ」=「ひとたち」なので「ざいごのひとたち」。

 中学校のときに壁新聞コンクールで「田舎はどこだ」なんて地区代表対談を載せた編集担当のワタクシとしては、他の人のまちを「ざいご」とクサして遊ぶのと同じくらい、実は自分のまちが「ざいご」だってことをじまんして遊ぶのも、好きだったりします。

 で、今日の一枚は、数年前に閉店して、そのまま放置されているとあるスーパー。この中に、実は糸魚川がいかに「ざいご」なのかという証拠物件が一つ、あるんですね。

 2年くらい前に、日曜日の夕方にT-FM系でやっている、福山雅治の番組で「うちの町には、下りのエスカレーターがひとつもない」と糸魚川のことを投稿した女の子がいて、それを聞きながら「そうだっけ?」とか思ってあらためて考えてみると、その通り。

 この、閉店したスーパーには、かつて市内で唯一の、下りのエスカレーターがあったんですよね。つまり、エスカレーターののぼりと、下りの両方があるお店というのは、ここしかなかった!と。

 他に、上りだけあるけど、下りは階段かエレベーターという市内の老舗は、最近移転して平屋のおおきなお店になってしまったし、市役所とかにもないので、今稼働しているエスカレーターは、上りも一カ所だけかもしれません。

 田舎は平屋建てのお店。駐車場も立体ではなくて、広い広いタダのところ。そういう方向にどんどんとシフトしている感じがします。

 だから、さみしいとか、こまっているとかいうわけではなく、かえって、どこかへ出かけたときに「うちの町には、下りのエスカレーターがひとつもないんだよ」というのは、覚えてもらいやすくて、とてもいいことなんですけどね。

 ・・・負け惜しみです(笑)。

2006年12月27日 (水)

青々

Img_7716_1200 実は、日本酒好きです。奈良の古い古い酒蔵のあんちゃんと友達になって、彼の結婚式に出かけたときには、普段だと身構えないと飲めないようないろんな日本酒がふんだんに出てきて、なんだか妙に興奮した覚えがあります。数年前、清水寺の焼き物市で、とても手になじむ杯をみつけて、それを袋に入れて飲みに出かけたりすることもあります。

 なのに、そういえば、青々した杉玉って、あまり見たことがないのに気づいたのは、先日押上近辺を車で走っていて、この光景を見てから。「あたらしいお酒ができたよ!」というお知らせもこめて、杉玉がかけかえられる時期を見逃しているのは、やっぱり酒飲みとしてはどうなんだ?ということもあって、天気のいい昼下がりに、近くまでいって杉玉をまじまじと見てしまいました。

 ここは、雪鶴を作っている田原酒造さんの軒先。他の酒蔵さんでも思うけれど、「これ、昔からのしきたりだから」なんて言いながらも、お酒を造る人は、まちがいなく杉玉とか、お酒の神様とかに対して、敬意を持っている。それは、人がすべてコントロールすることができない、どんなに人事を尽くしても、最終的には酵母という口もきけない生き物に委ねなければいけないという厳しさ、難しさにちゃんと対峙している人たちならではのことなんだろうなと、ただののんべの一人として、そんな酒造りの人たちに対して、あらためて敬意をもってしまうのです。

 それにしても。

 この文章を書きながら「雪鶴、ウェブサイトあるのかな?」とか思って検索してみると、あまりに多くの酒屋さんがこのお酒を扱っているのに、びっくりします。雪鶴に限らず、新潟最古の酒蔵、加賀の井も、月不見の池や奴奈姫も、謙信も、根知男山も、みんな、地元の酒屋さんだけじゃなくて、とんでもなく離れた場所の酒屋さんに惚れ込んでくれる人がいて、愛ある紹介文をたっぷり並べて、勧めてくれている。そういうサイトをいろいろ見ていると、実は、糸魚川を飛び出して、糸魚川のことをあちこちに伝えてくれている、一番の功労者って、四合や一升の液体入りのあの瓶と、それに惚れ込んでくれている人たちなのじゃないかなとさえ思ってしまう。

 人が、その人の思い入れについて語る文章を見ると、とてもあたたかい気持ちになります。そして、そんな人がたくさん応援してくれている糸魚川の酒蔵。今年のいろんなお酒が出てくる冬のこれからの季節、楽しみにしていようと思うのです。

2006年12月26日 (火)

とりあえずは、一歩前進

Img_7708_1200 昨日はとてもいい天気。れんが車庫の横を通りかかったら、除雪車がひなたぼっこでもするかのように、すこし車庫から出て、陽に当たっていました。両脇に雪をよけるタイプは、単線の路線用。さらに、電化されていない路線用のディーゼル車ということで、その筋の人にはたまらない光景なのだろうなぁと思いながら、1枚撮ってきました。

 ここ数年、ずっとなんとか残せないかともがいてきたこの建物、先週、ちいさいながらも、一歩、踏み出すことができました。

 12/20に、糸魚川市役所にて、市長さんや市役所の担当各所のみなさんと、糸魚川レンガ車庫保存・活用研究会のメンバー数人での懇談があり、そこで市長さんが「なんらかの形で残したい」という、市としてははじめての意思表示をしてくれました。

 「これが、はじめてになるのかな?」と確認しながらのやりとり。ちょっと、胸が熱くなりました。

 もちろん、「満額回答」ではありません。現地にそのまま残すことはできない。他へ移築しての活用(道の駅案なども出ていましたが)も無理。だから、あたらしい糸魚川駅になんらかの形で使いたいということ。

 それが、大規模に組み込む形になるのか、たとえば壁にレンガを埋め込むような「イメージだけ」になってしまうのかも含め、現時点ではまったく白紙とのこと。これから検討していきたいという話ではありました。「昔ここにあった」というモニュメント的なものになってしまうかもしれない。北口の主なるモチーフとしてつかってもらえるかもしれない。このあたりは、これからの検討の中で、またいろいろと意見を出していきたいと思います。

 ただ、大切なのは、報道の方たちもいる中(新潟日報・糸西タイムズの二紙の方が、最初から最後までつきあってくれました。ありがとうございます)、きちんと、なんらかの形での保存に、市が関与したいという方向性を打ち出してくれたということ。

 今までは、残したいという思いの表明自体はまったくなかったわけで、これが「残したい」という意思表明をしてくれるのであれば、たとえば税金以外の、募金とか協賛金の形で市民がお金を集めたり、宝くじ基金のような外部からのお金を引き込んだりすることも検討していくことができる。

 どういう駅への利用プランが考えられるのか、随時絵を出してみんなで話ができる状態にしてください。そんなお願いをして、市役所をあとにしました。もちろん、すべてそのまま残せるのがベストだけれども、ないものねだりをせず、「要るものなんだから、いくらお金かかっても残すべきなんだ」って駄々をこねることもなく、多くの人に共感してもらえる形で、できる範囲で残すことができたら。そう思います。

 なお、この文章の中での市と研究会とのやりとりのまとめは、糸魚川レンガ車庫保存・活用研究会の公式見解ではなく、このブログの筆者である一メンバーが持った感想であることをお断りしておきます。

 糸魚川レンガ車庫保存・活用研究会

2006年12月25日 (月)

でろりん

Img_7688_1200 12/15のブログでご紹介した、ナカシマさんの「飾りはのっけないで、別にください」クリスマスケーキ、イヴの夕方に受け取ってきて、早速ウチの4歳娘の毒牙にかけてしまいました。

 イチゴをのっけているうちに、舐めてしまった場所もある。チョコのテンパリングのまねごとの結果、なんだか泥のようになってしまったボードの上に、デコペンで書かれたみみずみたいな名前。北欧のバイキング?みたいな「となかいのツノ」。なかなか見るも無惨な「でろりん」な感じのケーキですが、やっている本人はご満悦。

 こういうスタイルだと、スポンジやクリームはスーパーのとちがって、ちゃんとしたお店のものだから、見かけがでろりんとしているだけで、ちゃんと美味しいというのも、うれしい。

 あらためて、ホントにクリスマスの忙しい日に、どうもありがとうございます。

2006年12月24日 (日)

MerryChristmas!

Img_7659 田舎にいるとなかなか遭遇しないのは「おもしろい人たちが勝手にやらかすおもしろいこと」というもの。

 イベント自体はいろいろあるのだけれど、市役所とか、商工会議所とか、そういった公的な機関が主導しているものが多い。街では、そういうことは、あちこちのお店や、人や、おもしろい連中たちがどんどん勝手にやらかしていて、それが「元気な街だな」という印象をつくっていくもの。

 ただ、糸魚川だって、僕が知る限り、おもしろいことやらかしている人やヘンな人はいっぱいいるのだよね。ただ、そういった人たちがリンクしていきにくい、出会いにくい状態にあったり、そういう人たちがやらかすことを、他の人が知らずに済んだりしてしまう。「遭遇するポイント」の不足ということが、田舎町の不幸ということなのではないかとも思うのです。

 そんな意味では、昨晩おこなわれた、X'masキャンドルナイトというイベントは、とても素敵だったと思う。市民会館前で、一人500円でキャンドルを買ってもらい、その人に思いを書き込んでもらって、ならべる。朝からイントレ組んだりしながら、若い人(と自分が書くのもなんですが(笑))がみんなで動いて準備する。それを、きちんとまわりがサポートして、あちこちにPRも出るし、役所前の駐車場も貸してもらえる。でも、主催は市でも、商工関係団体でもなく、「やりたいひと」。

 最後に、雨が降ってきてしまって、大変だったと思います。でも、一日雨模様だったのに、キャンドル点灯からの数時間なんとか天気が持ってくれたというのは、みなさんのがんばりへの、天気の方でのなんとかの妥協的「ごほうび」だったのかもしれないな、なんて思います。本当に、お疲れ様でした。

 ちょうどこの日に買ってきた絵本「クリスマスパンツ」と、どこか重なるものがありました。自分たちが願いをもって、がんばる。それが、一番の幸せの魔法。あのキャンドルの灯りをみてからひらくこの本は、幸せな時間をさらにふくらませてくれた。そんな気がします。

 そんなわけで、メリー・クリスマス。

2006年12月23日 (土)

一番夜の長い日に

Img_7648_1 久しぶりに会社に顔を出した金曜日・・・といっても、長いこと休んでいたわけではなく、最近はお客様のところへ直接行く日が多いので、会社へ顔を出す日が少ないということなのですが・・・給湯室にゆずが一袋。なんでも、大家さんがもってきてくださったそうで、ありがたくいくつかいただいてきました。

 帰ってきてみると、夕ごはんのおかずには、かぼちゃ。さすがに、冬至だな。こういう季節ごとの区切りって、日々忙しくながされていると、ペースメーカー的にはまりこんで、「あぁ、もう今年も終わりなんだな」ということを思い出させてくれるのが、うれしい。

 ひさしぶりにお伺いしたお客様のところで「今年もお世話になりました」と言われてはじめて「あと1週間だ、ヤベぇ」ということが急に現実感とともにやってきたのも、恐怖の瞬間でした。

 どんどん押し寄せるようにやってくる、師走。おおつごもりの夜に、ごーんごーんと厳かに鳴る除夜の鐘をききながら、心安らかにそばをたぐったりすることは、果たしてできるのでしょうか。

2006年12月22日 (金)

なんでもヒトの顔

Img_6981 これ、なんだと思います?。

 実は、仕事先から駐車場へ向かう途中の、「工事中」を知らせる看板のあかり。青と赤で繰り返し点滅しながら、「この先交通止」を知らせています。そのまま撮ってもおもしろくないので、すこしぼかしてまるい光にしてみたら、なんだか間の抜けたロボットみたいで、ちょっと愛らしい感じになりました。

 この場所、なんの工事かというと、実は遺跡発掘。川の拡幅工事にともなって、近くで工事をはじめたら、遺跡が出てきたんですが、近所の岡の上でも、今遺跡調査中。なんだか、掘ったところあちこちから、遺跡が出てくる。さすが、奴奈川姫伝説の土地です。この界隈は、昔レンガ工場なんかもあったそうで、掘ると失敗レンガとかも、いろいろ出てくるんだろうな。

 人がなにかしようとすると、そこかしこに、先人の痕跡がある。僕らは、ずっとずっと昔から生きている人のあとに、こそっと続いて生きているんですねぇ。そんなことを思ったりもする、訃報の続いた今週。意地悪ばあさんも、ムーミンも、なだめ役のあんちゃんも・・・。

2006年12月21日 (木)

雪が降る前に

Img_7630_1200 金沢の兼六園など、名園の雪囲いというのは、見事としか言うほかないきれいな枝のまとめかた、釣り方で、おもわず見とれてしまいます。

 でも、庭師のみなさんでなくても、雪が降る前に、冬囲い、雪囲いはやらなくちゃいけない。そんなわけで、近所の公園のひとこま。

 ブランコが埋まってしまわないように、支柱にしばりつけてあります。この横の回転遊具も固定。なのに、この青空。

 でも、備えあれば憂いなしで、ある日突然どかっと雪が降って、朝おきると埋まってたりするんだよね。だから、12月に入ると、僕らは庭木をしばり、タイヤをかえたりする。冬がくるぞ、来るぞといろいろな準備をする。

 そうなると、「毎日空は鉛色」というのが、あたりまえな気分になってくるのです。だから、こんなにはれると、なんだかなんでもないことなのに、とっても得した気分になってしまう。

 空気がかわいた太平洋側では、よくはれた寒い冬の日を「インディアン・サマー」なんて言うそうだけれど、それともちょっとちがう。冬の晴れた日のこの気分。これは、毎日雪の町に住む人ならではの「うれしい」だと思うのです。

2006年12月20日 (水)

身近なハイテク

Img_7492 仕事場の近所に、けっこう大きなテント倉庫があります。

 日曜日の夜にすこしだけ雪が降って、もうすっかり消えてしまったのだけれど、降り止んでから1日少したっているのに、ここだけしっかり雪が残ってる。

 なんでも、少しの雪でもすぐに滑り落ちるように表面を加工してあるテントなんだそうで、この表面加工のおかげで雪が大量に乗っかる荷重に耐えられるようにする必要がなくなるということで、コストダウンになるんだとか。確かに、雪下ろししなくてもよくなることで、強度を必要以上にあげなくてもよくなるわけで、その分安上がりになる。まわりの除雪は頻繁になるかもしれないけれど。

 雪が降る夜は、屋根から雪が落ちる音が、「がさっ、がさっ」とするもの。でも、けっこうたまらないと、落ちない。だから、この間の日曜日くらいの雪だと、屋根の上で溶けていってしまいます。それだけに、ほんの少しでも、どんどん落ちていくような表面加工というのは、、単に塗装だけでなくて、表面の平滑度を桁単位であげるような加工が必要なわけで、きっと、ナノテク絡みとか、いろんな技術があるんだろうなぁと。まさに「ハイテク」。

 しかし、身近にもいろいろあるもんですね。

2006年12月19日 (火)

ここから糸魚川

Img_7483 新潟方面から国道8号線を走ってくると、ここから先が糸魚川市。上越市から糸魚川への道路はずっと信号がないのだけれど、追い越しできる場所も少なく、ここから少しの直線で、先を急ぐひとたちが飛ばしたりもします。

 というわけで、にゅるんと伸びたトラックとともに、1枚。

 この時期の日本海は、白い泡がずいぶん遠くまで広がります。夏だと、波打ち際のあたりだけだったはずなのに、今の時期はもう、見渡す限り向こうまでが真っ白。このあたりは、砂浜ではなく岩場だということもあって、まさに冬の日本海だなと感じる光景。

 でも、これでも特別風が強いわけでも、寒いわけでもない、ごくごくふつうの日なんですけどね。

 そして、演歌か映画のオープニングのような、荒くれた日本海の時期も、もうそろそろなのです。

2006年12月18日 (月)

雷鳴

Img_7374_1200 久しぶりに夜雪が降りました。先週末には安塚のキューピットバレースキー場もオープン。市内のシーサイドバレーシャルマン火打も、これでオープンが見えてくるのかな?。

 夜の雪は、雷とともに。とどろくような音だったり、なにかを引きずるような音だったり。この季節特有のこの音に、いわゆる「タビ」のカミさんや、子どもはなかなか慣れないようです。

 それにしても、昨日は午後から晴れ上がり、寒いけれどいい天気でした。おとといの土曜日もいい天気だったこともあって、町中どこからか「カラン」と金属の乾いた音が。この音は、この季節の風物詩。なんの音かというと、十字レンチを道路に置く(落とす?)音なのです。

 雪が降ると、車のタイヤは夏用のものから、スタッドレスタイヤに交換します。一人一台な田舎町のこと、3台とか4台のタイヤを交換する家も、それほどめずらしいわけではありません。車がそれほど通らないのをいいことに、家の前の道路に車を出し、ジャッキアップして1台ずつタイヤを代えていく。その時に、タイヤからナットを抜いたり、締めたりしたあとにレンチを置くときの「カラン」。

 別にうるさいわけではないのだけれど、天気のいい土曜日や日曜日に、どこからともなく聞こえてくるこの澄んだ金属の音、僕はけっこう好きなのです。

 さて、今日は雷鳴とは言っても雷の写真ではなくて、道路を行く車のライトでいたずらした写真です。でも、ちょっと雷のごろごろっぽいでしょ?(笑)。

2006年12月17日 (日)

ここいらへん

Img_7361 先週は、何度か仕事で隣の上越市に出かけて、ついでに白鳥の写真を撮ってきました。晴れた月曜日に、ぽてぽてと歩いていると、なんだかあたたかい気持ちになる。冬は、晴れているだけでいい気分になれるので、安上がりです。

 さて。

 僕は、新潟県の糸魚川というまちに住んでいます。合併前は、青海と呼ばれていた場所です。僕がどこを「ぼくのまち」だと思っているのか。「ぼくのまちのこと」と題したブログに隣町の写真を載せるとき、すこしだけいつも考えます。

 でも、考えてみれば、僕は、地図の上にある「糸魚川市」という破線で囲まれたエリア全体に、自動的に「ぼくのまち」感を持っているわけではない。ならば、どこが「ぼくのまち」なのかと言えば、サンダルで行く30年前から同じ飛行機の遊具がある公園であったり、最近立て替えで壊されてとてもさみしかった小学校であったり、以前は時々鮎を釣っていた海川や早川であったり(ここなんかは、以前は「隣の市」ですね)だったりする。遠くへ出かけて、電車で帰ってくると、越後湯沢駅で乗り換えるときに「あぁ、戻ってきたな」とも思うし、人に「ウチのあたりはいいよ」って自慢するときには、この写真の上越市近辺(ここも、昔なら頸城村かな?)だったり、朝日町の小川沿いのサクラだったりもするかもしれない。

 まさに僕が住む『ここいらへん』が、「ぼくのまち」なんだなと、あらためて思うのです。

 開始一月半。これからも「ぼくのまち」の一こまを探していきますので、よろしくおねがいします。

2006年12月16日 (土)

おなかいっぱい

Img_7445 になると、にこにこ。これって、人間の、というより、生物の本能なんだろうなぁなんて思う。今日は、市内八福神から、恵比寿さんです。

 恵比寿さんが立っているのは、市内でも有数の古くからの食堂の前。ちょっとお年の方にラーメンの話をすると、「こだまがうまいよ」と言う方が多い。

 ラーメンは、ここ10年くらいで、まさに革命でもおきたかのようにかわったゴハンのひとつ。スープの取り方、麺、具、タレ・・・。そして、新潟はある意味「激戦区」の一つとなり、近辺にも麺屋あごすけをはじめとした、かなりの有名店も現れました。

 ただ、その一方で、どんどん、しょっぱく、濃厚で、強い香りになっていくというのも否めない。さらっと一杯、いっとく?みたいな気軽さが、だんだんと薄れてきたようにも思います。それだけ、さっぱりしたものがうまいトシになってきたということなのかもしれませんが(笑)。

 こだまのラーメンは、シンプルな昔ながらのラーメンだと思う。玉丼とかを頼んでも、あまり甘くない干し椎茸のにおいのするさっぱりしたものが出てきます。

 でも、それがなんとなく、安心するという面もあるのかな、なんて思ったりもする。ある種の反動なんでしょうか。

 市内にはほかにも、昼間は碁打ちの人が集まっているうちやま(夏のかき氷の氷のやわらかさは好評なんです)とか、ちょっと時間が止まったような感じのする懐かしい大衆食堂がいくつかあります。時々は、そういうところで、ラーメンとかカツ丼とか食べてみるのも、楽しいんじゃないのかななんて思う。

 そんなわけで、このお店の前に、にこにこふくふくした恵比寿さんがいるというのは、なかなか似合っていて、僕は好きなのです。

2006年12月15日 (金)

めんどくさいこと、ごめんよ

Img_7435_1200 今日は、クリスマスケーキをおねがいしに行ってきました。ウチは、ちいさい娘が一人いるのですが、最近なんだか、台所でなにかするのがたのしくなってきたらしく、野菜くずを散乱させて「サラダ!」とかいってにこにこしてる。

 そんなこんなで先日の誕生日のときに「イチゴのケーキつくる!」の言い始め、季節柄イチゴも売ってないので、市内のケーキやさんに、おそるおそるお願いにいったのでした。

 「あのー、このイチゴのケーキがほしいんですが」
 「はい、ありがとうございます。」
 「で、ちょっと面倒なこと、おねがいしていいですか?」

 お願いしたのは、普通のイチゴのデコレーションケーキのスポンジを、飾り付け前の、クリームだけ塗られた状態で、さらに、上にのっけるチョコやイチゴの飾りは別にしてもらうことできますか?ということ。流れ作業で作っていく上で、かえって面倒くさいことになってしまうのに、快く引き受けていただき、その日は、それはそれはもう、おいしくなさそうな(笑)読めないような字で「おたんじょうび」とか書かれたチョコのプレートの載ったケーキが食卓に登場して、大好評だったのです。

 で、次のケーキイベントといえば、クリスマスイブ。でも、こなすホールケーキの数は、普段の比ではないはず。だから、昨日また、おそるおそる、頼みに行ってみました。

 でも、やっぱり快く引き受けていただいて、本当に助かりました。あんまりこういう客が増えると、面倒でかえって困るかもしれないけれど、ちっちゃい子の親のみなさん、これ、楽しいですよ。

 というわけで、ナカシマさん、どうもありがとうございました。また、よろしくおねがいします。

2006年12月14日 (木)

雨の通り道

Img_7440_1200 今朝は雨が降っています。こうなると、傘がないと外を歩けない・・・わけではなくて、田舎の人間はみんな、車で移動。ドアtoドアなので、実は街の人たちよりもずっと歩きません。

 ただ、もちろんどこへ行くにも車という人ばかりではないので、そんなときにうれしいのが、この雁木道。家の軒先をつなげてアーケードみたいにしたものです。そして、雪が降ると、雨よりももっと、この雁木道がうれしくなります。

 よく「アーケードみたい」と言われる雁木道。でも、雁木とアーケードの最大の違いはというと「誰のもので誰が作るのか」というところ。

 アーケードは、共有地をみんなで(市だったり、商店街だったり・・・)整備して作ります。その一方、雁木道というのは、(基本的には)「その家の軒先」でしかありません。つまり、その家の人の持ち物であるということ。みんながとおる場所にある家の人みんなが、軒先を長くつくって、通りやすいように便宜をはかる、互助システムから生まれたもの。だから、古くからの雁木みちは、屋根の高さや色がまちまちだったり、突然一部切れたりなんてこともあります。

 上越市では、外部の力も取り込んで、けっこう積極的に保存をめざしているようですが、糸魚川では、表通りは商店街のみなさんの共同事業として、木を使ったあたたかみのあるものに一新。それにともなって、今日の写真が紹介3つめの「八福神」や絵馬なんかも置かれるようになった。

 でも、この雁木のスピリッツっていうのは、なんでもエラいひとにおんぶにだっこしないで、自分たちで自分たちのことを決めていく、そんな雪国の強さの表れなのではないかとも思います。

 今日の写真の「八福神」は、その強さで周りを震え上がらせるけれども、実は慈悲にあふれる存在とも言われる毘沙門天。これって、雪国の強さを象徴する神様なのかもしれないな、などとも思うのです。

2006年12月13日 (水)

笑顔

Img_73381 昨日も戻りが少し遅くなってしまったので、ついでに今度は、市内「八」福神の大黒天を一枚。

 先日の奴奈川姫は蒼い光の中にいましたが、こちらはもうすこし温かい色の光のなかで、ふくふくと笑っておられます。場所は、夜間金庫の横で、やはり銀行の前。けっこう世知辛い場所なのだけれど、笑顔というのは、やっぱりふくふくとして、いいですね。

 最近、「天国は待ってくれる」という映画のことが、時々とりあげられています。この映画とは、全然関係ないのだけれど、安部恭弘という人の1991年のアルバム「天国は待ってくれる」にすこし光があたるかな?などと、楽しみにしています。

 なんでも明るく考えること。ポジティブシンキングというのは、時に、脳天気だとも言われる。でも、常にポジティブシンキングできるひとというのは、きっと、かなり強い人なのだろうなとも思うのです。日々、しんどいことはたくさんある。悲しいことだっておきる。見通しがいつも明るいことなんて、そうそうない。そんな中で、「んじゃ、なにも考えない」と刹那的になってしまうのであればともかく、ごくごくふつうに生きていこうとすると、やっぱり気が重くなることは、避けられない。

 でも、だから、だからこそ。

 そんな中で、「だいじょうぶだよ」という言葉をちゃんと吐いて、ポジティブに考えていける人。そんな強さを持ちたいと思いながらも、日々ネガティブシンキングの日々なのです。いやはや。

 大黒さんの笑顔は、きっと、そんな「ポジティブシンキング」なのだろうな。そんなことを考えながら。今日は、「天国は待ってくれる」を聴きながら出かけようと思います。

2006年12月12日 (火)

この、小心者!

Img_7342_1200 結局昨日はいい天気。午前の仕事が終わってから、お昼にちょこっと、先日の上吉野池周辺のたんぼを通ってから帰ろうなんて気分になって、あぜ道の小散歩をやってきました。

 とはいえ、みんなゴハンに夢中。なので、遠くからいっしょうけんめい食っている連中をながめ、「でもこの間は雨の中だったから、今日は光線がいいなぁ」などとうそぶきながら数枚撮って、またあぜ道をとぼとぼと歩いて戻っていこうとしたら・・・。

 ばさっ、ばさっと3羽が飛びたち、僕のすぐ横をかすめて飛んでいく。おどろかさないように、気にならないようにと、遠くから300mmのレンズで撮っていた僕は、もう、連中が近くに来るっていう心の準備がなかったので、もう、どうやって露出いじろうとか、フォーカスモードを切り替えようとか、そういうことが全然頭にはいらず、結局この1枚だけ。

 本当に瞬発力のあるひとだと、とにかく考えずにぱしゃぱしゃ撮って、あとで選ぼうとか思うのだろうけれど、こういう時に、実は小心者だなぁと、あらためて自分のことを思ったりします。

 そんなこんなで、ピントがずれている。すこし手ぶれもしている。でも、写っている3羽は、あくまでもりりしい。そんな写真ができました。いわば「オマエ、まだまだだな」と、シベリアからやってきた手練れに言われた、そんな昼下がり。悔しいから、練習します(笑)。

2006年12月11日 (月)

今日は晴れそう

Img_7341_1200  そろそろ冬めいた日が続いてきたこともあって、「あ、今日は晴れそうだな」と思うと、なんだかとてもうれしくなります。

 今日は、朝から隣町へ移動だったので、移動中の信号待ちに山を向いて1枚。ちょうど、陽が昇ってきたところです。

 冬の太陽の根性がないのか、それとも冬の雲が強すぎるのか、太陽がしっかり出てこないと、空が青くならない。夏だと、昇ってくるずいぶんと前から、そらが青々してきて「そろそろ起きないと、なんだか損ですぜ、ダンナ」みたいな雰囲気なのに、7時をとうに過ぎたこの時間になっても、太陽のまわりだけ青くて、日陰になってるところはまだまだ「今日も曇りだよね。がっかり」という感じ。でも、そのかわり早起きしないで、普通に通勤している途中でも、太陽が昇ってくるのを見ることができる。それは、ほのかな贅沢なのかもしれないな、なんて思います。

 こんな晴れの日でも、海は「日本海の冬」みたいに、ざっぱーんと波が砕けているわけで、今度は、青々とした空の下で盛大に高く吹き飛んでいる波なんかも、撮ってきましょうかね。

2006年12月10日 (日)

蒼い姫

Img_7334_1280 日曜日の夜、急な仕事からの帰りに、ふと信号待ちで、市内の雁木道のあちこちにある、七福神が目について、写真を撮ってみました。

 糸魚川では、七福神に古代日本の伝承の姫、奴奈川(ぬながわ)姫を加えて「八福神」とすることが多く、銀行の前に立っている姫の像の横には、8人が乗った宝船も置かれています。銀行前に宝船というのは、少々趣味が悪いような気もしますが(笑)。

 こういう、お地蔵さんみたいな石の像というのは、昼間と夜で、ずいぶんと顔が違う。ひだまりのなかにたたずむときには、とてもあたたかく。そして、夜、蒼い光のなかにたたずんでいるときには、ちょっと神々しい雰囲気があったりもします。

 今度、昼間、やわらかな光をあびている時も、撮ってみようかなとも思っています。

2006年12月 9日 (土)

雨のあぜ道

Img_7300 今日は仕事でおとなりの上越市へ。

 ここ数年、上吉野池周辺に白鳥がいっぱい来るという話を聞いて、仕事がすぐ近くだったのをいいことに、お昼にちょこっと行ってみました。

 もともと、彼らはこのあたりで羽を休めて、安曇野や琵琶湖方面へと飛んでいっていたらしい。だけど、ま、ここでもいいじゃないかということで、上越でそのまま冬を越すことになったみなさんなのだそうです。

 だいたい500羽くらいいるそうなのだけれど、お昼は彼らも「お昼」で、池でのんびりしてるのは、もっと小さい鳥ばかり。

 でも、近所の田んぼには、あっちこっちに白いかたまりが。近づいてみると、こんなふうに、いるんですね。稲を刈った後のたんぼに落ちている、落ち穂や草、虫のたぐい。いっしょうけんめいたべて、そして、夕方池へと戻っていく。だから、優雅に池で羽を休めているのを見るには、朝とか、夕方がいいのかもしれません。

 まわりの農道には「白鳥をおどろかさないように」「近づかないように」といった注意書きがちらほら。聞けば、数年前、彼らが来始めたときには、周辺を猟銃使用禁止にするなどして、なんとかいついてほしいと土地の人たちがいろいろ気を配ったとのこと。そんなこんなで、彼らはけっこう人を警戒せずに、のんびりとゴハンをたべているというわけで、これは、長年の信頼関係なんだろうな、と。

 そんなこんなで、僕もずいぶんと遠くから、ちょっと長めのレンズで数枚パチリとさせてもらって、またそおっと立ち去ってきました。雨のあぜ道では、彼らが主役。僕らは、それを遠くでにこにこしながら眺める、ただの通りすがりなのですから。

2006年12月 8日 (金)

食後

Img_7278_1280  寒そうな写真が続いたので、今日はすこしあったかい感じものを。

 今の仕事場の近所は、ずいぶんとたくさんカラスがいます。連中は賢くて、倉庫の上からくるみをくわえてトラックの前に置き、割れたら取りに来てまた倉庫の上に飛んでいくなんてことを平気でやってしまう。なにかで読んだときには、「へー」程度だったのだけれど、はじめて目の前で見たときには、あらためて「ほー」って感じ。ちゃんと、次がどうなるかを予測できるっていうのは、アタマいいです。

 というわけで、うろうろしていると、クリのイガ。だけど、そこいらに栗の木があるわけではないし、しっかり開いていて、中身はもうありません。きっと、カラスとかが持ってきて、食べて放っていったのかな。それはそれは見事に実が入って、開いた感じのイガ。きっと、ご満悦だったのではないかと。

 とはいえ、場所はでっかい荷物を積み込んだトラックがひっきりなしに通る道路脇。まさか、クマではないだろうし、こういうところで傍若無人にもしっかりメシ食ってる連中というと、きっとカラス、なんでしょうね。

2006年12月 7日 (木)

Power

Img_7279_1280  お昼に、仕事場で「あの雪山と紅葉の組み合わせ、きれいだね」という話になって、窓から撮ってみようと思ったのだけれど、案外と近い電線に阻まれて、イマイチ。

 ならば、ちょっと場所をかえて・・・と思って、カメラをかかえて近所を散歩しながらあちこちパチパチ撮ってきました。こういうことができるのが、ありがたいところです。

 さて。

 撮りたかった構図は、近くの丘に登ったりすると死角になってしまったりもするので断念。ただ、通りかかった桜並木を見上げた写真が、撮ったときはさほど感じなかったのに、あらためて見てみると、ものすごくパワーを感じるものになっていました。

 冬の、鉛色の空。まだまだ花が咲くのははるかに先。4月以外は忘れられたように、ただの雑木の一種にでもなったかのような桜だけど、実はものすごい存在感。そして、この樹皮の下で、ヤツらは、着々と来年のための桜色をため込んでいるわけです。

 なんだか、すごいな。

2006年12月 6日 (水)

午前3時の月

Img_7289  尾崎豊がずいぶんともてはやされたあとに、彼のフォロワーとでも言うべき人たちが何人も現れました。自虐的なまでの言葉で、他人に戦いを挑むように自分へ斬りつける「失格」が、なぜかもてはやされてしまった橘いずみのような人たちもいましたが、僕は、静かに、一人思い悩みながらも、ティーンエイジだからこその気負いをそのままに歌を出してきた、相沢友子という人に惹かれました。「午前3時の月」というのは、彼女の1枚目のアルバムの、1曲目の曲です。

 結局のところ、彼女はヴォーカリストとしてはそれほど成功せず、でもいつのまにか、ちょこっと女優めいたことをしたあとに、結構売れっ子の脚本家になっています。最近では、映画「大停電の夜に」の共同脚本などでも話題になっていました。

 思い返せば、プロデューサーが「どういう形だと売れるのか」ということを、色濃く押し出した、あの曲たちだったのかもしれない。でも、全編通して「君」と語りかける口調で、静かに、しかし自虐的に綴られる歌たちに見え隠れする、どうしようもないティーンエイジというものに、僕は今になって、あらためて惹かれてしまう。それは、辛いことなんかなにもわかっていなかったくせに、エラそうに世間のことを論評してみせた青臭さであったり、達観であったり。今思えば、それらはみんな、自分が幼すぎて、気づかなかっただけなのだけれど。そして、そういう、妙にエラそうで、将来に期待し、それと同じくらいあきらめて達観していた、あのころの自分の、ウラ恥ずかしさに、どこか重なる、そんな、共犯者意識なのかもしれません。

 あらためて、深夜の仕事を終えて、1枚の月の写真を撮る。いろんなものに見える、この表面の影。これが、ウサギの餅つきに見えるのは、脳天気なのではなくて、案外と、辛いことをたくさん知った大人の、懐の深さだったのかもしれないな、などと思いながら。

2006年12月 5日 (火)

そのスピリッツ

Tatamishokunin 昨日、近所のスーパーに買い物にいったら、駐車場の隣の車になんだか見慣れたマークに似たマークが。カメラはもって出ていなかったので、本ブログ初の携帯電話撮影で1枚。

 昔、ウチの会社が引っ越す前、数軒となりにあった畳やさんが、新幹線工事の立ち退きもあって、市役所の近くになんだかずいぶん今までと雰囲気の違うお店を建てられたのは知っていました。でも、代替わりされたのは知らなくて。ちょっとしたジョークに、なんだか、職人のスピリッツみたいなものを感じて、ほほぅって、なかなかいい気分になってしまいました。

 蛇足ながら、このロゴは、インテルのCPUが入っているPCに張られている intel inside のロゴへのオマージュみたいなものなんだと思います。

 僕は、コンピュータの仕事をしています。この仕事は、自分たちだけで完結することがありません。なぜなら、コンピュータというのは、人の仕事のスタイルを変革させるための道具だから。それだけに、僕らはいろいろな仕事のプロの人たちと、仕事上の打ち合わせをするわけです。

 コンピュータの世界には、実は素人がたくさんいます。それは、数ヶ月や1~2年の勉強でも、それなりに形になるから。もちろん、長いキャリアを持ち、ほれぼれするような仕事をする人もいる。いるけれども、世間の多くの人がコンピュータを「便利だけれど、難しいもの」と思ってくれているせいで、実はたいしたスキルがない人でも、専門家面しやすい。

 一方、たとえば一本の木から、向こうが透けるような1枚のかんなくずを削り出すようなことは、ちゃんと経験を重ねた人にしかできません。ものを建てたり、作ったり。そういう世界で、実際にすこしずつ、すこしずつ、経験を重ね、自分の力をたかめていく。その結果としての、数秒の芸。そういうものって、たとえば我々がお客さんの前で目にとまらないくらいの早さでキーボードを打ってみせるのとは、質の違う話なのではないかと。

 長い時間の鍛錬があるからこそ成り立つ。そんな、職人の仕事への敬意。机の上だけの仕事は、ともすれば絵空事をもてあそぶだけになってしまう。だからこそ、手が物語る仕事をする人たちに対して、僕は常に、あこがれてしまうのです。

 そして、いつか、そういう「職人」に、なりたい。コンピュータを使った、仕事スタイルの変革という分野で。なかなか、道は遠いのだけれど。

 さて。畳職人inside。こういうシャレって、職人として下手くそだと、ほんとにシャレとして成立しない。だから、きっとこれを貼った人は、自分の腕に自負心があり、さらに、もっともっとうまくなりたいという思いを持った人なのだろうなと、勝手に想像しています。

 田木畳店さん。今度、いって畳のマウスパッドとか、1枚買ってこようかななんて思っています。

2006年12月 4日 (月)

とうとう、来た

Img_7247  10月おわりに出張途中にみた白馬の山々は、霜降り牛の脂肪みたいな雪だったのが、11月はじめに通ったら、ほこりだらけの本棚みたいな雪に。そして、とうとう、海岸沿いのウチの町にも、やってきました。白いヤツらが。

 昨晩、遅くまで仕事をしていたら「どさっ、どさっ」という音が。確かに、バチバチと、雨というには芯を感じる痛そうな音が屋根を打っていたものの、「どさっ」はないだろ?と思っていたら、朝おきてみると、こんな感じ。昼間にはさっさと溶けてしまう程度の、うっすら雪化粧ですが、でも、こういうのは今年初。

 たくさんつもった雪が屋根から落ちるわけでなくても、ほんの数ミリの雪が、2階の屋根から1階の屋根へと落ちるだけで、どさっと本当に重そうな音がするのは、なんでなんだろう。朝見て拍子抜けする日々が続いて、「これくらい音がしても、全然ゆきなんて、ないから安心だもんね」とか慣れてきた頃に、どかっと降って、またびっくりさせられる。

 そうやって、だんだんと冬に慣れていく毎日が、はじまるのだろうなぁ。

2006年12月 3日 (日)

つぐみん

Img_7165  昨晩の鳥の写真が載った記事を見て、家人に「だから、あれはつぐみん」と言われてしまいました。おぼえられるだろうか・・・。

 というわけで、「つぐみん」という鳥がいるわけではなく、この鳥は、ツグミという鳥なんだそうです。で、なぜつぐみんなどと呼ばれているかといえば、それは、今年一年間我が家でおおいに愛読された、とりぱん というマンガに出てくるツグミが「つぐみん」だから。

 北東北のとある県に住む女性が、庭先に鳥の餌場を作って、集まってくる鳥を観察している。そんな生活が、そのまま大いなるエンターティメントになってしまう。田舎に住んでいて、田舎でいることに慣れきっている自分にとっては、なんだかこういう田舎の提示方法があるのかって、あらためて驚いてしまいました・・・ってそんな大げさに言うようなことじゃないですね。単に、「あるある」っていうヤツです。しかも、現在進行形の「ある、ある」じゃなくて、昔、ハナたらして遊んでいた頃の「あった、あった」という、ちょっと振り返った記憶の中の、シンパシー。

 先日、ドラマ「セーラー服と機関銃」の最終回で、殺されてしまった登場人物が持っていた名刺に、架空の糸魚川の不動産会社の住所が印刷されていたのが、町なかでちょっとした話題になりました。前のドラマは「ひとつ屋根の下」で、その前はというと、「ムー一族」あたりまでさかのぼるらしい、芸能人と縁のないこの町ならではの騒ぎですが、飛び込みでマンション販売の営業をする堤真一のシーンに「糸魚川には分譲マンション、1個しかないもんね。賃貸いれても、3つだもんね」なんて笑い話が出るような、眠っている町。でも、そういう町にもきっと、とりぱんみたいな日々に「!」を感じてる人もいるんじゃないか。そして、他の町のひとが、ヘンに気取った都会の猿まねではなく、田舎そのものをそのまま(もちろん、作者自身の魔法の粉をふりかけてあるわけですが)差し出して、エンターティメントにしてしまったということに、ちょっとした悔しさも感じたりするのです。

<とりぱんのリンクは、楽天ブックスへのアフィリエイトになっています。>

2006年12月 2日 (土)

食事中

Img_7161_1  近所の公園のピラカンサ?(例によって植物の名前がわかりません)の木に、ちいさい鳥がいっぱいとまっていました。この大きさの鳥は全部すずめだと思っている僕ですが、人に見せたところ、「ちがう鳥じゃない?」と言われてしまいました。で、言われた鳥の名前も忘れてしまっている、あいかわらずの僕です。

 この日は雨の中、とつぜんちょこっとだけ陽が差して、ぽかぽかしてきたかな?と思うと、また降り出すような一日。だから、連中もどこかに隠れたり、出てきてひなたぼっこしたり、なかなかいそがしそう。そして、こんな感じで、きれいにまっすぐに刈られた植え込みの上にならんで、ぴよぴよいいながら、赤い実をついばんでいるわけです。

 都会のカラスなんかとちがって、連中はけっこう警戒心が強いので、ちょっとでも近寄ると、すぐに逃げていってしまう。だけど、連中がいたあたりを見てみると、しっかりかじったあとの実がいくつもあったりして、なかなかにほほえましい光景なのです。

2006年12月 1日 (金)

今年の紅葉

Img_6442  姫川港の立ち入り禁止フェンス沿いの赤い葉っぱも、ずいぶんと落ちてきました。というわけで、今年の紅葉もそろそろおしまい。市内の紅葉は、「あぁ、きれいだね」と眺めるだけで終わってしまったので、わざわざ早起きしてでかけた隣村、小谷の鎌池の写真を、今年の紅葉の思い出として、1枚載せておきます。

 ここは、小谷温泉のすぐ近く。写真を撮る人にとっての紅葉の名所として有名な場所です。なにせ、車を降りて数分で行ける。池の周辺をふつうの靴でひとまわりできる。水面が鏡のように波立たずに、葉を写し込むといった好条件がそろっていることもあって、ふつうのカメラだけでなく、4x5だの、6x7だの、大きな判のカメラを使う人も多い。朝6時頃、夜明け直後に着いたら、もう駐車場がいっぱいなのに、驚いてしまいました。平日だったのに。

 朝靄がかかる池に、ほんのりと映る赤や黄色の葉。なんだか堪能しながら1時間ほど写真を撮り、それからあわててもどって出勤。でも、あらためて、ウチのあたりって、いいところだよなぁ。そんなことを思った朝なのでした。

 紅葉は、木にとっての冬支度。どんぐりが落ちたり、熊が出てきたりするのと同じ。そして、僕もそろそろ、タイヤをスタッドレスに変えようかななどと思っていたりするのです。

 さぁ、12月。今年もあと1月。がんばるぞ。

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